銀髪の男の名
「何の価値もない欲に塗れた貴方が、ミアに痣を作ったことがどうしても許せなくて。貴方の汚い叫び声を、ミアに聞かせる羽目になってしまいました」
「――悪いな」と言って、わたしをあやすように頭をポンポン、と撫でる彼に、わたしはただ首を振るしかない。
「――声を奪った理由?
そんなの、貴方なんかがミアのことを『そいつ』と言ったからに決まってるじゃないですか。そんなこともわからなかったのですか?
わざわざ『ミアの価値を測れるほどの能力が、貴様らにはない』と、事前に説明してやったというのに、何をはき違えたのか、貴方はミアを下に見てきた。
――貴方は、事前に説明してやった『貴様ら』には含まれないとでも思いましたか? それとも、能力がないだけで、価値は貴方の方が上だとでも思いました?
どちらにしろ、己の浅はかさを後悔すればいい。この首輪は貴方のようなやつにこそ、お似合いです」
怒気をはらんだ侮蔑の言葉がこれでもかというほどに吐き出される。
口調こそ敬語で丁寧さを保ってはいるものの、わたしの首にはめられた奴隷の証に触れる手は震え、もう片方の手は固く握りしめられており、必死に何かを堪えているようだった。
「感謝してくださいね。
ミアを見つけ、俺に会わせてくれたことに免じて、右手と声だけで許してあげたんです。
左手も両足も無事ですし、何より、命も無事なんですから。
――ねぇ?」
頭を彼に抑えられている中、わたしは視線を上向かせ、彼の表情を伺い見る。口角は上がっているものの、目は見開かれ狂気に満ちている。
しかし、その目が閉じられ大きな深呼吸した後、彼は何気なく「さて、と」と口にして、わたしを見下ろす。
最初に見たときと同様に瞳孔はスリット状に戻っており、わたしを見る視線は柔らかくなっていることに安堵した。
そう思ったのも束の間、わたしの体は宙に浮き、かと思えば、彼の両腕がそれぞれわたしの背中と膝裏に回され、わたしの体は抱き上げられていた。お姫様抱っこなどされたのは初めてで、困惑せざるを得ない。
「えっ、ちょっ……なにしてっ――」
「なにって、ここから出るに決まってるだろう」
そう言って彼は、出口へと繋がる道を軽い足取りで進んでいく。彼の表情は穏やかで、司会者に対する冷酷な彼の面影はない。
ふと舞台のほうに目を向けようとすると、「ミア」と名を呼ばれ制された。
「君は見なくていい。あんな、穢れたモノ」
彼が吐き捨てるように言った『穢れたモノ』の中には、何となく彼自身も含まれているような気がした。
慈しむように微笑み優しく〈ミア〉と呼ぶ声が、冷酷で残忍な、狂気に満ちたものに変わる。そんな彼の姿を、彼はわたしに見せたくないらしい。
司会者とのやり取りの最中、わたしを胸に抱き隠したのは、惨状を見せないようにするためだけではなく、惨状へと変えていく彼自身も見せまいとしたのかもしれない。
そんな彼にわたしは何も言えず、言われた通りにするしかなかった。その時彼が浮かべていた嘲笑が、なんだか悲しく思えた――。
会場から外に出ると、そこは薄暗い路地裏で、人が横に三人通れるか通れないかというほど狭い道だった。上を見上げると、黒く見える建物の間に夜空が広がっており、彼の髪と同じ銀色の月が顔をのぞかせる。
「あ。あの、ところで……、あなたは……?」
ふと、彼のことを何も知らないことを思い出し、場の空気を変える意味もあって、彼に尋ねてみることにした。
「あぁそういえば、まだ言ってなかったな。俺の名前は、ノクティス」
「ノクティス――さん……」
「“さん”はいらない。ノクトとでも呼んでくれ」
「……のくと。ノクト」
初対面の、それも恐らく年上の人に対して、呼び捨てどころか愛称で呼ぶことに申し訳なさを感じる。
しかし若干の抵抗混じりに、呼び慣れない外国の愛称を口にすると、彼は満足そうにわたしに向けて微笑みを浮かべた。
「じゃああの、今どこに向かっているのですか……?」
「魔王城」
……今わたしは、何か、とんでもない聞き間違いをした気がする。
「あの、今なんて……?」
「魔王城。俺、魔王だから」
わたしは彼の言葉を頭の中で反芻し、
(魔王? え、このファンタジー世界を脅(おびや)かす存在? わたしはその味方? え、勇者に狙われる? てか、殺される? さすがに珍しい容姿とはいえ魔王の味方となったら、もう、討伐対象にならざるを得ないよね。え……、わたし、……死ぬ?)
奴隷という差別をしない彼に買われ、自身を取り巻く環境の良い変化に心を躍らせようとしていたわたしは、むしろ悪化したという事実を直視できないでいた。
奴隷であろうと、この特異な容姿のお陰で命だけは狙われないで済んでいたというのに。そんな保障が何の意味もなさない状況になってしまったのだ。
わたしは再度天を仰ぐ。
(わたし……これから……どうなるんだろう……)
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