第12話 新たな家臣
1538年(天文7年)9月 越後国 糸魚川
時が過ぎるのは早いもので俺が糸魚川に居を構えてから早くも半年の時が流れている。
先ずはこの蔵田家の軍事組織、官僚組織の立上げに始まり住民の戸籍の作成から耕作地の検地、新規事業の立上げに新商品の開発、おまけに蔵田家に仕えたいという大量の仕官希望者の面接。今思い出しても「もう2度と御免だ!」と思える程にはハードな半年間であった・・・特に大量の仕官希望者への面接は堪えた。
まぁ蔵田家への仕官の噂を全国にばら撒かせたのは俺だから自業自得では有るのだ、俺の予想以上にその噂が広まっていた様で俺の予想以上に仕官を求める者達が集まってしまったのだ。
これは後になって気が付いた事だが俺がばら撒いた噂には仕官に当たっての条件等も詳細を流したのだが武士に限らず、各種職人や医者などの技能職を含め蔵田家が銭で直接雇用する事を謳っていた、つまり蔵田家の直臣となると言う事だ。この時代武家に武士以外の職業の者が直臣と成れることは稀である。
給金も最低で50貫(500万円)この時代で家族を養っていくには充分過ぎる額であった為に予想以上の反響を呼んでしまったらしい。
その数1000を軽く超え2000に迫る勢いだった、その全員と俺は面接を行ったのだ、他の業務はともかくとして人材の採用において人の才や適性を知る事が出来る俺の能力は生きてくる、というかそれに特化しているといえる。人に任すわけにいかない。
多い日には一日に100名以上の者と面接を重ね、その能力適性を見て武に適性を持つ者は軍に、政務の適性を持つ者は官僚に職人の適性を持つ者はそれぞれの工房にとそれぞれに合った職場で採用させて貰った。
勿論中には本人の希望と合わず採用と成らなかった者も居たが兵士から官僚、各種職人、医者等の知識人、文化人、中には乱波(らっぱ)・透波(すっぱ)と呼ばれる忍び達まで仕官してきたのは驚いた。
そしてそんな仕官希望者の中には何人か俺でも知っているビッグネ-ムの者達もいた
名前:山本勘助 男
・統率:75/82
・武力:51/72
・知略:51/93
・政治:80/87
・器用:75/78
・魅力:39/50
適正:軍略 策謀 築城 山師 土木
山本勘助は10年以上に渡り日本各地を廻って武者修行をして軍学、築城、治水、鉱山等多彩な技術を身に着けたのだが、いざ仕官!の段階で躓いた能力は高いのだが片目の上に足も引き摺っており躰も矮小で有った事から一向に仕官先が決まらなかった。能力云々の前に見た目で落とされてしまったようだ、少し前までは駿河の今川家に仕官しようとしたのだが、此処でも良い返事は得られず悲嘆に暮れていたいた所を家の話を聞き付け藁にも縋る思いで此処までやって来たとの事。
勿論採用である、年俸100貫(1000万円)で雇う事を伝えたら跳び上がらんばかりに喜んでいた。将来の武田の軍師を雇える事を思えば安い物である、実際に能力的には個人戦闘ははそれ程では無いが、兵の指揮、築城、土木、鉱山に高い適正が在る色々と役に立ってくれそうな男だ。
名前:真田 幸綱 男
・統率:72/88
・武力:78/81
・知略:81/90
・政治:75/85
・器用:71/80
・魅力:60/72
適正:軍略 策謀 政務
真田 幸綱は信濃国小県郡の小豪族で海野(うんの)氏に仕えていたのだが、海野氏は台頭してきた村上義清の勢いに抗せず弱体化し真田家自体も本拠の真田庄を奪われ存亡の危機を迎えているらしい、逃げ延びた先の海野氏にも余力は無く今では厄介者扱いなのだとか。そんな時に家の話を聞き一念発起で一族郎党500人を引き連れてここまでやってきたそうだ。そんな大人数での移動の為一時こちらは兵の動員を掛けた程である。
幸綱と言えば上田城であの徳川を散々に打ち払ったあの昌幸の父で『日ノ本一の兵』と呼ばれた幸村の祖父に当たる存在だったはず。この時代でも昌幸や幸村が生まれるかは判らないが幸綱自身も政治や兵を率いる能力は非常に高い、一族郎党の事も考えて
300貫で雇う事にした、他にも一族の者で戦闘力の高い者を100名程雇って残りの働ける者にもそれぞれ仕事を紹介した。家は働く先は幾らでもあるからな。
幸綱は「真田庄に居た時より良い暮らしが出来まする!」と大喜びであった。
名前:村井 貞勝 男
・統率:35/55
・武力:25/32
・知略:58/78
・政治:82/92
・器用:35/60
・魅力:60/75
適正:政務 商人
村井 貞勝は織田信長に仕え京都所司代を務めた内政面で信長を支えた内政家だ。
本人からの話では近江の商人の3男に生まれ自身も独立して敦賀に店を出していたそうだが最近巷で話題の蔵田製の商品に触れ感銘を受けたそうである。
そしてそんな次々と画期的な商品を開発する俺に仕えて見たいと思うようになったそうで、そんな時人材募集の噂を聞き、その瞬間越後往きを決めたそうだ。
うん・・・確かに貞勝君随分早く面接に来たもんな。
能力的にも政務に優れた能力を持っている、100貫にて即採用である。
涙を流して喜んでくれたよ。
最近やたらと忙しくなった俺の秘書官的役割を担ってもらう予定である。
名前:鈴木重家 男
・統率:65/81
・武力:73/82
・知略:51/75
・政治:55/79
・器用:83/89
・魅力:53/72
適正:火器 指揮
鈴木重家について俺は詳しくは知らないが、この時代の日本人には珍しい身長180センチを超える大男で風体は武士と言うよりは海賊か山賊と言った方が近い、本人の話によると紀州名草郡(なぐさぐん)の土豪の出身で近隣の土豪達と組んで機内で傭兵を生業として生活していたらしい、それがある負け戦の後に支払われるはずの報酬が払われず揉めた挙句揉めた相手を殺めてしまったとの事、その揉めた相手が大名の一族だったそうで機内を逃げ出して新たな働き口を探していたところ家の募集の噂を聞きつけてやって来たらしい。ひょっとして紀伊で鈴木と言うと雑賀孫一の関係者?おまけに適性に火器までついてるし。
能力的にも指揮能力、戦闘力、そして政治力までも高い、見た目に反して器用な男である。重意は100貫で共に連れて来ていた部下10人は50貫で一緒に雇う事にした。
工藤 昌祐(くどう まさすけ)
・統率:58/69
・武力:48/62
・知略:71/75
・政治:71/80
・器用:75/88
・魅力:65/81
適正:政務 土木
工藤 昌豊(くどうまさとよ)
・統率:45/82
・武力:51/78
・知略:71/88
・政治:32/75
・器用:65/82
・魅力:52/75
適正:軍略 政務 馬術
最後は工藤兄弟兄昌祐は内政に優れ弟の昌豊はまだ17歳と若いが育てば軍も率いる能力も知力も高く内政もこなせる良将に成れる逸材だ。
昌祐の話では2年前の1536年(天文5年)、駿河で当主今川氏親が病死し、嫡子今川義元と庶子玄広恵探との間で起きた今川家の家督争い花倉の乱が起きた、そこで敗れた玄広恵探方の者が甲斐守護である武田信虎を頼って甲斐に逃れてきた、この際に信虎は今後の今川家との関係を考え逃れて来た者全員に切腹を命じたらしい、武田家の重臣であった昌祐達の父親である工藤虎豊は信虎を強く諌めたところ、その勘気に触れて殺されたという。随分と酷い話である、信玄父の信虎が後世にまで暴君として語られるのはこういった所からだろう。
虎豊の死後、連座制を恐れた嫡子昌祐は一族を率いてなんとか甲斐から脱して関東の上野で身を潜めていたらしい。仕官先を探すも儘ならず蓄えも心許なくなって将来の不安に苛まれていた時に家の噂を聞きつけ弟の昌豊と共に思い切って糸魚川まで駆け付けたらしい。恐らくだが弟の昌豊って・・・武田4名臣の内藤昌豊では無いだろうか?どっちにしろ採用だ、兄の昌祐は清兵衛の下で内政を昌豊は暫くは俺の近従をやってもらうつもりだ。昌祐は一族長と言う事で300貫弟の昌豊は50貫で召し抱える。後は真田の時と同じで当家に仕官を希望する一族の者(250名)が居れば雇う事を約束した。
他にも内政面での逸材や多くの有能な兵士を多数雇う事が出来た、この半年で集めた兵員は1500程、皆常備兵でしかも俺が能力を使って適性の高い者ばかりを集めた精鋭である。実家の領地を合わせても精々が2万石未満の我家にとっては明らかに過分な兵数だ、普通ならどう頑張っても農民兵を入れて1000が精々である。
しかし家は商売で稼いでいるしおまけに密かに貨幣の鋳造迄行っているからな、兵糧も全国から買い付けて潤沢だし正直まだまだ余裕が有る。
それに俺が兵達に支払った銭は税や酒代や飯代や衣類等の生活費として俺の店でその何割かは回収できてしまうのである。
それにどうせこれから領地も増える予定だし構わんだろ。
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