第31話
改めて、僕らは大学を目指して歩いた。
前回よりも快調に歩き、辿り着く。
昼時ということもあって、講義棟と食堂を繋ぐ通路には、多くの学生らが行き来していた。
僕に招待状を渡してきた男の名前は憶えていない。でも、その顔は彫りが深く、背も高かった。ブランド物のジャケットを着こなし、耳ではピアスが輝いていたのを憶えている。
見るからに、日の当たるところで輝く者。
だから、賑やかなところを探していれば、ものの五分で見つけることが出来た。
その男は食堂にて、六人用のグループ席を確保して食事を摂っていた。
窓際の、中庭が見える席。向かいには彼女らしき女の子が座っていて、さっきの講義がどうとか、バイトがどうとか、仲睦まじく話しに興じている。残り四つの席は、リュックとギターバッグで埋まっていた。
楽しそうな二人の話を遮ることは本当に心苦しかったが、皆月が尻を蹴ってきたから、仕方なく話しかけた。
「ねえ、ちょっといいかな?」
だが、男は振り返らない。周りの狂騒のせいだった。
「ねえ、話を聞いてくれないか?」
そこで初めて、男が僕に気づいた。
炊き込みご飯の入ったお茶碗を置き、首だけで振り返る。
「あ? 誰だお前」
今の僕に名前が無いとしても、初対面も同然の人間に、「お前」とは少し傷つく。いや、一目で僕が、舐めてもいい人間だと気づいたからだろうか…。とにかく僕は、しどろもどろになりながら男に聞いた。
「あの、中学校の、同窓会のことについて聞きたいんだけど…」
「同窓会? 何言ってんだお前」
男は眉間に皺を寄せ、切りつけるように言った。
逃げ出したい気持ちに駆られながらも、僕は言葉を絞り出した。
「だから、同窓会だよ…。夏香中学校。あれ、いつあるんだっけ?」
夏香中学校…。
急に話しかけてきた男の口から母校の名前が出てきたことに、彼の頬がぴくりと動いた。
「あ、同窓会って、夏香中のこと?」
口調が幾分かマイルドになる。
「あれ、お前、あの学校の卒業なの?」
「うん。それで、半年くらい前に、君に招待状を貰ったはずなんだ…。ええと、日にちは確か、九月三日のこと」
ほんの少し言葉を交わしただけで、僕はもう冷たい水を飲みたくなった。
「その招待状を失くしちゃってさ…、せめて、開催日だけでも知ろうと思って…」
「あ」
男が何か思いだしたような声をあげた。
見ると、彼は酸欠の金魚のように口をぱくつかせながら、僕を見ている。無意識に手が上がり、下がりを繰り返していた。
「ええと…、そうだ、そうだよ。うん、俺、お前のこと見覚えがあるわ。憶えてる。確かに、黒田さんから、代わりに渡してくれって、招待状貰ったわ。それで、お前に渡した…」
何度も頷いてそう言った男は、それから、首を傾げた。
「ええと、名前、なんて言うんだったっけ。忘れた」
同級生の名前を憶えていない…と言うことに、奥の席に座っていた彼女さんが、くすっと笑うのがわかった。
僕は恥ずかしさを覚えながら言った。
「ナナシだよ」
「ナナシ? そういう名前だったっけかな?」
当然、男はぴんと来ていない顔をした。
「まあいいや…、その顔、なんとなく憶えてるわ。俺が招待状渡した…」
「それで、同窓会っていつあるんだったっけ? もしかして、もう終わった?」
「いや、終わってないぞ。三週間後…、日曜日だ」
「日曜日…」
まあ半年前に招待状が届いたのなら、このくらいの頃の開催になるだろう。タイムリーと言うべきか、ギリギリセーフと言うべきか、とにかく、僕は安堵して息を吐いた。
そんな僕に、男は怪訝な顔をしていたが、同窓会の概要を教えてくれた。
「集合場所は、母校の夏香中学で、タイムカプセルを掘り起こすんだよ。それから、近くのホテルに移動して食事って流れになってる。本当は春休みとか夏休みのタイミングで集まろうってなってたけど、先生が遠くに行かなくちゃいけないからって…」
同窓会の大まかなスケジュールを教えてくれた後、「いや…、でも」と続ける。
「お前、招待状に同封されていた、参加の旨を示す紙、送り返してないだろ」
「あ……」
その言葉に、はっとした。そりゃそうか。ホテルの予約を取らなくちゃいけないんだから、参加の有無を示すのは必須。彼の言う通り、僕はそれをしていないのだろう。
羞恥心を拭うように、僕は頭を掻くと、精一杯取り繕った。
「ごめん…、そうなんだよ。紙、送り返していなくてさ。しかも、失くしちゃったから、これ何とかならないのかな…って」
僕はあの学校の生徒なんだ。招待状が無くても参加できるくらいの配慮はあってほしかった。
僕の発言に、男が眉間に皺を寄せる。
非常識な発言と思われただろうか? そこを何とか…。
「いやお前、オレの前で招待状を破り捨てただろうが」
次の瞬間、男の口から放たれたのは、恐ろしい一言だった。
男は顔をくしゃりと歪めると、頭を抱え、テーブルに肘をつく。
「あー、段々と思い出してきたわ。この苛つき。めちゃくちゃむかつく。腹が立つ。なんで忘れてたんだろう…」
それから、完全にゴミを見るような目を向けてくる。
「そうだよお前…、俺がせっかく招待状を渡してやったのに、その場で破っちまっただろ…」
「え…、そうだっけ…」
男の記憶が戻っても、僕のはまだ戻らない。
でもなんとなく、そういうことをした気がする。きっと僕なら、するに決まっている。
「くそが…」
とぼける僕に、男は悪態をついた。
「なんで忘れてんだよ。狂ってんのか?」
それはあながち間違いではないが…。
「要らないって言っただろ、お前。自分は行く気はないって、そう言った。なのに今更なんだ? 惜しくなったのか?」
「ご、ごめんよ」
まるで、身内の失態の尻拭いをさせられているようで、謝罪の言葉を吐くのが億劫だった。
「きっと、前の僕はそういうことを言ったんだろうね。でも、気が変わったんだ。やっぱり、参加してみたくなって…」
「気持ち悪いな、お前」
僕の言葉を遮って、男は切りつけるように言った。
ぷぷっ…と、噴き出す音が聴こえた。男の彼女さんだ。顔を真っ赤にして、口を膨らませ、涙目になって、その喉の奥に溢れだした爆笑を必死に堪えている。
男は彼女さんの方をちらっと見て、微かに笑ってからまた言った。
「確かに、今からでも参加は可能らしい。だけど、人の厚意を受け取っておきながら、その場で破り捨てるような馬鹿にお願いされて、委員長…じゃなくて、主催者に口利きできるほど、俺はお人好しじゃないんだよ」
ごもっともなことを言った男は、「それに…」と言って続けた。
「そもそも、俺はお前のことを憶えていない。いや、憶えていないことは無い。ちゃんと、記憶の片隅に、お前みたいな物静かで、何もできないような無能で、捻くれて育ったような男が一人いたわ。でも、どういうわけか、今のお前と結びつけることができないんだよ」
頬を掻く。
「変な感覚だ。記憶にはあるのにな…。なんでか、その記憶に確証が持てないっていうか…、存在していないっていうか、フィクションを読んでいるみたいな…」
男はその感覚を言葉で表現しようとした。だが、上手い言葉が見つからなかったようで、尻切れになる。
吹っ切れたように、男は舌打ちをした。
「とにかく、お前のことがたまらなく気持ち悪い。そんな得体のしれない奴を同窓会の場に放り込んで、空気を冷えさせたくないんだわ」
そこまで言った男は、軽く僕の胸を小突いた。
足に力が入らなくて、思わずよろめく。後ろから歩いてきた女子にぶつかってしまい、盛大に舌打ちをされてしまった。
視界が黒くなっていく。
顔を上げると、男は食べかけのお盆を持って立ち上がり、僕を見下ろしていた。
「頼むから、おとなしくしておけよ」
そう釘を刺すと、食器返却棚の方へと歩いていく。遅れて彼女さんが立ちあがり、僕の方をちらっと見ながら、彼氏の背を追って行ってしまった。
昼時の食堂。四方八方に響き渡る、飢えた学生らの狂騒の中でも、あの二人の会話ははっきりと聴こえた。「可哀そうじゃん」「どこがだよ。あんな気持ち悪い奴」「まあねえ」って具合に。
取り残された僕は、これからどうすればいいのか、どこに行けばいいのかわからなくなって、ただただ、片隅に追い詰められたネズミのように立ち尽くす。
目の前が、真っ白になろうとする…。
「おら」
次の瞬間、後頭部を叩かれ、現実に引き戻された。
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