第三章【変わり果てた者 変われなかった者】
第40話 【二〇一八年 二月十二日】
昨晩までの大雪が嘘だったかのように、空には雲一つなく、白い太陽がギラギラと照っていた。降り積もった雪は殆ど溶けていて、アスファルトは黒く濡れている。
春の気配を感じさせる、ぽかぽかとした陽気。
中学校の校門の傍には、まるでやっつけで作ったかのような「夏香中学校同窓会・会場」と書かれたプラカードが立っていた。
その傍に立って、同級生らが来るのを待っていた僕は、シャツの襟を正し、ネクタイを締め、前髪を整えてから言った。
「皆月、どう思う? この格好、変じゃないかな?」
「あーはいはい、かっこいいカッコイイ」
皆月は僕の方を振り返らずに言った。
さっきからしゃがみ込んで何をしているのだろう? と皆月の手元を除くと、彼女は残った雪で雪だるまを作っていたのだった。
僕は痒くなった頬を掻きながら、彼女を揶揄った。
「君も案外、子どもみたいなことするんだな」
「あんたの相手してたら、子どもにでもなりたくなるわ」
そこでようやく、彼女が振り返る。そして、スーツを身に纏う僕を見るなり、苦虫を噛み潰したかのような顔をした。
「何それ、気持ちわる」
「そりゃあ、同窓会なんだから、しっかりした格好じゃないと」
僕はニヤッと笑うと、クリーニングから帰ってきたばかりのスーツを撫でた。
「スーツを着るなんて久しぶりな気がするよ。部屋のクローゼットの中で、しわくちゃ団子になってたもんな…」
さっき締めなおしたばかりのネクタイを緩めると、また締めなおす。
「それで六回目」
いちいち数えていたのか、皆月はうんざりしたようにそう言った。
「ってか、同窓会の招待状失くしたんでしょう? 呼ばれてないのにここに来るって、神経がどうかしてるのね」
「これも、僕の過去を復元するためだからな」
僕は、ふんっ! と息を吐くと、またネクタイを緩めて、締め直した。
「確かに、招待状は持っていないけど、僕はこの学校の卒業生だからな。別に悪いことをしているわけじゃない。家の鍵を失くした父親が、窓から中に入るものさ。それに、食事が用意されるホテルならともかく、ここは学校だぞ? このくらい大目に見てほしいさ」
「あーはいはい、うるさいうるさい」
皆月は手で耳を押さえたり、離したり。
せっかく作った雪だるまを踏み潰すと、気だるそうにこちらを振り返った。
「まあ、ナナシさんの過去を復元するのは建前でも何でもなくて本当だから否定はしないけどさ…。できる範囲で同窓会には潜入するけどさ…」
そこまで言った彼女は、口を一文字に結び、微かに震えた。
「なんか…、鼻につくわ」
「どこがだよ」
僕は笑みを隠し切れない声で聞いた。
「むしろ喜べよ。二週間前、タイムカプセルを掘り起こしたおかげで、小学生時代の僕の交友関係が判明したんだぞ? 名前の復元にまた一歩近づいたってことじゃないか」
「そのあからさまにニヤついた顔が本当にむかつく」
人間性のなっていない皆月は、ローファーのつま先で雪を掬って蹴った。
水っぽくなった雪が散り、せっかくパリッと仕上げてもらったスーツの裾を汚す。
「あ、お前…」
皆月はしてやったり顔で、べえ…っと舌を出し、僕を挑発した。
だが、タイムカプセルを掘り起こし、アサとの甘美な過去を思い出した僕の心には、ウユニ塩湖ほどの余裕があった。
にやっと笑い、皆月に舌を出す。
「まあいいよ。アサならこのくらいの汚れ気にしない」
「そもそも、アサちゃん来るわけ?」
「きっと来るさ」
皆月が嫌いそうな、「勘」でそう言った僕は、冷えた手を握り締めた。
「時間は十時からになっているけど、彼女のことだからもう少し早く来るんじゃないかな? それで、僕の顔を見たらきっと、すぐに思い出してくれると思うんだよ…」
「そうだと良いんだけどね~」
学校を取り囲っている金網に背を凭れる皆月。
一服するかのように、閉じられた口から白い息を吐いた。
「まあ、どうせ痛い目見るんだろうね」
憐れむような目が僕を見る。
その視線を浴びても尚、僕の胸には、カスピ海くらいの余裕があった。
「どうやって痛い目に遭うって言うんだよ」
「まあ、私としては、あんたがしょぼくれていた方が見ていて楽しいんだけど…」
そう前置きしてから、彼女は真剣な口調で言った。
「五年だよ。ナナシさんと…、そのアサちゃんって人が卒業してから、五年が経ったの」
「それがどうした」
「人が変わるには、十分な時間ってこと」
淡々と放たれたその言葉に、僕の胸に何か熱いものがこみ上げた。
「それは…」
「ナナシさんに甘い過去があったことは認めるよ。あの手紙を見る限りそうなんだろうね」
皆月は僕の言葉を遮った。
「これは、姓名変更師としても嬉しいことだよ。過去を復元するにしても、どうせ書くなら楽しい方が良いでしょう?」
金網から背を剥がした彼女は、少し強張った顔で歩み寄ってきた。
「だからと言って、未来に思いを馳せるのは良くないよ。期待しすぎると、裏切られた時に辛いんだから。期待していない方が丁度いい」
「アサはそんな奴じゃないって…」
そこはハッキリと否定する。
「アサは、今も昔も、変わらないよ。今日だって、きっと僕たちは再会できるんだ…。そして、あの時みたいに、仲良く話して…」
その瞬間、皆月の眉間に深い皺が刻まれるのが分かった。嫌悪のような、侮蔑のような、とにかく嫌な気配を放ったから、僕の背筋がすっと寒くなる。
息を吸い込んだ彼女は、こう言った。
「思うんだ。不幸な奴はずっと過去を見ていて、幸せな人は、ずっと未来を見ているって」
「……」
皆月の言っていることは、よくわからなかった。でも、なんだかほんの少し夢から覚めたような気がした。
「いや、まあ、わかってるよ」
僕は誤魔化すように、首の辺りを掻いた。
「また一緒になれるだなんて、そんな都合のいい妄想はしているつもりは無いよ。でも、人間の本質は変わらないはずなんだ…」
掻けば掻くほど、皮膚がひりひりとする。
「だから、一緒になれなくたって、きっと、また仲良くできると思うんだ…」
人間はそう簡単には変わらない。
アサには、変わっていてほしくない…。そう、願うように言った
皆月は、憐れむような目のまま頷いた。そして、白い息を吐いて、吸う。
「そうだと、いいね…」
その時だった。
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