第62話 悪巧

1546年(天文15年)4月初旬 山城国 二条御所 三好長慶



「クククッ。間もなく、越後より【神童】などと呼ばれ調子に乗った、小僧がやって参りますな。」


「田舎者が、此処が死地とも知らずに、浮かれてやって来るとは、哀れですな。」


「田舎武者が、少し調子に乗り過ぎた。そろそろ削っておかねばなるまいて。」


ふん。醜悪な者達が揃って悪巧みか。

俺もその醜悪な者共の一人と考えると、正直遣る瀬無い気になるな。

そもそもが、今話している3人、我が主君・細川晴元、本願寺第10世法主・証如、そして室町幕府第12代将軍・足利 義晴、此奴等は我が父元長の仇、我が三好家の仇敵だ。

本来なら、今すぐにでも縊り殺してやりたいぐらいである。

しかしこの乱世、家を護る為には堪えねばならん。


「戦上手の、筑前の意見も聞いてみたいものよの。」


おっと、此奴等に内心を知られる訳にはいかん。話を合わせておかねばな。


「はっ!此度の謀、流石は大樹様としか申し上げられませぬ。この策ならば必ずや越後勢を打ち破る事が叶うかと。」


実際の所は多くの懸念は有るものの、此度の策は俺から見ても中々良く出来ていると言わざる得ない。

敵である長尾家は強大だ。その動員兵力は優に10万を超えるという。

正攻法では、長尾家を潰すのは難しい。

そこで考えたのが、畿内の戦乱の平定の御内書を公方から長尾家に出させ、そして京にやって来た所を賊軍として殲滅する。

既に近隣や、遠方の多くの大名家へ公方から長尾家討伐の御内書が出されている。


既に、現在争っている討伐対象となる細川氏綱とも内々で話はついている。

未だ、正式な和睦を結ばぬのは長尾勢を京に氏綱討伐へ呼び寄せる為である。

その氏綱との戦の最中、氏綱勢と対峙する長尾勢を我等幕府勢が背後より急襲する手筈、戦の最中に味方に背後から急襲されれば、如何に神童といえど対処は出来まい。

この裏切りに、本国と遠く離れたこの畿内で長尾勢は為す術なく殲滅される事となるだろう。

胸糞の悪くなる様な、卑劣な策である。

その策を巡らしているのが、不本意ながらも現在の俺の主君となる細川晴元、猜疑心の強い小物で有るが、名門・細川京兆家の当主だ。事実上の畿内の支配者と言って良い。

そしてその策に積極的に協力しているのが、現公方・足利 義晴だ。

足利家は元々強大な勢力の存在を認めない家だ。急成長する長尾家に危機感を覚えたのであろうが、愚かな事だ。そんな事をしているから足利の威信は揺らぎ天下は荒れる。

そして長年、細川京兆家の家督を巡って争って来た晴元と氏綱、その仇敵同士を和睦させたのは、此処に居る糞坊主証如だ。

一見すると、人の良さそうな顔をしておるが、虚言を弄して民を誑かす、その政治力は侮れん。こ奴の一声で忽ち数万の民が立ち上がり、死を恐れぬ狂兵となるのだ。

その狂兵に我が父も敗れた。


この悪辣な謀は、この3人に寄って練られている


長尾家がのこのこと京に入れば、忽ち周囲は敵だらけとなるだろう。

いかに、精強で知られる長尾勢といえど苦戦は免れまい。


越後の神童の噂は俺の耳にも届いている。

その噂を聞くに内政、軍事その手腕はとても同じ人とは思えぬ程の、稀代の傑物である。その歳も未だ16歳という。


正直此処で散るには惜しい⋯出来る事ならこの危地を生き延びて欲しいものだが。




1546年(天文15年)4月中旬 越後国 春日山城




「なに!?それは、確かな話なのか?」


「はっ!先日二条御所にて公方様、細川晴元、本願寺証如が密会致しておるのを、某の配下が確認致しておれます。」


「うむ。上洛の近いこの時期、何やらきな臭い話ですな、殿。」


参謀局長山本勘助の問い掛けに、答えているのは服部保長、先祖代々伊賀で忍の頭領を務める一族で、あの有名な初代服部半蔵だと俺は思っている。一族を引き連れ伊賀を出て、室町幕府12代将軍・足利義晴に仕えていのだが、金払いが悪く人使いの荒い義晴に愛想を尽かし、次は三河の松平氏に仕えていたそうだ。

その松平氏も「森山崩れ」を境に一気に衰退した為に、当時伸長していた長尾家に一族と共に仕官して来た男だ。現在は諜報局の八忍と呼ばれる忍頭の一人として畿内の諜報、情報収集を担当する重責を担っている。


「それだけでは御座いませぬ。公方様の使者が各地の大名家に送られております。確認の取れた大名家は、近江・六角、伊勢・北畠、河内・畠山、丹波・波多野、若狭・武田、丹後・一色、美濃・斎藤、尾張・織田、越前・朝倉、能登・畠山、駿河・今川、関東の佐竹、里見等、複数に及んでおりまする。」


「それはまた、当家は周囲を囲まれる形となりますな。」


「しかし、現状では当家への敵対を表明している訳では無いのが、また厄介ですな。此方から攻め込む事も出来ませぬ。」


「これは、上洛処では御座いませぬな。一度再考すべきかと。」


「上洛を取り止めたら取り止めたで、それを理由に長尾家を賊軍として討伐する。その名分に使われかねんぞ。」


今この場に居るのは、嫁達に上杉君、勘助、宇佐美定満に加えて、大殿、宗滴、五島平八、北条氏康、武田晴信の越後五軍長という錚々たる顔触れだ。


そんな大物達が何時もにまして、深刻な表情で話し合っている。


確かに、仮に今報告にあった全ての家が長尾家と敵対すると云うなら、長尾家は周囲を囲まれる危機的状況となる。

正に、長尾包囲網だな。

まあ、この状況では、勘助、上杉君、定満、氏康等の発言は常識的と言える。


しかしだ⋯


「私は、其処まで危惧する必要は無いかと考えますが、畿内と遠く関東、北陸との連携が上手く行くとはとても思えませぬ。」


おっ、流石は諏訪ちゃん良く判っていらっしゃる。史実でも信長包囲網はマトモに機能しなかったからな。

この通信手段が乏しい時代では、遠距離の連絡手段は限られる。緻密な連携等不可能だ。各個撃破がオチだな。


「見方によれば、敵対する家を潰す良い機会となるやもしれませぬな。」


「戦には勝てるでしょう。しかし、賊軍扱いされるのは、気持ち良いものでは無いですね。」


諏訪ちゃん、晴信、千代は楽観論だな。

戦に負ける気は全く無いらしい。


そして、


「ガハハハハッ。楽しくなりそうではないか!」


「ファハハハ。踏み潰せば良いだけですぞ!」


「向かって来るなら、纏めてヤッてしまおうぜ大将!」


「新様、此度の戦も一番槍は私にお任せくださいませ!」


大殿、宗滴、平八、それに美雪こいつらは、判ってはいたが脳筋オラオラ系だな。

ジジイ共などは、特にご機嫌である。

そもそも宗滴よ、『実家の朝倉家と戦になるかも』と云うのに、いいのか?

宗滴が気にしないなら、別にいいけどさ。


それにしても足利将軍家にも困ったものだ。やってることはいつも変わらない。

最も強い力を持つ大名を、周囲の大名の力を利用して倒す。

そんな事だから、何時までも戦乱が続く。

やはり、この戦乱の時代の元凶はこの足利幕府を中心とした畿内の旧体制だろう。

史実では、その旧体制を三好長慶が衰退させ、信長がトドメを差した。

信長が、割とあっさりと畿内を制圧出来たのは長慶が先に畿内で地盤を固め、旧体制の勢力を削いでいたお陰だ。俺はそう考えている。

現状は衰えたとはいえ、幕府の権威は依然として存在している。

実際の所此度の長尾包囲網にどれだけの大名家が加わるかは、まだ判らんが、俺は相当数の大名家がそれに加わると思っている。

それだけ、幕府に敵視され賊軍とされる事実は重い。

それに、このまま何もしなければ長尾家の天下は確定的だ。

これが最後のチャンスだと思う者達も出てくるだろう。


さて、厄介な事と成りそうでは有るが、どうしたものか。


此度は、『上洛を取り止める』そして周囲を固め周辺国へ睨みを利かせれば、今の長尾家がそう簡単に揺らぐ事は無いだろう。


しかし、氏康が言うように、上洛を取り止めると公方の上洛要請を無視した形となる。既に公に上洛を発表している以上、取り止めを理由に賊軍として討伐対象となる可能性も否定は出来んな。

長尾領は豊かだ、それに乗る者達も出てくるだろう。

足利ならやりかねん。


少々面倒ではあるが


この機会に足利には⋯


「此度の上洛、予定通り行う事とする。この上洛は、多くの困難に見舞われるものとなろうが、長尾家の名を天下に知らしめるものとなるだろう!各々準備を怠るでないぞ!」


一瞬の静寂の後に、この場が高揚に包まれた。


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