第3話 安宿に泊まろう

 なぜかハゲで筋肉の中年のおっさんになってしまった私は、目的もなく舗装された道を歩いていると大きな十字路に出た。

 四つ角に六階建ての大きな建物が見える。街の重要施設だろうか?


 背後から鐘の音が聞こえ、鐘は三回鳴って止んだ。

 後ろを振り向くと山の頂に教会が見える。教会が時間を知らせる鐘を鳴らしているのだろう。


 空を見上げると薄暗くなっている。

 街の様子から見るに、文明レベルは中世ヨーロッパといったところだろう。つまり、この世界では街灯なんて便利な物は存在しない。完全に日が落ちたら、辺りは真っ暗で歩く事すら出来なくなる。お腹空いたし、疲れたので、急いで宿を探した方が良さそうだ。

 

 十字路を渡り、先へ進む。

 色々なお店が連なる。

 雑貨屋、衣服屋、化粧品屋と日用品関係のお店はあるが、肝心の宿屋は見つからない。

 それもそのはず、私は文字が読めないのだ。

 商品を売っているお店は、店の前に品物を並べているので、どんなお店か分かる。だが、宿屋は外見だけでは判断できない。店の前に看板らしき物が垂れ下がっているが、異世界文字なので何が何だか分からずお手上げだ。

 言葉は通じるが、文字が読めないのは、異世界あるあるである。


 キョロキョロと辺りを見回しながら歩いていると道が変わった。石畳が無くなり、砂まみれの畦道あぜみちへと変わる。建物も石材でなく木材や土壁になり、古臭く傷んでいる。

 そして、臭い。非常に臭い。鼻が曲がりそうな臭さだ。

 歩道には馬糞がそのままに干からびていたり、建物と建物の脇道にゴミが散乱している。拳大ほどのネズミが残飯をかじっているのを見た時は悲鳴を上げそうになった。

 すれ違う人も酸っぱい匂いがする。服も汚れて、変色している。

 壁にもたれ、うずくまっている人がいたので、調子が悪いかと声を掛けようとして止めた。ボロ布を着たその人は昆虫らしき物をかじっていたのだ。たぶん、浮浪者だろう。

 ここは所謂、下町や貧民地区と呼ばれる場所と推測する。

 悠々自適な生活をしていた現代日本人の私には刺激が強すぎる場所だ。


 元の富裕地区へ引き返そうとした時、宿を見つけた。

 三人の厚化粧した女性が立っている建物にベットの絵が描かれた看板が下がっていた。パンとグラスの絵もあるので飲食も出来そうだ。

 下町の宿……正直入りたくはないが、辺りは真っ暗に成りつつあるので断腸の思いで泊まる事に決めた。

 私を品定めするように見つめる女性たちを無視して店内へ入る。

店には、カウンター越しに背を丸めた小さなおばあさんが店番をしていた。


「大人一人、泊まりたいんだけど、部屋、空いていますか?」


 おばあさんがギョロリとした目で私を見る。

 前歯が抜けていて、少し怖い。


「連れ込みか?」


 連れ込み? 一人って言ったけど、聞こえなかったのかな?


「いえ、一人です」


 私の姿を観察したおばあさんは、ふんっと鼻を鳴らすと、「大銅貨一枚」と言い、コツコツと指で机を叩いた。

 私はベルトに吊るしてある革袋からそれっぽい硬貨を取り出して机に置いた。


「あんた、耳が聞こえないのかい? 大銅貨と言ったんだ。小銅貨出してどうする。買い物をした事のない貴族の馬鹿垂れかい?」

「ごめんなさい、ごめんなさい」


 私は慌てて袋を漁り、一回り大きい銅貨を置いた。


「まったく、女みたいな喋り方するね、気味悪いったらないよ。うちの馬鹿息子みたいに未だに母ちゃんのおっぱいでも吸ってるのかい?」


 中身は女です。おっぱい吸う母親とは疎遠で顔すら見ていません。など言えるはずもなく黙ってやり過ごす。このおばあさん、口悪いし、顔怖いしでやりにくい。


「蝋燭はあるかい?」

「蝋燭? いえ、無いです」

「三本で小銅貨一枚だ」


 部屋に明かりが無いのだろう。

 最初に置いた小銅貨を渡すと、おばあさんはカウンターの下から三本の蝋燭を机の上に置いた。

 薄黄色の歪な蝋燭である。


「部屋は二階の奥から二つ目。二〇二号を使いな。飯は隣の食堂で金を払って食いな。排泄物は建物の横に汚物入れがあるからそこに捨てて、馬用の水桶で綺麗にしてから元に戻しておくんだよ。そのままだったら許さないからね」


 なんか排泄物とか訳の分からない事を言っているが、どうせ異世界だし、訳の分からないだらけなので、適当にうなずいておく。


「部屋の家具を壊したら、お前の母ちゃん見つけて請求してやるから気をつけるんだよ」

「ちなみにお風呂とかは?」

「本当に貴族の馬鹿垂れかい。こんな安宿にあると思ってるのかい? 井戸水だよ」


 ですよねー。


「話は終わりだよ」

「部屋の鍵を貰っていません」

「鍵なんかある訳ないだろう。内鍵だけだよ。二〇二号室、さっさと行きな」


 おばあさんは手を振って、強制的に話を終わらせた。


 カウンターを通り越して、階段を上がる。

 壁に設置してある蝋燭が少なく、足を踏み外しそうだ。

 二階に上がると右手側に部屋へ通じるドアがある。左手は吹き抜けになっており、食堂が見渡せた。どの机にもお客で埋まっていて、ガヤガヤとうるさく食事をしている。

 食事風景を見ながら、奥から二つ目の部屋へ向かう。部屋の扉に部屋番号らしき文字が書かれているがまったく読めない。

 ドアを開けると、部屋の中は真っ暗だった。

 おばあさんから買った蝋燭を取り出し、廊下を照らしている蝋燭の炎から火を移し、再度、部屋に入る。

 溜息が出るくらい何もない。簡素な木製のベッドが一つと小さな丸机のみ。椅子はない。床に汚れた瓶が置いてある。この瓶、ゴミ入れかな?

 予想通り、タオルや歯ブラシ、石鹸といったアメニティグッズは存在しない。

 部屋の鍵は、ドアと隙間に木材をはめ込むかんぬきだった。

 机の上に蝋燭を立てる燭台があったので、手に持っていた蝋燭を突き刺した。

 ベッドを見る。

 マットレスや枕はなく、縫い目の粗いシーツが二枚あるだけ。黄色く変色しているシーツ。宿の状況を考え、洗濯や日干しに期待できない。

 ダニがいるかもしれないので、シーツを手に取り、バサバサと埃を落としてから元へ戻した。

 ベッドに腰を落とし、革靴を脱ぎ、足をプラプラさせる。

 足が棒のように痛い。豆になっている所もある。

 運動も勉強も平均の現実の私なら、教会からこの安宿まで余裕で歩けたはずだ。

 それなのにとても疲れた。

 クッション性のない革靴が悪いのか、今の体が弱いのか? この筋肉が見掛け倒しな気がしてきた。


 やる事がないので、食事にしよう。

 獣臭い蝋燭を消して、一階の食堂へやってきた。

 薄暗い食堂。床は食べ物のカスや飲み物のシミで酷い状況だ。

 お店の犬だろうか、床に落ちている残飯をバクバクと食べ歩きしている。

 テーブルは全て埋まっている。カウンターは誰も座っていない。

 選択は一択、素直にカウンターへ座ると奥からガタイの良い爽やかな中年の男性が現れた。

 髪の毛フサフサで、何だか負けた気がする。


「見ない顔だな。うちはこの辺で人気の飯屋だ。期待していいぞ。それで、何にする?」


 メニューらしき物がないか辺りを見回すが、それらしいものはない。あっても読めないけど……。


「何があります?」と聞くと、「定番の料理なら、一通り出来るぞ」と返ってきた。

 異世界人の私に定番の料理なんか分からないので、無難に「お任せを」と頼んだ。


「飲み物は?」

「何があります?」

「エールとワイン、蜂蜜酒もある。ワインがお勧めだ」

「未成年なんでお酒はちょっと……」

「かっかっかっ、その面で未成年なんて笑かしてくれる。お前さんが未成年なら俺も未成年だ。堂々と母ちゃんのおっぱいが飲めそうだ」


 この人、受付のおばあさんの息子さん!? さっきの冗談じゃなかったの!?


「み、水でよろしく」

「水だぁ? ワインもエールも水みたいなものだが……いや、ワインは水で薄めてるな……まぁ、いいか。料理含めて小銅貨四枚」


 革袋からお金を渡すと、「ちょっと待ってな」とおじさんが奥へ消えていった。

 騒がしい店内の中、皆、美味しそうに食事をしている。

 初の異世界料理だ。下町の安宿の食堂とはいえ、ちょっと期待する。


「ほれ水だ。馬用の桶水じゃないから安心しろ」


 おじさんが現れ、木のグラスを置く。

 この水、若干茶色く濁っているんですけど……。

 木のグラスだからそう見える訳ではない。

 たぶん井戸水だろうけど、飲んで良いのかな? 変な病気にかからない? 状況によっては井戸水に大腸菌が繁殖していると聞くが……。


「お、おじさん、申し訳ないけど、お湯と交換してくれない?」

「おっさんにおじさんと言われると変な感じだな。それにしてもお湯? どうして?」

「えーと……その……そう、お腹の調子が悪くて……お湯が飲みたいんだよ」

「お湯を飲むと、腹痛が治るのか?」

「治る、凄く治る。そういう体質なんだ」

「ふーん、お湯なら料理用にあるから別にいいぜ。ちょっと、待ってな」

「ガンガンに沸かした熱々のお湯でお願い」


 空気の読める私。水が汚く、病気になりそうとは言えず、適当にごまかして、煮沸消毒の水を頼むのに成功。火を通せば、飲めるでしょう。


 しばらくすると料理とお湯が運ばれてきた。

 豆と肉の煮込みスープ、黒いパン二枚、チーズ一切れ、ドライフルーツ少し、そして、お湯。以上、安いのか高いのか分からない料理だ。


 まずは無難にパンを試食。

 どういう事でしょう? んぎぃーーと奥歯を噛みしめて引っ張るが千切れ

ない。

 何て硬さなの!? レンガなの!? 昔のパンは日持ちさせるためにカチカチに焼くと聞いたことがあるが、これは嫌がらせのレベルだ。

 歯を使ってようやく千切れた。ボソボソとして、小麦の風味はしない。

 チーズを食べてみる。鼻に突く独特の香りで頭がクラっとする。個性爆発の香りが鼻に残り、鼻呼吸から口呼吸へシフトしなければいけない。何の動物の乳を使っているのか分からない、自己主張の塊のようなチーズだ。


「こ、個性的なチーズですね。何のチーズなんですか」


 給士から戻ってきたおじさんに聞いてみた。


「これはベアボアの乳から作ったチーズだ。この辺では一般的なチーズだよ。気に入ったら、その辺の食品屋で買っていってくれ」


 親切に教えてくれたけどベアボアって何? 異世界動物?


 気を取り直して、スープに挑戦。


 これ、やばそう。


 木のスプーンで中身を確認すると、豆とモツのドロドロスープだった。

 震える手で一匙ひとさじすくい、恐る恐る口に運ぶ。


 うぐぅぅ……


 お口の中、犬小屋。雨の日の犬小屋が口の中に広がる。

 異常な獣臭。

 食べやすいといわれる鹿肉のジビエ料理でも駄目な私にとって、この料理はまさに『悪臭爆弾のメリーゴーランド』やぁー。

 今まで食べたパンとチーズが「ただいま」しないようにお湯で流し込む。

 口直しにパンをモソモソさせていると、「口に合わなかったか?」と心配そうにおじさんが尋ねてきた。


「想像を超えた味で驚いていたんです。凄く個性的ですね」


 相手を傷付けないように言葉を選ぶ。私は、相手を思いやる事の出来る日本人なのだ。

 良いように捉えたおじさんは嬉しそうに、「この店の人気料理だ」と言った。

 私は居た堪れなくて目を逸らす。

 胃も重いが、気分も重い。

 腕白考古学者御一行が、インドへ行ってビックリ料理を食べさせられている気分だ。


「こ、このスープの肉は何を使っているんです?」


 気分を変えるため、疑問に思った事を尋ねてみたら「ベアボアだ」と返ってきた。

 出た! 異世界動物ベアボア! チーズだけでなくスープまで私の口を犯しにくるか!?


「ベアボアってどんな生き物?」

「ん? 見た事ないか? ずんぐりむっくりの姿で、毛の長い猪。牙が異様に長い。この辺では馬の代わりに荷車を引いている」

「猪!? 危なくない!?」

「猪よりも一回り大きいが、性格は温厚。野生のベアボアは草しか食わない」


 なんとなくバッファローをイメージしてしまう。


「まぁ、繁殖期は気性が荒くなって人を襲う事もあるそうだ。詳しく知りたければ、冒険者ギルドで聞いてくれ。魔物だしな」

「魔物なの!? 魔物食って大丈夫!?」

「お前さんの出身地では、魔物食わないのか?」

「食わない。牛、鶏、豚が主食だった」

「牛や鶏は別にして、豚は値段が上がるからな……魔物肉の方が安い。それに尽きる」


 魔物肉か……ますます食べる気がしない。


「種類にもよるが、今まで魔物肉を食って、食中毒になった話は聞かない。逆に魔力が高まって魔術師になれるんじゃねーかな。知らんけど」

 

 かっかっかっと笑って、おじさんは給仕へ行ってしまった。

 魔物、魔力、冒険者と心躍る単語が出てきた。やっぱり、異世界ファンタジーの世界へ来てしまったと改めて思った。


 出された物は全て食べる勿体ない精神の日本人である私は、目の前に難攻不落の極臭スープへと再度攻略する。

 まず、お口直しにドライフルーツを食べる。

 うん、これは普通に美味しい。普通というと馬鹿にした感じだが、ベアボア料理を食べた後では、最上級の褒め言葉だ。普通が一番。

 木のスプーンを取り、豆だけを取り出し、余計な汁を除いて、食べる。

 うん、ギリ食べられる。

 そして、口直しにドライフルーツやパンを食べる。

 豆食べて、口直し、豆食べて、口直しと交互に進めて、ようやく完食。もとい、豆だけ完食。

 ……もういいよね。


 スープと格闘していると、後ろから怒声が聞こえた。

 後ろを振り向くと、倒れた机の前で、二人の男が胸倉を掴んで殴り合っている。その周りにいる連中は、手を叩いたり、掛け声をかけたりして、はやし立てていた。

 ひぃー、本当の喧嘩だよ。怖い。


「あの馬鹿共!」


 おじさんが奥から出て来て、カウンターの下から歪な形をした木の棒を持って、喧嘩中の男たちへ向かっていった。

 私は怖いので、前を向いて、巻き込まれないように気配を消す。

 私は空気、私は空気、私はステルスおじさん。


「毎度毎度、暴れやがって! 喧嘩は酒のつまみじゃねえぞっ!」


 爽やかそうなおじさんの怒鳴り声と殴る音、物が壊れる音を後ろから聞こえる。

 爽やかおじさんは、キレると怖い人に変貌するようだ。


 怖い怖いと震えていると、別の震えが襲ってきた。

 やばい、非常にやばい!

 幽霊ホテルで斧を振り回すおっさん並にやばい!

 今まで黙っていたが、私の体の一部がずっと異常を訴えていたのだ。


 ううぅ、トイレ行きたい。


 気のせいと無視していたり、思い込みと言い聞かせて先送りしていたが、もう限界だ。

 トイレぐらいさっさと行けばいいと思うだろう。

 だが、思い出してほしい。

 外面はハゲのおっさんだけど、中身は現役の女子高生だ。異性と手を繋ぐだけで赤面してしまうお年頃。

 そんな状況の私にトイレに行くということは、自分の下半身の異物をあれして何してそれして……うわー、皆まで言わせるな!


「ふー、ようやく収まったぜ。騒がしく……って、顔真っ青だぞ、大丈夫か?」


 喧嘩を仲裁しに行ったおじさんが戻ってきた。

 手に握っている棒に、点々と赤いのが付いている。

 おじさん、何したの!? 

 そんなおじさんの姿を見て、少し尿意が収まる。


「お、お花を摘みに行きたくて……」

「花? 裕福地区にしか花屋はないぞ」

「いや、トイレ……は通じないか。化粧室、手洗い場、厠、便所……」

「便所? うんこしたいのか?」

「小さい方です」

「小便なら外へ出て適当にするか、部屋のおまるでするんだな」


 おまる?

 床に置いてあった瓶の事か!


「飯を食わないなら、床に置いといてくれ。犬が食う」


 そう言って、おじさんは奥へと行ってしまった。


 残ったスープを床に置いた私は、ダムが決壊しないようにゆっくりゆっくりと部屋へ戻った。


 その後、羞恥心や背徳感による心の葛藤を経て、危機を乗り越えるのであった。


 細かい描写は私の心の奥底へ隠しておく。

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