13

 ジュリモネアが立ち止まったのは原っぱの入り口だった。月明かりに見る限り、薄いピンク色の花が一面に咲き乱れ、微かな風に揺れている。

(あれ? ここ……)

なんだか見たことがある。子どもの頃、ここで踊る誰かを見たような気がする。


 とても静かだ。星の降る音が聞こえそうなほど。そして甘い匂いは……花の香り? なんだか変な気分だわ。夢を見ているような? 凄く眠いわ――ジュリモネアの意識が遠ざかっていった。


 誰かが激しくドアを叩いている。隣の寝室のドアが慌ただしく開けられ、エングニスが叩かれたドアに向かった。ドルクルト伯爵の屋敷の一室、ジュリモネアに与えられた部屋のドアが叩かれ、従者エングニスが対応に出たのだ。与えられた部屋には広い居間と寝室が三室、廊下側からエングニス、そしてナミレチカ、一番奥、窓際の部屋をジュリモネアが使っていた。


(あの声はリザイデンツさま。でもなんて言っているのか判らないわ。まさかキャティーレさまに何かあったのかしら?)

こんな真夜中に客室を訪れるなんて、しかもあんなに乱暴にドアを叩くなんてただ事じゃない。ベッドから降りると急いで夜着の上からガウンを羽織るナミレチカ、ジュリモネアさまは気付いたかしら? すると今度は自分の寝室のドアがノックされた。


 慌てて出ると、ノックしたのはエングニス、その後ろに立っていたリザイデンツが怖い顔で言った。

「ジュリモネアさまを起こしていただけますか?――当家の馬が人を乗せずに戻ってきました。ジュリモネアさまは寝室にいらっしゃいますよね?」


「まさかっ!?」

顔色が変わったのが自分で判る。

「ジュリモネアさまっ!?」

ノックもせずにジュリモネアの寝室に飛び込むナミレチカ、だけど、

「居ない……いったいどこに行ってしまったの?」

フラついたナミレチカをエングニスがそっと支えた――


 やっとのことで魔獣を粉々に吹っ飛ばした。途中で邪魔が入らなければこれほど苦労はしなかったのに、もうくたくただ。それなのに、また別の気配を新たに感じた。


 でもこれは? 魔獣じゃない。そんな荒々しいものじゃない。けれど気になる。正体だけは確認しておいたほうがいい。疲弊した身体に鞭打って、月明かりの道を東に進む。


 あの邪魔をした娘は無事に村に辿り着けただろうか? あれはネルロが一目惚れした娘だった。おぼろな記憶で『ジュリ』と呼んでしまったが、それで合っていたらしい。なんで知ってるか、と訊かれた時は少し焦った。ネルロのことは口にしたくない。そう言えば、わたしをキャティーレと呼んでいた。見かけない顔だったが、向こうはわたしを知っていたようだ。


 スルスルと滑るように進んでいく。もちろん歩いてなどない。飛んでいるという表現は間違っている。浮かんでいるのだ。膝くらいの高さに浮かんでの移動、大気や大地は決してわたしを拒まない。なぜなら我ら眷属は許されし者――


(気配はあの原っぱからだ)

キャティーレが前方を見る。月明かりに照らされた野は薄紅の花畑、一面に咲いた可憐な花が微かに風に揺れ、甘い香りを漂わせている。


(あれは……?)

そこに居るのは一人の女、すぐそばまで近づいて、キャティーレが地に降りる。足元の花たちがキャティーレに踏まれないよう身を寄せた。


「あ……」

つい漏らす声、足が勝手に一歩踏み出す。


「あなたは……」

キャティーレがまた一歩、女に近付く。


「ずっと……ずっと、あなたを探していました」

胸に込み上げてくるのは喜びか、それとも安堵か?


 咲き乱れる花の中、うっすらと笑みを浮かべて女が躍る。間違いない、あれから何年も経っているけれど、あの時の少女はあなただ。美しい大人の女性に変わっていても、わたしには判る。探し求めていたのはあなただ。


 あの夜に咲いていたのもこの花だった――いくら声を掛けてもわたしを見てもくれない。それなのに手を差し出したら、その手を預けてくれた。そして一緒に踊った。満月に照らされて、見つめ合って踊り続けた。あの日から、あなたを忘れたことはない。


 わたしが少年でなくなったのと同様に、あなたも少女ではなくなった。それでもあなたはわたしを惹きつけてやまない。約束を覚えていますか? 長い時を隔て、約束通りわたしのもとに帰ってきてくれたのですね?


 キャティーレが女に手を差し出せば、その手を見てから女がキャティーレを見た。そして微笑んで自分の手を預けてきた……


 ジュリモネアの捜索は夜明けとともに開始された。ショックでナミレチカは気を失ったがすぐ正気に戻り、ジュリモネアを探すと言い張ったがリザイデンツは許さなかった。

「キャティーレさまは魔獣退治にお出かけです。そんな時に何人なんぴとたりとも森に行かせるわけにはまいりません」


 馬が誰も乗せずに戻ったのは、どこかで魔獣に出くわして乗っていた人を振り落として逃げたからだ。道には魔獣除けが施してある。居るなら森だ。リザイデンツはそう決めつけた。


「魔獣が人を襲えばキャティーレさまがすぐ感知し、助けに行くはずです」

「でも、でも……」

「行けばキャティーレさまの邪魔、許可できません」

ナミレチカが泣き崩れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る