懐かしの味

 ノクトに抱き抱えられたままやってきた食事の場は、自分がこれから使うには負担を感じざるを得ないほどの、厳粛な煌びやかさがあった。

 ワインレッドの絨毯に、料理を惹きたてる暖光色のシャンデリア。中央に置かれたテーブルには、銀色の刺繍が入った白のテーブルクロスが敷かれていた。

 テーブルを挟み向かい合うように4つずつ並べられた、木製の黒みを帯びた茶色のシックな椅子。そしてそれらを眺めるように、出入口から一番離れた場所に1つだけ置かれた特等席。

 その所謂(いわゆる)上座と言われる席に、ノクトが座るのはわかる。見た目の美しさが光る多種多様で豪華な料理が、ノクトの前に広がっているのも理解できる。

 納得できないのは──


「──どうしてわたしは、ノクトの膝に座らなければいけないのです???」


 抱き抱えられた姿勢のまま上座に座ったかと思うと、さも当然かのように膝の上に座らされた。

 横の椅子に座ろうとノクトの膝上から降りようとしたが、腰に回された手がそれを許してくれない。まるで伸びることを知らないシートベルトの如く、頑丈にホールドしていた。


「俺がこうしたいから」


「食べにくいじゃないですか」


「心配はいらない。俺が食べさせてやる」


 それは別の問題が発生するんですが、と抗議しようとしたものの、秀麗な御尊顔でそれはそれは甘く微笑みかけられたものだから、思わず口を噤んでしまう。

 

「それで? ミアは何が食べたい?」


 聴き心地の良い滑らかな低音ボイスで、優しく甘やかすようにそう問われ、反抗する気持ちも宥められてしまった。

 膝から降りることだけでなく自分で食べるということも諦める頭を抱えながらテーブルに並べられた見慣れない煌びやかな料理たちに目を向ける。


 どんな料理なのか、どんな味がするのかもわからない。どれを選ぶべきか悩んでいると、色彩豊かな料理の中、異色を放つ茶色く質素な見た目の料理が目についた。

 貧民層の食物という印象で上流階級の人々は皆口にしたがらないジャガイモ。その他ニンジンや玉ねぎ、細切れの肉が使われているそれ。

 その料理は、和食の定番である〈肉じゃが〉そのものだった。わたしの大好物で、〈日本〉にいた頃よく母が作ってくれていたことを思い出す。


「これか?」


 じっと見ていたからか、その視線の先に気づいたノクトが、肉じゃがが入った皿を手に取り手前に寄せた。その時鼻腔を擽る懐かしい香りが涙腺を緩ませる。


「これは〈ハシ〉で食べるものと聞いたが、城にそれは置いていないんだ。悪いがフォークで我慢してくれ」


 そう言ってノクトはフォークでジャガイモを1つ取ると、わたしの口元に寄せた。


「ほら、口開けて」


「…………」


 食べさせてもらう、ということは……そう、所謂(いわゆる)“あーん”をされることになる訳で。頭ではわかっていたものの、いざやられると恥ずかしさで躊躇いが出てしまう。

 眉目秀麗な顔が間近にあるだけで胸が早鐘を打っているというのに、その大きく少し骨ばった、そして綺麗な長い指をもつ手によって“あーん”なんてされたら、心臓が爆裂してわたしは天に召されるのではないだろうか。


「あのっ、やっぱ自分で食べ──」


 ます、と口にしようとしたものの、目の前の美形が悲しげに表情を曇らせたものだから、思わず言葉を飲み込まざるを得ない。

 わたしは覚悟を決め、心臓の負担を極力減らそうと最大限深く深呼吸をした後、一思いに差し出されたジャガイモに勢いよく食らいつく。


 一噛みすれば柔らかなジャガイモがほわっと解れ、そこから甘塩っぱい優しい風味が広がっていく。それにつられる様に咀嚼を繰り返せば、口の中に広がるジャガイモの味と甘塩っぱい風味の調和が食欲を唆った。

 記憶に残る味よりも塩っぱさのほうがほんの少し強い気がする。尚のことご飯が欲しくなるというもの。

 すると丁度その時、馴染み深い三角形をしたご飯が差し出された。


「〈ニクジャガ〉とライスは相性が良いらしいな。〈オニギリ〉なるものを作らせてみたのだが、どうだ……?」


 手渡された〈おにぎり〉は、なんの飾り気もなく、よく見てみれば少し歪な三角形をしている。作り慣れていないながらに、一生懸命作ったことが見てとれた。

 

 なぜノクトが〈肉じゃが〉や〈おにぎり〉といったものを知っているのかはわからない。

 ただ、わたしの顔色を不安そうに窺い見る彼の顔を見れば、わたしのことを想ってこれらを用意したのだということは容易に予想できる。


 それが相まってか、口にした〈おにぎり〉はとても美味しく感じた。味付けは塩のみで淡白なものの、それが返って米本来の味を惹きたたせ、その塩味が胸に染み渡るようだった。


 心を満たしていく温かさに、視界が徐々に滲んでいく。溢れそうになる涙を零すまいと、息を震えさせながらも深呼吸をして目に力を込めた。

 しかし、ノクトが「好きなだけ食べろ。ゆっくりでいい」とあやすように頭を撫でて尚のこと涙を溢れさせるから、やがて目から涙が押し出され、頬を伝ってしまう。


「食べるか?」


 わたしの口の中に何も無くなったのを見計らって、ノクトが視線で〈肉じゃが〉を示し尋ねてきた。

 わたしは素直に頷き、口を開けてそれがノクトの手によって入ってくるのを待った。

 もう今更、恥ずかしいと思うことはなかった。むしろ彼がくれる優しい温もりに、甘えて寄りかかりたくなっていた。

 自分の中にあった“寂しい”という感情がノクトの温もりによって顔を出し、枯渇していたそれをかき集めようとしているようで。      

 涙が次々に頬を伝っていけばいくほど、代わりというように胸が温かくなっていくような気がした。

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