自分の名前
わたしの目が彼の目に合うと、冷徹さを感じさせる鋭い目線がどこか柔らかく優しいものになったように感じられ、それと同時に薄い唇が緩く弧を描いた。
彼はわたしの目の前まで来ると、まるでおとぎ話に出てくる王子のようにしゃがみ込み、じっとわたしを見つめる。
そして、恐る恐るというようにわたしに手を伸ばした。彼のすらりと伸びた長い綺麗な指がそっと頬に触れ、撫でるようにしてやがて大きく少し骨ばった手が頬を包んだ。
「ミア……」
彼の低くも澄んだよく通るその声が、優しい声音でそう口にした。小首を傾げると、彼は悲しげに、けれど優しく慈しむように微笑んで言った。
「〈ミア〉――俺は君をそう呼んでいる。君の本当の名前は、〈ユラ〉だ。“夕日の桜”という意味らしい」
「〈
そう繰り返すと、彼は頷く。
そんな彼の目をじっと見つめると、なぜだが込み上げてくる嬉しさと懐かしさに、彼の瞳に映るわたしはいつの間にか笑みを浮かべていた。
しかし次第に胸を締め付けるような切なさに、視界が潤み始める。
すると、彼の瞳が少し揺らいだような気がした――と、思った瞬間、わたしの体は彼の腕に抱かれる。驚きに声を掛けようとしたわたしだったが、それは
「やっと……、やっと会えた……」
そう呟く震えた声が聞こえ、それと同時に自身を抱く強さが強まったからだ。
わたしは何となく、そう、ただ何となく、彼の背に手を回す。
彼と会ったのは初めてのはず。けれど、彼の温もりはなぜだかとても心地良く、初めてのような気がしなかった。
自分の頬を伝う涙がどんな意味を持っているのかはわからなかったが、それが良い意味であることは確かだった。
久しぶりに感じた人の温もりに、安心を感じ始めたその時、彼の体が離れる。少し名残惜しさを感じ彼の顔を見上げると、優しく見つめる彼の目線と交わった。
「大丈夫」
何が、と問い返す間もなく、彼は司会者に「鍵は?」と問いかけた。その声は冷徹なものに戻っている。
司会者は鍵を取り出し首輪に繋がれた鎖を外すが、「もう一つは?」とさらに要求する彼に、司会者は困惑した。
「もう一つ、ありますよね? 鎖を解く鍵と首輪の鍵」
わたしに対する口調とは異なり、司会者へのそれは一線を引くように冷静かつ丁寧で、それがかえって冷徹さを際立たせる。
「正気ですか……? 首輪の鍵を解く意味をご存知ですよね?!」
「俺が知らないように見えますか?」
司会者の言葉に、彼は眉間に皺を寄せ不快感を露にする。
首輪は奴隷である証。そして、奴隷であるが故に、主人に逆らえないようにするための、謂わば監視の役割を持つ。
逃げることがないよう、その位置情報を主人に知らせ、首輪の持ち主が今何をしているかを映し出す、日本でいうGPSやカメラのような機能もあるらしい。この首輪がある限り自由は有り得ず、人権など存在しない。――死ぬことすら許されぬ枷。
「知っているなら、どうして――」
「――ミアに相応しくないからです。ミアは犯罪者でも、危険人物でもない」
「ですが、非常に希少な――」
「なら尚更この首輪は相応しくないですよね?
確かに彼女は、珍しい容姿をしています。なら、本来、もっと丁重に扱うべきではありませんか? まぁ、
貴方のような人は、ミアを物として捉えているようですので、こう言うのが一番わかりやすいかと」
黙り込み、何もできないでいる司会者に、男は目を閉じ髪をかき上げ大袈裟に溜息をつく。ゆっくり上げられた瞼の奥の眼は、瞳孔が小さな丸い形状へと変わっていた。
その視線で射貫けるのではないかと思えるほどの恐怖を覚える。
「貴様らはミアを愛玩動物や、自身を飾る宝石とでも思っているんだろうが、そんな枠で収まりきるような存在じゃない。貴様らなんぞに測れる価値じゃねぇんだよ。
……わかったらさっさと鍵を寄こせ」
丁寧な口調が消え去り荒々しいものになると、彼の恐ろしさが剥き出しになった。
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