第27話 足止め

1543年(天文12年)7月上旬 越後国 新発田城



「はあぁぁ~~。」


「旦那様、またその様な溜息を付かれて幸運が逃げ出しますよ。」


思い通りにいかない状況に思わず溜息を付いたら、千代に叱られた。


黒滝城の戦いの大勝から間もなく2月となる。


黒滝城の戦いで主だった揚北衆の当主は捕えて捕虜にしたし、その兵も多くは捕える事ができた。捕虜だけでも5千だった。とても管理できんので、農民兵は武装を解除して解放してやった。それでも千近い捕虜が残ったが、捕虜の管理は天神山城城主・小国頼久(おぐに よりひさ)に丸投げし、俺も1万の兵を率いて信濃川を越えた。


しかしせっかく信濃川を越えたと言うのに、俺が新発田城に着いた時には、


「ガハハハハッ、大将遅かったじゃねぇか!」


ご機嫌な五島平八に出迎えられたのだった。


まぁ、そうなってるだろうな、とは思ってたんだけどさ。出羽方面から岩船郡に攻め込んでいた平八率いる5千は、岩船郡の揚北衆方の諸城を片っ端から制圧し、そのまま蒲原郡(かんばらぐん)に雪崩れ込んできたそうだ。先行していた柿崎景家の兵と共に、ほぼ蒲原郡の制圧も終わっていた。俺が黒滝城で戦後処理してたのは4日位なんだけどな。ほとんどの城は戦う事無く開城したそうだが、それにしても中々仕事の早い連中である。


思ったより蒲原郡の占拠が早く終わったので、


『良し、此処まで来たんだ、ついでに少し蘆名に灸を据えてやるか。』


と思い至り、急遽蘆名攻めを決めたのが行けなかった。


「ちょ!マジかヨ! そろそろ海に戻りたいんだよ、大将!」


嫌がる五島平八を含め、総勢2万の大軍で蘆名領に雪崩れ込んだ。


蘆名領と言っても会津じゃない。

この当時、越後の蒲原郡東部地域は蘆名領なんだよ。この蒲原郡東部にある津川城を拠点にして蘆名は度々越後に侵攻してきていた。

この機に蘆名の越後侵攻の拠点である津川城を叩き、蘆名の越後侵攻の野望を完全に挫く。それが俺の目的だ。


当然、本領の蘆名まで攻める心算は無い。正直、会津を獲れたとしても、現状は越中でさえ手が回らないのに、そこに越後一国が加わるのだ。完全に手一杯だ。今回、嫌がる平八を無理矢理連れて行ったのも数合わせだ。2万もの大軍で攻め懸かれば、会津は怯み、適当な所で和睦の使者を出してくるだろう。


今回は蘆名領の蒲原郡東部を制圧できれば十分だ。


まぁ、結果だけ言うと我が軍の大勝だ。津川城はあっさりと落ちた。蘆名は国境にすら抑えの軍を僅かしか置いていなかった。まさか内乱中の越後から攻め込まれるとは微塵も思っていなかったようだ。


自分から宣戦布告しておいて油断しすぎだろ!とは思うが、こちらにとっては好都合だ。


重要拠点である津川城に籠る兵も千に満たなかった。城主である金上盛信は、城兵の助命を条件に開城した。


これで一応は目的達成となった訳だが、未だ蘆名から和睦の使者は来ない。仕方が無いので、蘆名に兵を向ける動きを見せてやった。


ここから峠を越えればもうそこは会津だ。


その辺りでやっと会津から使者がやって来た。


その使者は蘆名盛舜(あしな もりきよ)と名乗った。蘆名家15代当主にして現当主・盛氏の父親である。思った以上の大物がやってきやがった。


この人の良さそうな爺さんが曲者だった。和睦の条件に散々とごねてきたのだ。


条件と言っても大した条件は出していないのだ。


〇蒲原郡の主権を放棄し、長尾家の領有を認める事

〇今回の宣戦布告に対し正式に謝罪し、賠償する事


その位だ。それをこの爺さん、


「10年の相互不可侵条約をとか、越後の湊の使用許可を付けてくれ」


色々無理難題を投げつけてきやがった。挙句は今日は体調が悪いとか抜かして2日ほど会合が流れたんだが、結局は3日後にはあっさりとこちらの条件を飲んで、


「それではお気をつけてお帰りを。」


そう言い残して嬉しそうに、元気に帰っていった。


一応、こちらも妥協して5年の不可侵条約は結んだがな。まぁそれはこちらにも利があるから構わない。


しかしあの爺さん、一体何がしたかったんだ? 見送っているのは俺だ、気を付けて帰るのは、あんただろうに。


援軍の時間稼ぎかとも思ったが、物見の報告でも蘆名方の兵がこちらに向かってくる気配は無い。


首を傾げながらも、目標は無事達成したので帰路に付いたのだが…


季節は梅雨に入り、街道は水浸しの泥まみれ、川が溢れ大廻もさせられた。


あのじじぃ、これが狙いだったのか!


敢えて会談に時間を掛けて、俺達に嫌がらせしやがった!


おのれぇぇ!と憤っても、


「盛舜殿にしてやられましたな。怒っても既に後の祭りです。」


「旦那様、負け犬の遠吠えは惨めになるだけですよ。」


「…判ってる…ワン…」


勘助や千代の言うとおりである…

既に不可侵条約も結んである。今更何ともならん。


行きと同じ行程を三倍程の時間を掛け、なんとか新発田城に辿り着いた。

酷い目にあった。兵に死人が出ずに済んだのが不思議な位だ。

と安堵したのも束の間…今度はこの大雨で信濃川が決壊した。


こうして俺は新発田城で足止めを喰らう事になった。


まぁ、目標は達成したからいいんだけどさ…。


なんか釈然としない。


が…まぁいい。千代に叱られるし、そろそろ切り替える。


「よし、勉強会でも開くか。」


「……旦那様、いきなりどうしたのです……?」


暇だったこともあって、俺は急遽勉強会を開催することにした。

参加者は家の関係者は任意、新規加入の国人衆は半強制、今回敵対し捕虜となった国人衆は強制だ。


突然どうしたのかって?

決して八つ当たりとかじゃないぞ。丁度時間があるから、俺の考え方や理念、世界情勢などを知ってもらう良い機会にしようと思ってるだけだ。


勉強会当日には、俺が思っていた以上の者が集まっていた。

うん、具体的には想定の5倍くらい……


城の大広間では人が入りきらなかったので、急遽襖を全て取り払ってやった。随分風通しが良くなった。想定より人が多かったのは、任意と言っておいた家の連中が小隊長以上の面子がほとんど参加していたからだな。


まぁ、熱心なのは良いことだけど、500人ってちょっと多すぎと思うんだ。

ちなみに一番前で目を輝かせていたのは千代と美雪だ。他にも勘助や幸綱、定満までいるし、宗滴爺さんや長職までいた。意外なことに平八や越後水軍の主だった連中まで来てた。こいつら、勉強会なんぞに興味無さそうなのにな。

そういえば、平八は見た目はお馬鹿そうだが、こいつ頭は悪くなかったな。


現状捕虜となっている国人衆や、大ボスの越後守護・上杉 定実さんもほぼ最前列だ。こいつらに拒否権は無い。どこか疲れきった週末のサラリーマンのような郷愁感を漂わせているが、自業自得だ。


〇初日のテーマは世界情勢についてだ。


ここにいる全ての連中が、当然日本から出たことも無い連中だ。越後の外に出たこと無い者すらいる。そんな連中に、俺が猿でもわかるようにみっちり丁寧に現状の世界情勢を叩き込んでやるとしよう。


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「……はい、中条君。」


既にこの授業が始まって8時間程が経とうとしている。


うん……舐めてた。

日本人が極めて好奇心旺盛な民族であることを……舐めてた。

そういえば、どこかの西洋人が

『こんな好奇心旺盛な民族は見たことが無い』

とか言ってたな、誰だっけ?


いや、授業自体は2時間程で終わったのよ。


世界の地理や現在の大まかな世界情勢なんかを教えてやった。

俺の知識だって大概適当なところがあるし、そんな教えることも無いのよ。

当初は興味なさげだった連中も、やがて身を乗り出して話を聞いてくれたよ。

意外と教え甲斐のある奴らだ。


2時間位で終わらせて、後は適当に質問でも受けて終わりだと思って。


「聞きたいことがある者はおるか? あるなら挙手してくれ、遠慮無く言えよ。」


そう言ったら、ほぼ全員が手を上げやがった。500人よ……少しは遠慮しろよぉ!


それからは、一つの質問に答えれば十の質問になって返ってくる。

ほんとキリがない。


「殿のお持ちの越後船ならば、その南蛮船とも戦えるので?」


まだお前の殿じゃねぇよ、お前は捕虜だ!


「……多分な、しかしもう少し数が欲しいな。」


「……はい、上杉君。」


「師よ、その外敵より日ノ本を護るにはどうすれば良いのじゃ?」


なんか急に変なスイッチが入ったのか、真面目な顔で真面目な質問してくる越後守護様。その表情は、当初の疲れきった週末サラリーマンと大違いで、今はやる気に満ち溢れているように見える。

やる気があるのは結構だが……あんたの師になった覚えはねぇよ!

あんたも捕虜だ。


「日ノ本を豊かにすることです。そして軍備を整え、人を育てる。」


内心で突っ込みながらも、真剣な質問には真摯に答えてしまう。

自分で勉強会なんぞ開いたんだから、ちゃんと責任は取らないとな。


「……ふむ、しかし師よ、どのようにすれば日ノ本は豊かになるのじゃ?」


だから師じゃねぇ……ってまぁいいか、一人で突っ込むのも疲れたわ。

それにしてもこの人、意外と真面目というか真剣だ。

これだけ真面目な性格なのに。


名前:上杉 定実 男

・統率:30/80

・武力:21/78

・知略:42/85

・政治:45/93

・器用:51/68

・魅力:75/85

適性:外交 政務 指揮


能力はこうなっている。充分名君になれたであろう素質を持ちながら、既に50を超えた年齢にして、実際の能力はほとんど伸びていないのだ。


師に巡り合えなかった?

いや、この人はずっと大殿の傀儡だった。傀儡に能力など必要でなかった。むしろ無能の方が使い勝手が良かったのだろう。


もったいない……

と心から思う。俺はこの不思議な能力を授かってから多くの人を見てきたが、誰もが農民、商人、職人、武人、弓、槍、剣等のいずれかの適性を持っていた。無能の者など見たことがなかった。


人として生まれて、自分の持って生まれた才能や適性を生かすことなく生きていく。それって社会にとっても、何よりその人にとってとても不幸なことだと思わないか?


思えば現代でもそんな人が沢山いたのかもな。

俺も人のことをとやかく言えるような人生を送ったわけではないが、天職と言えるような自分にピッタリはまる仕事で糧を得ていた人は極少数だったんじゃないか。大半の人が自分の適性に合わない、やりたくもない仕事を生きるために無理矢理こなしていた。その結果が病気になったり、引き籠ったり、自殺したりと、そんな不幸が豊かだった現代日本でも沢山あった。

出来ることなら俺はそういった不幸な人を減らしていきたい。人には何かやり甲斐をもって生きてもらいたい……


うん……決めた!この上杉君、マジで弟子にしよう!


50過ぎに軍務はきつそうだから……政務官か外交官だな。家に外交官、今んとこ居ないから外交官だな。


多分行けるよ、頑張れ上杉君!


「はい、それは明日の内政の授業で共に考えていきましょう。どうすればいいか皆さん考えておいてください。宿題です。」


しかし今日は疲れた……もう無理……明日からな。




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上杉 定実(うえすぎ さだざね)

大殿事、越後守護代長尾為景が主君である担がれて,房能を下剋上した時に担がれて越後守護になってしまった人、為景が房能の実兄で関東管領上杉顕定の報復で敗れた時には越中から佐渡へ共に逃れて苦労しています、ただ大殿の傀儡に不満を持ったか

宇佐美定光や実家上条氏それに揚北衆を糾合して反旗を翻しますが大殿にボコられて撃沈、その後は大人しく傀儡していたようです、大殿の隠居後は多少元気を取り戻し伊達氏の内乱天文の乱の引き金となったり、晴景と謙信の仲を仲裁したり謙信の家督相続を積極的に支援したみたいですね。

この人が居なければ伊達氏では天文の乱で割れず勢力を衰退させる事は無く、謙信も長尾家当主となっていなかったかもしれません。

そう考えると意外と歴史上重要な立ち位置に居る人ですね。

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