褐色肌の男──アベラルド
扉はどうやら足で蹴破るように開けられたらしい。褐色肌の男は上げられた片足をそのまま前に出し、大股で部屋に入ってきた。
「そいつが噂の女? へぇ、マジで髪真っ黒じゃん、すげー」
わたしを見るなり男はそう言って、笑みを浮かべながら近づいてくる。“噂の女“という言葉と、黒髪を奇異な目で面白がる様子に、無意識に体が強張った。
その時、わたしと男の間にノクトが立ち塞がる。男が立ち止まる気配と共に、不機嫌そうな声が聞こえた。
「あ? ぁんだよ、別に減るもんじゃねぇだろ」
「アベラルド、今はタイミングが悪い。後にしろ」
「はぁ? ……ったく、しょうがねぇな。ちょっと見たら帰るよ」
「……アベラルド」
男の狙いは黒髪か、はたまたこの世界では物珍しい容姿か。どちらにせよ、自分に向いている興味は、わたしの不安と恐怖を煽るのには十分だった。
黒髪を含めた容姿に興味を持たれるのは、稀有な素材として利用価値があるからだ。つまりそれは、また……“痛い”思いをする──?
「アベラルド様。女性の部屋をノックもなしに、それも足で扉を開けるのは、失礼極まりないものかと思われます」
声を低くし圧を与えるような物言いで、セツナが男を咎める。そんな彼女に、男は面倒くさいと言わんばかりに溜息をつき、髪をガシガシと搔きむしった。
「うるせぇな、別にいいだろーが」
「ミアはここに来たばかりだ。接し方に気をつけろ」
「はいはい、わーってるよ。傷つけたりはしねぇから安心しろ。つか、どうせ捨てるならこの髪――」
――男が床に散らばっていた髪に触れようとした瞬間、髪は銀の輝きを帯びた蒼い炎に包まれ、同時に後ろに立っていたはずのセツナの気配が消えた。
張り詰めるような静寂の中、男が息を呑んだ音が聞こえる。
ノクトの背後から顔を覗かせてみると、床にあった髪は跡形もなく燃え去り、セツナがいつの間にか構えた短剣の刃が男の喉元に突き付けられていた。
「……アベラルド、いい加減にしろ」
一定の調子の低い声、しかし怒気と共に僅かに殺意を滲ませたそれは、従わざるを得ない“魔王”としての命令であった。ノクトの纏う雰囲気だけでも気圧(けお)され、発言することも憚(はばか)られる程の恐怖にも似た緊張感を覚える。
しかし男はそんな彼に慣れているのか、驚きに目を見開き動きを止めるだけで、物怖じする様子もない。男はそのままの態勢でノクトの表情を伺い見て、溜息をついた。降参、と言うかのように両手をあげ、何もしない意思を示す。
「あ、の、この人は……?」
自分にノクトの圧が向けられていないことをいい事に、少しでも自分の中にある不安を取り除こうとノクトに問いかけた。
「召喚士のアベラルド・ヴォルフだ。悪い奴じゃないんだが、少々血気盛んすぎるところがあってな。相手の気持ちを考えず、突っ走ることが多々ある」
その言葉は遠回しにアベラルドという名の男に向けた棘が含まれていた。男は気まずそうに目線を彷徨わせている。
「もう一度言う。後にしろ、アベラルド」
そう言われた男は、彷徨わせていた目線をわたしに向けた。突然合った目線に驚き、その目から自分に向けた何かしらの感情を知るのを恐れ、視線を遮るようにノクトの背に隠れる。
「……悪かったよ」
ボソッと呟くようにそう口にした男に、今度はノクトが溜息をついた。セツナに短剣を下ろすよう指示し、ノクトが纏う雰囲気も和らぐ。
男の口調がどこか弱々しく感じ、ノクトの背から男の様子を覗き見てみると、まるで叱られた犬ように項垂れていた。
「俺の部屋で待っていろ。話はそこでする」
「はいよ」と言って部屋を出ていく男の背を呆然と見つめる。入ってくる際に足で勢いよく開け放ったままの扉を、今度は手で静かに閉めながら部屋を出ていった。
(ノクトの言う通り、悪い人じゃない……の、かも……?)
若干の罪悪感を感じていると、突然ノクトの美麗な顔が視界に入ってきた。そうして優しく抱きしめられたものだから、驚きに思わずヒュッと喉が鳴る。
「すまない、怖かっただろう。あいつは自分の目で見たものしか信じない質(たち)でな。恐らく、お前の髪に関する噂を確かめてみたかったんだろう。興味の向くままに行動するやつだ、悪気はない。許してやってくれ」
子どもをあやすように、わたしの頭を撫でながらそう言うノクト。わたしは頷いて「ダイジョブ、デス」と返した。なぜだか上手く声が出なくて、どこか片言になってしまう。
本当に大丈夫なのに。上手く伝わらず勘違いさせてしまったらという不安に、喉を整えてから続けて彼に言った。
「あの、約束、守ってくれたので。……本当に大丈夫です。守ってくれて、ありがとうございます」
すると、ノクトが体を離し、少しの間わたしの目を見つめる。やがて花が綻ぶようにふわっと微笑み「当たり前のことをしただけだ」と言った。その声音があまりに優しくて心が安らぎ、彼の微笑みにつられるようにわたしも笑みを浮かべる。
すると彼の笑みが深まり、今度は強く抱きしめられた。子どもをあやすようなものとは異なる抱擁に、等身大の彼で接しられた感覚になり、思わず体が硬直する。
「こちらこそ、ありがとう」
そう言って体を離したかと思うと、ノクトの顔が近づき、額に柔らかな感触を覚えた。それが何かを頭が認識するより前に、彼は頭をぽんぽんと撫で「先に行って待っている。準備ができたらミアもおいで」と言って部屋を出ていった。
「──夕桜様、お気を確かに」
声をかけてくれたセツナに、額に手を当てながら目線で問いかける。
(今、おでこに、……き、キス、されました?)
頷くセツナ。再度、「お気を確かに」と言われるものの、力が抜けその場にへたり込む。顔が燃えそうなくらいに熱くなり、声にならない叫びをあげた。
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