第7話 星の夢


 暗闇の中に浮かんでいた。

 上も下もわからず漂っていて、ノエがくっ付いてきているときとは真逆の感覚、凍てつくような孤独感と空虚に圧迫されるようで、不快な空間だ。

 これは夢だ。

 それはわかるのに起きることもできず、指一つ動かせない。

 まるで心が蝕まれるような、最低な心地のまましばらくして日歌詞が差した。

 眩い光に目が眩んだがやがて慣れ、よくよくみると眼前にあったのは、地球とその周りを回る月、だった。

 俺は夢の中で、どこかの星で地球を見上げていた。


「うわああああ」


 自分の叫び声で目が覚め、ガバっと体を起こした。

 まだ日が昇る前で部屋は薄暗く、いつの間にか隣に潜り込んできていたノエは穏やかに眠っていた。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

 なんなんだ今の夢は。

 なんにしても。

「不吉だ」

 昔から、夢に星が出てくると近いうちに良くないことが起きる。

 何か根拠があるわけではないし、特に何も起きないことだってある。しかし良くないことが起きるときは大抵、その日から数日前に星の夢を見る。

 こんなときに取るべき行動は決まっている。

 普段なら絶対にやらないようないことをやれば悪運は反れる。

 それは先月キャンベラから帰ってきて即日ドバイに出かけた母に教えられたことで、正直なところ信憑性に欠けるが何もしないよりはいいだろう。

 何か、普段しないことをしてみよう。

 そうは思ったが、普段しないことなんて普段しないのだから直ぐに思いつくはずもない。

「寒いっ」

 昼間はそこまで冷え込まないが、日没頃から未明まではもう肌寒い季節になっている。

 思えば、ノエが俺のベッドにもぐりこんできているのだから、寒いのは当然だ。

 何をするかは起きてから考えることにし、布団を肩まで掛けて横になりノエを抱き寄せた。

 こんなことをすればまるでシスコンみたいだが、人目もないので気にしないことにした。

 温かく柔らかで、快眠の共に丁度いい。

 次に目を覚ますとすでに明るくなっており、ノエに抱き着かれた状態で胸の上に頭が置かれていて起きるに起きられない状況だった。

 首だけを動かして壁のアナログ時計を確認すると、時刻は九時前。

「既に遅刻だ」

 さっそく良くないことが起きてしまった。

 いや、よくよく考えれば考査期間でもないのだから遅刻のデメリットはない。

 テストの点と出席日数さえあれば卒業には響かないし、そもそも高校なんてノエが通うからという惰性で通っているだけで、別に価値を感じているわけではない。

 というか、本気で勉強がしたい人なら高校なんかに通っている暇はないだろう。

 思考が脱線してしまった。

 良くないことが起きていないのだから、起きるとしたら今後ということになる。ノエがまだ起きてくれないのはしかたないので、今のうちに「普段やらないようなこと」を考えることにした。

 そうして俺が、九時ちょうどに思いついたのは白峰(しらみね)九通(ここのつ)のことだった。



 ノエが起きてから支度をし、通学の最中に白峰九通の話をした。

 白峰九通。

 十年前に一目惚れした浮遊霊が、今どこにいるかを占って欲しいという依頼を以前してきた変態、もとい一途な男である。

 ザックリとそのことを説明すると、

「面白そうな依頼です! 放課後、いつもの教室に連れて来てください」

 と、変な依頼にも関わらず歓迎のようだった。

 その後ファミレスで昼食を取ってから学校に向かい、午後の授業が始まる十分前にノエを教室に送り届けた。そのとき花恋にノエを引っぺがされて何故か睨まれたが気付かなかったことにし、手を振って銀色の指輪をチカチカさせるノエに振り返してから自分の教室に向かった。

「重役出勤だなぁ、お兄様」

 薄ら笑いを浮かべる恵を無視して、ノエに付けられた指輪を外してポケットにしまいながら自分の席に着いた。

 中学校レベルのつまらない授業を聞き流して放課後を待ち、隣のクラスの白峰の元へ向かった。

「やあ星稔くん。ボクの願いを聞いてくれてとても嬉しいよ。彼女もきっと、ボクとの再会が近づいたことを喜んでいるよ!」

 こんな奴に近づきたくはないしノエに近づかせたくはない。

 だが普段やらないことを、と考えれば考えるほどマジモンのソレを相手にすることくらいしか思いつかないのである。

「まあ、ノエはやる気にはなっていたけど、実際に見つけられるかの保証はできないから、それは先に了承しておいてくれ」

「勿論だとも。協力してくれるというだけで感謝してもしきれないんだ。なぜかみんな、この話をすると不思議なことに離れていくからね」

 それはなんの不思議もないだろう。

 思いつつも、口内を軽く噛んで顔に出さないように努めた。

 白峰は本当にうれしそうに笑っていたがその目の奥にあるのはおそらく、例の幽霊だろう。

「まあ、こっちだ」

 不気味に思いつつも、第二校舎二回の西端の教室に白峰を連れて行った。

 教室のドアの前に来たとき、いつも通りノエがドアを開けて出迎えてくれた。

「兄さん、会いたかったです」

 俺の胸に飛び込んでくるとぎゅうっと抱きしめてきた。数秒くっついたのちに、今度は俺の手を握り教室の中へ入って行く。

 俺にはノエの手を振り払うことなんてできないので必然的にノエに続いて入ると、非公式ファンクラブの会長・花恋(かれん)と副会長の恵(めぐみ)の二人と目が合った。

「なんだお義兄さんですか」

「よお、お兄様。さっきぶり」

「なんでお前らが、ってまあ、いるか」

「それよりそっちは確か、隣のクラスの白峰九通だったよな? オレらのノエちゃんになんか用? それともお兄様のストーカー?」

「うん。今日は星稔くんの妹さん、星稔ちゃんに占って欲しくて」

「いつお前らのになった」

「そーですよ。わたしは今も昔も将来も、ずっと兄さんのものなんですから」

「あはっ、仲良いんだね、二人は。うらやましい。ボクも早く彼女と君たちみたいになりたいね」

「お? 彼女もちかよ、警戒して損した」

「はぁ? お兄ちゃんのどこに警戒する余地があるわけ? 分不相応ティーシャツ作ってあげるから着なよ?」

「はぁ? ノエちゃんに彼氏できたらお前の方が発狂するくせに?」

「ノエちゃんがこんな馬の骨を選ぶわけないじゃん? ノエちゃんのこと何もわかってない!」

 本人の目の前でなに言ってんだこいつ。

「お前こそわかってない。ノエちゃんは純粋なんだ。何色にも染まる」

 そう思うならお前ら色に染めたくないから非公式ファンクラブ解散してくれ。

「兄さん、わたしたちもイチャイチャしましょう?」

 口端を緩ませて再び抱き着いてくるノエを抱き留め、白峰九通に目をやると笑顔の張り付いた顔で恵と花恋の方を見ていた。

「君たちも仲良いんだねぇ」

「よくない!」

「よくない!」

 息ぴったりな返答だった。



「では改めまして、よくぞ来ていただきました」

 教卓を黒板の前に置いてノエが黒板側に、白峰がその正面に腰掛けた。

 俺と恵と花恋はその様を教室の後ろの方で肘をついて観察していた。

「今日は何を占いましょう」

「うん、実はボク、十年前に一目惚れした浮遊霊がいて」

 それを聞いて俺の右隣で吹き出しそうになった恵を肘で突いて堪えさせた。

「今どこにいるかを星稔ちゃんに占って欲しいんだ」

「はい。兄さんから聞いた通り面白そ、興味深い占いですね」

 その二つは同じ意味だ。

「そう言ってくれて嬉しいよ。あぁ、夢にまで見た彼女と再び相見えることができると思うと胸が躍る」

「それじゃあ少しだけ、その幽霊さんの話を聞かせてもらえますか? いつどこで出会って、どんな人だったのかを」

「うん、もちろん。あれは十年前の十一月。小学校の友達と時季外れの肝試しに出かけたんだ」

「こんな感じで友達いたんだ。あたし絶対なりたくない」

 今度は左隣にいた花恋がボソッと呟いた。

「やめとけ」

 ああいうタイプは大抵のことは気にしないが、地雷を踏んだときが非常に面倒だし、確実に俺やノエにまで飛び火する。

 花恋を見やると口をへの字にして目線を逸らした。

 白峰は気にする様子もなく続けた。

「肝試しの場所は小学校の裏手側にある墓地だった。日が暮れる頃にみんなで墓地から一番近くの街灯に集まって、一番奥の少し大きな墓に昼の内に置いておいたボールをとって戻ってくるっていう、よくあるものなんだけど、あれは怖かったなぁ」

「へえ、面白そうじゃん。オレたちもやろうぜ、お兄様」

「やるならオレとノエ以外でやれ」

「ノエちゃんがいないのにやる意味なんてないです。ノエちゃんにきゃーって抱き着かれたいし抱き着きたーいー!」

「いやいや、抱き着くならオレがおすすめだぜノエちゃん」

「はあ? お兄ちゃんキッモ。顔以外の全てがキッモい」

「うるせぇ、男はキモいもんなんだよ」

「主語がでかいしうるさいのはお前だ恵。ノエの占いを邪魔するなら蹴りだすぞ」

「へいへい」

 今度は恵がへの字口になって黙った。

「一人一人行っては帰って来て、いよいよボクの番になった。足元がよく見えないものだから殆どすり足で恐る恐る歩を進めやっと目的の墓にたどり着いたとき、ふと気配を感じて振り返ったんだ。そのときは幽霊だなんて思わなかった。ボクの次の番の友達が、ボクの帰りが遅いのにしびれを切らして、もうやってきたのかと思ったよ。だけど違ったんだ。そこにいたのは背筋が凍るような女の人だった。それまで幽霊を見たことはなかったけれど、一目で幽霊だとわかったよ。青白い肌に、白魚のように不健康な色をした細い指。きっと生前は病弱だったんだろうね。頬は痩せこけ、瞳は虚ろ。だけど、とても綺麗な黒髪が特徴的で、彼女がその場を去るまでボクは目が離せず動けなかった」

 天を仰ぎながら話し終えた白峰は視線をノエに戻し、

「これがボクと彼女の馴れ初めだよ」

「なあお兄様、あいつホントに大丈夫な奴か?」

 恵はようやく白峰の本質に気付いたようで、神妙な面持ちそっと耳打ちしてきた。

「正直関わりたくはない。でもまあ、放っておくのも怖いだろ、あのタイプは」

「ま、それもそうだな」

 小声でのやり取りをしている間に、ノエは楽しそうに鞄を広げ、今日使う占い道具を探っていた。

「では、今日はオーソドックスに水晶玉を使いましょう」

 ノエは教卓に赤いマットを敷いて水晶玉を置き両手を翳した。そのとき、ノエの中の力が平常時以上の出力であることを、星から感じた。

 浮遊霊の居場所を占うなんていう妙な占いを見るのは初めてのことなので比較はできない。とはいえ、力の放出量が明らかに異常である。

 その理由が占いの対象が浮遊霊だからというものならいいのだが、そうでない場合、例えば白峰が昔見た浮遊霊がヒトの分際では触れてはならない類のものだったとしたら。

 既に幽霊に興味を見ってしまっているノエを止めることはできないだろう。

 ただ杞憂であることを願うのみだ。

 数分後、ノエの力の放出が収まったと同時に水晶玉から手を離し、立ち上がった。

「ふふん、わかりましたよ! 木曜日の夜十一時十五分ごろ、西守(にしのもり)病院痕の本棟と第二棟の間の中庭辺り。そこにあなたが求めるもの、即ち浮遊霊さんが現れるでしょう!」

 ノエは手ごたえのある占いだったのか、誇らしげな笑みを浮かべつつ断言した。

「本当かい。ありがとう星稔ちゃん。君はまるで、織姫と彦星を渡して引き合わせてくれるカササギのような存在だ。これでボクと彼女の宿願が叶うよ!」

 白峰が感極まった様子でノエの手を取ろうとしたとき、

「あー、口を挟んで悪いんだけどよぉ」

 恵が口を挟んで止めた。

「なんだい?」

「お前の彼女、浮遊霊なんだろ? どうやってその、なんだ? 一緒になるつもりなんだ?」

 尤もな疑問ではあるが、最もしてはならない質問のうちのひとつでもある。

 白峰は恵の傍までやってくると、

「よくぞ聞いてくれたね」

 と、小学生が昨日見たお気に入りのアニメの話でもするかのような、今朝捕まえたカブトムシの大きさを自慢するかのような、そんな無邪気な笑顔で禍々しい紫色の筒を取り出した。直径約三センチ、長さ約十五センチのその物体は、色だけに留まらず存在そのものから禍々しさがあふれ出ている代物だった。

 花恋はそれを見て筒の色自体に難色を示していたが、恵は俺と同じくその存在の異様さに気味の悪さを感じているようだった。

「これで浮遊霊を呪縛させるんだよ」

 俺は立ち上がり、恵に説明している白峰の横を通り抜けてノエの所へ行くと、ノエは肩を震わせていた。

 ノエもあの筒に当てられたのだろうかと思い、肩に触れた。とたんノエは口端を挙げて目を見開いた。

「楽しくなってきましたね、兄さん!」

 どうやら武者震いだったようだ。

「楽しくなって来たってまさか。俺たちも肺病院に行くのか?」

「はい。わたしが占ったんですからまず間違いなく当たりますが、それを見届けなければなりません!」

「そうか」

「もちろん、兄さんも一緒に行ってくれますよね?」

「はいはい! あたしもいくぅー」

 いつの間にかノエの足元に這いよっていた花恋が、両手を挙げて立候補した。

「おいおい、ファンクラブ副会長としてオレも行かないわけにはいかないな」

 非公式、だ。

「みんなでボクと彼女の再会を祝ってくれるなんて嬉しいなぁ」

「兄さんも一緒に」

「俺は」

 正直、病院跡地なんて場所に行きたくはない。それも浮遊霊を地縛させる目的で、なんて。

 だけど占いの依頼を受けたのはノエとはいえ白峰を連れてきたのは俺だ。だというのにノエのことを放っておくわけにはいかない。

 それに。

 妹のワガママを聞いてやるのが兄として生まれてきた者の運命というやつだ。

「俺も行くよ」

「さすが兄さん。大好きです」

 満面の笑みで抱き着いてきたノエを抱き留め、ゼロ距離でノエを感じる。

 柔らかくて暖かく、ノエの星は変わらずとても綺麗だ。



 木曜日の放課後となり、気分は憂鬱だった。

 今更ゴネたりなんてことはしないが、気持ちは、今日の夜というときが近づくにつれて沈んでいく一方だ。正確にはノエと一緒に居ることで今日のことを一時的に忘れて浮かれることは常々あった。

 ただどうしても今夜のことを意識してしまう。

 それが俺の心を荒ませる。

 などなど、色々と思うところはあるのだが結局のところ俺に選択肢はない。ならノエとの夜散歩デートとでも思うことにしよう。

 そう想い付いたのは病院痕へ向かうために家を出る直前であり、非公式ファンクラブの恵と花恋が家にやってきたのと同時だった。

「ふたりも来たみたいですし行きましょう、兄さん」

 そう言ったノエは俺のパーカーに袖を通し、俺がソファから立ち上がるのを待ってから玄関へ向かった。

 玄関を出ると、

「あー、ノエちゃんのそれ、もしかしてお兄様の?」

「はい! 外は肌寒いですが兄さんの匂いに包まれて、心がほかほかです」

「んんー、ノエちゃんは可愛いけど、お義兄さんが恨めしい!」

 可愛らしいノエとその他二人の発言を後ろに聞きながら玄関のカギを閉め、ドアノブを捻ってちゃんと閉まったかを確認した。

「じゃあ、行くか」

「はい。では改めて、出発~おっー!」

「おー」

「おう!」

 テンションは上がらないがノエに腕を引かれるまま歩き、俺たちは西守病院痕の正門前に向かった。

 病院の前はロータリーになっていて、道に沿ってシャッターの居りっぱなしの商店が並んでいる。出入り口のスライド式の背の高い門は当然閉まっており、さび付いた鎖と南京錠で施錠されていた。

 門越しに見えるのは八階建ての本棟であり、その向こう側に目的の中庭がある。

「やあ、来てくれたんだね」

 後ろから声が聞こえて振り返ると、俺たちが来たのとは別の方向から白峰が歩いてきていた。

「よっすよっすー」

 花恋はノエに抱き着きながら、片手を挙げて挨拶をした。

「丁度いいな、開いたぜ」

 いつの間にか恵が、鎖と南京錠で封じられていたはずの門を開いていた。

 俺はなにも知らない。何も見ていない。

 例え恵が持ち前の剛力で鎖を破壊したのだとしても、悪いのは恵で俺はなにも悪くない。

 足元に転がる古びた鎖をなるべく視界に入れないように努めつつ、自分自身に言い聞かした。

「安心しろよお兄様。オレだって馬鹿じゃない。指紋が残らないようにしたさ。それにいつか言ってたろ? お兄様初め星稔一族の本家は三権と深い関係にあるって。器物破損くらい平気だろ?」

「言ったが、それ、嘘だぞ」

「なっ! じゃあもし警察が来たらどうなっちまうんだよ、オレ?」

「あーあ、お兄ちゃん犯罪者―」

「まじかよ」

 恵は口をヘの字にし、不貞腐れた様子でそういった。他人のせいにしているわけではないようだが、自分が悪いという気がまるでない。

「それなら安心してよ。ボクの叔父さん、外務省の大臣室長だから」

「うわっ、ガチの権力者じゃねぇか。安心できるわ」

「っち」

「おおい花恋、実の兄が捕まらないことに舌打ちってたぁどういう用件だぁ?」

「だって、お兄ちゃんが捕まったほうが世のため人のためじゃない? そしたらあたし、ノエちゃんを独り占めできるしー」

 そういうと花恋は再びノエに抱き着き、ノエは身をよじらせながら俺にしがみ付いた。

「わたしを独占していいのは兄さんだけですぅー」

「なんだと? 花恋もお兄様も、ノエちゃん独占禁止法違反だぞ!」

「だからなんだその悪法は」

「あはは、やっぱり君たち仲が」

「よくないぜ」

「よくないっ」

 見事なアンサンブルだった。

 そんなこんなで、ノエと花恋の間に立たされながら歩き、二つの建物の間にある中庭に着いた。光源は弱々しい星々と月光のみで薄暗く、また病院特有の空気が籠るような感覚が肌に触れて薄気味悪い。幽霊が出るには好条件というやつだ。

 時刻は十一時十二分。

 いよいよ、だ。

「いやぁ、今日という日まで一日千秋の思いだったけど、いよいよ悲願が叶うんだねぇ。シミジミすると共に胸がドキドキしてきたよ」

 あと二分。

「あの日、あの時、あの場所で! ボクと君とは運命の赤い糸で結ばれた。今日こそ、君と再び相見え! その意図を強固なものにできる! 実に素晴らしい」

 白峰の瞳は時が経つに連れて虚ろになりつつある。

 あと、一分。

「来ますよ」

 ノエが本棟の角の方を指さしたとき、丁度雲が横切って月を隠し一瞬、辺りは闇に包まれ、再び月光が差したとき、女が現れた。

 虚ろな目は闇を見つめていて、不健康に痩せ扱けた頬は精気を感じさせない。身体は入院着の上からでも分かるほどにガリガリにヤツれ、指などは骨の形がわかるほどである。

「ああ。会いたかったよ」

 白峰は喜色に満ちた声音でその女に歩み寄る。

 女は動かない。

 白峰は女から目を離さずに傍までより、抱き締めたが、その腕は女の身体をすり抜けて空を掻いた。

「やっぱ、だめか」

 白峰はポケットから筒を取り出して女に突き出した。すると女はその筒に吸い込まれていく。女が完全に消えたのち『呪』と書かれた札を取り出して筒に貼り、こちらへ振り返った。

「終わったのか?」

 恵の問いに、白峰はゆっくりと首を左右に振る。

「これから仕上げさ」

 白峰は微笑むと筒を地面に置き、ポケットに右手を入れて折り畳みナイフを取り出した。右手だけで器用にナイフを開いてグリップを握ると、鋭く光る刃を左手で包み込み、そのままナイフを引き抜くと、真っ赤な鮮血がぼたぼたと滴り落ち、白峰は痛みに顔を歪めた。

「っ痛」

「白峰⁉」

 躊躇いなく行われる行為に思わず声が出てしまったが、既に薄ら笑いを浮かべている白峰を見て、言葉が続かなかった。

「あはっ、結構痛いね」

 痛みさえも愛おしいとでも言わんばかりのその柔らかな表情は、星が感じられないこととは関係なく不気味だった。

 背中に何かが当たる感覚がして後ろを見やると、ノエが眉を顰めて俺の後ろに隠れていた。

「うっわ、いたそー」

 花恋も顰め面で、自身と白峰の間に恵を盾にしていた。

「さあ始めよう。ボクと君。ふたりは永遠に一緒さ」

 白峰は傷ついた手を筒の上に運び、指をぎゅうっと握り込む。

 新たな血液がボタボタと零れ落ち、札を、筒を染めていく。

 筒の中にいる幽霊は、筒ごと白峰に侵され、五分と経たずに白峰と同じ気配を纏うようになった。

 全く別の存在なのに気配は同じ。

 そんな奇妙な存在になり果てた白峰と、筒の中の女を注視すると、糸のようなもので繋がれていることに気が付いた。

 白峰に言わせれば運命の赤い糸だと答えるだろう。しかしそれは、白峰九通という存在の力、生命力と言い換えてもいい。それを共有するための糸である。

 少なくとも俺にはそう感じる。

「白峰、お前。わかっているのか?」

「勿論だよ、星稔君。彼女と繋がっているボク自身が誰より強く感じている。でもね、これはボクが望んだことだ。代償は払うさ」

「そうか」

 白峰九通と俺は勿論家族ではない。友でもない。ノエの占い自体が終わっている今では利害関係もない。

 それに白峰は自身の寿命が縮むことを理解したうえでその女と一緒になることを望んだのだ。

 俺は白峰を止める筋合いも、権利も持ち合わせてはいない。

「なんの話だ、お兄様?」

「白峰は」

「星稔君」

 白峰は右手の人差し指を立てて唇に当てた。

「心配しなくていい。なんでもないから」

「そうか、じゃあ聞かないことにするぜ。花恋も白峰に怯えているみたいだしな」

「は、はぁ? 怯えてなんてないし!」

「いや、どう見ても怯えてるだろ」

「怯えてない!」

 ふたりの痴話喧嘩を横目にノエの方へ振り返り、

「まあ、なにはともあれ、これで依頼は完了、だな?」

「はい。色々ビックリはしましたが」

 ノエは俺の背中からでて白峰へ一歩寄った。

「わたしの占いは満足いただけましたか?」

「うん」

 血だらけの筒を掲げてほほ笑んだ

「とても満足だよ、ありがとう」

「なら、良かったです」

 ノエはぐるりと全員を見回して、顔の前でパンと手を叩いた。

「じゃあ、今日はこれで解散ですね。またいつでも、ご利用ください」

 ノエは可愛らしい笑みを浮かべてそう言うが、正直なところ幽霊だとか妖怪だとかその手の占いは二度とごめんだ。今回は何事もなかったが、いつ祟られるかわかったものじゃない。ノエみたいに特別な力を持っていれば尚更である。

 とはいえ、ノエが望むことなら俺はきっと、叶えてやりたいと思うのだろう。

 なにせ、妹のワガママを聞いてやるのが兄として生まれてきた者の運命というやつだ。

「ま、なるようになる、か」

「なにがですか?」

「なんでもない」

 俺たちは病院痕の入り口に戻り、そこで白峰と別れ、家までの途中で恵と花恋の二人と別れた。

 しばらくノエと二人で歩いていると、ふと後ろから刺すような視線を感じて振り返ったが、特になにも見えず、普通の道だった。

「兄さん、どうかしましたか>」

「いや、気のせいだ」

「そうですか。ところで兄さん」

「うん?」

「九通くんたち、ラブラブでしたねぇ」

「そうだな」

「わたしたちも負けてられませんね」

「え?」

 ノエは一歩俺より先に進み、クルリとターンをしてはにかんだ。

「今夜はラブラブしちゃいませんか?」

 ラブラブって、イエスと答えたらまるで俺がシスコンみたいじゃないか。

 そうは思うが、選択肢は一つしかない。

「いいぞ」

「やった」

 照れながら満面の笑みを浮かべるノエは可愛らしく、その星もとても美しかった。



 家に着いたときには日付が変わっており、俺たちは朝日が街を照らすまでの間ずっと、微睡みながら抱きしめあった。



〈星の夢・終〉


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