第2話

期待

 桜が空を覆うほどに咲き誇る木と、風が巻き上げてもなお土の色は見えないほどに分厚い桜の絨毯。

 夢のように美しいその景色の中心に、わたしは座り込んでいた。

 風に揺られ降り注ぐ桜を見上げ、放心する。

最初こそ、“ここはどこなのか”とか“なぜここにいるのか”などと考えたものの、この美しい景色の中に身をおけるなら、もう少しいてもいいか、と楽観視していた。


その時、どこからか鍵が開くような音がして、その根源を探してみた。

するといつの間にか、空間に単独で佇む木製のドアがあって、古びた軋む音を奏でながら扉を開けていた。


中から現れたのは、正反対の容姿をもつ、けれど顔のパーツは酷似した男の子二人。

一人は、尖った耳に、自分と同じ丸い瞳孔、長い金髪をハーフアップにした子。

もう一人は、自分と同じ丸い耳に、縦長な瞳孔、短い銀髪をオールバックにした子だった。

二人はお揃いの夜の海のような色の瞳をした、切れ長なつり目が印象的な端正な顔立ちで、この空間と相まってか神秘的に思えた。


思わず彼らに見惚れていると、金髪の子の丸かったはずの瞳孔が縦長に、銀髪の子の縦長だったはずの瞳孔が丸くなり、その変化に尚のこと目を離せなくなる。


「あなたたちは……誰……?」


 溢れてくる興味に促されるまま問いかけたわたしに、彼らは口を開く──……




 ……──瞼を開ければ、目に映ったのは見知らぬ天井……いや、これは、天蓋、だ。

 滑らかな肌触りのシーツに、ふわふわの温かい布団、体を大の字にしても有り余る広さのベッド。それも天蓋付き。

 これは未だ夢の中なのかもしれない、堪能しておこう。

 

今もそうだが、さっきの夢もなかなかリアルな感覚だった。

しかしなぜだか、さっき見た夢には懐かしさを感じた。まるで思い出深い何かに触れたような──。


「おはよう、ミア」


 記憶を遡ろうとしたのを遮ったのは、落ち着いた聞き心地の良い声音。

目覚めにこの声はもう至福の極み。……ところで“ミア”というのは誰のことだろうか。この声に呼ばれるなんて、しかも“おはよう”を直接言われるなんて、なんて幸せ者なのだろう。


「ほら起きて。朝食の時間だ」


 その言葉と頭を撫でられる感触に促されるように目を開ければ、そこにはまるで絵画のように美麗な微笑みがあった。

 深海のような色の瞳に惹き込まれ、じっと見つめる。その色が、夢の中で見た男の子二人を想起させた。そしてその片割れと同じ、縦長の瞳孔をしていることに気づく。


「たてながの、め」


 そう口にすると、頭を撫でていた手がピタッと止まり、彼の微笑みが強ばった気がした。

 なぜそうなったのかよくわからず、強ばりを少しでも解そうと、その頬を手で包んだ。


「たてなが、かっこいー。よるのうみ、みたいな、いろ……きれー」


 そう言って微笑んでみせる。

彼も同じように微笑んでくれるかと思っていたのだが、彼の表情は泣きそうに歪んでしまった。

 優しく抱きしめられ、僅かに震える背中に手を回す。


「かなしいの?」

「いや、嬉しいよ」

「そっかぁ」


 嬉し泣き、ということに安心して、子どもをあやす様にぽんぽんと背中を叩く。

 ふと、手の感触や、体を包む逞しい体躯と、耳元で感じる息遣いが余りに鮮明であることに気づき、脳が漸く気づいた──


(――これ、夢じゃない……。そうだ、ミアってわたしのことじゃん……。幸せ者は、わたしかぁぁぁ)


 途端に込み上げる恥ずかしさに、一瞬脳内が荒れる。

今わたしの顔は人様に見せられるような顔をしていないだろう、鏡を見ないでも赤い顔をしているのはわかっているし恥ずかしさを堪えるのに顔がえげつない事になっているのもわかる、このままの体勢で顔を見ないでくれ、いやこのままだと一向に顔の惨状は治らないのでは?


 そんな様々な葛藤と困惑を抱いていると、淡々とした声音が耳に届いた。


「ノクティス様。そろそろ解放してあげてください。夕桜様が爆発しそうです」


 そう、その通り。その通りなのだが……誰に見られた?

 視線で探してみれば、包帯で目を隠したメイド──セツナだった。目を隠しているというのに、まるで見えているような言動をする彼女。この醜態が見えているのか見えていないのかよくわからず、今後どう接するか悩むものの、わからないことがある意味幸いとなるのかもしれないという考えに至る。


「あぁ、すまない。感情を抑えきれなくてな。大丈夫か?」

 

 必死に微笑んでみるものの、流石に顔の熱はどうにもできない。お願いだからその優しい微笑みで頭を撫でないで欲しい、いたたまれなさが相まって余計に赤みが抜けない。


「朝はこの部屋で食べようか。そのほうがゆっくりできるだろう」


 ゆっくり、という言葉に惹かれ、わたしは頷く。この熱を冷ます必要もあるし、これ以上この顔を人様に晒すわけにはいかない。

するとセツナが「ご用意致します」と一礼して部屋を出ていった。


 ノクトと二人になり、彼を意識してまた顔の熱が酷くなりそうで、わたしは頭まで布団を被り、顔を覆い隠した。


 ノクトの控えめに笑った声を耳に捉えながらもそのままでいると、彼が徐に今日の予定を口にしていく。


「君に紹介しておきたい奴が、あと二人いるんだ。今日はその二人に会ってもらいつつ、この城の案内をしようと思う。城の庭には、君が好きな桜の木がある。楽しみにしているといい」


 桜の木──この世界にも自分が知っているものがあることが嬉しくて、思わず少しだけ布団から顔を出す。


「ほんと? 桜、今咲いてるの?」

「あぁ、満開だ」


 その言葉に、まるで初めて遊園地に行く子どものような高揚感を覚える。

昨日は敬語で接していたものの、寝起きのせいで無意識にタメ口をきいてしまったがために、今更敬語をつける気にはなれなかった。

 しかしノクトが発した次の言葉で、わたしは失望し、敬語で距離を作らざるを得なくなる。


「そうだ、ご飯を食べたら、君の髪を整えてもらおう」


 その言葉はわたしにとって、自分自身が“物”であると、嫌でも認識させてくるものだった。


「整える……? 髪、切るの……?」

「あぁ」


 脳裏に過ぎったのは、“黒髪・黒目・黄金(・・)の肌”を求め狂気に染まる人々。

闇オークションで買われた身だ、彼もまた、それらを求めるのは当たり前だろう。

 わたしは起き上がり、彼から目を逸らしながら言った。


「髪、もうこれしかないから……、坊主にすれば……そうしたら、足りますか」

「え? いや、違う、そういうつもりは──」

「いいです、そういうの。慣れているので大丈夫です。むしろ、嘘とか、余計なお世話なので」


 言葉の綾、というものがある。その表面だけを見て騙されて、期待して──そうは、もうなりたくない。

闇オークションで見た狂気じみた人々と彼は違うかもしれない、そんな淡い期待を抱きかけていた。まだ、淡いうちでよかった。

 辺りを見回してみると、勉強机を見つけ、そこにあるペン立てにハサミを見つける。人にやられるくらいなら、自分でやった方がマシだ。


ベッドから降りるわたしに、「ミア……?」と訝しげに呼びかける彼。その声に反応することなく、勉強机へと向かい、ハサミを手に取り髪へとあてがう──


──が、手からハサミが取り上げられ、机の上に置かれたかと思うと、後ろから抱きしめられた。



「そういうのは、慣れちゃいけないものだ、ミア」



 悲しげに、苦しげに、どこか怒りを滲ませながら、彼は声を低くしてそう言った。


「君の黒髪は確かに珍しいし美しい。その目も、その肌も、惹かれるものがある。

その容姿にデタラメな噂がついてしまっているのも知っている。それのせいで君が苦しんできたのも、想像に難くない。

だから俺は、君が抱くそういう不安や恐怖、苦しみから、守りたいと思っている。


──守らせてくれないか、ミア」


 最初は、わたしに言葉を挟ませる余地を与えないように、続けざまに、まくしたてるように。途中、憎しみすら感じるほどに、何かに耐えるように声を震わせながら。そして最後は、わたしを抱く腕に力をこめ、切実に、希うように言う彼。

彼の声音に紡がれる言葉はあまりに真っ直ぐで、そこに嘘があると考えるほうが失礼に感じて……、彼を信じてもいいのかもしれないと、そう思えた。


少し身じろぐと、彼の腕の力が緩む。彼の腕の中で振り返り、その表情を見上げた。


「君が不安なら、切った髪は燃やしてしまおう。俺はただ君に似合う髪型にしたいだけだ。バラバラなままだと、君もオシャレを楽しめないだろう?」


 安心させようとしているのか、元の柔らかな声のトーンに戻り、口調もゆっくりとしている。

 微笑みを浮かべた彼の目は、真っ直ぐにわたしを見ていた。

 一見穏やかではあるものの、わたしの腰に回す彼の手が、手錠のようにわたしの両手を捕らえている。間違ってもハサミに触れぬようにと、少し痛いと感じるほどに掴まれていた。その手の僅かな震えが、彼の不安と意志の強さを感じる。


「……じゃあ、切った髪は、燃やしてください。それと、髪を切る時は、……傍に、いてください」


 そう言うと、彼は緊張を緩ませるように息をつき、「わかった」と言って、もう一度わたしを抱きしめた。


「ありがとう、ミア」


 なぜ彼が感謝するのか……、しかしそんな彼だから、信じられるような気がした。




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