ドルクルト伯爵領ベッチン村で、無残に壊された牛舎の前に村人が集まっていた。

「ネルロ、どう思う?」

見るからに働き盛り、筋骨隆々とした大男が、しゃがみ込んで地面を調べている若者に声を掛けた。


「うん……隣のコンテス村と、多分同じだ」

ネルロが膝についた土を払いながら立ち上がる。ひょろっと痩せて顔色は青白く、風が吹いたら倒れてしまいそうな頼りなさだ。


 コンテス村では三日前、同じ被害に遭っていた。その時もネルロが行って調べている。この辺りの村では何か困ったことがあれば、必ずと言っていいほどネルロが呼ばれる。博識で、そして不思議な力を持つネルロを人々は頼りにしていた。


 ネルロの不思議な力、それは魔獣を検知する力だ。どこに居て、今、何をしているか、ネルロにはなぜか判る。しかしその力を発揮するには条件があった。昼間だけなのだ。だから夜間に村が襲われるのを事前に警告できずにいる。


 ネルロが大男を見上げて言った。

「カリガネ山中で子を産んだ魔獣がいる。多分ソイツだ。子に食わせるために家畜を襲った」

「ヤツら、滅多なことじゃ人里には来ないんじゃなかったのかよっ!?」

人垣の中から誰かが叫ぶ。大男が『黙ってろ!』と一喝する。


「それでネルロ、どうしたらいい? コンテス村に被害が出たなら何か対策を講じたんだろ?」

「魔獣除けの薬草を干したものと小石を袋に入れて村の周囲に置けと言っておいた。それとワッツ、カリガネ山には入るなと村人に周知したほうがいい」

ワッツと言うのが大男の名だ。


「カリガネ山の牧草地も危険だと? コンテスのヤツらは村の外れに牧草地があるからなんとかなるだろうけど、俺たちにはカリガネ山しかないんだぞ?」

そうだ、そうだと周囲が騒ぎ、今度はワッツも黙らせようとはしなかった。


「そうだなぁ……コンテスの村長むらおさに牧草を分けてもらえるよう僕から言っておくよ」

ネルロにしては知恵を絞ったつもりだ。ところがワッツは不満らしい。

「俺たちに、コンテスのヤツ等に頭を下げろって言うのか?」

ネルロはベッチン村のためにコンテスの村長に頭を下げるのに、ワッツにはそれができないらしい。


「まぁネルロ、その魔獣ってどんなんだ? 俺たちで退治できないのか?」

「退治ねぇ……」

「おまえに魔獣を殺してくれとは言わねぇ。俺たちがる。おまえは魔獣の居所を教えてくれりゃあそれでいいんだ」

考え込んでしまったネルロを大男が真剣な眼差しで見詰める。


 魔獣の居所は判る。大した魔獣ではない。大きくなり過ぎたクマ、その程度だ。今は子どもたちに乳を与えている。子どもは二体、母親が居なくなれば長くは生きていられない。まぁ、人間を襲う魔獣なら、退治されるのも仕方がない。だけど……


「判った、それじゃあ日没前に場所を教える」

「日没前だって? それじゃあ遅い。夜はあいつらの方が有利だ」

そうだよね、そうなるよね。ネルロが溜息を吐く。


 昼間だって、意識しなけりゃ魔獣の気配なんか感じない。だけど何か異変があればいやでも感応してしまう。人間の襲撃による強烈な憤り、子を守ろうと必死に戦うその興奮、そして断末魔の叫び――そのすべてを受け止める僕の身にもなって欲しい。だけどネルロのそんな悩みは誰も知らない。誰に言えるものでもなかった。


 言えばきっと誤解される。魔獣の心が判るんだと、ネルロは魔獣の味方だと、そんなふうに思われたらたまらない。魔獣の味方をする気なんかないし、心が判るわけでもない。ただ興奮や苦しみが伝わってくるだけだ。


「なぁ、ネルロ、頼むよ。カリガネ山は危険なんだろう? なんの目当てもなしに魔獣を探せって言うのか?」

ワッツがネルロに縋るような目を向ける。

「判ったよ……」

ネルロが小さな溜息を吐く。これ以上拒んだら、やっぱり魔獣が好きなんだなと言われてしまう。


「すぐに魔獣狩りの支度したくを。ずっと同じ場所にいるとは限らない。だから支度が出来てから、居所を教える」

「なんだよ、一緒に行ってくれないのか?」

「行かないよ。僕が臆病だって知ってるだろう?」

「あぁ、怖がり過ぎて、それで魔獣の気配に敏感になったんだったっけ?」

ワッツがニヤッと笑う。ヘタレのネルロ、腹の中でそう呟いていた。

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