第27話
どのくらい眠ったのだろうか?
次の瞬間、僕の股間を、誰かが蹴った。
脳から伸びるすべての神経を刃でなぞられたかのような、痺れる痛み。内臓がとろけて、溢れだした熱が、喉の奥にまでこみ上げるような感覚。
「わっ!」
悲鳴をあげた僕は、ゴミ袋の山から転げ落ちた。
混乱しながら身体を起こす。腕がどうしようもなく冷えていて、地面に触れても何も感じない。肘の関節がコキリ…と折れ、アスファルトにキスをする形で転げた。
「何やってんの? ナナシさん」
聞き覚えのある声が、頭上から降ってきた。
目を動かして見ると、ゴミを見るような目をした皆月が立っていた。
「…皆月」
ああ、そう言えば、こいつのこと忘れてたな…。
肺に、乾いた空気が流れ込む。脳に酸素が回ったのか、ぼんやりとしていた視界が晴れていくのがわかった。首を動かして振り返ると、そこにはゴミ袋の山。足元には、大切なノートパソコンが入った鞄。そして、目の前に皆月がいる。
なんだか安堵した僕は、肩の力を抜いた。
頭の位置が少し下がった拍子に、彼女のスカートの中身が見えそうになる。
慌てて視線をずらそうとした瞬間、胸の辺りを蹴られた。
「この変態」
「悪かった…」
黒色か。
皆月は、ふんっ…と息を吐くと、周りを見渡した。
「それで? あの綾瀬…て呼ばれた女とあんたは、どういう関係なわけ?」
「…綾瀬のこと、知っているのか?」
「私、図書館で時間潰してるって言ったよね」
「あ、ああ…」
すっかり忘れていたよ。
呆けた顔をする僕に、皆月舞子はいよいよ怒りが吹き零れそうな顔をした。
「早くしてよ。こちとらあんたを探してこのあたり駆けずり回って、疲れてるんだから」
そう言って、ローファーの靴底をアスファルトに叩きつける。
「それに、もう昼なんてとっくに過ぎてるの。早く帰りたいんだから」
「じゃあ、帰れよ」
開き直った僕は、突き放すように言った。
「もう疲れた。しゃべる気が無い」
両腕を広げると、背中のゴミ袋が、まるで高級マットレス…とでも言うように体重を預ける。
食い下がってくるのかと思いきや、皆月舞子はゴミを見るような目を僕に向けると、ため息をつき、半歩下がった。
「しゃべる気が無いのなら、それでいいよ。また明日来るから。でも、ちゃんと憶えておいてよね。今の状態だと、ふとした拍子に忘れることあるから」
「はいはい」
お節介焼きの親を相手にするみたいに言った僕は、寝返りを打った。
「あと、みっともないから、ふて寝なら家でやってよ」
「はいはい」
今は皆月の言う逆のことがしたく、適当に頷く。
目を閉じかけた時、ちっ! と舌打ちが聴こえた。
「わかり切ってたことでしょ。自分がしょうもない人間だって。自分からしょうもない過去を復元しようとしたくせに、今更何を拗ねてるわけ?」
早口でそう言った皆月舞子は、それから、「ああもう…」と、じれったそうな声を洩らした。
「まあ、今からでも、新しい過去、書いてあげるけど」
「…断る」
やっぱり僕は、皆月に反抗したかった。意地悪だ。
「ああ、そう…」
皆月はなぞる様に言うと、スカートを翻し、踵を返した。
「仕事だから、とりあえずあんたには協力するけどさ、あんたと一緒にいると、腹が立って仕方がないわ」
そして、三歩歩き、首だけで振り返った。
「まあでも、その情けない顔を見て楽しむのも、悪くないか」
そして、ローファーをコツコツ…と踏み鳴らしながら、路地の向こうへと消えていった。
取り残された僕の横を、切りつけるような風が通り抜けていく。
静かな昼下がり。路地に人の気配は無く、音と言えば、ゴミ袋のナイロンが擦れる音。
僕は白いため息をつくと、また、激臭を放つゴミ袋に身を埋めるのだった。
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