第3話 占いは売り物ではありませんので

 なにか刺激か足りない。

 今日も今日とて占いをしているノエを待つ間、西階段で手すりに持たれつつ、背の高い窓から窺える傾きゆく太陽を見つめながら、思う。

 やはり最近作ったドリンクには、なにか刺激が足りないのだ。

 完成してすぐは完璧だと思うのだが、数日経って再び作ってみると、どこか刺激が足りないように感じてしまう。

「それで、考えてくれたかい?」

「え、なんだっけ?」

「だから、幽霊探しだよ。ボクが十年前に一目惚れした浮遊霊が、今どこにいるかを星稔くんの妹ちゃんに占って欲しいんだ」

 俺の目の前にいる男子生徒の名前は、白峰(しらみね)九通(ここのつ)。

 隣のクラスの奴で、短髪の黒髪に細い眉と鼻筋の通った顔立ち、百七十センチ台半ばにしては少し痩せ気味なのが印象的な変態、もとい幽霊に恋する男だ。

 そして俺は、頭の痛くなるような相談から現実逃避をしている最中だった。

「ほら見てよ!」

 そう言ってポケットから取り出したのは、直径三センチくらい、長さ十五センチくらいの筒で禍々しい紫色をしているものだった。

 禍々しいのは色だけではなく、存在そのものから良くないものを感じさせられる代物である。

「それは、なんだ?」

「浮遊霊を呪縛させるアイテムだよ! ずっと探していて、やっと見つけたんだ。これがあれば、彼女は浮遊せずにボクと永遠に一緒にいられる」

「あー、えっと」

「彼女は青白い肌に、白魚のように細い指。きっと生前は病弱だったんだろうね。頬は痩せこけ、瞳は虚ろ……! そして、髪がとても綺麗だったんだぁ。その髪の、精気を感じさせない美しさ、思い出すだけで胸が高鳴る……! ああ……! 君の為なら、ボクはどこまでも真っすぐと突き進んで見せるさ!」

 やんわりと断る方法を考えていると、訊いてもいないのに恋バナを始め、自分の世界に入ってしまった。

 ノエのことならなぜか毎回『お困りならオレを頼るかい?』と非公式ファンクラブの副会長が現れるのだが、こういうときには現れない。

 役立たずめ。

「ああー、ダメだよそんな! 本気で抱きしめたら骨格標本みたいな君の身体が圧し折れてしまう。え? それでもいいから、抱き締めて欲しい、だって? なんて情熱的なんだ君は!」

 非公式ファンクラブの二人はノエを前にするとテンションの上がり方がおかしくなるだけだが、白峰九通の場合マジモンのソレなので正直なところ関わりたくない。

 というかノエに近づけたくない。

 しかも、悪気や悪意、敵意はおろか、負の感情を一切感じられないところがより一層不気味である。

 だが何よりも不気味なのは、こいつ星が姿を隠している、ということだ。

 他の奴からは強弱はあれども、生まれ持って背負った星の傾向や力を感じることはできる。だが、こいつからはそういったものを感じはするが、方向性がわからないのである。

 俺がわからないというよりは、星の方が力の出力先を見失っているようである。

 それはまるで、死人のように。

「だから、ボクに星稔くんの妹ちゃんを紹介して欲しいんだ!」

「実は、まだそのことを妹に話せてなくて。今度話してみるよ、悪いな」

「そうかい、ありがとう。いい返事を期待しておくよ」

 白峰は俺の両手を取って、欠片の邪気もなく感謝を告げてきた。

「じゃあ、よろしくね星稔くん」

 階段を降りて行きながらにこやかに手を振る白峰に、ぎこちなくなりつつも手を振り返して完全にいなくなったのを確認してから溜息を吐いた。

「断るのも祟られそうなんだよなぁ。本当、あいつ苦手だわ」

「何が苦手だって?」

「うおっ」

 階段の上の方から声を掛けられ、一瞬白峰の怨霊かと思い心臓が止まるかと思った。

 が、振り返るとそこにいたのは、マシな方の変態、もとい恵だった。

「はぁ。お前かよ。脅かすな」

「どうしたよ? お兄様がそんなにマジな顔してんのめずらしーじゃん? 変なもんでも飲んだ、のはいつものことか。舌が異常だしな」

「俺は普通だ、おかしくなんてない」

「そんなことよりお兄様、今日のノエちゃんのパンツ何色?」

「なんで俺が知ってると思ったんだよ!」

「だって、お兄様が言えばパンツくらい見せてくれるだろ、ノエちゃん?」

「お前は俺の妹を何だと思ってるんだ」

「なにって、そりゃ」

 とたんに恵は真面目な顔になり数秒考えた後、

「ウルトラエンジェル?」

「お前の語彙力終わってんな。いや、脳みそが終わってるのか? スーパーの味噌の方が一億倍マシなんじゃないか? 今から詰め替えて来いよ」

「おおう、ご機嫌斜めだなお兄様? イライラタイム? 癇癪持ちはモテないぜ?」

「誰のせいだ!」

 我慢できずに怒鳴ると恵は、やははと笑いだした。

「お、元気出たなお兄様?」

「は?」

「なんか疲れた感じだったからな」

 そう言うと再び笑いだした。

 言われてみれば、白峰を見送ったときよりは確かに元気が湧いている。

「そうか、お前は俺を元気づけようと」

「おうよ。お兄様が凹んでると、ノエちゃんも凹むんだぜ? ま、落ち込みノエちゃんも可愛そうで可愛いけどな」

 恵はノエにしか興味がないと思っていたため、少し感動してしまった。

「恵、お前というやつは」

 俺は階段を昇り恵に接近し、

「やるなら普通に励ませ」

 理由はどうあれムカつくので、向う脛をつま先で蹴り上げた。

 恵が涙声になったのを確認してから、ノエの元へ戻った。



 気疲れしながら教室の前までいくとドアが勝手に開き、

「お帰りなさい、兄さん」

 ノエが出迎えてくれた。

「ああ。ただいま」

 ノエの頭に手を置いて返事をし、教室に入って教卓のところの、占われる側の席に横向きで座る。するとノエが続き、俺と向かい合う状態で俺の膝の上に座った。

「重っぐふぁ」

 言葉の途中で口を塞がれてしまった。

「軽いですよ?」

「そうか」

 言われてみれば、重たくない。

 そんな気がしてきた。

「そうだな」

「そーでーすよー」

 ノエは満足そうにニコニコしてそう言った。

「今日もまた、恋愛系の占いだったのか?」

「はい。好きな人といい感じのふいんきになれる日時とか、カップルの相性とか、そんなところですね」

「そうか。ま、いつも通りだな。あと雰囲気は『ふいんき』じゃなくて『ふんいき』だけどな」

「え、ふいんき?」

「ふんいき、だ」

「ふ、ふ、ふんんふ」

「全くといって誤魔化しきれてないぞ。しかも、なんで『ふ』で終わる」

「えへへー」

「なぜ照れる。ま、いいか別にそんなこと」

 ふんいきだろうがふいんきだろうが、生きていく上でなにも変わらない。

 得をすることもなければ損をすることもない。

 つまり。

「たいした問題じゃないな」

「はい」

 ノエを見上げる形になって、やはり顔が良い、可愛いと思い頬に触れたとき、

「あのー、ここで占いをしてくれるって本当ですか?」

 制鞄を右肩に掛けた一年生の女子生徒が廊下から顔を覗かせた。

「はいはいー、わたしでよろしければ、なんでも占わせてもらいますよ」

 上機嫌のまま、ノエはその生徒の方へ歩み寄ると、顔見知りだったようで、

「おや、瀬戸中(せとなか)さん、ホームルームぶりですね」

「クラスメートか?」

「はい」

「えっと」

 瀬戸中さんは俺とノエを交互に見て戸惑いの色を見せると、

「お、お取込み中だった?」

 ノエが膝に乗っていたせいか、何か勘違いをしてしまっているようだった。しかしノエはいまいち伝わっていないようで、普通に俺を紹介した

「え? あ、こちらわたしの兄さんです」

「え、お兄さん、なんだ。よ、よろしくお願いします」

「よろしく。とはいっても占いをするのはノエで、俺はできることなんてないけどな」

「そんなことはないですよ。もし兄さんが傍にいていただけるなら、わたしの占いも百人力間違いなしですよ?」

「え、そうなのか?」

「はい! きっと愛の力ですね!」

「とはいえ、恋愛がらみの占いなら俺が同席するのもアレだからな。それに、ノエなら普段の実力でも十分過ぎるくらいだろ」

「えへへー、それほどでもぉ、ありますけど!」

「さて、それじゃあ俺は失礼するよ。ごゆっくり」

 瀬戸中さんにそう伝えて席を立つと、手のひらを向けて制止してきた。

「ま、待ってください。その、本当に占いの力? が強まるならその方が嬉しいです。その、私は、恋占いではないので」

「恋占い以外の占いをするのは、学校では久しぶりですね。では兄さん、こちらに座り直してください」

 ノエに黒板側の席を示されて普通に座ると、ノエは再び俺の膝に腰掛けた。

「瀬戸中さんも掛けてください」

「あ、うん。よろしくおねがしします」

 瀬戸中さんは座ると横に鞄を置き、ぺこりと頭を下げた。

「それでは、何について占いましょう」

「あ、えっと。実は、ボールペン。赤のやつ。どっかに行っちゃって」

「ほほう、失せ物探しですか。腕が鳴ります」

 ノエは非常に楽しそうにそう言い、俺の膝の上だというのにテンションに合わせて前後に揺れ始めた。

 口に出すほどじゃないが、少し痛い。

「それでは、これで占いましょう」

 言いつつ、ノエが占い用の鞄から取り出したのはハンドボールサイズの透明な水晶玉である。

 以前、胡散臭い店主のやっている雑貨屋にて見つけたものであり、ノエ曰く、変にパワーを感じないのが逆に占い易いらしい。

 尤も、ノエの力と調和できるクラスのパワーストーンなんてものがあれば、そんな危険なものの入手は断固反対していたが。

 教卓に赤色のマットを敷いてから水晶玉を置いたノエは、水晶玉に両手を翳し、

「では瀬戸中さん、目を閉じて失くしたボールペンを思い浮かべてください」

「あ、うん」

「見えます、見えますよぉ」

 俺には上下反転している瀬戸中さんと教室しか見えないが、ノエには何かが見えているらしい。

「はぁー、はぁー、なるほどー」

 掛け声まで上げだした楽しそうなノエには悪いが、瀬戸中さんは嘘を吐いている。彼女が「どっかいっちゃって」と言ったときに彼女の星が二回、瞬くのを感じた。

 これは嘘を吐いている合図で、瀬戸中さんは今、ボールペンがどこにあるか、確かに把握している。

 その上で占いに来ている理由は一体なにか。

 考えられるのは二つ。

 冷やかしか、あるいはノエの力を試しているか、だ。

 とはいえ、ただの高校生が実は悪党で、なんてこともないだろう。星からしても、邪悪さは感じない。

 そしてなにより、ノエが楽しそうにしている。

 ここは見にまわろう。

 ノエが「ほほぉー」や、「なるほどぉ」などという、それっぽい言葉を並べること数分、

「わかりましたよ!」

 と、顔の前で両手の指の腹を合わせた。

「ほ、本当?」

「ばっちりブイです! では、さっそく取りに行きましょう!」

 ノエは立ち上がり両手を腰に当て、えへんと胸を張る。

 子供っぽいしぐさがまた可愛らしい。

「さ、兄さんも行きますよ」

 腕を引かれて、俺もノエの後に続いた。

 そうしてたどり着いたのは第一校舎四階にある一年C組の教室だ。

「ノエの教室だったよな、ここ」

「はい。去年の兄さんと同じ教室です」

 そう言うとノエは近くの席の椅子を黒板の前まで運び、

「では兄さん、お願いします」

 左手で乗れと指示してきた。

「俺が? 別にいいけど」

 上履きを足だけで脱いで椅子に上ると、黒板の上面の縁が窺えた。あまり掃除が行き届いていないようで雪原のように埃が積もっている。そんな中、埃の層の上に、赤色のボールペンが置いてあった。

 俺はそれを摘まみ上げ、二人に見せると、

「ずばり、これですね」

 ノエが鼻を鳴らし、瀬戸中さんは大きく瞬きをしだした。

 瀬戸中さんにペンを差し出すと、ぺこりと頭を下げて受け取った。

「あ、ありがとうございます」

「でも、こんな試すみたいなことしなくても、犬探しくらい余裕のよっちゃんですよ、瀬戸中さん」

「えっ」

「さっき瀬戸中さんを見させてもらったときに感じました。犬を探してほしいって気持ちが。普段はそんなことまで分からないんですが、今日は兄さんが一緒だったので、ばっちり感じました」

「あ、はは。すごい、ね。うん。実は、私が小さいころからお世話になってる近所のお婆さんが飼ってる犬が逃げ出しちゃってて。探しても見つからなかったんだけど、それで占いをやってるって知ったから本当に力があるか試しちゃったんだ。ごめんね」

「いえいえ、気になさらないでください」

「改めて、なんだけど。犬を探すの、手伝ってくれない?」

「もちろんです。生き物の場所を占うなんて、腕が鳴ります」

「ありがとー、星稔ちゃん」

 ノエが流れで依頼を受けている間、俺は衝撃を受けていた。思わず椅子から転げ落ちそうなくらいだった。

 ノエほどの力があれば何かの場所を見つけ出すことくらい容易い。おそらくだが、コンディションさえ整えれば地球の真裏、ブラジルにあるものでさえ見つけてみせるだろう。物に限らず、未来に関しても少しなら読んで見せたことがある。

 だがそれは、あくまで表面的で物質的な部分に対してのものだ。

 しかしノエの占いは今日、人の内面にまで届いたのだ。

 そんなこと今までになかった。

 ノエの占いは確実に成長している。

 まじかよ。

 今まででも十分凄かったのに、伸び白があるのかよ。

 ほんと、ノエには驚かされる。

 俺は椅子から飛び降り、

「あんまりノエの噂、広げないでくれよ?」

 上履きを履きながら瀬戸中さんに釘を刺した。

「え、あ、はい」

 瀬戸中さんは頷いてくれたがノエは、

「えー、なんでですか兄さん。わたしはもっと、色々占いたいんですよ?」

 お前を守るため、なんて言ってもノエは自分の力の危険性を自覚しないだろう。ノエがそういう性格だということは、他でもない俺が知っている。

「お前は可愛いからな。噂が広がって変な男が近づいたら困る」

「もぉ、兄さんったら、わたしラブで過保護なんですから」

「ああ。妹を愛していない兄なんていない」

 この世の事実を伝えると、ノエは両頬を手のひらで覆い照れだした。

「えへへ」

 とても愛おしい。

 それはさておき、問題は瀬戸中さんだ。

 俺の予想通り、瀬戸中さんの目的はノエを試すことだった。試すということはノエを便利道具か何かだと勘違いしていて、自分より下の存在だと見下しているらしい。

 相手を試すなら試すで、事前に試させて欲しいと申し出るのが道理だろう。

 いったい何様のつもりだ。

 ノエはそれを快く許したが、こういう奴は他人を平気で利用しようとするタイプの人間であり、要注意だ。椅子を元あった場所に戻すとノエたちは、件の迷い犬の飼い主の家に行く日の予定を立てていた。

 ノエがやる気になっているから今回は目を瞑るが、犬が見つかってからもノエに近づこうものなら、少し考えなければな。

「それじゃあ、よろしくね」

 瀬戸中さんはそう言うと一礼して立ち去った。

 ノエは手を振って見送るとクルリと振り返り、

「兄さんもお願いしますね」

「うん?」

「犬の占いをするときも、一緒にいてくださいね?」

 両手を顔の前で合わせ、小首を傾げてお願いをするノエは可愛らしく、そんな風にお願いをされれば断れる兄などいるだろうか。

 いや、いない。

「当然だ。俺はお前の兄だからな」



 週末の日曜日。

 俺はノエに連れられて瀬戸中さんとの待ち合わせ場所の戌茶流(いぬさる)公園に来ていた。約束の時間より早く着いたので瀬戸中さんはまだ来ていない。だがこの場にいるのは俺とノエの二人だけではなかった。

「いやぁ、ノエちゃんの私服、白のワンピ尊い。裾丈が膝ラインなのもグッドポイント。オレ至福!」

「なんでお前もいるんだ、恵」

「ノエちゃんのいるところFCありだぜ、お兄様」

「あっそう」

 非公式だけどな、と心の中でツッコミを入れてから、ノエの周りを見回したが、いつもいるもう一名が見当たらなかった。

「もう一人はどうした? いつもなら真っ先にノエにセクハラ求婚をしてるところだろ?」

「んあ? ああ、花恋なら駅の向こうに新しくオープンしたショッピングモールで」

「ウインドウショッピングか?」

 尋ねると恵は肩を竦め、

「エスカレーターに乗りに行った」

「は?」

「それがよぉ、お兄様。あいつ、自分の部屋にミニチュアのエスカレーター、実際に動く奴が何十個もあるくらいのエスカレーター好きなんだよ」

「まじかよ」

「まじまじ。小さい頃なんて、家族で出かけた先のデパートで同じエスカレーターに三十分以上粘ってよぉ。で、親は言うんだ。オレが花恋を見てろってな。退屈が売れたら億レベルだぜ」

「ま、妹のワガママを聞いてやるのが兄として生まれてきた者の運命というやつだ」

 俺のその発言に恵は再び肩を竦めた。

「運命、ねぇ。ならオレの肉体も」

 そこまで呟き、首を左右に振ってから口を噤んだ。

 恵の肉体は一言で言えば異常だ。見た目こそ平均的だがその実、フィジカルが異常に発達している。それは高校生である今でさえ、あらゆるスポーツでプロフェッショナルとして通用するレベルだ。さすがにその道を極めた超一級の選手には技の面で劣るであろうが、肉体の成長は留まるところをしらない。

 そのため俺の蹴りなんてものは、恵が躱そうと思えば躱せない道理がない。だというのに毎回俺の蹴りを受け入れるのは、恵がマゾであるという証左だろう。

「おいお兄様、少し失礼なこと考えてねぇーか?」

「気のせいだ」

 何れにしても。

 望もうと望まざろうと、恵は、そういう星の下に生まれている。

 それは部外者からすれば恵まれているように映るが、本人からすれば呪いのようなものでもある。何故なら恵にとってあらゆるスポーツは、勝って当然のつまらないものに成り下がってしまうからだ。

 それこそノエにチア服で応援でもして貰わなければやる気が起きないだろう。

 しかし運命というやつは戦うことは出来ても逃げることは許されない。それは恵に限らず誰しもがそうであり、人生のどこかで自身の運命と向き合う日が訪れる。

 恵は少し遠くを見つめた後に感傷に浸ることに飽きたのか、ノエのワンピースの揺れを鑑賞しだした。

 程なくして瀬戸中さんが現れ、迷い犬の飼い主の家に案内された。

 そこは新しくもないが、古すぎるということもない木造で庭付きの平屋だった。表札には山田と書かれている。

 瀬戸中さんがチャイムを押し応答した家主に挨拶をし、ノエとその付き添いとして俺と恵を連れてきたことを話した。するとすぐに玄関ドアが開いて、口周りの皺が特徴的なお婆さんが顔をだした。

「今日はよろしくねぇ。ささ、入ってちょうだい」

「おじゃましまーす」

 人好きのする挨拶をして入って行くノエに俺たちも続いた。

 玄関からまっすぐに廊下が続き、奥側と途中にドアがあるのが窺えた。その内のひとつ、一番手前の左側の部屋に通された。

 部屋の真ん中に長方形のテーブルがあり、それをコの字で囲むようにソファが置いてある。奥に掃き出し窓があり庭が見え、庭には青い屋根の犬小屋が見えた。

 テーブルの奥の長辺側に俺と恵、対面側に瀬戸中さんとノエが座った。

「少し待ってて、お茶を入れるわね」

 そう言ってお婆さんはいなくなり、五分後、急須とポット、コップをお盆に乗せて戻ってきた。お婆さんは短辺側のソファに腰を下ろすと、

「今日はわざわざ来てくれてありがとねぇ」

 お茶を入れながらそう言った。

「気休めでも嬉しいわ」

「気休めなんかじゃないよ山田おばあちゃん。星稔ちゃんの占いは本物なんだから」

「ええ。わたしの占いは兄さんからのお墨付きですから。ばっちり任せてください」

 ノエはえへんと胸を張り、視線で俺に同意を求めてきた。

「安心してください。ノエなら……俺の妹なら犬くらい、簡単に居場所を当てられますよ」

 お茶が全員に渡り、ノエはお婆さんに身体を向け、ワンピースの裾の中に手を入れると、内側の隠しポケットからメモ帳とボールペンを取り出した。

「おおう、なんてファンサ。良い御御足だ」

 恵の感嘆の呟きは、他の人には聞こえなかったようだが俺にだけははっきりと聞こえた。他人の家じゃなければ向う脛を蹴っているところだ。

「それでは、いなくなった犬のことを聞かせてください」

「ええ」

 ノエが聞き出した話をまとめるとこうだ。

 名前はムサシ。

 性別はオス。

 年齢は八歳。

 犬種はサモエド。

 いなくなったのは十日前の未明。

 餌をやろうと庭に出たときには首輪を残して姿を消していたらしい。

「こういうことは前にもあったんだけどねぇ、その日はお昼には帰ってきたのよ。でも今度はもう十日も。もう心配で、心配で。探偵さんも雇って探してもらったけれど、それでも見つからないみたいで」

 話し終えると、お婆さんは瞼に溜まった涙を皺くちゃな指で拭った。

「なるほどぉ。では決まりましたよ、今日の占い方法が」

 ノエに掛かればタロットや水晶玉に限らず、あらゆるものを占いの道具に変えてしまう。そのためノエの占いの種類は留まるところを知らない。

 そしてノエが何を使って占うかは気分次第である。もしこの場にないもので占いたいとノエが言い出したら、その準備をしてやるのが兄である俺の役割だ。

 そう思ってノエの言葉に傾聴した。

「今から言うものを揃えてください。一つ目はこの街の地図」

 地図か。それなら直ぐに手に入る。

 なんならこの家にもあるだろう。

「それなら、うちにもあるわ」

 あるらしい。

「二つ目は炭酸水で満たされた金魚鉢です」

「あら、金魚鉢もあるわ。昔、娘が飼っていたのよ」

 ならあとは炭酸水だが、大型のスーパーか百均にでも行けば置いているだろう。

「そして最後に、カメの形をした小石をお願いします」

 そう言われ、思わず椅子から転げ落ちそうになった。

 都合よくそんなものを持っているわけがないし、落ちている石がカメの形をしているなんて、どんな確率だ。

「それは、うちにはないわねぇ」

 普通の石を削るか?

 それはそれで苦労しそうだ。

「では兄さん、天然のものを探してきてください」

 まじかよ。

 とんだ無理難題である。

「因みにだけどノエ、そのカメというのはタートルのカメ、だよな?」

 器の方のカメ、則ち瓶なら様々な形があるため何とかなりそうだと思い尋ねるも、

「はい。もしくはトータスでも可、ですよ」

 前途多難のようだ。

 というか、タートルもトータスもシルエットは同じである。

「タートルは亀の総称だけどどっちかというとウミガメよりで、トータスはリクガメを指す言葉だぜ」

「そ、そうか」

 二分後にはどっちがどっちだったか分からなくなりそうな恵ペディアを聞き流し、俺は立ち上がった。

 どんな無理難題であれ、妹のワガママを聞いてやるのが兄として生まれてきた者の運命というやつだ。

 それに。

 ちらりとノエを見やると、ノエはニコリと笑った。

「期待してますよ、兄さん」

 どこの世界に、実の妹からの期待を無碍にできる兄がいようか。

「じゃあとりあえず、探してくる。みんなはお茶でも飲んで待っていてくれ」

「よろしくおねがいしますね、兄さん」

「ああ」

「行ってらっしゃい」

 手を振るノエに振り返してから玄関へ向かうと、お婆さんに呼び止められた。

「炭酸水、これでお願いするわね」

 そう言い五千円札を手渡してきた。

「それとカメの小石だったかしら? それもなんとかなるのかしら?」

「はい。まあ何とかしてみせますよ。俺はあいつの兄なので」

 五千円札をポケットにしまい、会釈をして家を出た。

 とは言ったものの、一体どうしてくれよう。

 カメ、カメねぇ。

 いや、考えていても始まらない。

 とりあえず現在地から一番近くにある辰御川(たつみがわ)の川原にでも行ってみるかと思い歩を進めた。

 程なくして土手へ上がる階段にたどり着くと、

「おーい、お兄様」

 後方から大声で恵に呼ばれて振り返った。

「恵、お前どうして」

「だって、ノエちゃんと手を振り合うやつオレもやりたかったから」

「え、キモ」

「でもオレも行くって言ってもノエちゃん『あ、うん』だぜ? 手を振っても振り返してくれなかった」

「そうか、ノエらしいな」

「ああ! 塩対応のノエちゃん相変わらず最高だな」

「というか、よく俺の向かった先が分かったな?」

「そりゃ、あれよ。お兄様に付いたノエちゃんの残り香を辿ってきたのよ! FCの役職持ちならこのくらいできないとな」

 恵は決め顔でそう言った。

 そんなことできなくてもファンクラブの副会長は務まる。

 それと、非公式、だ。

 しかし、なにを置いても恵の言動で気になるのは、

「お前さ、顔良いくせにキモいの、全国のキモオタに謝ったほうが良いだろ?」

「いや、謝るのはお兄様の今の発言の方だぜ?」

「うん?」

 深刻な顔でよく分からないことを言われてしまった。

 俺には分からないが新手のギャグか?

 ま、何れにしても。

「お前も来たなら先に炭酸水買ってきてくれ。俺は石を探しにいく」

「あいよ、りょーかいだぜ」

 お婆さんから渡された五千円札を差し出すと、恵はポケットから取り出した二つ折りの財布にしまった。

 几帳面な奴だと思いながら河川敷に上がり、下りられる川原があるまで下流に進んだ。

 たどり着いて飛び降り、足元の石をみやると、そこには大きさ、形、共に様々な丸っこい小石が大量にある。

 が、どの石も球体から大きく外れることはなく、デコボコの激しい石もカメと呼ぶには程遠い。尤も、甲羅に籠ったカメというのなら殆どが該当するが。

 いや。

 ノエにそんなことを言ってそこらの石を見せたら。

 怒られることはないだろう。だが怒られない方が辛いこともある。怒られないと言うのは、期待されなくなるということだからだ。

 俺からノエに頼られるというステータスがなくなれば、星を感じ取るという、他人の心の内側に土足で入り込む気味の悪い能力が残るだけだ。ノエみたいに誰かの役に立ち世間から求められるような能力者が必要としてくれることでようやく、俺の存在にも価値が生まれる。

 俺自身の背負う星が「ノエの兄」という星であることが、その証拠だろう。

 適当に石を拾って水切りしてみたが、一度も跳ねずにドボンと沈んだ。

「石選びがなっとらん」

 振り返ると五十代くらいの、襟がヨレヨレでくたびれた白Tシャツに膝丈の青いパンツ姿の男が立っていた。男は白髪交じりで生え際が後退気味の頭を左右に振ると川原に降りた。そのまま水際まで歩を進めると、しゃがんで石を拾い、

「あー、よっこいしょーいち」

 何か、呪文のようなものを唱えながら立ち上がった。そして俺に石を見せると手の中で角度を変えながら、

「ほぉら、こういう薄い石を選ぶんだ。見てろ?」

 そう言うと男は、石を右手の親指と中指だ挟んで人差し指で軽く抑えるように持ち、再び川へ向き直る。右足を軸にして片足立ちになり、右手を真後ろに伸ばした。そして足を下ろしつつ、水平を維持したまま手を前方へ突きだし、最後の一押しとして人差し指で回転を加えながら手を放した。

 この男、一見ホームレスのようだが髪は短く切り揃えられていて髭も丁寧に剃られている。

 ほぼ間違いなくこの男はホームレスではない。

 そうこの男の正体は服装がだらしないだけの――


 男の手から飛び出した石は四回と少し回ってから水面に触れ、高い水しぶきをあげて沈んだ。


――不審者だ。


 ノエが一緒にいないからといって油断していた。もしノエが一緒にいたのなら不審者のターゲットは自ずとノエになり、俺になど目もくれない。そしてノエがいれば俺も警戒を怠らない。

 ノエがいないからこそ起きたともいえる。

 が、それはそれとして。

「ま、まあ。こここ、こういうこともある! わっはっは」

 男は高らかに笑うと再び石を拾い、川に向かって投げ捨てる。

 ドボン。

 再び高い水しぶきを上げた。

「なにがしたんだよ、あんたは!」

 ハッ!

 しまった。

 ついツッコんでしまったが、これでは不審者の思うツボだ。

 真正面に不審者を置くように向かい合い、男の心臓あたりに意識を集中した。

 普段はふとした拍子で無意識に流れ込んでくるが、こうすることで相手の星を自発的に感じられる。本来なら他人の内面を覗き見るようなことなんてしたくはないが、不審者相手ならば話は別だ。

 自衛のためである。

 致し方ない。

 男の星は三ヶ所、点のような光があるだけで全体的にはくすんでいる。そんなふうに感じ取れる。

 だからといって悪というわけではない。根っからの善人が滅多にいないように、根っからの悪人もまた探してみつかるようなものではない。

 星からわかるのは、善と悪の両方を持ち合わせている普通の人間だということと、悪意を持っているわけではないということだ。

「な、なんじゃいなんじゃい。今時水切りなんて珍しいと思って声を掛けたら、最近はすーくそういう目で見おる」

 訝しむ俺の視線に気付くと、男は膝を抱えて小石にのの字を書きながらイジケだした。

「わしはもう傷ついた。ちょうど川もあるしなー。入水しよーかなぁー。あーあ。きーずついたーったらきずついたー」

 チラチラとこちらを見ながら、男はわざとらしく独り言を言いだした。

 面倒くさいことこの上ないが、万が一本当に自殺でもされたら寝覚めが悪い。

 いや、確実に本気でないのは星の加減からわかるが、この手のタイプは放っておくと余計に面倒くさい。

 俺の直感がそう告げている。

「わ、わるかったよ。それで、えっと」

 何を言っていいか分からなくなり、少し考えてから、

「あんたはここで、何やってんです?」

 尋ねると男は「よくぞ聞いてくれた」と勢いよく立ち上がり、

「野球のスカウトのふりをする遊びをしにきたんだが早く来すぎてな。まだ誰も野球をやっておらん!」

 そう言うと、河川敷の野球のベースやバックネットが置かれている、グラウンドエリアを見上げ、がっはっはと笑い出した。

「そうか。そうかぁ」

 よくわからないが、わかりたくもない。

 というか、そんなだらしない格好のスカウトがいるのかよ、野球界って。

「じゃあ。俺は急ぐ」

 振り返って足早に立ち去ろうとしたが、左の手首を掴まれた。

「まあ待て。待つんだ」

「何のつもりだ!」

「お前を感心させんとわしが満足できん」

「やめろ! 俺はそんなに暇じゃない」

「何をそんな急ぐことがあるんじゃ! 少しくらいわしに付きあえ、若者」

「カメの形の石を探してるんだよ!」

 腕を引かれて、引っ張り返して繰り返しながらのやり取りを先に止めたのは男の方だったが、急に放されて俺の方はバランスを崩してふらついてしまった。

 態勢を整えて思わず男を睨むと、

「それならあるぞ」

 男は足元を指さし、

「甲羅に引っ込んだカメじゃ」

 殴りたくなった。

 目の前の男より、数分前の自分を全力でぶん殴ってやりたい。

 何が哀しくて、こんな不審者と同じ発想をしなければならないのだ。

「ふぁっふぁっふぁ。冗談じゃ。ほんとにあるぞ。カメの形の石」

「ぬぁ、本当か?」

「しかしそんなに欲しいのかぁ。それなら」

 男はなぜか、少し楽しそうな口調になったかと思うと、腰に両手を当てて胸を張った。

「わしを倒してみせるがいい」

「はあ?」

 よくわからない。

 わからないが、倒せというのなら倒してやろう。なにせこの男は無性に腹が立つ。

 俺は手のひらサイズの石を掴み取り、男の頭に殴り付けようと上段に構えた。

「わーまてまて、そういう意味じゃなーい!」

「はん?」

「とりあえず石を置けい! 水切り! 水切りで勝負だ!」

「なんだ。そういうことか」

 俺が石を落とすと男は、

「ふぃー、蛮族か」

 だれが蛮族だ。

 というか、変質者には言われたくない。

 そう思っている間にも、男は石選びを始めていた。

 正直なところ、この男と水切り勝負なんてしたくないし、万が一知り合いにでも見られて、こんなおっさんと遊んでいると勘違いされたら業腹でしかない。

 しかしカメの形の石を持っていると言ったときに、嘘を言っている感じはしなかった。

 しかたない。

 これもまたノエのためだ。

 そう思って、俺も良さそうな石を探し始めた。

 それぞれ石を見つけ、川縁で男横並びになった。

「いち、にの、さんでいくぞ」

「ああ」

 了解すると男のカウントが始まり、さん、で同時に投げ出した。

 結果は俺が十四回。

 対して男は、ゼロ回だった。

「何がしたいんだよ、ほんと」

 男は膝から崩れ落ちて肩を震わせ、

「さ、」

 ガバっとこちらに振り返った。

「さ?」

「三回勝負だ」

 はあ?

「なんじゃその、はぁ? みたいな目は! こちとら水切り一筋五十年! 無様に負けたまま終われるか!」

 星を感じ取るまでもなく、一〇〇パーセント嘘だ。

「じゃああと二回やって総合計で勝負だ。それ以上は増やさん」

「よしきた」

「それが終わったら、本当にくれよ、カメの形の石」

「おう! 男に二言はない」

 どの口が。

 男を心中で三回くらい殺してから、俺は石を投げた。


 ――三十三対四。


 それが水切り勝負の結果だった。



「へえ。それで、ちゃんとカメの形の石は手に入ったのか、お兄様?」

「ああ。この俺が、石を出し渋ることまで許しはしないさ」

 土手の階段に腰を下ろして川の流れを眺めながら、ポケットから石を取り出してみせた。

 それは少し歪ではあるものの、何の形かと問われたらカメとしか答えようはないほど、カメの形の石である。

「どっちみち、恵が戻ってくるまでは待ち時間になるから男の相手をしていたというのもあるしな。ま、平和的に手に入れられるに越したことはない。

「それで、そのおやじさんは今どこに?」

「ほら、そこだ」

 石をしまって、既に練習が始まっている野球グランドの横で、ひたすらメモをしているふりをしている男を指し示した。

「それより」

 手を後ろについて恵を振り返り、

「なんでダンボールで買ってきたんだよ、炭酸水。どう考えてもそんなにいらねーだろ?」

「大は小を兼ねるっていうぜ?」

「過ぎたるは及ばざるが如し、だろ。十二本は」

 立ち上がって恵の持つダンボールを開き、中の一本の炭酸ペットボトルを取り出し、キャップを開けて口に運んだ。

 水分中の炭酸が舌の上に触れる、ざらつく感覚と、飲み込んだときの喉が締め付けられるような感覚が、堪らなく良い。

「なんで飲むんだよお兄様。しかもそれ、強炭酸だぜ?」

「喉が渇いた」

「だからって、強炭酸をストレートって」

「はん? 喉が渇いたら飲むだろ、普通」

「てか、これから占いに使うんだぜ?」

「一本あれば十分だろ。それよりお前も飲むか?」

 持っているペットボトルを恵の口元に差し出すが、首を振って拒否された。

「いらねぇよ。今日は偉く不真面目だな、お兄様」

「まあ俺は犬に興味ないからな」

「ていうか、ラインでもくれれば、お婆さん家で打ち合えたのにわざわざ俺が合流するのを待ってたあたり、なにか気になることでもあるのか?」

「依頼者の態度が気にくわん。ノエの占い好きを利用しやがって」

「でもノエちゃんは張り切ってんだろ?」

「それは、そうだが」

「だったらいいんじゃねぇの? 向こうは犬が見つかる。こっちはノエちゃんが占いを楽しめる。win-winってやつだろ?」

 win-winか。

 そういう考え方はなかったが、言われてみれば確かにそうだ。

 ノエが楽しめ、それでいて後腐れなく終われるのならそれもまたメリットだろう。もしノエに変な奴が近づいたら、そのときにだけ俺が取り除けばいい。

「恵お前。なにも考えてないようで考えてるんだな」

「おいおい。オレだってちゃんと考えてるぜー? ノエちゃんのこととか、世界情勢の行く末とか、いきなり中国行けって言われたときの小野妹子の気持ちとか」

「ノエのこと以外は嘘だろ」

「やはは、バレたか。つーか。お兄様は結構、頭固いとこあるよな。もっと気楽にいこーぜ?」

「お前は気楽過ぎだ」

 しかし恵の言うことにも一理ある。

 俺も少しだけ、肩の力を抜いてみよう。

 そう思い、もう一口炭酸を飲んだ。

 ああ、そうだ。

 ずっと、ドリンクに刺激が足りないと思っていた。

 だけど炭酸のこの刺激。

 俺がずっと求めていたものだ。

「これだったか」

「何を思いついたかは想像つくが、炭酸で味はかわらねーよ? むしろ劇薬感が増すだけだからな?」

 そう言った恵は苦笑いを浮かべていたが、俺にはよくわからなかった。

 ノエの待つお婆さんの家に戻ると金魚鉢と地図を足元に置き、紅茶とクッキーを囲んでいた。

「お帰りなさい、兄さん」

「ああ。ただいま」

「ノエちゃーん。オレも戻ってきたんだけどー?」

「あ、はい」

「んっふ。良き塩対応」

 恵は両手の親指を立ててグッドを作った。

「あ、おつかれさまです」

「おつかれさま」

 瀬戸中さんとお婆さんに労われ、恵が置いた段ボールの上に、カメの形の石を置いた。そのとたん、

「ほんとにあったんだ、カメの形の石なんて」

 驚く瀬戸中さんに対し、ノエは腰に手を当てて胸を張った。

「ふふん、兄さんはいつだって、わたしの言ったものを何でも持ってきてくれるんですよ!」

「ま、俺にできるのはそのくらいだからな」

「もちろん、兄さんはわたしの傍にいてくれるだけで一〇〇点満点ですけどね」

 ノエはニッコリとほほ笑んでそう言った。

 まるで天使だ。

 抱き締めてノエの体温を感じ浄化されたいくらいの気分だが、それだとシスコンみたいなので自制した。

「天使だ。お兄様、ここは天国か? オレ天使が見えんだけど」

「そうか」

 そのまま昇天しちまえ。

 心の中で毒づくと、ノエがパンッと顔の前で手を叩いた。

「ではさっそく、占いを始めましょう」

 恵がテーブルの上にあるクッキーの皿を端に寄せると、ノエは皿のあった場所に地図を広げた。

 幅の広い二つの川、北側の山、南側の海に囲まれた俺たちの住む留鵺(るぬえ)市は、地図で見ると大きな中州のようである。

 ノエは地図の山に金魚鉢を置くとカメの形の石を中に入れ、炭酸水を注ぎだした。炭酸水が鉢の六分の一ほどが満たされたところで注ぎ口を上向け、ペットボトルを俺の方へ差し出した。

「兄さん。お願いできますか?」

「え、俺が?」

「はい。その次は皆さんもお願いします。みんなで少しずつ、念を込めて注いでください」

「ノエがやれってんならやるけど、珍しいな、俺に手伝わせるなんて」

「はい。たまには趣向を変えてみようと思いました」

「そうか」

 ペットボトルを受け取ってノエが入れた分と同じくらい注ぎ、恵に渡した。

「うへへ、ノエちゃんと、共同作業」

 恵は鼻歌交じりで楽しそうに注ぎ、後の二アリは真剣に、おそらく犬のことを考えながら注いでいった。

 その最中、

「ノエちゃんの入れたものとオレが入れたものが混ざって一つになるって思うと、興奮する」

 過去最高にキモい耳打ちをされ、思わず肘を鳩尾に入れてしまった。

 一通り注ぎ終わるとノエは金魚鉢を四回し、ポケットから紐に結ばれた海色の小石を取り出した。

 紐を握るように持って石を垂らしてゆっくりと静かに深呼吸をし、石に意識を集中させていく。その緊張感は、見ているだけのこちらにまで伝わってくるほどであり、ノエの力の強大さに少しだが恐怖さえ感じさせられる。

 尤も、恐怖を感じているのは俺だけのようであり、恵は相変わらずノエに見惚れており、瀬戸中さんは好奇心、お婆さんは見守るような気持ちが瞳に籠っていた。

 この感情は、同じ星稔の血を引く者だから感じるものなのか、俺だから感じるものなのか。何れにしても、俺だけが感じられるノエの一部だと考えれば、この恐怖もまた心地いい。

 何度目かの呼吸の後に石を少しだけ炭酸水に付ける。持ち上げると今度は、山の中央から海まで、まっすぐ南北に伸びる道、山海七間通(さんかいしちげんどおり)の上を這わせた。

 もう一度石を炭酸水に付けると、次は町を東西に走る幹線道路の上を這わせる。

 それも終わり、ノエは石をしまって鼻を鳴らした。

「さあ、地図を見てください」

 地図には町を四つに区切る十字線が炭酸水で引かれている。

「見ろったって、オレには十字にしか見えないぜ?」

「十字ですけどよく見てください。ここと、ここです」

 そう言ってノエが指さしたのは十字の線上の二ヶ所で、よく見るとその二ヶ所だけがインク溜まりのようになっていた。

「もしかして、その交点か?」

「ビンゴです! さすが兄さん」

 とろけるような微笑みでノエは言いながら、地図上の交点の場所を人差し指で抑えた。そこは朝日公園だ。大きな池や広い花畑、アスレチックなどがあり、公園中に桜が植えられている。

 隣に神社があるからか、季節ごとに祭りが行われては自治会や商店街の有志が屋台を出している。

「あら、この公園は」

「知ってるの、山田おばあちゃん」

「ええ。この朝日公園、前はよくムサシの散歩のときに行ってて、ムサシもそこをすごく気に入ってたのよぉ。でも今年の夏はとくに暑くて、私が夏バテ気味だったから、家のすぐ近くでしか散歩に連れて行ってやれてなくてねぇ」

「そうだったんだ。だからムサシは」

「ひとりで行って、帰り道が分からなくなっちゃったのかもしれないわねぇ」

「ではさっそく、皆でムサシくんを迎えに行きましょう」

 ノエは元気よく拳を天に掲げ、恵もそれに続いた。

「おー!」



 お婆さんの家から二十五分ほど歩き、朝日公園の入り口までたどり着いた。

「やっとムサシに会えるのね」

「うん。そうだよ山田おばあちゃん」

「さて、問題はこの公園のどこにいるか、だな」

 東京にある代々木公園などと比べれば一割にも満たない広さの公園だが、犬一匹を探すとなると十分広すぎる。

 そう思いノエをチラリと見ると、胸を叩いてみせた。

「えへん。勿論それもわたしにお任せください」

 スカートの中から、持ち手部分が八咫烏のデザインの、十五センチほどの杖を取り出た。

「星稔ちゃん、それは?」

「まあ見ててください」

 ノエが杖を引っ張ると折り畳み傘のように伸びていき、八十センチほどの長さになった。

 それは、ノエが中学の修学旅行で京都に行ったときに買って帰ってきたもので、価格は八八〇円と手頃な一品である。

「失せ物ステッキ収納タイプ~!」

「未来感のある言い方だな」

 ニタニタ笑う恵を横目に、ノエは杖を地面に突き、

「ムサシくんはどっちだ?」

 と、唱えてから手を放した。

 原始的な占いである。

 因みに、杖の中にコンピュータは仕込まれていない。

 この占いから一点、原始的でもなく未来感もない部分を挙げるならば、ノエの場合は百発百中だということだろう。

 杖が倒れて数回バウンドしたのちに、持ち手部分の八咫烏が進むべき道を示した。

「こっちです」

 暫らく進んだ先で再び杖を使って道を決め、それを数回繰り返してたどり着いたのは、公園の隣にある陸瓢(りくひょう)神社だった。

「そんなはずは」

 思わず呟いた俺に続きノエも、

「あれ、おかしいですね?」

 と首を傾げた。

「え? 星稔ちゃん、どうしたの?」

「いえ。地図占いでは確かに公園を指し示していたんですが」

 地図でみた交点は間違いなく公園だった。

 もしこの公園が児童公園くらいの小さな公園だったのなら、地図的にはほぼ同じ場所といえるが、生憎、朝日公園は地図で見ても広い。

 ノエの占いに、失敗があった?

 ノエ自身、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と言うことはあるが、実際のところノエの場合は「当たる八卦」なのだ。

 そんなノエの占いが外れるなんてことがあるとは信じられない。

「ま、まあ。わたしの占いもまだまだだったということで、神社にいきましょうか」

 そうは言うものの、ノエが強がっているのは声を聞くだけで明らかだった。

 肩を落としながら神社へと歩いていくノエに、なんと声を掛ければいいだろうか。

 考えていると、

「待って」

 お婆さんがノエを呼び止めた。

「この公園は昔ね、陸瓢神社の境内だったのよぉ」

「え、そうなん、ですか?」

「ええ。この公園では季節ごとにお祭りが行われているでしょう? あれはもともと、無病息災のご利益のある陸瓢神社で祈りを捧げる祭事が起源なのよぉ」

「へえ。ってことは、占いで公園が出たのは」

「あってたんですね、わたし!」

 とたん、ノエは元気を取り戻して恵の言葉を遮った。

「え、ええ。そういうことに、なるのかしらぁ?」

 なるほど。

 そういうことならノエの占いが外れたわけではない、ということだ。

 小さいときからノエを見ている俺にとってノエの占いは絶対で、天変地異レベルの前触れではないかと本気で心配するところだった。

 とりあえずは一安心だ。

「では気を取り直して行きましょう! ムサシくんのところへ」

 ノエが歩き出し、瀬戸中さんとお婆さんが続き、その後を俺と恵が続いた。

「いやぁ、落ち込んでるノエちゃんの顔も良かった」

 ノエの占いがずれた理由が今、わかった。

 金魚鉢に炭酸水を入れたときにこいつの邪念が混ざったからだ。

 そうに違いない。

 へらへらと笑いながら神社へ向かう恵を後ろから睨みつつ、俺も足を進めた。

 陸瓢神社。

 境内は砂地で、鳥居と社までのまっすぐな石畳、手水舎、奥にクスノキの御神木があるだけの小さな神社である。

 しかし小さな神社とはいえ神が住まい奉られている場所だ。

 一礼をして境内に踏み行った途端空気が変わり、人間とは明らかに異なる〟なにか〝の存在を否が応でも感じさせられる。

 それが祭神なのかそれ以外の〟なにか〝なのかはわからないが、確かめない方が良いということは、はっきりと分かる。

「さぁて、わたしの占いによれば、ムサシくんはこの神社にいますよ!」

「本当? ムサシ? ムサシー!」

 お婆さんが犬に呼びかけながら神社の裏手へ足を向けると、

「ワン! ワン!」

 社の角から体毛がかなり汚れた大型犬が飛び出し、お婆さんに飛びついた。

「ムサシー。よかった。やっと会えたわ」

「ワン! ワン!」

 お婆さんは犬を抱きしめて撫で回し、犬は尻尾を千切れそうなほど振り回してお婆さんの言葉に応えるように吠えた。

「ムサシ。山田おばあちゃん。よかったぁ。ありがとね、星稔ちゃん!」

「どうも、どうもありがとぉ」

 振り向いてノエにお礼を言うお婆さんは涙ぐみながらも、とても嬉しそうに微笑んでいた。

「それにしても、なんで公園でもなくて、この神社に来てたのかしらねぇ。ねえ、どうして、ムサシ?」

 そのお婆さんの疑問に答えたのは犬ではなく、瀬戸中さんだった。

「もしかして、山田おばあちゃんが夏バテ気味なのを察して、無病息災をこの神社でお祈りしに来た、とか? なあんて、そんなわけないよねぇ」

「いや、そうとも言い切れないぜ?」

「あ、えっと。本当ですか、先輩?」

「ああ。犬は人間よりも自然に近い生き物だし、人間には感じられないなにかを感じ取ってこの場所までやってきなのかもしれない。なあ、お兄様?」

「なんで俺に振る。まあ、犬のことは詳しくないが、犬が人間とは違うなにかを持っている可能性を否定はできないんじゃあないか? 神社だけに、神のみぞ知るってところだがな」

 瀬戸中さんは俺の発言に対し、数秒ほど意外そうな顔をしたのちに、

「はい。きっとそうです」

 とほほ笑み、犬を撫でた。

「さすが兄さん。ロマンチックです」

 ノエはそう言って微笑み、

「え? オレは? オレは?」

「恵くんは別に、ですね」

「うぅ~。やっぱお兄様をノエちゃん独占禁止法で告発してやる」

 恵は恨めしそうな顔を向けてくる。

 まったく、ノエも恵も、マイペースというかなんというか。

 そんな二人に釣られ、笑いが零れてしまった。

「だから、なんだよその悪法は」

 三人で少し笑い合っていたが、切り上げの言葉を発したのはノエだった。

「ではムサシくんも見つかったことですし、これでお開きにしましょう」

「ああ、そうだな」

「おうよ」

「あ、星稔ちゃん。ほんとありがとね」

 瀬戸中さんが深々と頭を下げると、お婆さんも一礼してから喋りだした。

「ノエさん、それにみんなも、今日は本当にありがとうねぇ。これ、少ないけど貰ってちょうだい」

 そう言ってお婆さんが取り出したのは、四つの、少し厚みのあるポチ袋だった。

「え、こんなの受け取れないよ。私、なにもしてないし。星稔ちゃんたちだけに上げて」

「ううん。あなたはムサシが居なくなったときからずっと心配してくれて私を励ましてくれたでしょぉ。嬉しかったわ。他のみんなも、一緒に探してくれたことが嬉しかったわぁ。だからもし見つからなくても渡すつもりだったのよぉ。だから、受け取ってちょうだい」

 そういうことならと思って手を伸ばそうとしたとき、ノエが先に口を挟んだ。

「わたしもいりませんよ。だって占いは、売らない、ので」

 口の両端が上がり切ったドヤ顔をしているのは、見なくてもわかった。

「あ、ははははあ。占い、は、うらな、い。あはは、はは」

 お婆さんはツボに入ったのかどこからそんな声が出ているんだと疑問に思うくらい高笑いし、瀬戸中さんは引きつった笑みを浮かべていた。

 恵はというと、回り込んでノエの顔を見ては、腕を組んで頷いていた。

「ドヤ顔も良いなぁ、うんうん」

 やがて笑いが収まったお婆さんは「そっかそっか」と数度頷いてポチ袋を引っ込めてしまった。

 少し惜しいが、一番の功労者であるノエが受け取っていないのに俺が受け取るわけにはいかないだろう。

 少し、惜しい、が。

 そんなこんなで瀬戸中さんとお婆さんは犬を連れて帰り、途中まで一緒だった恵と別れノエと二人になった。

「やっぱり、欲しかったですか、お礼?」

「いや別に、そ」

 そんなことはない、と言いそうになり、ノエに嘘を吐くのはやめようと思い留まった。

「そうだな。正直、少し惜しかった」

「兄さんはよくばりですね」

「占いで商売始めたら、それだけでやっていけるレベルなのに、ノエこそ貰わなくてよかったのか、金?」

「はい。だって、わたしにとって占いは手段とか道具とかじゃなくて、生きるための糧、ですから。空気を吸うのに、お金なんていりません」

「そうか。そう、だな。お前はそれでいい。いや、それがいいよ、ノエ」

 ノエがきれいなのは星もそうだが、こういったときにふと見せる微笑みが、とても美しい。

 まだ日は傾かず、風もあまりなくて心地のいい気候。

 そして最愛の妹。

 そんな幸せを噛みしめていると、ノエに突然、頬にキスをされた。

「な、の、ノエ?」

「お礼の代わりに可愛い妹からのちゅー、です。元気出るでしょう?」

 ノエはえへへと笑ってはにかんだ。

 まったく。

 本当にノエは可愛い妹だ。

 抱きしめたくなったが、それだとまるで、俺がシスコンみたいだ。

 普段ならここで遠慮しておくところだが、今日は構わずノエの身体を引き寄せた。

 そういう気分だ。

「可愛いけど、自分で言うな。代わりに俺が言うから」

 ぎゅうっと抱き締めて、ノエの体温を感じ取ってから、耳元で囁いた。

「お前は最高に可愛いよ、ノエ」

 季節は秋。

 朝夕の冷える日も多くなってきた神無月。

 しかし俺たちのいる空間だけは、まごうことなき春、だった。



〈占いは売り物ではありませんので・終〉


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