第14話 佐渡侵攻

1539年(天文8年)4月 糸魚川 新次郎


 数多くの船が行き交い街にはかつてない賑わいを見せている糸魚川の街多くの船が停泊する湊の程近くに領主館が有る、俺は余程の事が無い限りこの館で政務を行い生活している、本来の居城は根知城なのだが山城で行き来はメンドイしその上市街地からも離れている為何かと不便なのだ。


 「ほう。。その方等我等に佐渡を任せたいとそう言うのだな。」


そんな館の書院で俺は今日ある来客を迎えていた、段蔵の手の者に連れられて館にやってきたのは3人の中年の男達、こちらは軍師である山本勘助、真田 幸綱両名と近習の一人工藤昌豊、春日兄妹である。

 

羽茂郡(はもちぐん)高崎村名主 庄兵衛

雑太郡(さわたぐん)安国寺村名主 浩三

加茂郡(かもぐん)  住吉村名主 五作


とそれぞれ名乗った男達は勘助の発した室内に響く低い声に、眼の前で首を垂れるて顔を青くしている。

そう脅してやるなよ勘助、お前にその気は無くともお前顔怖いんだからな。

 その男達は帯刀はしておらず、身形も農民を少しだけ上等にした程度のものだ、羽茂郡、雑太郡、加茂郡というのはいずれも日本海に浮かぶ佐渡島の郡の呼称だ。

この男達は佐渡島の村の名主達で佐渡の農民を代表して家にやってきたらしい。

まぁそう仕向けたのは実は俺なんだがな。


 日本本土や北方領土を除き日本で2番目に大きなこの佐渡島は現在でこそ新潟県の一部だがこの時代は小国とはいえ立派な国である。

 米こそそれ程採れる土地では無いが日本海航路の制海権を握る上で非常に重要な位置に在ると同時に越後を制する上にも此処に水軍の拠点を置けば越後全体に睨みを利かす事が出来る地政的に重要な島となる。

そして何よりも未だ手つかずの膨大な金銀銅が眠って居るのである

正直婚約云々は置いておいてもどうしても手に入れたかった島だ。


 しかし現在この佐渡を治める本間一族と主家で有る長尾家には深い繋がりが有った、そもそも大殿が家督を継いだばかりの永正6年(1509年)に起きた永正の乱では関東管領上杉顕定に敗れ苦境に陥っていた為景を助けたのが本間家なのである、羽茂本間家の羽茂高信には為景の姪が嫁いでいる。

言わば為景の苦境を救い縁戚関係にも有るのが佐渡の支配者である本間家なのだが、この「佐渡を獲れ」と俺を諭したのが誰であろう為景である。

 この30年の間に分家の河原田本間家、羽茂本間家の力が強まり度々争うようになり、惣領家の雑太本間家は没落し現在は河原田本間家の本間貞兼と羽茂本間家の羽茂高信が互いに惣領家を名乗り銀山の支配権と惣領家の座を巡り長年にわたって争い続けていた。

 そんな状況を憂いて為景も何度も仲介の使者を出したそうだが争いは収まるどころか年々酷くなる一方で挙句は惣領家迄滅びても争いは収まる気配は無い、先年羽茂本間家に嫁いだ姪も亡くなったそうで為景自身はもう本間家自体には何も感じるモノが無いそうだ。

むしろ本城の春日山城の目と鼻の先で争われて目障りにすら思っていたそうだ。そこで娘の婿予定の俺の拍付けも兼ねて俺に任せて見ようと言うのが大殿の思惑なのだろう

この佐渡を制圧すれば一応は大殿からのミッションも無事完了という訳である。


当初は諦めてた佐渡だが大殿からの許しが得られたとなれば話は別だ

俺は大殿からの許可を得た日から、段蔵に命じて佐渡への調略を行わせていた、調略とは言っても暗殺や焼き打ちなどの血生臭いものでは無くただ単に噂をばらまいただけだ

・蔵田領では4公6民なうえ賦役は無いそうだ

・蔵田領には仕事が溢れており民は豊かだそうだ

・蔵田新次郎様は大層民にお優しい方のようだ

・本間家が新たに年貢を上げるようだ


そんな噂を段蔵達忍びの者達に佐渡中にばらまかせた

佐渡は元々それ程米の採れる土地では無い、その上民は長年の戦と戦や鉱山労働による賦役を課され毎年餓死者が出る程の有様だった、佐渡と俺の本拠地である糸魚川はそれ程離れてはいない、行きかう商人や漁民なども多いその噂が真実だと知るのにそれ程時間を要する事はなかった。その効果は覿面であった。

 

 そして佐渡の支配者である河原田本間家、羽茂本間家への民の反発は強まり一部の村では農民一揆にまで至った、当初はそれらの反乱を力で抑えて付けていた両本間家も次第に拡大する反乱に最早対応する事が出来ず佐渡は完全に内乱状態に陥る事になった。

 そんな中やって来たのがこの男達だ、男達は佐渡200余村合同で、俺は佐渡を取ると決めた日から段蔵に命じて佐渡への調略を行わせていた、調略とは言っても暗殺や焼き打ちなどの血生臭いものでは無くただ単に噂をばらまいただけだ

・蔵田領では4公6民なうえ賦役は無いそうだ

・蔵田領には仕事が溢れており民は豊かだそうだ

・蔵田新次郎が佐渡守に任官されるそうだ


そんな噂を段蔵達忍びの者達に佐渡中にばらまかせた

佐渡は元々それ程米の採れる土地では無い、その上民は長年の戦と戦や鉱山労働による賦役を課され毎年餓死者が出る程の有様だった、佐渡と俺の本拠地である糸魚川はそれ程離れてはいない、行きかう商人や漁民なども多いその噂が真実だと知るのにそれ程時間を要する事はなかった。その効果は覿面であった。

 

 

 そして佐渡の支配者である河原田本間家、羽茂本間家への民の反発は強まり一部の村では農民一揆にまで至った、当初はそれらの反乱を力で抑えて付けていた両本間家も次第に拡大する反乱に最早対応する事が出来ず佐渡は完全に内乱状態に陥る事になった、そんな中で佐渡からやって来たのがこの男達だ、彼等は佐渡200余村合同で蔵田家の佐渡への出陣と統治を願う血判状を持参してきた。

出来過ぎた話だが、段蔵にそう誘導させたのは俺である。


 こうして俺は『佐渡の民の要請にて悪辣な支配者を排して佐渡の安定を図る』という完璧な大義名分を得て佐渡に侵攻出来るようになった。

 この時代民に見捨てられた支配者の末路は悲惨である、兵員の7割程度が徴用された農民である、本間家は兵をまともに集める事にも四苦八苦している事だろう。

 しかし男達の話を聞くにそれも自業自得というモノだ、政を顧みず身内の権力争いに明け暮れ7公3民という過酷な税率に軍役、鉱山での賦役など民に見捨てられて当然と言える。

この男達も本間家の佐渡統治を涙ながら語っていた、うん無能な統治者には早々に退散してもらうとしようか。


「殿どうなさいますか?」

脇に控える幸綱が神妙な顔で尋ねてくる、勘助も幸綱も調略の事は知っているから俺の答えも知ってるんだけどな


「うむ。其方等佐渡の民の辛酸辛苦よう判った、最早本間家に佐渡を統治する資格無し。我が蔵田家がそれに代わり仁政を行っていく事とする。」


「「「おぉぉ、ありがとうございます!」」」


「うむ。佐渡の民の窮状を見過ごす事は出来んでな。出陣は1月後とする、その方等は我等が往くまでは血気に逸る者達を押さえ、そして蔵田家に抵抗する者を説得してくれ佐渡の民を傷つけたく無いのでな。当家が佐渡を治めた暁には今年の年貢は免除とし来年以降はここ糸魚川と同じく4公6民して賦役、軍役は無しとする。」


「「「おぉぉぉぉ!!」」」


歓喜する男達これで敵対勢力や中立の者達の説得にも力を入れてくれるだろうし、こちら側に付きやすくなるだろう。

今の俺にとって佐渡の年貢の1年分はそれ程の額では無い、それで新たに統治する佐渡の民の忠誠を買えるなら安い物だ。


そして1月後の5月に俺は兵2000を率いて佐渡に侵攻した。


 侵攻とは言っても行く先々で蔵田軍は佐渡の民に歓迎され、戦闘は局地的な小競り合いに留まった、兵がまともに集まらなかった本間一族は戦どころかまともに籠城も出来ず城を捨て島外に逃げ出す事になった、それに付き従う者は極わずかだった、ホント民に見捨てられた支配者の末路は哀れだ、俺も肝に銘じておくとする。

こうして俺の初陣は我が軍の死者数ゼロという呆気無いほどの我が軍の完勝で終わり俺は佐渡1国の領主となったのだった。


 戦後に春日兄妹の故郷を訪ねたのだがやはり家族に生き残りの者は居なかった、兄妹と一族たちにの墓を建て共に祈らせて貰った。

まぁこんな話はこの戦国の世にそこら中に転がっている話ではある、 しかしそんな悲劇を俺は少しでも今後減らしていければとは思ったものだ。


兄妹達は残念まがら家族とは再会出来なかったが、僅かだが逃げ延びた家臣達とは出会えたようで再会を共に喜んでいた。

その者達が希望するなら我家で雇うつもりだ。




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