第21話 4家会談
1540年(天文9年)7月下旬 加賀国河北郡 光徳寺
「うむ、信濃守殿、宗滴殿久方振りよな。両名と共に健勝そうで何よりである。それと其方が蔵田殿と申すか?これは又随分と幼いのうしかし利発そうな顔をしておる、儂は畠山修理大夫義総と申す。これから良しなにな。」
「御無沙汰致し申し訳御座いません。修理大夫様もご健勝のこと何よりで御座います。」
「修理大夫様、信濃守殿、そして蔵田殿、皆皆様の御協力にて此度無事に我が朝倉家の悲願ともいえる一向宗門徒共の討伐を成し遂げる事が出来申した。この宗滴、心より感謝申し上げます。」
「修理大夫様、宗滴様、お初にお目にかかります。蔵田新次郎と申します。どうぞお見知り置きお願い申し上げます。」
一向宗戦後に行われた、畠山家当主 畠山義総(はたけやま よしふさ)、長尾家先代当主長尾為景、朝倉家一門筆頭で朝倉家の政軍を司る朝倉宗滴、そして蔵田家分家当主蔵田新次郎、この4者による歴史的な会談は和やかな雰囲気で始まった。
まぁ一人だけ場違いな男もいるが気にするな、俺はもう気にしない事にしたしな。
上座に座るのは名門畠山家の当主でこの会談の発起人でもある畠山義総様この参加者の中では官位も従四位下修理大夫と一番高いし家格も高い幕府3管領家の分家の1つだ当然と言える。風流に富んだ着こなしで武家というようり公家に近い雅さを感じさせる温厚そうな御仁である。
そして大殿と俺の正面に座って頭を下げたのがこの時代の戦場での最強格朝倉宗滴殿だ、こちらは武人としての威厳と文化人としての落ち着きを兼ね備えたような武将だ、そういえばこの人有名な茶器とか保有していたっけ。
会談は和やかな雰囲気で進んでいく、話し合われたのは新たな国境の確認と今後の同盟関係の在り方、外敵に攻めこまれた時の各国の対応、貿易の条件等だ。
まぁ大体は当初の密約時に取り決めて有ったので確認作業に近いな、大体は当初の予定通りに収まりそうだ、加賀は畠山家と朝倉家の分割統治、越中は長尾家(蔵田家)の統治とし約束通りに畠山家が越中に持つ氷見周辺の土地もこちらに引き渡される事となった。
俺としては蔵田家の飛騨侵攻をここで認めて貰ったのはありがたい、今朝方段蔵の報告で越中の瑞泉寺に籠っていた一向宗勢が飛騨方面へ逃亡したと報告があったのだ、とは言っても飛騨方面の包囲を薄くするよう鈴木重家に命じたのは俺だ、飛騨も一向宗門徒の力が強い国である、特に瑞泉寺と飛騨の国人衆内ヶ島氏は密接な関係に有る十中八九は内ヶ島氏を頼って逃亡したのだろう。これで『一向宗勢の討伐』という大義名分を得て飛騨に侵攻出来る。
飛騨は山ばかりの米が採れない小国では有るが鉱山資源が豊富であるし越中から美濃、尾張に続く街道も走る、是非とも手に入れておきたい。
なにより一向宗に北陸で勢力を盛り返されたらたまらんからな、近場の一向宗の拠点は潰して置く。
「飛騨を制し、2度と一向宗を北陸の地に近づかせません!」
と宣言したら修理大夫様にはいたく感心され宗滴殿にも「協力は惜しまんから何でも言ってくれ。」と言われたくらいだ。
早速重家に使者を送り3千程の兵で攻めさせる積りだ、飛騨には強大な勢力は無いそれで充分だろう。
やがて会談は恙無く終わりささやかな酒宴の後に解散となった
「では皆の衆また会おうぞ!」
そう言って御機嫌に寺を後にして自陣に戻っていく修理大夫様を見送っていると、宗滴殿が俺に話しかけて来た
「蔵田殿改めてお礼申し上げる。此度の策真に見事で御座った、正直言うと儂は儂の生涯を賭けても一揆勢の撃滅は不可能かと思っておった、それがこうもあっさりと一揆勢を北国より追い出す事が出来ようとはな。」
「いえ、私だけの力では不可能でした、修理大夫様に大殿、宗滴様の御力添えが無ければとても叶わなかったでしょう。」
「ふむ。やはりとても10歳には思えんのう。普通はその歳位の子供なら増長し舞い上がってしまうだろうに。」
「ふん。こ奴は特別変り者じゃからな。」
「大殿変り者は非道御座います。せめて、落ち着いた者、とおっしゃって頂けると。」
「ふふ、信濃守殿とも随分と仲の良いようで。長尾家は安泰でしょうな。」
「それは朝倉家も同じ事、御当主の孝景殿も随分と優秀な御方と聞くぞ。それを名将と名高い宗滴殿が補佐されておるのだ。正に盤石と言って良いではないか。」
「そうやって言われるのは嬉しゅう御座いますが・・・・儂も当主孝景様も古い時代遅れの将じゃ、儂もな朝倉家にて内政を預かる身じゃ最近噂になっておる蔵田殿の政を気になって調べて見たのじゃよ、正に目から鱗じゃったわ。何も無き所より新たな産業を興し民を潤し其の利より兵を興す。越中での戦と云い此度の戦といい儂では考えも及ばぬ戦いであった。正に蔵田殿こそ新時代の将と言えるでしょうな。」
「うむ。それを言われれば儂も時代遅れの将かもしれんの。」
「お二人共何を仰るのです。買い被りですよ。」
「買い被りでは御座らん、儂には蔵田殿が随分と先の世から突然この世に現れた物の怪の類にすら見える程ですからな。唯随分と民にお優しい物の怪ですがな。」
「ガハハハハ!物の怪とは言い得て妙よな宗滴殿!」
はぁ~ホント怖い爺さんだ大体合ってるわ
「こんな幼気で可愛い幼子を捕まえて大の大人が何言ってんですか・・・」
「・・・そうゆうとこだぞ、お主判っておらんのか。」
とりあえずわざとらしい泣き真似で誤魔化そうと思ったが無理らしい大殿に呆れた顔で見られただけだ、宗滴殿は何か真剣な顔でこちらを見ていた。
「蔵田殿。この老いぼれの頼み聞いては貰えぬだろうか。」
そう言って宗滴殿は改まって俺に頭を下げてきた
改まってなんだ?とりあえず話を聞いてみるか・・・少し怖いけど
「実は某此度の戦功を持って加賀二郡を賜る事が内定しております。」
「それはおめでとう御座います。」
「いや、それがそうでも無いのよ、現状の敦賀郡に加えて加州二郡をも領有するとなると、その力は本家を超える。妬む者、恐れる者、利用しようと擦り寄る者が現れよう、最悪朝倉家が割れかねん。」
「ならば褒美を辞退するのは?」
「恥ずかしい話では有るが、当家には人材が乏しい武辺者は多くいるが政事を好む者は少ないのだ、加賀は一向宗の国よ、下手な統治を行えば一向宗が息を吹き返しかねん」
「そこで儂は此度の褒美を受け隠居する事にしたのじゃ。」
「なっ!」
「一向宗の脅威無き今朝倉に必要なのは武では無い、政よ。幸い息子は武はそれ程で無いが政事に関しては儂を優に超えておる、儂が力を持つのを喜ばん連中も儂が隠居するなら大人しくなろう。しかしの隠居するには少し心残りがあってのぅ。」
「蔵田殿には2つ頼みたい事が有る、一つは主家の行く末よ。儂は次に日ノ本の天下を執る者はお主しかおらんと思っておる、それ程其方の存在は他者を圧倒しておるわ、おそらくお主はこれから益々力を付けて行く方だろう日ノ本の権力者全てを敵に廻しても渡り合える程のな。その時朝倉はどう動くか敵対するのか味方となるのか、儂が生きておれば命に代えても味方する様説得しようが、天に召されておればそれは叶わぬ。出来る事ならもし朝倉が敵対しようとも出来る限りの情けを掛けてやってほしいのじゃ。」
そう言うと宗滴殿は静かに俺に頭を下げた
「・・・・・・・私が天下を狙っているかはともかくとして、もし仮にそういった事態になったとしたら朝倉家には出来る限り穏便に事を運ぶ事をお約束致します。」
うん、先の事は判らんが族滅とか皆殺しとかは元々する気ないからね。
「そうか!かたじけない。ではそれではこれが最後じゃがこの儂を其方の家で雇っては貰えぬかの?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・えっ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・宗滴殿それは?」
大殿も俺もその言葉に唖然とした
「うむ。急にこんな事を言いださば驚くのも無理はないか。すまんな。実はのぅ儂は若い頃より『死ぬ時は戦場』と決めておってな一向宗無き今となっては最早朝倉に面白そうな戦場は無いのよな。その点其方の家はのう随分と魅力的に見えるんじゃがな。」
確かに信濃に関東、出羽に挙句に越後国内も戦の種は幾らでも有るな、嬉しくは無いがな!
「西に向かわれてはどうなのじゃ、若狭、もしくは北近江の浅井でしたか?後美濃攻めも有りかと思われるが。」
「うむ。それは確かに有ではあるのじゃが、失礼ながら信濃守殿はあの辺りの事情にちと疎いようじゃの。蔵田殿はどう思われる?」
「そうですな、西に向かえば六角が出張って参りましょうな。美濃は越前にとって近くて遠い地で御座います、美濃を獲るにはまず北近江を獲らねばならぬでしょうな。大殿越前にとって美濃は越後にとっての関東と同じで御座います。」
「その見識流石じゃ、西に向かえば六角と泥沼の争いとなる、管領代様(六角 定頼)率いる六角は朝倉以上の強国よ手を出すにはちと分が悪い。美濃は隣国であるが六角を相手するよりマシでは有ろうが、越前も越後と同じく雪国じゃ攻め込んで一時的に土地を奪っても雪が降る前には国に戻らねばならん、国に帰ってる間に元の木阿弥よな。」
「うむ。言われると関東と同じよな。」
「左様、要は朝倉は既に現状これ以上の拡大は難しいのよ。大人しく内政に励むほかないのじゃ。」
大体俺と同じ見解だな、もし可能性があるなら水軍を造って海に出る事だが、あれってめっちゃ銭が掛るのよ正直朝倉家の財政では難しそうだ
「で、蔵田殿、、、主は儂に新たな戦場を与えてくれるのかの?」
「はい・・・・採用です。」
理知的な爺さんだと思っていたが、思ってた以上の戦ジャンキーの爺さんだったわ。しかし当家に加わって貰えるのは大いに助かる、家は若手が多いからな経験豊富な強者が欲しかったのよ。
そういえばこの爺さんバトルジャンキ-具合がどこぞの大殿様と似てね?
こうして思いもよらぬ事に、名将朝倉宗滴が我が陣営に加わる事になった
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朝倉宗滴
戦国初期を代表する名将です、生涯一向宗門徒と戦い続け九頭竜川の戦いでは一揆勢30万を相手に朝倉勢1万余りで大勝したとか、まぁ一揆勢30万は誇張が過ぎるでしょうが、精々が3万前後では無いかとおもわれます、がそれでも凄い。
他にも1531年の大小一揆にて加賀の門徒同士が内乱で割れた時にそれに乗じて作中の様に能登畠山氏と共に加賀に出陣したりしてます、結果は畠山家が壊滅して撤退してますが、後余り知られていないですが将軍足利義晴の要請で京に上洛し三好長慶の父元長と戦ったりしています。
最期の戦いも対一向宗、攻め入った加賀で一日で3つの城を落としたとか、しかしその後陣中で病に倒れて一乗谷に戻るも亡くなったそうです、享年79もしくは82と言われてますが、80近くで戦場行くってほんと恐ろしい爺さんです。いやほんと尊敬します。
畠山 義総(はたけやま よしふさ)
宗滴爺さん程の派手さはありませんが、この人は戦人と言うより内治の人、七尾城を築き戦乱を逃れて下向してきた公家や連歌師などの文化人を保護し、さらには商人や職人にも手厚い保護を与えて、義総治世で七尾城下町は小京都とまで呼ばれるほど発展したとか、能登畠山氏中興の祖とも言われる名君。とは言っても義総の様な優れた当主の内はうまく廻っていましたが息子の代では家臣の専横を押さえる事が出来ず彼の死後能登畠山家は急速に衰退していきます。
個人的に不思議に思っているんですが、室町幕府で名門と言われる細川、斯波、畠山、上杉、なんかでも不思議な程名君と呼ばれる人が出てないんですよ、なんか皆戦や内紛に明け暮れていたイメージですわ、そういう視点から見ても義総さんは面白い存在かと、最も能登畠山家も分家ですけど。
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