第23話 越後の乱
1542年(天文11年)6月 越後 春日山城
加賀の一向宗門徒を殲滅して間もなく2年となる。年が明けて12歳となった俺は元服し今年の春に千代姫との婚儀を挙げ長尾家に婿養子として迎え入れられた。
烏帽子親は大殿に勤めて貰い名を長尾新次郎景重と改め先々代当主長尾為景、先代当主長尾晴景の後見を得て第9代越後長尾家当主となった。
これで長尾家は越後、越中、佐渡、飛騨の4カ国を統べるこの時代でも有数の大大名と成った訳だが、しかしこの当主交代は多くの長尾家の一門衆、越後国人衆の反発を生むこととなった、現状越後はほぼ内乱状態と言って良い状況である。
まあこうなる事は俺も大殿も織り込み済み、その為に越中、佐渡、飛騨を獲り力を蓄えて来た、現状反長尾の筆頭ともいえる鳥坂城城主中条 藤資(なかじょう ふじすけ)と長尾家の一門衆である上田長尾家当主長尾 房長は反長尾の旗頭に越後守護の上杉 定実(うえすぎ さだざね)擁立し現在越後各地の国人、周辺国に打倒長尾の檄文をしきりに送っている所だ、それに呼応したのが揚北衆(あがきたしゅう)
新潟平野を流れる阿賀野川以北(現在の新潟市、阿賀野市の一部に新発田市、村上市)に割拠する国衆達、新発田、安田、鮎川、竹俣、色部、黒川、小川 、加地等の諸氏族に加え不動山城主の山本寺 定長(さんぽんじ さだなが)箕冠城主大熊 朝秀(おおくま ともひで)飯山城主桃井 義孝(もものい よしたか)等も同調する動きを見せている。
対して長尾方の諸将は一門衆古志長尾氏当主、栖吉城主長尾 房景(ながお ふさかげ)に大殿の側近衆と言える与板城城主直江 景綱(なおえ かげつな)柿崎城主柿崎 景家(かきざき かげいえ)赤田城主斎藤定信、鉢盛城主千坂 景長辺りだ、それに驚いたのは大殿と犬猿の仲で大殿を隠居に追い込んだ琵琶島城主宇佐美 定満(うさみ さだみつ)がこちら側に付いた事だ、その真偽は今段蔵に調べさせている。
そして北条城主北条 高広(きたじょう たかひろ)三条城主山吉 政久(やまよし まさひさ)吉江城城主吉江 宗信(よしえ むねのぶ)天神山城城主小国 頼久(おぐに よりひさ)辺りはどうやら中立、様子見の様だ。
越後国内の状況は大体こうなるが勢力で見れば味方が3反長尾が6中立が1といった具合になる。
そしてこの越後の混乱は周辺諸国にも波及しており、反長尾の上杉派には会津の蘆名、出羽の大宝寺、そして北信濃の高梨、村上、小笠原等の信濃勢も上杉派を支持を表明した。北信濃の高梨政頼なんかは長尾家と縁戚関係に有り親密な関係だったんだがな、大殿や先代(晴景)もこれには驚いていたが、まぁ俺のせいだろな俺の治める糸魚川と北信濃は非常に近い糸魚川には未だ多くの流民が流れてきているが越中が落ち着いた今その流民の数が最も多いのは信濃から来る流民だ、こちらとしては民が増える事は国力の増加と考え歓迎しているが、住民(国力)が減る領主としては死活問題だ俺ばかりか先代や大殿の所にまで『なんとかしてくれ!』と苦情が来ていたらしい。
そんな事を言われてもこちらとしては内政の事だ他家に口出しされる謂れは無いと無視していたし大殿達も適当にあしらっていたそうだ。
最も信濃に糸魚川の宣伝を積極的に流させたのは俺だがな、何も嘘は流してないし商人などを通して自然に広まった噂もある俺に非は無いよな?
これにより越後国内は元より北は大宝寺、東は蘆名、南は北信濃州に包囲された形だ西の能登畠山、越前朝倉はこちらを支持してくれているのはありがたい。
同盟して置いて良かったわ。
そんな危機的状況なのだが・・・
「千代よ。早く儂に孫の顔を見せてくれぬか?」
「もう、父上は何度同じことを言うのです。子は当分先と旦那様も申しているでしょう。」
「そうですよあなた。大体孫なら猿千代(晴景の嫡男)がおるではないですか。もっと構ってやってくださいませ。」
「うむぅ。猿千代は儂の顔を見ると泣き出すのじゃ。」
「それは父上が幼い猿千代に無理矢理刀の手解きなどをなさったからでしょうに。」
「幼子にあなたは何をしているので・・・・?」
「・・・・・・・・・・・」
今日の夕餉に招いた新たな家族となった、大殿為景に千代の母である虎御前、先代の晴景に妻の泉ノ方に子の猿千代、園、此処に危機感は無い、唯晴景様の妻泉ノ方はどこか思う所があるようだが、まぁ実家が今回の乱の首魁、越後守護の上杉 定実の娘なのだから居たたまれない思いが有るのだろう。
それもあって今日は新たな家族を招いて親睦を深める事にした、だってさ家族同士でギスギスした関係って嫌だろ?
料理は俺が手作りだ、メニューは豚の生姜焼きに鶏の唐揚げ水菜とキャベツのシーザ-サラダ、デザートは苺の練乳掛けである。
「・・・ゴホンッ、にしても相変わらず婿殿の料理は旨いのぅ。」
女性陣との会話で押され気味の大殿が話題を変えようと試みたようだ
「真ですな父上、この唐揚げなるモノは今では猿千代、園の大好物いつも強請られて困っておりまする。」
今も見ると猿千代、園の兄妹は奪い合う様に無言で唐揚げを頬張っている、俺が春日山城に居を移してから、この兄妹は腹が減ると頻繁に俺の所にやって来てはおやつを強請ってやって来る様になった、親戚の子供って可愛いよな。来るたびに色々食べさせ甘やかしてやっている。今ではすっかりと俺に懐いてしまった。
「ほんに・・・最初は肉食などと避けておりましたが・・・一度食せばもう止められませんわ。」
生姜焼きを美味しそうに頬張ながら幸せそうな顔で虎御前が同意する、この人信仰心が高くて最初は肉食を忌避していたんだが、娘の千代があまりにも美味しそうに食べてるのを見て試してみたそうだ、そしてその味わいに感動してハマったそうだ。
元々日本で肉食が禁忌とされたのは殺生を禁じた仏教の教えも大きいが、貴重な輸送手段や農耕の補助として重宝された牛や馬を減らさない為の対策だと俺は考えている、現状貧しい日本にそんな事を言っている余裕は無いのだがな。
この虎御前も今では度々我が家の食卓に顔を出すようになった、母の幸や蘭姉ともすっかりと打ち解けて楽し気に会話を楽しんでいるようだ。
「今日は卵飯が無いのは残念でありますが、この生姜焼きも美味しいですわ旦那様。」
はいはい、明日はあなたの好物オムライスにしましょうね。
こんな感じで和気藹々と食事は進んでいくのだが、やはり泉ノ方だけは心ここにあらずといった感じだ、食も余り進んでいないようだ
さて、どうしたものかと思案していると
そんな泉ノ方から思い詰めた表情で声を掛けられた
「・・・・あの、景重様・・・父の事まこと申し訳なく・・・」
「あまりお気になさらずに、何も泉ノ方が悪い訳ではありません。」
「そうじゃ、悪いのは時勢も読めぬ其方の父とそれを唆した愚か者共よ。気にするな。」
「・・・影重様、大殿ありがとうございます。出来る事ならば・・」
「泉、影重殿も父上も守護様の命を奪おうとは思っておられんよ。」
「真で御座いますか?」
真剣な面持ちでこちらを見る泉ノ方、今回俺は越後守護を敵の旗頭として利用させて貰った、そのお蔭で多くの反体制派が炙り出された形で大いに助けられた。
戦の事だから何とも言えん所は有るが俺に守護の命を奪う気は無いしそれに組した国衆達も領地は召し上げるがなるべく命は取らないつもりでいる。
「先代のおっしゃる通り私は無駄に命を奪うつもりはありません。越後守様には隠居して頂くか国外に出て頂くかと。」
「・・・・そうでございますか。御恩情感謝致します。」
「それより、食事が冷めてしまいます。お気に召されませんでしたか?」
「その様なことは、はい・・有り難く頂きます。・・・・あら美味しい。」
うん、泉ノ方も少しは気が晴れたようだ
「にしても旦那様、随分と余裕そうだが大丈夫なのです?」
「そうは言われても打てる手は全て打ったからな。今から焦っても何も良い事は無いぞ。」
主食を平らげてデザートの苺を幸せそうに頬張っている千代も大概余裕が有りそうだがな、俺は越中、飛騨での戦の後の2年余り何もしてなかった訳では無い新領の内政と軍備の増強に努めていたのだ、銭に物を云わせて集めた兵員は越中の元神保家臣や一向宗の門徒を取り込んだ上に、北陸から一向宗を放逐し上がった俺の名声を聞き付けた浪人や貧しい武家の嫡男以下の次男3男なども家の募集に応募してきたその数は今や2万を超える。
皆常備兵で有る、多すぎると思われるかもしれないが平時には街道の整備やら、河川の改修工事、港や砦の建設などの土木工事に携わっている新たな人足を雇うよりも効率が良く重宝している、工事に参加した者は少ないが手当を出したり食事を少し豪華にするなど工夫している為兵にも不満は無い。
そんな増強した軍は、現在京志郎に兵5千を与え反旗を翻した桃井 義孝(もものい よしたか)の飯山城の攻略に向かわせている、飯山城に籠る兵は5百に満たないとの事問題は無いだろう、京志郎には飯山城攻略後は其処に留まり北信濃勢と坂戸城の上田長尾家の抑えに成って貰う予定である。
そして新たに旗下に加わった名将朝倉 宗滴には兵5千率い直江景綱の与板城に援軍として向かって貰っている、こちらは敵勢との最前線と言って良い城だ揚北衆や中越の反乱する国衆への抑えとなってくれるだろう。
そして予備兵力として春日山城に7千糸魚川に鈴木重家に2千の兵を置き睨みを効かせ更に佐渡には五島平八率いる越後水軍5千が控えている。越中と飛騨には昌豊の兄である工藤 昌祐に兵3千を預け有事に備えさせている、少ないが国境を接する畠山家は同盟国だ、それで大丈夫だろう。
「うむ。これだけ備えられては奴等も動けぬだろうな。何やら哀れにすら思える程よ。」
「・・・・ですな、既に幾つかの国衆より景重殿への取り成しの書状を幾つか受け取っております、街道と湊の封鎖が余程堪えておるようですな。」
「儂の所にもきておったわ、勝手に離反したのじゃ少しは痛い眼を見ると良いのじゃ、六郎捨て置くが良いぞ。」
「父上判っておりまする。既に家督は景重殿に譲った身ですし、あ奴等の勝手に振り回されたのは父上だけでは有りませぬ。父上の言うように痛い眼を見ればよろしいかと。」
大殿と先代は余程越後の国衆に悩まされていたらしい、俺もこの二人に謙信も越後の国衆達に反乱ばかり起こされてたイメージ有るもんな。
大殿は国衆達を納得させる為に隠居させられてるし先代も国衆に無理矢理代替わりさせられてた、謙信も何度も信玄に煽られた国衆の反乱で関東や越中からとんぼ返りさせられているしな。
俺はそんな眼には会いたくない、この機に越後の国衆の力は大いに削いで越後で強力な中央集権国家を造つもりだ。
先ずは長尾家に二度と歯向かう事が無い程には痛めつけるつもりだ、命までは取る気は無いが領地は召し上げ長尾家の直轄領とする、そして国人衆は銭で給金を払い雇っていくつもりだ、それがどうしても嫌なら越後を出て行って貰うしかないがな。
越後全域を治める積りの俺としては人死には最小限にしたい所だその為に行っているのは何時もの手だ、越後全域と信濃に段蔵を使い俺の領地の噂をばら撒いている、自分達が暮らす食うにも困る貧しい土地に比べ、安い税に軍役や治水、街道整備等の賦役迄無い上に仕事が溢れており年々豊かになっていく他の土地の噂を聞けばその土地に暮らす者はどう思うだろうか?
当然不満に思うだろうし、逃げ出す者、現状を変えようとする者が現れる。現に多くの難民が長尾領で在る頸城郡(くびきぐん)に流れ込んできているし反長尾の国衆の足元に一揆の兆候が見られるとの段蔵の報告もあった。
それを後押しする為に俺は北国街道を初め善光寺街道、長岡街道等の主要な街道の封鎖と支配下にある越中、越後の湊の敵対勢力への封鎖を行った、能登から北の海は俺の制海権の下に在る敵勢力は海からも俺の支配地を通る街道からも物資を得る事が出来なくなった。
特に内陸部の国衆や信濃の連中は塩すら手に入れる事が出来ず苦労する事だろう
民には苦労を掛けるが悪いのは俺に敵対した領主だ、そういう方向に誘導していく。
乱が落ち着いたら苦労を掛けた分は報いるつもりだから勘弁して欲しい。
さて奴等はどれだけ持ち堪えれるかな。
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