第34話

 電車に乗り、一時間ほど揺られた後、僕と皆月は寂れた無人駅に降り立った。

 人を乗せないまま発車する電車を見送った後、改札を潜って駅舎に入る。充満したぬるい空気を吸い込み、壁に貼ってあった町内会クリスマス会の知らせを一瞥してから、外に出た。

「場所、わかるの?」

「まあ、何とか」

 憶えがあるような無いような通りを眺め、僕は唾を飲み込む。

 綱渡りにでも挑戦するかのように、母校へ向けての一歩を踏み出した。

 時間は零時を回ったところで、町は夢に片足を突っ込んでいた。家の窓からは明かりが消え、テレビの音が途切れる。暖かな光を放つ居酒屋さえも暖簾を下ろし始め、霧が立ち込めるみたいに、いよいよ世界の輪郭が不鮮明になりつつあった。

 そうして空に溶けるように歩き続けた僕は、若干道に迷いつつ、母校へと辿り着いた。

「ここか」

 眠りにつく町を撫でるように、黒い校舎がのんびりと聳えていた。

 呑みこまれるような感覚を覚えながら、僕は鞄の紐を掴む。

「じゃあ、行こうか」

「はいはい」

 久しぶりに、皆月が声を発した。

 案の定、門には鍵が掛かっていた。他に入れそうなところを探そうかと考えもしたが、大した高さじゃなかったから、しがみ付き、腕に力を込め、乗り越える。

 そのまま、黒いアスファルトに着地。

 僕の後に続き、皆月もスカートを捲りあげながら着地した。しかし、上手く衝撃を殺せなかったようで、ダンッ! と痛々しい音が響き、それから、その華奢な身体がよろめく。

 僕は反射的に手を伸ばし、その肩を掴んだ。

「大丈夫か?」

「パンツ見んな」

 相変わらずの皆月節で、僕は何処かほっとした。

 足の痺れがとれるのを待ってから、中庭を横切り、校舎へと近づいた。

 息を潜めつつ見上げて、一階、二階、三階の窓を確認したが、光が灯っている部屋は無い。人の気配もない。そもそも、門には厳重に鍵が掛けられていたのだから、最後の人が出た後なのは明白だったな。

 それでも、警戒は怠らず、体育館と校舎の渡り廊下を通り抜け、校庭に出た。

 奥へ奥へと進む。

 校庭の端…、ブランコの横にある築山を超えたところに、その石碑は立っていた。

「あったな。良かった…」

 ナップサックから懐中電灯を取り出すと、石碑を照らす。そこには確かに、『×年度 卒業生 タイムカプセル』と刻まれていた。

 誰かがサッカーボールを当てて遊んでいたのか、球状の砂汚れが付いている。

 僕は皆月の方を振り返り、煌々とする懐中電灯を渡した。

「僕が掘るから、皆月は照らしていてくれ」

「あら、掘ってくれるの?」

 皆月はわざとらしく首を傾げた。

「だって皆月、掘る気ないだろ」

「そんなことないけど」

 そうなぞる様に言った皆月は、築山のトンネルの淵に腰を掛けた。

 優雅に脚を組み、懐中電灯の白い光を僕の目に当てる。

「まあ、ナナシさんがやってくれるのなら任せるよ。私、か弱いし」

「足癖の悪い奴がよく言うわ」

 端から彼女に期待していなかった僕は、石碑に歩み寄ると、その少し前にスコップを突き立てた。

 ガリッ! と、硬い土の感触。指が痺れる。掘れないことは無いけど、気が遠くなりそうだ。

「なんか…、もう少し大きいスコップでも持ってくればよかったな…」

 考えが足りていなかった自分が恥ずかしくなり、頭を掻いて笑った。

 それを見た皆月は、腰を据えていたトンネルから降りた。

「…グラウンドなんだから、スコップくらい置いているんじゃない?」

 懐中電灯を持ったまま走り出す。

「探してくる!」

 首だけで振り返ってそう言うと、校庭の隅にある体育倉庫へと走って行った。

 皆月がショベルを探してくれている間に、僕は岩を髣髴とさせる硬い土にスコップを突き立て、掘る…というよりも、削る作業を繰り返した。

 ガリガリ…ガリガリ…と地面に穴が現れていく。

 何度も、何度も、削る。

 腕が棒のようになり、頬が火照り始めた頃、再び懐中電灯の明かりが、僕の手元を照らした。

 顔を上げると、肩にショベルを担いだ皆月が立っていた。

「あったんだな」

「うん。入口横に置いてあった」

 そう言った彼女は、ショベルを振り下ろし、僕の手元に突き立てた。

 危うく脳天を勝ち割られるところだった僕は、「うわ…」と洩らし、青ざめる。

「これで行けるね。頑張って」

 僕にショベルだけを運んできた彼女は、再び築山のトンネルに腰を掛け、僕の背中を眺め始めた。

「まあ、そうだよな」

 箸より重いものを持ったことが無い皆月が、箸より重いショベルを持ってきてくれたんだ。それだけで十分だった。

「後は僕に任せとけ」

 僕はやけくそ気味に言うと、皆月が持ってきてくれたショベルの柄を掴んだ。

 スコップとの重量差に驚きつつ、体重を掛け、その先端を地面に突き立てる。

 先ほどまでの岩を削るような感触とは違い、今度は、チョコケーキでも切るみたいに、ショベルの先端は地面を抉った。

「おお、すごいすごい。非力なナナシさんじゃ持ち上げられないと思った」

 後ろで見ていた皆月が、挑発的に手を叩く。

 せめてもの反抗で、僕は掘った土を後方へと放った。

 ちらっと振り返って見たが、皆月は「効いていませんよ?」とでも言うように、トンネルの上で三角座りをして、土がつま先にかからないようにしていた。

「それで、ナナシさん、タイムカプセルに入れたものは憶えてる?」

「さあな…、皆目見当がつかないよ」

 僕は首を横に振り、ショベルの先端を地面に突き立てる。もうかなり柔らかくなっていた。

「まあでも、良いものじゃないんだろうな…」

 わかり切っているくせに、こうやって電車に一時間揺られて、不法侵入を犯しながら、何の生産性も無い重労働に勤しむ自分のことを思うと、たまらなく虚しく思えた。

「きっと、くだらないものが入っていて、僕はまた落ち込むんだと思う」

 何の期待も感じさせないように言った。

 それを聞いた皆月は、懐中電灯の光を少し下げた。

「自作ポエムでも入っていると良いね」

「そうだな…」

 それが入ってくれていた方が、まだ笑い話にできるのだと思う。

「金子みすゞに憧れた…」

 言いかけた次の瞬間、手の中に、カツン…と硬いものに触れるような感覚が広がった。

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