第15話 初依頼
「では、冒険者証が出来る間に依頼の説明をします」
待ってました!
私とエーリカはカウンターに近づいて、レナが取り出した木札を見る。
木札には簡単な街の地図が描かれていた。
「本日の依頼は、馬糞の回収です」
「……はい?」
私は素っ頓狂の声を上げる。
「馬車や荷車を
ああ、聞き間違いじゃなかったみたいだ。
初依頼が排泄物ネタだとは……。
「空の荷車を用意しますので、それを牽いて、大通りに落ちている馬糞を回収してください」
レナが木札の地図を指差しながら説明をしてくれる。
馬車や荷車が通る大通りを練り歩いて、地面に落ちている糞を空の荷車に回収していく。
集め終わったら、貧民地区に処理場があるので、そこで糞を下ろし、代表にサインを貰ってお終いとの事。
「大通りだけですので、脇道まで確認しなくて大丈夫です。貴族地区は回らないで下さい。また、門の近くに馬屋や馬車屋がありますが、彼らの馬がした糞は回収しないでください」
一通り説明を終えたレナが木で出来た身分証をエーリカに渡す。
「この依頼を受理するなら、石板の上に身分証を置いてください」
冒険者登録をした石板とは別の魔術石板に、私とエーリカの身分証を石板の上に置いた。
身分証が一瞬光を放つと、「はい、これで依頼の受理は終わりました」とレナから身分証を返してくれた。
「では、お仕事頑張ってください」
満面の笑みのレナに挨拶を終えると、若い男性の職員が近づいてきた。
「これから荷車の置いてある場所に案内します。付いて来て下さい」
無表情の職員が歩きだしたので、私とエーリカは黙って後を付いて行く。
冒険者ギルドを出て、脇道へ入り、建物の裏側へ回る。
ギルドの裏側は空き地になっており、建物の側面に小さな掘っ立て小屋がある。そこに木製の荷車が置いてあった。
「この荷車を使って下さい。糞の回収はこの堀棒を。回収した地面は汚れ消しにこの砂を撒いて下さい」
荷車には、堀棒と呼ばれる木製のシャベルが二本、砂が入った麻布が一袋が乗っていた。
「仕事が終わりましたら、そこの井戸で綺麗にしてから完了の報告をお願いします」
そう言って、無表情の職員は去って行った。
試しに荷車を牽いてみる。
ゴム製の車輪でなく、丸く削った木製だ。その所為で、デコボコと衝撃があり、空の状態でも結構きつい。
「内容自体は簡単だけど、この荷車で街を回るのは一苦労だね」
「それなら、わたしが荷車を牽きます。ご主人さまは馬糞の回収をしてください」
「いいの?」
「ご主人さまの腕力と体力を考えれば、適材適所と判断します」
「それなら荷車の移動は、エーリカにお願いするよ」
そう言って、私たちは馬糞回収の依頼を行う事にした。
ルートは決まっていないので、まずは一番距離が短い北側に向かってみる。
ガタガタと荷車が揺れる音を聞きながら、馬糞が落ちていないかと地面を観察するが、裕福地区の為、石畳の上は綺麗に掃除されており、今の所、落ちていない。
何も無いまま貴族地区と教会に向かう坂道へ差し掛かる。
貴族地区はやらなくていいと言われたので、そのまま素通りする。
「ご主人さま、第一うんこ発見です」
奴隷商会が見え始めた時、荷車を牽いていたエーリカが馬糞を発見した。
荷車を馬糞の隣に横付けし、私は木製のシャベルを使って馬糞を回収する。
「お、重い……」
ジャリっと地面ごと擦りながら馬糞を持ち上げると、ズシリとした重みが腕に加わる。
重みで震える腕に力を込め、空の荷車にベチャと投げ入れた。
その後、麻袋の封を開け、もう一本のシャベルで砂をすくい、汚れた地面に向けて砂を撒く。
「良し、こんなものかな」
「さすがご主人さま。完璧です」
馬糞を回収しただけなので、褒められても嬉しくない。
私は気を取り直して、先へ進む。
奴隷商会を通り過ぎると貴族の屋敷が見えなくなる。代わりに、山の頂から教会の一部が見えた。
私はその教会の関係者に聖女として召喚された。
そもそもこの国の聖女とは何なのか?
もし本当の姿で召喚されていれば、私は聖女として扱われていたのだろうか?
そして、どのように扱われたのだろうか?
国賓以上のおもてなしか? それともただの駒か? または生贄か?
エーリカを見る。
彼女は私よりも長い年月を生きている。
彼女に聞けば、何か分かるかもしれない。
「どうしましたか、ご主人さま?」
エーリカが私の視線に気づく。
「いや、何でもない」
私は首を振った。
今更聞いた所で、どうにかなるものでもない。
今の私はハゲで筋肉のおっさんだ。間違っても聖女ではない。
それに私は無神論者だ。
教会なんかに関わっても
私は気を取り直して、馬糞回収に戻る。
北側の端まで辿り着いた。
外壁の間に巨大な門扉があり、そこには門兵が立っている。
その門から人や荷物を運ぶ馬車が
ここから街の外へ出れるんだな。
ちょっと外がどうなっているか気になるが、今は仕事中なので諦める。
今度、暇が出来たら出てみよう。
北門の近くに馬車屋があり、何体もの馬が繋がれている。
もちろん、その馬の周辺に馬糞が落ちているが、回収するなとのお達しなので無視をした。
「どうして、馬車屋の糞は回収しないのかな?」
「考えだされる答えは三つあります」
何となく呟いた疑問にエーリカが答えてくれた。
「一つ、馬糞は農作物の肥料になりますので、馬車屋の財産の一部と考えられます。道端に落ちている物なら問題は無いですが、個人の馬糞は財産を掠め取る行為になります」
「糞は火薬の材料にもなるから、もしかして馬糞は高かったりするかな」
うろ覚えだが、糞に尿をかけて発酵すれば煙硝が出来ると聞いた事がある。
煙硝は火薬の材料の一つだ。
「この世界では火薬は存在しませんので、肥料にしか役に立ちません」
つまり、火薬を作れば、化学革命が起こせると!?
馬糞で大金持ち。馬糞御殿を建てちゃうよ。
そして、この世界の戦争を一変しちゃうよ。
開発した私は英雄か悪魔か。
まぁ、細かい作り方なんか知らないから無理だけどね。
「もう一つは、馬糞に価値が少ない場合、自分たちが管理している馬の糞は自分たちで処分しろとの事です。馬屋なんだから当然です」
「ふーん、で最後は?」
「最後は、契約農家が居る場合です。馬屋ですから、毎日、大量の糞が発生します。わざわざギルドが管理している処分場よりも、直接農家に卸した方が利益があると思います」
「ギルドが関わるとマージン分減る訳だ。なるほど……」
「これらはわたしの憶測です。情報が足りないので本当の事は分かりません。後で、ギルドで聞いてみますか?」
「いや、別にいいよ。ただ疑問に思っただけ……さぁ、一旦戻ろうか」
私たちはUターンして、来た道を引き返した。
「第二うんこ発見です」
同じ道を戻っているのに、来た時には無かった馬糞が道の真ん中に落ちていた。
たぶん、今さっき北門から街へ入っていった馬車がこの道を通った際に落としていったのだろう。
その為、出来立てホヤホヤで匂いがきつい。
私とエーリカは、ハンカチを取り出して鼻と口を隠す。
第一うんこと同じように、馬糞の近くに横付けし、私がシャベルで馬糞を回収する。
出来立てなので、シャベル越しでも温かさを感じられた。
この馬糞回収は、仕事内容自体は簡単だが、精神的、気分的にかなり辛い。
お金を稼ぐのは大変であるとしみじみ実感した。
「エーリカ、君は女の子なんだから馬糞を発見するたびに、うんこ、うんこと連呼するのはどうかと思うけど?」
気になったので注意してみる。
「ご主人さまは『馬糞』と統一していますが、そもそも馬の糞とは限りません。『排泄物』では、唾や尿、嘔吐物も含まれますので、表現としては微妙です。『糞』だけでは語呂が悪いです。よって、わたしは『うんこ』と呼ぶ事にしました」
「いや、そういう事が言いたいのでなく、女の子なんだから、もっと上品な言い方をしてほしいと思っただけ」
「上品ですか? うんこに上品な呼び方があるとは思えません」
少しは考えようよ。
うんこの上品な言い方……『うんち』『大便』『糞便』『クソ』。うーむ、どれも上品じゃない。
『ばば』と言う時もあるが、これは方言か……。
『食べ物の搾りカス』と言うのはどうか? 長い。駄目だね。
そう言えば、女性がトイレに行く時、お花を摘みに行くと遠回しに言う。
それを使えば……。
「例えば、『お花』というのどう?」
私はこれだっと思って、エーリカに聞いてみた。
「意味不明です」
にべもなく却下された。
ちなみに、お花を摘むという言葉は登山用語からきている。
なんでも女性が山の中で用を足す姿が花を摘んでいる姿に似ているからとの事。
そんな下ネタの話をエーリカと交わしていると、ギルド前の十字路まで戻ってきた。
次は東側の工業地区へ行く。
武器や防具、鍋、フライパン、包丁、鉄骨等々、色々な物が作られ、お店に並べられていた。
四方八方から鉄を叩く音、ヤスリで研磨している音が響いてくる。
火を使っているのか、建物の煙突から煙が揺らめいていた。
「回収屋さん、こっちに落ちているわよ」
金物屋の女性店員に声をかけられた。
お店の前に馬糞が落ちているので回収しろと催促される。
私たちは店の前に行き、慣れた手つきで回収する。
「お嬢さん、お父さんのお仕事を手伝っているの? 偉いわね」
私が砂を綺麗に撒いていると、女性店員がエーリカを見て、感心している。
「父ではありません。ご主人さまです」
エーリカが当たり前のように訂正する。
「ご、ご主人さま?」
女性店員が怪しむように私を見つめる。
「砂も撒いたし、次へ行こうか」
女性店員の目から逃れるように、私たちはそそくさと立ち去った。
馬糞を回収しながら、大通りを進んでいると住民の声がチラチラと聞こえてくる。
「あのお嬢さん、綺麗ね。お人形さんみたい」
「あんな小さい子に荷車を牽かせるなんて、酷い父親ね」
「本当に親子? 似てないわ。没落貴族から脅して、娘を奪ったのよ」
「山賊のような男だ。誘拐して、こき使っているんだ。視線を合わせるなよ」
色々と酷い言われようだ。
まぁ、無理もない。
綺麗なゴシックドレスに身を包んだ人形のような少女が、馬糞を積んだ荷車を牽いているのだ。
ラジエーターの中の少女並にシュールな光景である。
「ねぇ、エーリカ。私が荷車を牽こうか?」
「ご主人さま、他の人の言葉をいちいち反応していてはいけません。わたしは気にしません。ご主人さまも気になさらずに」
そうは言っても、気になりだすと周りからの視線が全て棘のように感じる。
「わたしは荷車を牽きたいのです。ご主人さまはうんこを回収してください」
「もしかして、エーリカは馬糞を回収するのが嫌だから、荷車担当しているとか?」
「気の回し過ぎです」
エーリカが黙々と荷車を牽き始めた。
どうやら図星らしい。
まったく……と思い、エーリカの後を追う。
その後、馬糞を二つほど回収したら、外壁に突き当たり工業地区は終わった。
このまま、引き返しても良かったが、どうせなら外壁に沿って南門を目指す。
途中で東地区に流れる川に突き当たったので、川と並行して進んだ。
ここまで来ると、ほとんどが田園地帯だ。
野菜や果実、家畜と畜産関係の場所が目立つ。
「西の商業地区の川は綺麗だけど、こっちの川は汚れているね」
「工業用水が混ざっているのでしょう。この川の水は使わない方がよいと判断します」
テクテクと田園風景を楽しみながら歩いていると南門へ到着すた。
北門と比べると活気がない。
馬屋と馬車屋と怪しげな宿屋があるぐらい。
ここは既に貧民地区に入るのだろう。
どこからか漂う異臭を嗅ぐと安宿に泊まった時の事を思い出し、背筋がブルリと震える。
この近くに馬糞処理場があるが、まだ全てを回っていないので後回しにする。
「うんこが三つ落ちています」
回収されずに風化された馬糞を回収し、私たちは外壁に沿って西の商業地区へ目指した。
丸のように囲む外壁に西側の川が突き抜けている。
そこから川に沿って、商業地区へ向かった。
「こっちの川は綺麗だね」
「川魚が美味しそうです」
「ほら、あの辺でスライムと戦ったんだよ」
「わたしもご主人さまの雄姿をこの目で見たかったです」
そんな他愛無い会話を楽しみながら商業地区へ入っていった。
商業地区の馬糞はゼロである。
商売をしている人が多いので、自分たちが率先して回収しているのだろう。
その分、馬糞が積まれている荷車を見る目が冷たい。
逃げるように足を進めるとギルド前の十字路へ戻ってきた。
そこから南に向けて、貧民地区へ進む。
『カボチャの馬車亭』を通り過ぎ、しばらくすると石畳が無くなる。
そこから異臭が強くなってきた。
私たちは鼻を覆っているハンカチを締め直し、貧民地区へ突き進む。
あるある。至る所に落ちている。
新しい物から古い物まで、硬い物から柔らかい物までせっせと回収する。
私が泊まった安宿に着くまでに、十個ほど回収した。
それにしても、貧民地区と言われるだけあって周りの環境は酷い。
建物の壁は薄汚れている。住民の着ている服装も薄汚れている。
道路には馬糞だけでなく、食べ物の残骸も落ちていて野良犬がガツガツと食べていた。
生きているのか死んでいるのか分からない人が、建物と建物の脇道に座り込んでいる。
「この状況、犯罪や病気の温床になるよね。何とか成らないかな」
どちらかと言えば、潔癖症の私だ。汚れているのを見ると綺麗にしたくなる。
「貴族には貴族のルールがあるように、貧民には貧民のルールと生活方式があります。貧富の差があるかぎり、一括して同じ生活水準にする事は無理があります。お金と時間があれば、何とか成るかもしれませんが、わたしたちが考える事ではありません。行政に任せましょう」
冷たく切り離すエーリカは、次の馬糞へ進む。
土と同化している馬糞を回収すると、少し先に肉屋の前に繋がれているベアボアの姿が目に入った。
そのベアボアは、私たちの目の前で、特大のお花を地面に落としている。
「うわー……」
ゲンナリする私。
「わたしは何も見ていません。先へ進みましょう」
現実逃避するエーリカ。
肉屋で買い物をしていた飼い主は、お花を置きっぱなしにしてベアボアを連れ去ってしまった。
蠅が飛んでいる肉屋のおっさんと目が合う。
おっさんは、一言も話さずに、顎でお花を指し示す。
仕方ないので、私たちは特大のお花に横付けする。
エーリカは荷車の取っ手から手を離さず、目線を前方に固定している。
「一回ぐらい回収する?」
「荷車を牽くので精一杯です。わたしに構わず、お好きなだけどうぞ」
仕方がないので、シャベルを持って、特大で出来立てのお花を摘む。
ズシリと重く、生暖かい。
私は異世界に来て、何をしているのだろう。
荷車の荷台が山盛りになった頃、南門の近くに来た。
「あそこが集積場所でしょう」
レナの説明を思い出したエーリカが荷車を動かしだす。
空き地が広がる一か所に、塀で囲まれた場所があり、そこから物凄い異臭が漂っていた。
エーリカの牽く荷車と共に空き地へ入ると、広い敷地の至る所に馬糞の小山が連なっていて、辺り一面、蠅が飛び回っている。
近くの小山に目を向けると、表面に白い物がウネウネと
「ウジ虫です」
エーリカが地面を見つめる。
地面には米粒のような白いウジ虫が沢山這いずっていた。
「ヒッ!?」
口から息が漏れる。魔女が支配するバレエ学校の天井を思い出した。
鳥肌の立った腕を擦っていると敷地の奥から薄汚れた熊のような男性がこちらに歩いてくる。
男性が歩くたびに小山の蠅が飛び立つ姿は、さながらジョン・〇ー映画の鳩のようだ。
「お前らが見習い冒険者か? 話は聞いてるぜ」
「冒険者は普段からこの仕事をしてるんですか?」
「いや、見習い冒険者だけが受けられる依頼だな。普段は貧民地区の連中の仕事だ」
それは良かった。
誰かがやらなければいけないのは分かるが、見世物のように街中を歩き回り、他人が見ている中、馬糞を回収するのは正直辛い。
「回収した馬糞はどうします?」
私は荷車に積まれた馬糞を見せる。
「こりゃ沢山集めてきたな。あっちの空いている所に下ろしてくれ」
私とエーリカは入り口に近い空きスペースに向かう。
「わたしが依頼完了のサインを貰ってきます」
エーリカが依頼内容の書かれた木札を持って、男性の元へ行く。
私に馬糞処理を任せるとは、一度、ご主人さまとは何か? を話し合わなければいけないな。
私は荷台に積まれた馬糞をえっちらおっちらと下ろしていく。
「ふっ、ふっ、ふっ……」
プルプルと震える腕を動かし続ける。
そして、全て下ろし終えると、タイミングを合わせたかのようにエーリカが戻ってきた。
「遅かったね」
私はジト目でエーリカを睨む。
「馬糞から肥料に成るまでの説明を聞いていました。サインも貰いましたしギルドへ帰りましょう」
何食わぬ顔で荷車を動かすエーリカ。
今まで人付き合いを極力してこなかったので知らなかったが、私は結構お人好しなのかもしれない。
そんなお人好しの私は、「……まったく」と一言呟いて、エーリカの後を追いかけた。
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