不安と恐怖、期待と信用


 ノクトとの食事が終わり、セツナが片付けてくれている間、髪を切るという時間が刻一刻と迫っているということに不安が募っていく。


 ノクトに肩を抱かれながらドレッサーの前に座ったわたしは、鏡の中にいる自分が美丈夫なノクトの隣に並ぶにはあまりにもみすぼらしい姿をしていることに気づいた。


 ノクトは髪を切る理由に、ノクト自身をいれていない。確かにこんなバラバラな髪では恥ずかしいかもと思ったが、ノクトがそう思っている素振りは感じられず、あくまでも切る理由はわたしを考えてのもの。

 ――彼は、わたしと対等に接してくれる。わたしとしても、彼の隣にいても恥ずかしくないくらいには、もう少しまともな見た目になりたいとも思う。


 けれどやはり、彼の言動には裏があるのではないかと考えてしまう自分がいるのだ。

 わたしは魔法を使えない。切った髪は燃やすという約束をしてはいるものの、彼がその約束を破ろうとしたところで、非力なわたしではそんな彼を止めることもできなければ、約束を果たさせようとすることもできない。


 髪を含むわたしという“素材”は利用価値が高いらしい。そして抗う術をもたないわたしは、非常に使い勝手が良い、ということになる。しかしわたしにだって感情はある。信用して裏切られるというのはもう、懲り懲りだ。


 髪を切らせるという行為は、自分にとって相手を信用しなければできないもので、それを許すという試みは信用してみようという一種の挑戦で。

 これをして、裏切られたとき、傷つくのが怖い。


 わたしの記憶上、この世界に来てここまで優しくされたのは初めてなのだ。言葉と行動で、わたしの為を思ってのものをくれたのは、初めてだ。だからここで裏切られたら、立ち直れる気がしない。


「髪が切られるのが怖いか? それとも、俺が怖いか?」


 思考を巡らせるべく視線を彷徨わせていたわたしに、ノクトがそう問いかけてきた。


(この質問には、どう答えるのが“正しい”……?)


 正解を探していると、彼が苦笑を浮かべる。


「約束は守る。切った髪は必ず燃やして、誰の手にも渡らないようにしよう」


 そう言う彼に、わたしは頷いてみせるしかできない。ノクトはそんなわたしの頭を優しく撫でてくれた。


 やがて、セツナが「お待たせ致しました」と言って、数種類の散髪専用ハサミや様々な形状の櫛及びブラシ、そして服の上に切るクロスやタオルを始めとした、まるで美容院に来たかのような一式を持って部屋に戻ってきた。

 ノクトがセツナに場所を譲るように傍を離れ、近くの椅子に腰を下ろす。

 

「ご安心ください。夕桜様の髪は、わたしが何としてでもお守りします」


 無意識に緊張で強張っていたわたしの肩に手を置き、セツナがそう耳元で囁いた。その声量ではノクトの耳にも届いていないだろう。つまりそれは、ノクトが例え約束を破ったとしても、そのノクトに反抗する意思を持っている、と考えていいのだろうか。


 見上げた彼女は、わたしを安心させるように柔らかく微笑んでいた。


 セツナの言葉に背を押されるように、わたしは鏡に向き直り「お願いします」と口にする。

「お任せください」と言ったセツナが手にしたハサミによって、髪が切られ落ちていくのを見て後戻りできないことを確認し、わたしはどこか諦めるように目を閉じた。


 



「──夕桜様できましたよ、お疲れ様です。目をお開けになって、ご確認くださいませ」


 セツナの言葉に、恐る恐る目を開ける──と、鏡には黒髪をショートボブに整えられた自分が写っていた。

 シルクの寝間着とのミスマッチさがなくなり、明らかに奴隷という身分には見えなくなった。

自分に合った、自分のために切られ整えられた髪型だった。


 ノクトが傍まで来て、鏡の中を覗き込む。


「よく似合っている」


 優しく微笑みながら柔らかな声音でそう言う彼。直接彼を仰ぎ見ると、自分に向けられた温かな感情を鏡の中よりも鮮明に感じ、喜びや安心、期待といった様々な感情が胸をいっぱいにさせる。目が熱くなり視界が滲み始めた──その瞬間。


 バンッと破裂音にも似た音と共に、勢いよく開け放たれた扉。


「お! 当ったりぃ」


 そう言って扉の中から現れたのは、薄い朱色をした短髪と、縦長の瞳孔をした深緑の目、そして褐色肌が印象的な、大きな犬歯と尖った耳を持つ男だった。


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