第29話 終結
1543年(天文12年)8月中旬 信濃国 川中島
「お主は、真にやる事がえげつないな。」
「然り・・・殿を敵に回さんで良かったと心より思いますのじゃ。」
「俺としては楽出来ていいけどな!」
長尾家が誇る4軍長、長尾為影、朝倉宗滴、古賀京志郎の御言葉である、因みに4軍長の残る一人五島平八は、水軍を率いて糸魚川に戻りそこから糸魚川の鈴木重家と合流し兵7千と共に千石街道を南下し小笠原家に圧力をかけている所だ。
俺が善光寺に陣を張って10日余りが過ぎた、この川中島に馳せ参じる信濃国衆の数は減るどころか増え続けている既に我が軍の兵数は三万処か既に4万に至っているのではなかろうか?
いやひっきりなしにやって来る信濃の国人衆の御蔭で既に正確な数がこちらでも把握できなくなってきているのだ、馳せ参じてきた信濃衆達には取り敢えずは近隣住民への狼藉だけは働かない様に言い聞かせて現状は放置だ、こちらとしては思った以上に集まった兵の対応に春日山より追加の兵糧を運ばせる等の対応を迫られたが
まぁ些細な事だ
集まった信濃衆の中には二木重高(ふたつぎしげたか)溝口長友(みぞぐちながとも)犬甘政徳(いぬかいまさのり)等の小笠原家の有力家臣に加え須田満国、清野 信秀(きよの のぶひで)等の村上家の有力家臣迄含まれていた
そんな両家でも重きをなした家臣迄もが最早小笠原家や村上家を見放し始めた
既に両家の命運は尽きていると云っていい
既に両家から詫びの使者や降伏の使者も来ているがやはり領地を手放す事には抵抗が有るようで領地を手放す事には同意しなかったので使者を突き返しておいた
やはりこの時代武士にとって先祖伝来の領地と云うのは自分の命に代えても護る物だ、と考えておる者が多いというか殆どの武士達はそう考えているのだろうな
現に此処まで追い込まれても小笠原家やや村上家は城に立て籠もり抵抗の構えを崩さない、まぁ先祖伝来守り続けて来た土地をそう簡単に手放す事ができないという気持ちは判らんでもないが、俺の目標は
日本に強力な中央集権国家国家を打ち立てていく
事だいつまでも地方に反乱勢力となりかねん軍事組織を残しておくことは出来ん
しかし今回此処に馳せ参じて来た信濃衆は割とあっさりと土地の返上に応じて俺の直臣になり銭で雇われることに納得している
信濃は纏まった統一勢力が存在せず中小の国人衆が入り乱れる、乱世の縮図の様な状況だ当然小さな国人衆も多い
そんな小さな国人衆にとっては家の直臣になるのは経済的にも強者の庇護を受ける上でも魅力的なのだろう
家は小隊長でも年収にすると100貫(1000万)程だ、例え先祖伝来の土地を失ったとしても魅力的に見えるのだろうな
対して小笠原は7万石村上は10万石小国人衆に比べれば十分大身といえる、家は最高位となる軍長でも年収は1000貫(一億円)だ、大身の身としてはそれ程魅力に映らんか・・・・
うん・・・・・少し制度を変えるか
軍長達もそれが最高位となればこれ以上年収は上がらない、手柄を上げた時の褒美をどうしようかと思っていた所でもある
褒美として土地を与えるか、といっても軍権は渡す心算は無い
例えば1万石の土地を褒美として与えるとする
1万石の土地では現状5000貫(5億円)分の価値の米が採れる、家は4公6民を基本とするから民の採り分を引けば一万石の土地から得られる収入は2000貫(2億円)程となる、その2000貫のうち半分を褒美を与えた者の収入とする、残りは家が貰う税の取り立てから土地の防衛、治水等の内政まで家が行うのだ当然だ
要は与え当た土地は土地の米収入の内の6割が民、2割が公、残る2割が与えられた者の者となる、1万石で約1000貫(1億円)の収入となる
これなら土地の管理は家がやるから当然軍権など存在しない、与えられた方としても煩わしい政務や税務から解放され周辺の脅威から解放されるし軍備も整えずに済む
但しこの褒美の期間は有限にしておく、5~10年位が妥当なとこるかと思うが効果が薄いか、1代限りとするか迷う
大殿や勘助達と少し相談してみるか
大身の家も多少の土地を俸地として与える事を約束すれば
多少は降り易くなるのではないか?
「ん?またなんぞ悪巧みでもしておる様な悪い顔をしておるな。」
「また御冗談を大殿、この穢れ無き私が悪巧みなぞ企んだことなど御座いません。」
「フッ、どの口が言うモノやら。」
あ、この野郎鼻で笑いやがった・・・あんた程悪人顔じゃねぇよ!
「フフフ、しかし殿よそろそろ頃合いで有ろうよ、して何処まで進む積りかの?」
其処なんだよな・・・
宗滴の質問の意図は『信濃を何処まで獲るのか?』と言う事だ
当初の予定では高梨、小笠原、村上の勢力圏である北信濃地域高井郡、水内郡(みのちぐん)安曇郡(あずみぐん)更級郡(さらしなぐん)等の北信地域の制圧で留める心算だったんだよ、今回の越後の乱で越後の大半と庄内それに北信濃まで手に入れそうな状況だよ?
取り敢えずこれ以上領地を増やすと俺と政務局の連中がパンクする
それが俺が信濃に侵攻しこの善光寺に陣を張っている間に、甲斐に隣接する諏訪郡や、駿河、遠江、三河と隣接する伊那郡、美濃と接する木曽や筑摩郡(つかまぐん)といった南信濃の国人衆までも俺に恭順の意を示して馳せ参じている状況だ。
有り難い話なのだが・・正直想定外だ
どうしてこうなった?
うん、まぁ俺の調略として流した噂が効きすぎたんだろうなぁ
既に南信濃有力国衆である、諏訪の諏訪頼重や木曽の木曽義康までが家に臣従を求める状況だ、おそらく全信濃の制圧は容易い
取り敢えず内政の事は置くとして、信濃全土を掌握する事によって甲斐の武田駿河の今川、美濃の斎藤と新たに接する事となる長尾家による信濃制圧は間違い無くそれらの勢力を刺激する
近隣に巨大な勢力が現れればどこも警戒するのは当然だ
本来で有ればこの時期には既に信玄による信濃侵攻が始まっていた、諏訪頼重などは既に自刃していたはずだ
何故武田による信濃侵攻が起きていないのか?
それは俺が調略にて甲斐の武田を割った為だ現状今甲斐は酷い事になっている、信虎と晴信親子による壮絶な内乱の最中であるとても外に眼を向ける余裕は無い
しかしいつ甲斐の内乱が終わるかは判らん
武田家の信濃への入り口は諏訪だ、出来る事なら塞いでおきたいが・・・
「おい!いつまで迷っておるのだ?この乱世旨そうなものが落ちていて食わぬ者なぞおらんぞ、食える時食っておかねば後悔するぞ。」
・・・・・そうだな、大殿の言う通りだ
信濃を領有する事はデメリットも有るがメリットも大きい信濃は越後、越中と変わらぬ大国だ主要街道も多く走る交通の要衝であるしその石高は40万石程にもなる、信濃を制すれば長尾家の石高は130万石を優に超える日ノ本で一二を争う大大名となるだろう
うん、獲るか信濃
「大殿、信濃を獲って内政で苦労するのは私や景綱なんですけど・・・・」
「ガハハハッ、そんな事儂の知った事ではないわ!後で考えれば良いではないか。」
無責任な事いいやがって!
よし帰ったら大殿にも少し内政の仕事を振ってやろう
うん、そうしよう
こうして俺は信濃全域の制圧を決めた
大殿に兵1万を率いて筑摩郡へ侵攻して貰い
平八と共に小笠原領の制圧を勧めて貰う
大殿だけでは暴走が心配だったのでスットッパ-役として勘助に大殿の補助を任せる
「クククク、任せて置くが良いぞ!」
「・・承りました。」
一瞬であったが勘助の表情に絶望が浮かんだのが見えた
うん・・・苦労掛けるけど頼んだ勘助
そして古賀京志郎に兵1万を与え上野の国境となる佐久郡の制圧を任せる
俺と宗滴は先ずは村上領の制圧を目指す、その後諏訪、伊那方面へ侵攻する積りだ
雪が降る前に信濃を獲る
1543年(天文12年)9月中旬 信濃国 高遠城
俺が信濃に入ってから間もなく2月となる、その侵攻は想像以上に順調である、小笠原と村上にはそれぞれ信濃に1万石を俸地として与え得る事で納得し開城し小笠原 長時、村上 義清は大隊長待遇で当家に迎え入れる事となった、特に義清には信玄を2度も撃退した戦上手だ活躍を期待している
その後南信濃に入り諏訪、筑摩、伊那に侵攻したのだがその何れでも大きな抵抗は無かったそりゃ、殆どの国人衆が家に参陣してるんだから抵抗する者はおらんよな
民心も平穏で有り田畑を耕す農民達が我が軍の兵士に手を振って居たり
長尾軍が通るとそれを見ようと見物に集まる様な始末だった
やっぱり日頃の行いは大事だよね
家は略奪や強盗などを行った者は即死罪だ
その辺りは参陣した信濃衆達にも厳しく伝えた
どうやら平穏無事に信濃を平定できそうである
まぁそりゃそうなるなんせ反抗勢力と為り得る信濃衆は挙って恭順の意を示して参陣しているのだ
今や我が軍は五万を超えた
なんと段蔵に流させた噂と同数に膨れあっがっているのだ
俺もビックリだよ
今回特例として甲斐と接する諏訪郡を領する諏訪頼重と、美濃と接する木曽郡の木曾義康にはそのまま領地の領有を認めた、長尾家は急激に大きくなり過ぎた暫くは内政に努めたい武田や美濃を無駄に刺激したくないのよ
この信濃平定の終わる頃には最早最後の反乱勢力となっていた
上田長尾家当主長尾房長も
領地を返上し俺の旗下に降る事に同意しと坂戸城を開城した
この上田長尾家の降伏により1年3カ月もの間続いた越後の乱は終結した
ほんと長かった
これで少しはのんびりしたい所ではあるんだが・・・無理だろうなぁ
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解説
戦国時代の貨幣価値については諸説ありますが1文で現代の貨幣価値で大体80円から120円ぐらいと言われています。拙作では分かり易く1文100円の設定です。
1 貫=1,000 文ですので、 の1 貫価値は約 10万円となります。
1 貫=2 石と設定してますので1石の価値は5万円となります、そうすると1万石の大名で米相場次第となりますが大体5億円分の価値の米が採れたことになります、税率が5公5民とすると大名の収入は半分の2億5千万、そこから兵士や文官、召使等の人件費を捻出した上城の整備や城下町の改修、開墾や河川改修用水の整備などの諸費用を引かれるとすると大名にはいくら位残ったんでしょうね?
例えば兵士や文官等を100人雇っていたとすると人件費を1人年収300万と考えてみても300万×100=3億となります、人件費だけで-5000万円です
最も新次郎みたいに商売して米以外の収入が有れば別なんでしょうけどね
江戸時代の大名も米収入だけでは随分と苦しかったと思います
※これにて越後の乱は終了で御座います、此処まで読んで頂いた方ありがとうございました。
暫くは内政、外交、そして世界進出を目指したお話になるかと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
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