第28話 勉強会

1543年(天文12年)7月上旬 越後国 新発田城



「近隣より略奪すればよろしいかと。」


「近隣より攫った者を売り、その銭で政を行いまする。」


「商人より段銭を徴収致します。」


「何処かより銭を借り受けまする。」



 昨日の授業の課題『どうすれば日ノ本は豊かになるか?』その課題に対する揚北衆及び国人衆の面々新発田君、黒田君、中条君、色部君が自慢気に答えた回答がこれである。


思わず天を仰いだ・・・・・ん、あの天板腐ってんじゃねぇか、直さないと・・


と思わず現実から逃避したくなる様な回答が帰って来た


マジで言ってんのか?


いや・・・考えて見ればこの時代の倫理観なんてそんなもんか


こんなんだからいつまでたっても乱世なんだよ!


 それと黒田君人攫いはアカン、君適正に開拓とか持ってるし将来、蝦夷か樺太辺りで開拓頑張って貰おうか、それとも現地人とトラブル起こしそうだから人の居ないシベリアやアラスカの方がいいか?


 現に略奪云々人攫い云々と答えた新発田君、黒田君の近隣の方々である加地君、黒川君、竹俣君、小国君辺りがご立腹だ


「面白いやってみるが良いわ!返り討ちにしてやろうぞ!」


「ふん!先に我等がお主の城を攻め立ててやるわ!」


「貴様如き小心者にそんな度胸あるまい!先だって戦でも真っ先に逃げ出しおったのぅ!」


「面白い!表に出ろやぁ!」


眼前に戦国乱世の小さな縮図と言っても良い光景が現れている

うん、戦争ってこうやって起こるんだろうなぁ


帯刀してたりゃこりゃ切り合いになってたかもな・・・

今日のテーマは内政よ?


うんやっぱこいつらに土地は預けられんわ

預けて置いたらいつまでたっても乱世は終わらん



「者共静まれえぃ!!我師が呆れておろうが!!」


こんな混沌とした乱時を沈めたのは、なんと上杉君だ、中々の迫力の一喝で騒がしかった国人衆を静かにした


「・・・・むぅ。これは失礼しました守護様。」


「某とした事がとんだ失礼を・・」


「申し訳ございませぬ守護様」


 騒いでいた新発田君達が謝っている、こんな猛獣の様な奴等を従えるとは、やはりこの時代の権威と云うのは未だ侮れんな

一応此処にいる面子の中で一番位が高いのは上杉君だ

 なんと言っても越後守護って越後で一番偉い人なんだよ、名目上では長尾家は上杉家の代官の一人に過ぎない


「うむ気を付けるがよい。師よ失礼仕った。さぁ続きを頼みまする。」


そんな上杉君の回答は


「商業を振興致しまする。」


 具体的な事例を上げれなかったのはマイナスだが略奪やら人攫い云々言ってる連中に比べれば万倍マシである


「はい。上杉君良い回答です、商いを振興するには何が必要と思いますか?」


「むむ・・・・・街道の整備や関の撤廃でしょうか?」


「おぉ!正解です。上杉君凄いですね。」


「いやぁそれ程でも、実は昨日あれから山本殿に師の施策を色々話して貰いましてなそれを参考にしただけで御座います。」


褒められて照れるオッサンの図だが、中々熱心なおっさんだ、それに地頭はやはり悪く無い


「それに加え誰でも自由に商いが出来る様にする事が肝要かと。」



「おぉ!商人の頭数を増やすと云う訳ですな、しかしそれは座とそれを支援する公家や坊主共と揉めることになりませぬか?」


 座と云うのは公家や寺社に銭を納めてその保護を受け仲間同士で結束し独占的に商品の仕入れや販売を行う組織で組合に属していない者や、新しく商売を始めようとする者に対しては座の仲間が結託して商売を妨害している現代で云う既得権益を有している組織の事である


現代なら独占禁止法やら談合で即逮捕組織だな


この座と云うのがこの時代の商業の発展の大きな障害となっている


 信長の行った楽市楽座と云うのは【楽市】にて自由な商売を認め【楽座】にて座による商売の独占を否定したものだ


まぁ家の実家の蔵田家も越後青苧(あおそ)座の元締めだがな、そのバックは長尾家である


 家の場合はもう直ぐ越後青苧座はもう直ぐ解散予定だけどな、今俺が勧めている養蚕業や毛織物業が発展していけば何れ越後の青苧を使った越後上布は衰退する、親父殿にはその辺りは説明して絹や毛織物産業への参入を勧めて置いた、今や絹や毛織物の販売で青苧以上の利益を挙げている親父殿はウハウハだ


「当然反発は有るでしょう、しかし当家に面と向かって物言える公家や寺社は居りますかな?」


「確かに・・・言えませぬな。」


既に越中、佐渡、飛騨、越後の大部分を有する長尾家は既に日ノ本でも有数の大大名になっている、現状うちより石高が高い大名って現状では三好と六角位か?九州の大友もでかいが家とおなじくらいじゃないかな


そんな家に物申せる公家など少ない、寺社なんかが言って来くるなら潰すまでだ



「後はしっかりとした法や、信用も必要です。」


「法に信用で御座いますか?」


「商売をする上での税率や秤の統一等の決まり事を予め法で決めて置くと新たに商い始める者は安心できるでしょう、信用とはこの家なら簡単に滅びぬだろうという安心、徳政令や段銭など不条理な法を行わないと言った信頼ですな。」


「うむぅ、さすが我師正に眼から鱗とはこの事、この定実感服致しましたぞ。」


 上杉君を初め皆に尊敬の眼差しを向けられるが、俺の言ってる事って誰かが成した事の2番煎じだからな、楽市楽座なんかも六角さん辺りが始めた事だしなんか心苦しい


 それからも産業振興の必要性、貨幣経済の重要性、貿易の利点デメリット等を丁寧に伝えて行った、そして講義終了後の怒涛の質問攻めをこなし内政編の抗議は終了となった


うん・・・熱心なのは良いのだが・・疲労は半端ない


 そして三日目の戦争編では補給の大切さ情報の重要性、防御陣地の構築法等を懇切丁寧に説明させて貰った

 なんせこの人達「補給は現地調達が基本だ!」って言うんだよ

補給の重要性と正確な情報の入手の必要性をくどい程言い聞かせて置いた


 四日目は外交編、五日目の治水編の終わる頃にはやっと梅雨も明けたようで徐々にだが信濃川の水もひき始めたので俺の講義もこの日で最後となった

 俺の講義は幸いにも好評を博し、部屋に入れない物が廊下にまで溢れたほどだ


次回の開催は何時か?

との問い合わせも複数寄せられたが


うん・・・・・疲れた、暫くはやらんぞ!


 まぁ成果は有った、今回参加してくれた連中にある程度俺の方針、理念、知識を伝える事が出来た事、それによって敵として戦った揚北衆等の相互理解が高まった事だ

今回戦った国衆達も殆どが土地を手放し俺の直臣となる事に合意してくれた、それは正直半分程の国人衆は越後を去ると思っていた俺にとっては嬉しい誤算だった


 後驚いた事に俺の講義を聞き終えた国人衆や家の者達の政治や知略、統率等の能力が大きく向上していたのだ、平均して1割程多い者は2割程上昇していた上杉君なんか当初み比べて政務は倍以上の数字となって、なんか覚醒してしまった感がある


 それだけ真剣に俺の講義を聞いていたという事なんだろう、なんか教え子の成長を見た様で嬉しいものだ



さて半ば忘れていたが未だ越後は戦時下なのだ

余りのんびりしている場合ではない


上田長尾家も残っているし北信濃連中にもヤキを入れてやらねばならん

大分足止めを喰らったがそろそろ越後の戦乱を終わらせるとしようか



1543年(天文12年)8月上旬 信濃国 川中島


 川中島、戦国時代を代表する英雄である上杉謙信と武田信玄が5度も相争った戦場として後世でも有名なこの地だが、付近には善光寺を初め戸隠神社や小菅神社、飯綱など修験道の聖地として独自の経済圏を形成している上此処より犀川沿いに大町道を西に往けば松本盆地、南には諏訪、甲府へと抜ける松代街道、北には越後へと至る善光寺街道が走る交通の要衝でもある、戦略的観点から見てもここ川中島から長尾家の居城春日山城は目と鼻の先と言っても良い位置に在る、この地を巡り謙信と信玄が血みどろ抗争を繰り返したのも理解できなくはない。


 そんな犀川が千曲川へ合流する地点から広がる川中島に近い善光寺に陣を張り今日で3日目となる。


 やっと信濃川の氾濫が治まり動けるようになった俺は、久し振りに居城である春日山城に戻った


出迎えた大殿には


「遅いわ!待ちくたびれたぞ!」


と叱られたがそんな事言われても知らん、信濃川に文句言えや!

と心中で思いながらもそんな事を大殿に言えるはずもない

素直に謝って置いた。


 春日山城に戻し兵を3日休め改めて兵の再編した後に長尾軍1万1千に揚北勢5千を加えた1万6千の兵を率い善光寺街道を信濃に向け南下した


 何故揚北勢がいるのかというとこの戦に限り銭で雇ったからだ、日当は一日100文(一万円)飯付きだ、今は農閑期で農民もそれ程忙しい時期ではないし、今回の越後の乱で俺は揚北衆を大分経済的に締め上げたからなその救済的な意味と

 後は軍事的示威行為が目的となる、要は数を揃えて敵により大きな圧力を与える事が目的だ


 それが可能であれば動員できる最大にて敵を攻める、中途半端な兵を送って籠城や決戦に挑まれても詰まらんからな敵勢に『これはアカン』と抵抗を諦めさせる

それが一番人的、経済的損失が少ない敵勢も家に急吸収予定なのだなるべく減らしたくない


 この軍勢に新たに俺に恭順の意を示した大熊 朝秀、山本寺 定長等上越地域の国人衆達も加わり信濃の国境を超える頃にはその軍勢は2万を超えた

 糸魚川からも五島新八と鈴木重家に命じて兵7千で小笠原領への進軍を命じて有る


 更には信濃を越えた所で飯山城の抑えとして置いておいた古賀京志郎率いる4千と合流長尾軍は2万5千の大軍となった


 その行軍は比較的緩やかなものだ、まぁ示威行為だからなじっくり敵に見せ付けてやらねばならん、おまけに段蔵に命じて今回の進軍の様子を広めさせている


『越後の神童が5万の大軍を率いて信濃に攻め込んだそうだ!その旗下には戦鬼長尾為影、名将朝倉宗滴、風神古賀京志郎信濃勢では勝てるわけがねぇ。』


 具体的にはこんな感じだ、京志郎の綽名なんか聞いた事も無かったので適当に強そうなのを付けただけだが本人も気にってるみたいだし良いだろ、兵数は実数の倍ぐらいだがこの時代だとそんなもんだろ、正確な情報媒体も無いこの時代ならば言ったもん勝ちだな


 この大軍効果は直ぐに出た、京志郎と合流して暫くして高梨 政頼より降伏の使者が届いた高梨家は精々が3万石程国人衆としては大きいが大名というには小さい位の身代でしかないとてもこの兵数相手に戦え無いだろう、結構前から詫び状と臣従を望む書状が届いていたが、独立性は保ちたかった様で領地の差出には応じなかったので無視して置いたのだが流石に此処まで追い詰められて決心したらしい


 高梨家の他にも栗田氏や市河氏、屋代、小田切、島津等中小の国人衆も次々に恭順の意を示し参陣しこの善光寺に着陣する頃には俺が率いるその軍勢は三万に届く程にまできていた


いやいや、ほんと数の力って偉大だよね




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