第30話 【二〇一八年 一月二十三日】

 やってきた皆月は、いつものように椅子に腰を掛けた。パソコンを起動させると、破損した僕の過去のデータを見返す。画面には、一般人では解読できない、意味不明な文字が並んでいた。

 その様子を、僕は壁に凭れて見ていた。

「消えずに残った、約五パーセントのデータ…。何か、面白いものでもあったか?」

 そう聞くと、皆月は「うーん…」と唸りながら、タッチパッドに触れた。

「じゃあこれ。ここの部分」

 そう言って、ある文字列を指すのだが、当然僕には読めない。

「なんて書いてあるんだ?」

「クラスのみんなの前で裸踊りをしたってさ」

「うそだろ?」

 過去を復元していく中で、悲惨な思い出が掘り起こされることは覚悟ができていたが、流石に裸踊りは受け止めきれなかった。

 思わず卒倒しそうになる。

「嘘」

 だが、皆月は舌をべえっと出してそう言ってくれた。

「なんだよ…、驚かせるなよ…」

 安堵の息を吐いた僕は、恨みがましく皆月を見た。

「それで、なんて書いているんだ?」

「同窓会の招待状を手に入れたってさ。二〇一七年の…、九月三日のことだね」

「同窓会…?」

 その言葉に心臓が大きく脈を打ち、背中に汗が滲むのが分かった。

 一瞬見開いた視界に、何か、白い手紙の光景が過った。

「同窓会って、あれか? あの…、旧友が集まって、ご飯食べたりするやつ」

「他に何があるわけ?」

 皆月は冷静なツッコミをしつつ、タッチパッドに触れた指を動かした。

「同窓会に行けば、それなりにあんたのことを知っている人に会えるんじゃない? まあ、前後の情報が消えてるから、その同窓会が開催済みなのか、それとも、まだ開催されていないのか。あんたは参加の旨を示したのか、示さなかったのかはわからないけど…」

 ちらっと、猫のような目が僕を見た。

「記憶としては残っているはずだから、早く思い出して」

「早く思い出してって言われても…」

 確かに、同窓会の招待状らしきものを貰ったような気がするが、何せ五か月近く前のことだから、そこに何が書いてあったのか、当時の僕はそれをどうしたのかは、思い出すことはできなかった。

 十秒ほど記憶を辿って見たが、よくわからなくて、僕は肩を竦めた。

「ダメだ。思い出せん」

「は? しっかりしてよ」

 皆月は顔を顰め、頬杖をついた。

「じゃあ、その招待状は誰からもらった…とか覚えている? それとも、郵送で届いたの?」

「そりゃ、もちろん」

 郵送…。

 そう言いかけた瞬間、僕の脳裏に痺れるような感覚が走った。

「あ…」

 何かを思い出したかのような声をあげ、間抜けな顔のまま固まる僕。

 そんな僕を見て、皆月は椅子から少しお尻を浮かせた。

「何か思いだしたの?」

「大学の人間にもらった」

 そう言い切った。

「本当は郵送だったんだけど、僕だけ、現住所が分からなかったらしくて…。ほら、卒業時に加入した同窓会に、住所変更の申請をしてなくて、送れなかったんだ。だから、同級生だったやつから、直接貰ったんだ…」

 誰にもらったんだっけ? そうだ…、男。男にもらった。

 名前は、なんていうんだっけ? 忘れた。でも、顔は良かった。小学生の時も、大学生になってからも、ほとんどしゃべったことは無かった気がする…。

 ぶつぶつと考える僕の肩を、皆月が掴んだ。強い力だった。

「それで? その招待状はどこにやったわけ?」

「どこにやったっけかな?」

 せっかく思い出しかけていたというのに、また躓いた気がした。

「忘れた…」

 その一言に、皆月は顔を顰める。

「そこが重要じゃん」

「ごめん…」

「まあでも、大学の人間にもらったのが救いね」

 彼女は肩を竦めると、ノートパソコンを閉じた。

「大学に行って、その招待状をくれた男に聞いてみよう。そうしたら、開催日くらいはわかるでしょ」

 大学に行く。

 そう聞いた瞬間、僕は病院に連れていかれる前の犬のように身を震わせた。

「ま、また今度にしないか?」

 頭の中に、綾瀬さんの顔が浮かぶ。もう、地域企画論の発表日は過ぎていた。

 あれだけ優しくしてくれた彼女を裏切った自分が大学に行くだなんて、いい身分だと思った。

「今は、気分じゃないから。あんまり、行きたくない」

「私がそういう気分なの」

 そんな情けない言い訳が皆月に通じるはずもなく、彼女は僕の腕を掴むと、半ば強引に外に連れ出した。そして、羊を追い立てる犬のように、僕の尻を蹴飛ばす。

 遅れて、チェスターコートとマフラーが放り出された。

 僕を見下ろした皆月は、ふんっと鼻を鳴らす。

「ほら、行った行った。これも全部、あんたの過去を復元するためなんだからね」

「ああ、もう…」

 もう、どうにでもなれ。

 やけくそにそう思った僕は、落ちていたコートとマフラーを掴み、身に纏った。そして、真冬の海に飛び込むような勢いで歩き出す。

 皆月は戸締りをすると、僕を追ってきた。

「寒いねえ」

「ああ、寒いな」

 空を灰色の雲が覆っていて、吹き付ける風には若干の雪粒が混じっていた。道行く者たちは皆肩を竦め、一寸先の足元にしか興味が無いとでも言うように、そそくさと歩いていく。

 そんな、世界の終わりのような寒空の下を歩く僕は、どんなふうに映っているのだろうか。

「ああ、そうだ」

 突然、皆月が思い出したかのような声をあげた。

「これ、返すよ」

 振り返った瞬間、僕の学生手帳が飛んできて、胸にぶつかる。当然掴むことはできず、それは乾いたアスファルトに落ちた。

「ああ、すっかり忘れていた…」

 僕は身を屈めて、学生手帳を拾い上げる。そこで、疑問に思った。

「あれ? 手帳で何をしてたんだっけ?」

「あんたに関する情報を探ってた」

 皆月は淡々と言って、僕の横を通り過ぎる。僕は手帳をポケットに仕舞いつつ、彼女の背中を追いかけた。

「それで、何か有力な情報は見つかったのか?」

「全然。あんた、メモとらない人なのね」

「…そうかな?」

「時間割表しかなかった。まあ、一応これも手掛かりなんだけどね」

 そう言った皆月は、何を思ったのか立ち止まる。危うく、その背中にぶつかるところだった。

 首だけで僕の方を振り返った彼女は、「あと、これ」と言って、ブレザーのポケットから何かを取り出し、僕に差し出した。

「こんなのが挟まってた」

「なにこれ」

 僕は反射でそいつを受け取る。

 見ると、それは何かのレシートだった。日付は、一か月前の十二月二十三日。店は、「ジュエル工房」という名前で、買ったものは…。

「ネックレスの修理?」

 白い紙に印字されていた、「ネックレス 修理 二〇〇〇円」という文字に、僕は首を傾げる。

「僕がこの店に、アクセサリーの修理をお願いしたのか? 一体何で」

「それは私のセリフだから」

 皆月は呆れたように言うと、また歩き始める。

 僕らは歩きながら会話を続けた。

「それで? なにか心当たりはある? あんたは、十二月二十三日に、この店でネックレスの修理をしているわけだけど…、どんなネックレスを直したの? それは今どこにあるの?」

「さあ…」

 思い当たることがあるような、無いような。歯の隙間にものが挟まっているような感覚に、僕は顔を顰めて、首を傾げる。

「全く思い出せない…」

 胸に手を当てる。

「……ネックレスってことは、本来ここになくちゃいけないものだよな」

「そうね。あんたの胸にぶら下がってなくちゃいけない。いやまあ、あんたがネックレスだなんて、気持ち悪くて鳥肌が立つけど」

 皆月の刺々しい言葉が、何のアクセサリーも着けられていない僕の胸に突き刺さった。

 ため息をついた皆月は、顎で前方をしゃくった。

「とりあえず、憶えておいて。後で探すから」

「わかった」

「今は、あんたに同窓会の招待状を渡したっていうやつを探しに行くよ」

「うん」

 改めて、僕らは大学を目指して歩いた。

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