焦がれた黒髪の少女 ノクトside

 瞼を閉じ、穏やかな寝息をたて眠る少女。そんな彼女の髪をひと房とり、手からベッドへと流れ落ちる様を見つめる。


 あの優秀なメイドによって艶をだいぶ取り戻したものの、乱雑に切られているせいで髪の長さはバラバラだ。そもそも全体的な髪の長さ自体、俺の記憶のものよりもずっと短い。


 奴隷として過ごす上で、邪魔だからと彼女自身が切ったならまだいい。

 しかしこの世界で唯一の黒髪という希少価値は極めて高い。コレクターに限らず、変な噂に影響された者によって奪われた可能性も大いにあり得る。

 どちらにしろ、奴隷になり独りになったが故だろう。


 憎しみや悲しみ、後悔や罪悪感、様々な感情が渦巻き、胸が締め付けられる感覚に思わず顔を歪める。


 記憶の中の彼女の髪は、黒髪が光を反射し艶やかな紫の天使の輪を作っていた。

 胸より少し下まであるウェーブがかかった髪を、彼女はよく“髪が広がりやすいから”と、後ろ髪の上半分だけを一つにまとめ、広がりを抑えながら髪を下ろしていた。


 彼女が自分の髪をあまり好きじゃないと言って、俺の髪を羨ましいと言っていたことを思い出す。

 しかしむしろ、俺は彼女の髪が好きだった。彼女の踊るようにくるくると流れ落ちるウェーブがかった髪が、ふわふわとしていて柔らかく、風に靡いた様はまるで花が舞うようで。

 それをそのまま伝えれば、彼女は頬をほんのり赤く染めながら、『ありがとう』と笑った。その笑顔を、俺はずっと見ていたいと思った。


 それなのに――。


「すまない、ミア……。今度こそ、守るから」


 痩せこけてしまった頬をそっと撫でる。その時ふと目に入った手首の痣で、オークション会場での出来事を思い起こされた。

 スポットライトに照らされ、漸く彼女の姿をもう一度目に映せたと歓喜した瞬間――、まるで魂が抜け落ちた、人形のような彼女に絶句した。

 その瞳に光は無く無表情で、自身の置かれている状況に何の抵抗も示さない――そんな彼女に下衆な視線を向け、はした金で集る有象無象に怒りと憎悪を覚えた。

 中でもそんな奴らの前に彼女を晒し、あまつさえ、彼女に痣をつけたあの司会者には、殺意を感じざるを得なかった。


 ミアが人殺しを望まないとわかっているし、ミアに残酷なところを見せたくもなかったから、殺意を必死に抑え右手と声だけで済ましたものの、今になって片足もやってやればよかったと後悔した。

 

「ノクティス様」


 幼い少女の声で現実に引き戻され、渦巻いていた黒い感情が散っていく。

 声が聞こえた方に目を向ければ、目に包帯を巻いた幼い容姿のメイド――セツナが立っていた。


「そろそろお戻りになったほうがよろしいかと」


 その言葉に時計を確認してみれば、あの双子から戻るように言われた時間から十分以上経ってしまっていた。

 

 彼女の部屋は、俺の執務室の目の前、かつ寝室の隣にしてある。これを双子に指示したときは「うわぁ、すごい徹底ぶり……」と少々冷ややかな眼差しを向けられたものだが、もう二度と彼女を失いたくない俺からしてみれば至極当然のことだった。


 そのため移動に時間はかからないものの、既に遅れてしまっていてはそれも意味はない。

 しかしまだ離れるわけにはいかなかった。ミアの乱雑に切られた髪を見て、恐らく似た境遇にあったことがあるであろうセツナに、聞いてみたいことがあったからである。


「“髪は女性の命”と言うらしいが、その髪を自分の意思とは関係なく切られるというのは、どういう心情になるんだ」


 セツナは少しの間の後、淡々とした声音で答えた。


「自分の場合の話ですが――、一度目は、驚き。二度目は、恐怖。三度目は、虚無。それ以降は、安堵です」


「安堵、だと?」


 一度ではないという時点で、ことの深刻さを感じる。

 しかしそれ以上に、三度目まで徐々にマイナスの意味合いが強くなっていたというのに、それが打って変わってプラスになったことが、かえって不気味に感じて気にかかり問いかけた。


「最初は何が起こったのか理解できないのです。なぜ髪を切られたのかという理由自体、よくわかりませんでした。髪はまた伸ばせばいいと、楽観視していました。

 しかし二度目、同じ目に遭うと、一度目が単なる気まぐれによるものではなく、確実に自分が狙われているのだと理解し、恐怖します。そして、自身が異質な存在であるということを、身を持って実感するのです。

 三度目、『あぁ、またか』と慣れが生じ、何も思わなくなりました。呆れと諦めと、疲れがあったくらいですかね。


 そしてそれ以降は、――“髪だけで済んだ”ということに、安堵するのです」


 その言葉に、思わず息を呑む。

 “だけ”という言葉がついてしまうほどの事象が、その身にふりかかったのか。あるいはその可能性に気づいてしまったのか。

 どちらにせよ、彼女が言った“安堵”という言葉の裏に秘められた闇は酷く暗い。


「……辛い話をさせたな」

「いえ、お気になさらず」


 彼女が言っていたことにミアが重なり、その心情を考えると心苦しくなった。

 再度ミアのバラバラになった髪を見つめながらセツナに言う。


「明日、ミアの髪を整えてやってくれ。せっかくの綺麗な黒髪だからな」


 「かしこまりました」とセツナが受け入れたのを聞き、俺は明日見られるミアの変化を心待ちにしながら、ミアの部屋を後にした。



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