第25話 出羽侵攻
1543年(天文12年)5月 出羽国大宝寺城 土佐林 禅棟
「判った、お主の好きにするが良いぞ。もう下がって良いぞ。」
主に報告が有った為に訪れた城の主殿、渋々といった態で現れた我が主である大宝寺氏16代当主である大宝寺 義増(だいほうじ よします)は儂の話を適当に聞き流した上さっさと主殿に引き上げていきよった。
大方お気に入りに側女と日の高い内から楽しんでおったのだろう、まだ若いとは言えど大宝寺家16代当主なのだ普通は𠮟るべきだが、このように若き当主を誘ったのはこの儂じゃ、我が土佐林家は一度大宝寺家によって滅ぼされた、それを立て直すにどれだけの辛苦を味わった事か、遺恨を隠し意地を捨て先代晴時に頭を下げて大宝寺家に入り懸命に働いた結果儂は大宝寺家の筆頭家老の座にまで上り詰めた、そして先年やっと先代晴時が死によった、その機に儂は後継に義増を押して後継とする事に成功したのじゃ、フフフ義増めは期待通りの儂の良き傀儡に成ってくれたわ。
しかし全てがうまく行った訳では無い、相変わらず砂越等庄内の国衆達は言う事を聞かぬ、其処で距離的に近い越後の揚北衆の連中を利用しようと思い長年誼を通じて来たのだ、そんな折だ越後に大乱が起った、越後守護上杉 定実様を擁する揚北衆の新発田殿から援軍の要請が当家にも来た、何でも商人出の童が長尾家の当主となるなどとても承服できぬとの事越後の大半の国人衆が反乱に加わるとの事だ、揚北衆に恩を売り付ける良き機会と思ったものだ、越後の国人衆の殆どが上杉方に加わると云うのだおまけに大国の蘆名や北信濃の村上、小笠原、高梨まで上杉方として加わると云う、高梨なぞ長尾家の親族衆ではなかったのか?身内にまで見放されるとは余程新たな当主の器量が小さいのだろうな、長尾家もこれで終いやもしれんな。
こうして儂は勝馬に乗ろうと多少無理をして1千の兵を揃え越後に送る事を決めた。
兵を送って半年は立つが遠征の費用も兵糧も揚北衆が持つというから家中に反対意見もそれ程でなんだな、しかし上方への海路を越後水軍に止められたのは痛かった 酒田湊の商人どもから『なんとかしてくれ!』と何度も泣き突かれて宥めるに苦労した物よ。中には
「あの越後の神童を敵に回すとは正気とは思えませんぞ。」
「このままでは大宝寺家は危のう御座いますぞ。」
などと戯言をぬかす者までおったが
「童に何が出来ると云うのじゃ、馬鹿らしい話よ」
と取り合わなんだ。商人共に随分と哀れな眼で見られたのは癪に障りはしたが所詮は戦の事など何も判らん商人風情の言う事よと思い聞き流してやったわ
さて、そろそろ戦勝の報告なぞがあっていも良い頃合いだが
そんな時城の廊下をダダダダッと走る音が儂の部屋に向かって近づいてきた
騒がしい・・・先程考えておった戦勝の報告でも届いたか・・・
その足音は儂の部屋の前で止まり
「至急ご報告したき儀が御座います!」
声は儂の側近の者だったので入室を許し報告を受ける
普段冷静な側近の顔には焦りが浮かんでおり、余程急いできたのか息も荒い
その姿を見て儂も只ならぬ事態が起こっておる事を悟った
「・・・・越後長尾勢酒田方面よりこの城目指して押し寄せております!尾浦城、横山城既に落城している模様、横山城からは火の手が上がっております!」
「なあぁぁっ!?」
天地がひっくり返る様な衝撃とはこの様な事を言うのだろう・・・・・・尾浦城、横山城といえばこの大宝寺城を護る最後の砦と言える城じゃその報告が真実ならば半刻を待たずに敵勢がこの城にも押し寄せて来る事となる
「国境の物見は何をしておったのじゃ!」
儂も一応越後との国境の護りは厚くしておったし物見の数も増やしておったはずだ
「それが・・・長尾勢は湯野浜辺りに上陸した様で御座います。」
「・・・・・・・水軍か・・・・・・・・・・・数は?」
「おそらく5千程では無いかと」
当然海側にも物見は立てておるがその数はそれ程多くない、草に始末されたか・・
「・・・・・・・・・・・・・」
どうする?今この城に詰めておる兵は・・・精々が200籠城したとてとても敵わん、援兵を求めるにしても・・・どう考えても間に合わんわ
居城の藤島城に・・逃れるか?
・・・とても抗せるとは思えん
・・・・・・・・・詰んでおるわ
「・・・・・殿?」
「開城じゃ!急ぎ降伏の使者を送れ!」
「なっ!?・・・・・よろしいので?」
「ここまで迫られたなら抵抗など不可能よ。無駄な犠牲を出し遺恨を残す事はあるまい、至急各城にその旨を伝えよ急げ!」
まったく儂はとんでもない虎の尾を知らぬと踏んでいたようじゃ
お蔭で人生を掛け積み上げてきたものが無に帰すようじゃのぅ
ここまで上手く行き過ぎて驕っておったのやも知れぬ
となれば・・・・新たな主の心境を少しでも良くするように努めねばならんの、越後に送った兵も呼び戻す手配を急がねばならん・・・・ん・・
唯兵を戻すよりもそれを・・・・・その兵を策に利用は出来ぬではないか?
うむ、転んでもタダでは起きぬわ!
新たな主への儂の評価を上げる為に利用させて貰うとするか。
1543年(天文12年)5月 越後国 与板城
「一昨日五島平八様率いる越後水軍5千湯野浜より無事上陸を果し、兵を酒田方面と大宝寺方の居城大宝寺城方面と2手に別け亀ヶ崎城陥落させ、酒田湊を制圧、尾浦城、横山城を占拠居城大宝寺城は抵抗する事無く開城致しました。尚この降伏により残る藤島、余目、狩川等の大宝寺諸城も続々と降伏大宝寺方の抵抗は見られません。」
「ほう、思ったよりも脆う御座いましたな。」
「流石、五島殿見事な働きで御座いますな。」
「佐渡の北を廻って水軍の動きを隠した殿の策が見事に当たりましたな。」
「然り、しかし脆過ぎる気も致しますが、敵の策略と云う事は有りませぬか?」
「庄内の国人衆の動きは?」
段蔵の配下の者のが先程庄内での戦の顛末の報告を上げて来た、一昨日の情報だがこの与板城の在る越後三島郡と出羽の庄内からは150キロ程離れている、この時代に2日でその情報が届けられるとは驚異的なスピード言える。
その間諜の男を見れば余程急いで来たのであろう、その面も衣服も泥に塗れて擦り切れている
そんな間諜からの知らせが届いたのは丁度評定が行われていた最中だったので、丁度良いと皆の前で報告させた所だ。
「庄内の砂越を初めとする国人衆に目立った動きは有りませんでした。」
「それで五島殿はなんと?」
「4日後のに岩船郡に雪崩れ込む所存との事殿にお伝えしてくれとの事で御座いました。」
「4日後と言えば明後日では御座いませんか!殿急ぎ支度せねば。」
「将次郎そう慌てずとも良い、平八が岩船郡に攻め立てたとてそれを黒滝や角田山に籠る連中が知るのはまだまだ先の事よ。」
「それと大宝寺家家老の土佐林 禅棟殿より殿への書状を預かっておりますが。」
ん?土佐林 禅棟と言えば・・・大宝寺家の筆頭家老だったか?
「土佐林 禅棟と申せば大宝寺家の筆頭家老、大宝寺家当主の義増は奴の傀儡に過ぎず大宝寺家の真の支配者は土佐林だと言われておりますな、今回の大宝寺家の派兵も奴の意向によるものとの事で御座います。」
流石は定満、周辺国の家臣の情勢まで詳しいらしい
取り敢えず将次郎から渡された書状に目を通してみる
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
クククク、面白い
「殿、土佐林殿は何と?」
目を通した書状を皆に廻す
「・・・!これは・・・」
「中々面白い御仁の様ですな・・」
「なんと抜け目ない男よ。」
「しかし、この男信用出来るのか?」
「うむ。主家をあっさりと見捨てる男ではな。」
「信用は出来ぬが、利用すればよかろうこちらに損はあるまい。」
皆の反応は呆れから称賛から疑心まで様々だが勘助や幸綱、定満等の参謀局の面々は皆悪そうな表情を浮かべている、大方この新たに手に入れた手札をどう使うか悪巧みでもしているのだろう。
おっとそういえば忘れる所だった
俺は未だ末席に控えている段蔵の配下に声を掛けた
「見事な働きであった、その方名をなんと申す?」
「!?・・・はっ!身に余るお言葉真かたじけなっつっく・・・・某、滝川一勝と申します。」
最初は自分に声を掛けられた事に気が付かなかったようで焦って思いっきり噛んでいたな、こんな重臣たちが集まる評定に顔を出す事など滅多にある事では無い緊張するのも当たり前だろう、名前は聞かずとも知っていたがな
「そう緊張せずとも楽にするが良い、お主滝川と言うとひょっとして甲賀の出か?」
「失礼致しました・・・殿は良くご存知で。おっしゃる通り近江国甲賀郡大原村を出自としております、加藤様に誘われこちらに雇って頂き間もなく3年となります。」
段蔵には情報局の人員増の為に日ノ本中の忍びにスカウトを命じていたからな、今や情報局の人員は千を超えた
「そうか、どうだ家は?」
「お陰様でやっと人らしく暮らせる様になりました、家族共々殿には感謝の念しか有りません。」
「そう言われると照れ臭くもなる、家族と云うたが子供は幾つになる?」
「嫡男が20に、次男はやんちゃですが今年18に、後は娘が3人それぞれ上の2人は既に嫁に出ており末の娘は今年15になり申した。」
話を聞いたところ甲賀出身の上に滝川姓、あの織田四天王の一人滝川一益の関係者に間違い無い気がするのだが、それにこの滝川一勝と名乗った男も中々の能力を持っている
名前:滝川一勝 男
・統率:55/65
・武力:77/80
・知略:71/80
・政治:15/55
・器用:78/81
・魅力:59/69
適正:工作 諜報 早駆
「そうか、お主さえ良ければ当家の直臣に加わる気は無いか?なんあら息子2人も連れてこい俺が面倒を見るぞ。最初は小隊長待遇辺りからになるが。」
「な!!よろしいので御座いますか!?是非にも!」
よろしいです、よろしいのです。有能な家臣の確保はこちらには利しかありませぬ
思わぬ幸運で織田四天王の一角を確保出来そうである、
そろそろこの越後の乱も大詰めを迎えている、早々に終わらせたい所だ
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土佐林 禅棟(とさばやし ぜんとう)
土佐林氏は羽黒山の別当という寺務を統括する長官に相当する僧職を務めていた家柄でしたが1477年大宝寺氏との抗争によって滅ぼされ戦国期には大宝寺氏が羽黒山の別当を兼ねる事になったそうです、禅棟にとって大宝寺家は仇敵のはずなんですが・・・何故か大宝寺 晴時の時代天文年間には禅棟は大宝寺氏に仕えておりしかもその筆頭格の重臣となっていたそうです。仕えていた 晴時は29歳の若さで子を残さず早逝しています。そして家督を継いだのが禅棟が擁立した義増です、この義増は晴時の従兄と言われていますが詳しい事は判らないようです。
どっちにしろこの土佐林 禅棟って人滅茶苦茶怪しくない?
絶対主殺しとかしてそうと思いますが、真実は歴史の闇の彼方。
しかし一度滅ぼされた土佐林家をここまで立て直す根性とその能力は評価できます、しかも滅ぼした家に仕えてです。
中々面白い人物だと思っていますが、この人の資料って余り無いんですよね、名前すら正確には判っていません禅棟と言うのも主君晴時が亡くなった時に剃髪し、杖林斎禅棟と名乗ったそうです。
土佐林 禅棟について詳しい方が居れば、よろしければ教えてくださいませ。
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