第5話 先生が好き
そんな未来をみずきは、勝手に創造していた。それも、彼女が歴史が好きだからで、
「どの時代が好きだ」
というわけではないのだが、好きな時代が、その時の精神状態によって、変わるのであった。
今の自分の精神状態を、過去の歴史の時代に当て嵌めて、勝手に想像している。いや、
「創造している」
といった方がいいかも知れない。
過去は、
「すでに終わったことだ」
という感覚ではないのだが、終わったはずのものが、また訪れるという、堂々巡りを、絶えず考えていたのだった。
そんな過去の世界が好きだったのは、中学時代からだった。
小学生の頃は、歴史といっても、自分たちが住んでいる範囲の歴史ということで、
「本来の学問である歴史」
というよりも、どちらかというと、
「庶民の暮らし」
という、リアルな生活に密着したような感じだった。
嫌いではなかったが、
「昔の生活を聞いても、別に楽しくない」
という意識が強かった。
「このあたりは農家で、こんな道具を使って、農作物を作っていた」
ということで、社会科室のようなところに、そのレプリカのようなものが展示されていた。
いかにも古臭い道具に、みずきは、別に何も感じることはなかった。
「こんなものを使って、農耕をしていた」
ということなので、実際に、農耕をしているような展示ということで、県立の、民族学博物館のようなところがあるので、小学6年生の時の遠足で訪れた。
他の生徒は、面白がって展示品を見ていた。
もちろん、触ってはいけないものなので、見ているだけで、楽しそうにしていたが、みずきは、別に楽しいとは思わなかった。
「ふーん」
という程度で、どうしてそこまで冷めた気持ちになるのか分からなかったが、その様子を見ながら、
「こんなものなんだ」
と、ボーっと見ているだけだった。
小学生の頃というと、どうしても、社会科というと、
「主要学問ではない」
ということで、好きではあっても、第二学問という感覚で、あまり真面目に見ていない生徒が多かっただろう。
実際に、みずきもその一人だったが、どこか、ファンタジーっぽさがあることから、あまり嫌いだというわけでもなかったのだ。
中学生になると、社会科の中で、
「歴史」
という授業が、改めて出てくる。
地理、や、政治経済とは違う形での授業が楽しくなったのだ。
自分が行った中学では、歴史の授業も、
「日本史」
「世界史」
と別れていて、2年生くらいになると、どっちが好きなのか、皆大体わかってきたのだ。
もちろん、
「どっちも好き」
「どっちも嫌い」
という人もいた。
特に、どっちも嫌いという人は、どうしても、歴史というと、
「暗記物だ」
ということが、嫌なのだった。
確かに、歴史という科目は、昔から、
「女性から嫌われる」
というものだったが、最近は、
「歴女」
という言葉もあるくらい、歴史好きが多くなった。
昔から、女性が歴史を嫌いだったのは、男性から、
「好きな科目は?」
と聞かれた時、
「歴史」
と答えたりすると、明らか不快な顔をされるというのがあったからだ。
なぜ、
「男性ならいいのに、女性だとあんな顔をされるのか?」
と考えたが分からない。
やはり、話題の中で、歴史の話になると、どうしても、話が難しくなって、
「男性でも嫌われる」
ということになるのだろう。
これは、大体が、
「大人になってからのことが多いだろう」
いわゆる、
「合コン」
などというものをやっている時に、女の子が、まわりを意識せず、歴史の話を始めると、まず、引かれてしまっていた。
たぶんであるが、昔の、男尊女卑の考え方からか、
「女が歴史を語るなど、十年早い」
とまで思っている人もいるかも知れない。
特に、歴史が好きな人は、自分の知識をひけらかしたいと思っている人が結構いるだろうから、そのせいもあって、会話になると、止まらなくなってしまう。
これが、同性の間でも、鬱陶しがられるだろうが、特に相手が男性であれば、
「俺よりも、知識があるなんて」
と思うと、
「可愛げのない女」
という目で見られるに違いない。
「女というのは、おしとやかで、あるべきだ」
という考えと、
「女性が歴史なんか」
という考えとでは、辻褄が合っているわけではないが、女性も、今までの時代であれば、
「男性に、ひどい目で見られたくない」
ということから、
「女性は、おしとやかで、控えめなものだ」
と、勝手に思い込んでいるということなのだ。
もっと言えば、そんな時代を知らないはずなのに、伝統とでもいうべきか、ずっと同じ考えを踏襲しているのはなぜなのか?
というような考えを、みずきは持っていたのだった。
中学生になると、日本史が好きになった。
本当は最初、世界史が好きになったのだが、それは、古代の四大文明に心を惹かれたからだった。
というのも、
「エジプトのピラミッド」
であったり、
「メソポタミアのような、短い周期(といっても、日本の歴史から比べれば、果てしなく長い期間であるが)」
というような時代に惹かれたのであった。
特に、今の時代から考えて、何千年も前に、今とそん色のない建造物があったり、神話などが残っていたりと、想像を絶するような時代に、心を響かせるのであった。
しかし、日本史を初めて、古墳時代に入ると、
「なんだ、日本にも、同じような時代があったではないか?」
ということであった。
しかも、あの当時、日本は文字もなく、日本国内で、その時代のことを記した書物がなく、奈良時代以降になって、それ以前の歴史を語るということに、別の意味で、興味が湧くのだった。
そんな時代において、あれだけでかい古墳を、王の陵墓として作ろうというのだから、
「どれだけの時間、どうやって作ったのか?」
ということを考えるのも無理もないことだろう。
そうやって考えてみると、実際に想像していたよりも、結構大変だということが分かると、今度は、
「今の時代の自分たちには想像もできないことであり、逆にいえば、それだけ、王の権力が強かった」
ということになるのであろう。
これが、中学三年生で、公民として、
「政治経済」
などを習うと、今の時代の前に当たる、
「大日本帝国」
というものが、
「いかに、天皇制というものを、正当化し、そして、君主制というものを引いていたのか?」
と考えると、今の民主主義でも、
「昔の天皇が、君臨していた」
ということを隠さずに習うのに、大日本帝国などでは、さらに、
「天皇制の正当性」
というものを教え込まなければいけないので、
「それがどれほどの教育だったのか?」
ということを考えると、
「本当にすごいものではないか?」
と考えるのであった。
今でこそ、
「自由平等」
と言われているが、果たして、本当に、
「自由平等が、行われているのか?」
ということを考えると、民主主義というものが、どういうものなのかと考えてしまう。
だから、
「歴史に学べ」
ということになるのだろう。
そんな民主主義において、
「本当に歴史に学ぶものがあるのか?」
という疑問もある。
少なくとも、
「軍国主義」
において、
「富国強兵」
という時代を正しい時代と考えて、誰もが、
「国家を憂いていた時代」
クーデターなどもあったが、それを映画化したものを見たりすると、
「クーデター」
が失敗し、それを正当化するという意味で、隊長が隊員に行う演説で、
「諸君は、間違ったことをしているわけではない、それは歴史が答えを出してくれる」
といって、
「胸を張って、源谷服してくれ」
といって、隊長は責任を取って、自害するのだが、実際に、今の時代においては、
「あれは、派閥争いであって、クーデターは、賊軍だった」
ということになっている。
実際に、みずきもそう思っているのだが、それは、これから歴史研究が進んでいけば、
「また違った解釈ができてくるかも知れない」
といえるだろう。
あの時代は、
「何が正しい」
ということは、実に分かりにくいほどにカオスだったのだ。
今でこそ、
「自由平等」
と叫ばれていて、いろいろな宗教は思想、そして、政党が存在するが、
「果たして、どれだけ国家を愁いているのだろうか?」
ということである。
もっといえば、
「政治家や官僚が、金に塗れ、自由をいいことに、至福を肥やしている時代」
昔であれば、クーデターが起こっても、不思議のない時代である。
「大日本帝国」
という、
「君主国家」
だから、
「上から抑えられ、自由のない国家」
ということで、
「悪い国家だ」
という発想は、危険であるといってもいいだろう。
確かに、
「君主国」
というのは、ある時代では、当たり前のことだった。
国家元首としての、国王であったり、総統がいることで、国家が成り立っているのであれば、それは、
「立派な君主国家だ」
といってもいいだろう。
君主国家」
だからといって、すべてが悪いというわけではない。
そして、
「自由がない」
というわけではない。
特に有事になると、一致団結して、事に当たるということになる。
今の日本は、平和憲法に守られているから、戦争に巻き込まれることはなかったが、時代が次第に変わってくると、
「平和憲法の国だから」
といって、黙っているわけにはいかないだろう。
いわゆる、日本は、
「平和ボケ」
ということであるが、それは、何も、
「軍国主義になれ」
ということではなく、
「かつての過去の歴史を正しく理解できるかどうか?」
ということである。
日本における民主主義というのは、占領国に、
「押し付けられた民主主義」
ということなので、特に、それまでの、
「立憲君主」である、
「大日本帝国」
というものを、
「否定的に教育する」
という風潮になっている。
だから、
「大東亜戦争」
を、
「太平洋戦争」
などという言葉でごまかしているのである。
実際の内容はどうだったのかは、研究が必要であろうが、少なくとも、表に出ているあの戦争の大義名分は、
「大東亜共栄圏の建設」
ということで、
「欧米支配を排除し、日本を中心とした東アジアの秩序を作る」
というものだったではないか。
それを、
「まるで侵略戦争だった」
と決めつけてしまっては、歴史を片一方からしか見ていないので、それが本当に正しいのかどうか、大きな問題ということになる。
クーデターでは、
「歴史が答えを出してくれる」
といっていたが、今のところの答えとしては、
「反乱軍」
ということになり、かつての戦争は、
「侵略戦争」
ということが、大いに言われている。
しかし、それはあくまでも、まわりの、アジアの国に、
「忖度している」
ということであり、日本独自の考え方ではないのだ。
もっといえば、
「本来なら、独立国としての、平和条約を結んだのだから、もう、大東亜戦争という言葉を使ってもいいのに、それを使わないということは、連合国や、まわりの国に対しての忖度なのか、それとも、敗戦国における、負け犬根性のようなものなのか?」
ということを考えると、
「民主主義における、日本国」
というのは、
「ただの、腰抜け国家である」
としか言えないだろう。
だからこそ、日本という国は、いくら経済が発展しても、
「某国の属国」
と呼ばれることになるのだろう。
基地がこれだけ国内にあって、その運営費のほとんどを日本が負担しているという事実を、どう考えるか?
確かに、
「いるだけで、日本が守られている」
ということであろうが、それだけではない、
「日本という国は、これほど、腰抜けな国なのだ」
ということを、全世界に公表しているようなものだ。
だからこそ、戦後半世紀以上も経っているのに、
「某国の国債を買わされて、その返済を無期限にしている」
というのだ。
もっといえば、
「返さなくてもいい」
といっているようなものではないか。
そんな時代に、果たして過去の歴史の答えが出ているというのだろうか?
逆に、過去の歴史を否定し、すべてがなかったことのようにでもしているかのようなこの国に、どんな未来があるというのだろう?
中学時代は、そんな歴史を、いかにも、教科書通りのカリキュラムでやっていたので、
「歴史自体は面白い」
と思っていたのだが、どうにも納得のいかないところがあった。
それで、高校受験の気分転換に、一日の間の一時間くらい、
「歴史の本」
を読んでいた。
特に、明治からの歴史に興味があり、まずは、幕末から読み始めていたのだ。
時代が、進むにつれて、結構面白かったりする。
きっと、
「今の時代と比較してみることができるからだろう」
ということであった。
前述の考え方も、この頃に読んでいた本を元に、考えるようになった考え方だった。
さすがに、こんな話をクラスメイトにすると、引かれてしまうというのは分かり切っていることなので、何も言わなかった。
しかし、高校に入ると、とたんに歴史の授業が面白くなった。
それは、歴史の先生である。
「山口小五郎先生」
がいたからだった。
山口先生の授業は分かりやすく、先生の時々、入る自分の考え方が、いかに、うまく聞こえるのかということが分かった気がしたのだ。
そんな歴史の授業を受けると、
「私は、それまでの考えがすべて変わりそうな気がするのだった」
と感じたのだ。
あれは、先生と何時代について話した時だっただろう?
たぶん、覚えてはいるはずなのだが、あの頃は毎日のように、先生と放課後、教室に残って、歴史の話を続けていたので、ハッキリと、
「いつの時代だったのか?」
ということは、分かってはいなかった。
だが、最初に先生と意気投合したのは、分かった気がする。
ちょうど、
「乙巳の変」
の話をした時だった。
みずきが、
「皆、あれを、大化の改新というけど、大化の改新というのは、クーデターが起こった後の、新しい政治体制を組みたてる段階を、大化の改新というのであって、あれは、違うわよね」
と、みずきが言った時だった。
このあたりの時代は、山口先生には、どちらかというと、
「専門外」
の時代だった。
先生の専門というのは、もっと、現代に近い時代で、幕末くらいから、明治、大正、昭和の前半。
つまりは、
「大日本帝国」
と言われる時代が専門だった。
だから、みずきも幕末から、こっちの時代が好きになったのであって、それも、
「先生と話を合わせたいから」
というのが理由だった。
実際に、勉強してみると、結構面白い。
さすがにこの時代に興味を示さなければ、ここまで先生を好きになることもなかったであろう。
みずきはそんなことを考えていると、
「どうして、大化の改新についての話になったのか、今でも思い出せなかった」
ただ、先生が、
「たまには、違う時代もいいな」
と後から言っていたことを思えば、先生の方も、専門外だった方が、却って気楽だったといってもいいかも知れない。
確かに、
「大化の改新」
と似た言い方をする時代も他にはないでもない。
しかし、その時は、クーデター自体をそういうわけではない。
その時代というのは、
「建武の新政」
であった。
鎌倉幕府を倒した後に、後醍醐天皇が、
「天皇中心の政治」
という理想を感じて始めたことだったのだが、そもそも鎌倉幕府の傾きは、武士に対しての、褒美がなかったことでの不満だったものを利用した形にはなるのだが、実際に幕府を倒してみると、鎌倉幕府成立以前の、
「武士が虐げられる」
という悪しき時代に逆戻りするのであるから、武士としては、たまったものではない。
そこで足利尊氏が、
「武家中心の時代を作る」
ということで、足利幕府を成立させたことで、朝廷が二つに割れる、
「南北朝時代」
となったのだ。
「大化の改新」
は、律令国家の建設を目指したものだったのだが、なかなかうまくいかず、中途半端な状態であったことから、
「蘇我氏の方がマシだったのではないか?」
と歴史認識が変わってきた。
それが歴史というものであり、その楽しさを、みずきはその時知ったのだった。
そんな時代の話を、疑問のように先生にぶつけると、先生も、
「そうなんだよね。なかなか目の付け所がいいよ」
といってくれたのだった。
中学時代までは、歴史というと、好きではあったが、完全に暗記科目ということで、どうしても、それでは面白くないではないかということで、その話も先生にしていたところであった。
気になっているところも、歴史という学問への考え方も、よく似ている。それが、
「みずきを、先生との距離を縮めることに作用したのだろう」
といえる。
さすがに、山口先生も、
「女生徒と仲良くなるのは、百害あって一利なし」
と思っていた。
二人きりになったというだけで、何を言われるか分からない。特にこの学校は、共学なだけに、
「もし、その女生徒を好きな男子生徒がいて、彼女を狙っているのだが、なかなか声を掛けられないような小心者だったりすれば、もし、女生徒と先生が密かに二人きりになっていたりすれば、本当は何もなくとも、二人はできているなどというウワサを立てられるかも知れない」
というものだ。
男子生徒も、
「彼女に嫌われたくない」
という思いから、思いとどまるかも知れないが、だが、そういう生徒は、どうしても、孤立してしまう。
孤立してしまうと、好きになった彼女であっても、どこか裏切られた気がして、
「可愛さ余って、憎さ百倍」
とばかりに、怒り狂うようになると、先生だけではなく、彼女も憎くなり、
「二人の地獄を見たくなる」
というのも、ありではないだろうか?
そんな時、たいてい。女生徒の方は、
「その男子生徒に好かれている」
などということを、分かっていないだろう。
どうして、そんなひどいことをするの?」
と思って当然である。
先生も、せっかく気を付けていたのに、まさか、他の男子生徒の嫉妬のために、人生を壊すことになるとは思えない。
大体の場合、先生は、よくて。
「左遷」
ということになるだろう。
ただ、その場合は、その男子生徒が、
「俺も、このままではダメになる」
ということが分かってくれば、
「死なばもろとも」
という感じで、皆道連れにして、心中覚悟というところであろう。
その時、
「俺をこんな風にした二人に、復讐してやる」
というまったくの勘違いで、人生を壊される、先生と女生徒もたまったものではない。
だが、先生というのは、ウワサが立てば、
「待ったなし」
ということになるだろう。
「俺は、気を付けていたのに」
と言ったとしても、まわりは、
「その注意が足りなかったんだ」
としか思わないだろう。
完全に他人事だということになるか、
「自分も気を付けないといけない」
ということでの、
「反面教師」
ということになってしまうのかということであった。
ただ、高校教師には、そんな危険性が、絶えず見舞われているということになるのであった。
みずきとしては、自分がそんな先生を好きになるとは、最初から思ってもいなかった。
確かに、先生と話をしていると楽しいし、時間を忘れるくらいに充実している。
「こんな気持ちになったの初めてだ」
と思っていた。
「異性を好きになる」
ということが、こういうことだっただなんて、自分でも思わなかった。思春期がなかったわけでもないし、
「異性を意識する」
ということを考えたことがないわけでもない。
それなのに、同級生の男の子を好きになるということはなかった。
どうも、同級生の男の子は好きになるという感覚ではなかった。
「どこか幼い」
という感覚だったからだ、
みずきは、小学生の頃から他の女子に比べても発育は発達していた。だから、他の女子に比べても、男性を見る目というのは、結構、しっかりしている。
「女子は、男子に比べて、発育は早い」
という意識は小学生の頃からあった。
特に、初潮だって、小学生の頃からあったのだ。
最初はビックリしたが、このあたりの話は母親から聞いていたので、必要以上にビックリというのはしなかった。
「あんたは、他の子に比べて、成長が早いからね」
ということだったからだ。
成長の早さは、自分でもわかっていた。何といっても、身長が高いので、まわりから、
「丈夫で、頑丈だ」
という意識を持たれていたようで、男子からも一目置かれていた。
だから、みずきも、自分でそのつもりだったようで、そのおかげで、自分の体の大きさに、コンプレックスを持つこともなかった。
苛められている子がいれば、
「助けてあげよう」
と思うくらいで、こういうのを、
「女だてらに」
と言われるのかもしれない。
だから、
「男の子を助ける立場」
ということをずっと考えていただけに、
「男の子と付き合う、淑女」
というイメージが、自分でも湧いてこなかったのだ。
中学生の多感な時期、
「彼氏がほしいな」
と思った時もあったが、その心の奥では、
「私に彼氏なんて」
という意識が強かったのも、本当のことである。
「彼氏を作るなんて、諦めよう」
と思っていたのだ。
好きな男子がいないのも、事実であり、どうしても、まわりの同学年の男の子が、
「頼りなく感じる」
のであった。
かといって、上級生を好きになることもなかった。
上下の差は、小学生の頃から感じていた。
特に低学年の頃から見て、高学年のお兄さん、お姉さんは、年齢以上の差を感じていたのだ。
それは、小学生の頃という時期が、結構長く感じられたからではなかっただろうか?
あの頃は、毎日が、なかなか過ぎてくれなかった。徳に一週間の長さというのは、すごかった。
月曜日一日学校に行っただけなのに、まるで、もう、金曜日くらいの感覚だ。
というほど、長く感じられたのだった。
そのくせに、
「一年間というのはあっという間だった」
と思っていた。
三年生の頃などは、あっという間に過ぎた気がした。
ただ、一年生の頃を思い出すと、思い出せないくらいに、総統前だったように思うところが不思議だった。
ということは、
「その時々の時間の単位で、感じる思いはバラバラだったということか?」
と感じた。
中学生になってから、また同じ感覚に陥っていたのだが、
「思春期に入ってから感じるのは分かるが、小学三年生の頃にも感じていたなんて」
というのは、後から思い出すことができたからだ。
それも、
「前にも同じ感覚に陥ったことがあったような」
という、その時に、言葉は知らなかったが、いわゆる、
「デジャブ」
と呼ばれる現象だったのだ。
デジャブという言葉を最初に聞いたのは、中学三年生の頃だっただろうか。友達と話をしていて出てきた言葉だった。
「それをデジャブというの?」
と聞くと、
「ええ、そうよ。私は、この現象のことを知るまで、こんなのは、私だけの異常な感覚なんだと思っていたけど、皆そうだって分かって、今は安心している」
というではないか。
それはみずきにも言えることであった。
そんなデジャブという話を聞いたとき、
「ああ、この感覚は、子供の頃に感じたもので、ひょっとして、人を好きになったこと、今までになかったと思っていたけど、ひょっとするとあったのかも知れない」
と感じたのだった。
誰を、そんな気持ちで好きになったのか?
というようなことは分からない。
だが、確かに、
「好きになった」
ということは憶えている。
だけど、今回、好きになった先生への思いは、今までの感覚とかなり違っているのではないかと思うのだった。
「上級生に対しては、これほど警戒心があったのに、先生に対しては、信頼感と、委ねたいという気持ちが素直に出てくるなんて」
と感じた。
それは、
「先生の優しさに、何ら下心を感じなかったからだ」
と思った。
それもそのはず、下心どころか、先生は、最初から警戒心を持っているからである。
それは、もちろん、
「女生徒と、恋愛感情に陥ってはいけない」
という思いであり、先生は、どちらかというと逃げ腰だったのだ。
みずきは、相手が逃げようとすると、
「逃がさないわよ」
という感覚が以前からあった。
その感覚のおかげで、今まで、
「狙った獲物は逃がさない」
と思ったことは成功してきた。
それだけ真剣に向かい合っているからであり、高校受験も、難なく合格できたのだ。
とは言っても、努力はした。
「人の数倍努力をした」
といってもいいくらいだっただろう。
努力というのは、
「意識してするものではない」
という言葉を聞いたことがあったが、みずきは、
「そうではない」
と思っていた。
「努力は、意識しないとできないもので、目指しているものがハッキリとしていないのに、何が努力なのだ」
という思いだった。
それはそうだろう。
どこを目指しているのかハッキリしないのに、目指すというのは、本末転倒でしかないのだと思っていた。
もちろん、その通りであり、勉強もそうだが、他に目指すものを達成させるためには、
「計画性を持ってやらなければいけない」
ということであった。
どこをどのように目指しているのか、
それを考えると、
「いつまでに、ここまでやって、その次は、ここからここまで」
というような、
「そう、文章でいえば、起承転結というものがハッキリしていて、それが、文章の長さであったり、ストーリー展開だったりするのだ」
ということだ。
途中で、うまくコントロールできないと、先に進まない。それが、
「努力」
であり、
「目標達成への道だ」
ということになるのだろう。
ただ、恋愛というのは、そういうものではない。
何が違うといって、
「相手がいるいないの問題」
であり、
「努力して、自分向上のための目標は、相手があったとしても、関係ない。自分との闘いなのだ」
ということになるのであった、
それが恋愛感情であり、
「先生を好きだ」
と感じた思いだったのだ。
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