4 モノクロな視界(2)
暗転――ではない。
突如として、世界から色彩が消え失せた。
それは白と黒、線と図形。
それらが織り成す、まるで絵の"
打ち捨てられた人力車や馬車、地面に散乱した積み荷――だと思しき物体が、どれもこれもそれぞれに近しい形の図形へと簡略化されている。
その中で、人型と思しき真っ黒なシルエットと、その前に立ち塞がる、三つのひし形が連なった"構造体"。
「っ」
"黒衣"は一瞬めまいに襲われた。景色がまるで薄っぺらい、絵に描いたように平面的に見えていた。
奥行きは存在する。立体感はある。しかし意識していなければそれすら見失う。
(そうか、これが――……それにしたって、試運転もなしにいきなりっすか!)
"黒衣"はその顔面を覆う黒い布の下に、視力を矯正するものではない、ただのグラスのついた眼鏡をしている。"魔法機"と呼ばれる、前時代の遺物である。
そのレンズ越しの光景だけが変質していて、視界のほとんどを覆うレンズの外、視野のぎりぎり外側にだけ色彩が残っていた。それが気持ち悪さの原因であり、一方でかろうじて立体感を保っている理由でもあった。
それから、この画面――これは、"黒衣"の視点よりも高いところから見た視界だ。
("姫"の視界っすね……)
耳を澄ませ、神経を巡らせ、周囲の音、空気の流れ、地面を踏みしめる感覚、それらをフルに活用してこの世界を"確かなもの"にする。それでなんとか立つことが出来る。
そして、自身を俯瞰する。いっそ目をつぶってしまいたかったが、なるべく目の前の光景を意識せずに意識に捉える。
かなりの集中力を求められたが――それが出来てこその、『
"個"を持たず、"我"を持たず、主観を持たず、俯瞰に徹する――傍観者。
その視界に映る
『わたしの声に集中して』
「了解っす」
"姫"は後方、近付いた人力車の座席からこちらを見ているのだろう。
『右側、"小さいの"……"マーク"する、まずはそこから、斬って』
「!?」
何を言っているのかは分からなかったが、指示通りに。
"黒衣"は駆けだした。
その視界は一定ではない。"姫"の位置は変わらないはずだが、そこに"姫"の意識が集中しているのか、右手側にいる『機形』の"子機"に視界の"ピント"が合う。一方で他がボヤけて見えるが、そのぶん"子機"の解像度が増していく。図形にされて簡略化されていたそれが、徐々にその構造体を複雑にさせていく。
まるで
(なるほど了解……!)
"黒衣"は瞬時に理解し、右手を後ろ手に、リュックから予備のスパイク芯を取り出し、その刃で"関節"を切り裂いた。確かな手応え、視界内で構造体が欠損する。
『横に回って、隙間にさっきのをねじ込んで』
触手の生え際に、黒い線。なるほどここかと、"黒衣"は手にしたスパイク芯を口に咥えて右手を空けると、トリガーを引いて左腕のスパイクを撃ち込んだ。
すぐに離れ、咥えていたスパイク芯で『兵装』に補充。もう一方の槍が飛んでくるかと身構えたが、"子機"の多脚は力を失い、その場でへたり込んで動かなくなった。
『次、向かって左の。同じ要領で』
「いきなり
敵の"関節"は見える。そこを斬って槍を除き、がら空きになった側部にスパイクを撃ち込み、すぐに装弾。
『次、大きいの』
敵の動きはそこまで俊敏じゃない。触手槍は厄介だが、敵は回頭しなければこちらを照準できない。素早く立ち回り、迂回して背後をとる。飛び乗って両の触手を除き、横合いからスパイクを撃ち込む。
「よし――……っす!」
コツを掴んでからは瞬く間に、"黒衣"は機械の害虫を沈黙させた。そのころには息も上がって、スパイク射出の反動で左肩が痛んだが、負傷らしい負傷はなかった。
『……おつかれ』
との一言で、耳元から音が消えた。そしてまるで闇夜を切り裂く稲妻のように、目の前に色彩が戻ってくる。"黒衣"はそちらの"衝撃"の方に驚き、思わずよろめいた。
地面に足を踏ん張るも、重心を崩し、そのまま尻もちをつく。
目の前には、動かなくなった銀色の甲虫。彫像のように見えなくもないが、力なく折れ曲がったり伸ばされたままの多脚が生理的な気持ち悪さを催す造形だ。さっきまで俯瞰だったため、こうして突然目の前に現れると、さすがに身の毛がよだつフォルムである。
「……死んでるっす、よね?」
おそるおそる右手を伸ばし、その甲殻に触れる。とっさに引っ込めたがびくともしない。もう一度、ちゃんと手のひらを押し当てる。手袋越しにその見た目通りの硬質感、冷たさ、そしてその奥に感じる、徐々に薄れていく熱反応。
この異形は、いったい何なのか――巷では、この怪物が近年の"崩落"の原因だと囁かれているが、実際のところは分からない。
ともあれ、
「これにて、一件落着――完。……ふへええ」
ふう、と息を吐いて脱力し、天を仰ぐ。実を言えば、初の実戦。安堵は思いのほか深く、すぐには立ち上がれそうになかった。
遠い空の向こう、名ばかりの"世界樹"が目に入る。枝もなければ葉もなく、花も実つけない、まるで柱のような巨大な構造体。ここから見えるのは東と南、そして"中央"のものだ。
先ほど、一瞬、"姫"の視界の中で――あれの、本質を垣間見た。……気がする。
今さら驚くものでもないが――
「おお!」
と、
「すげえ! 本当にやっちまった!」
「あれは! あの格好は! "中央"の黒装束!」
その場を離れたと思っていた商隊に人々が、歓声を上げながら集まってきた。
「聞いたことがある! "中央"で暗躍する"
「いいや、おれは"
「"
「……な、なんすか、そのクッソださ……、滑稽な二つ名は……」
とりあえず、商隊の人々は元気そうである。さすがは商人といったところだろうか。すぐに散乱した荷物を積みなおしたり、興奮した馬車馬をなだめたりと、移動の再開に努めている。一方で、
「あんちゃん、"こいつ"、もらってっていいかい?」
「はいぃ? こいつって、"そいつ"っすか?」
――動かなくなった『機形』を、である。おそれを知らない商人たちはその残骸にヒモなり縄なりをくくりつけると、馬車に繋いで引っ張っていこうとしたのである。
「まあ、バラせば売れるんすかねえ……。でも、どうやって?」
通常の刃物では、傷はつけられても切断は難しいという話だが。
常に財政難の『調査室』ではあるが、さすがにあれをどうこうしようという発想は"黒衣"にはなかった。
そんな中、立ち上がる"黒衣"のもとに近付いてくるものがあった。
「助かったよ。強いんだな、"中央"の役人って」
大人びた口調だったが、子どもである。年齢は一桁か、ぎり二桁といったところだろうか。前髪で片目を隠しているが、おそらく男の子だろう。後ろ手に何かを持っている。
「いや、お役人様はジブンみたいに動けないっすよ。一言発するのにも、やれ書類だとか、やれ確認が必要だとか。そのくせ一言一言の
「はは。……とにかく、助かったよ。えっと、にーちゃん……にーちゃん、か?」
「それは言いっこなしっすよ、ブラザー」
「ま、まあ、おれの"手持ち"じゃこんなんしか渡せねーけど、これ、お礼」
と、少年が後ろ手に持っていたものを"黒衣"に差し出した。
それは空に浮かぶ雲を、透明な袋に閉じ込めたような代物だった。
「まさか、これは……話に聞く、あの――"ふわふわもちもちするやつ"では!?」
「うん? ふわ、もち……? まあ、うん、たぶんそう。だいたいそんな感じ。あと、ぱちぱちする」
「ぱち、ぱち……だと?」
「……ウチの家、こういうお菓子とかつくってるんだよ。それを今度の"祭り"に持っていくところでさ。祭りっぽいだろ? ……正直このご時世だから、いろいろとあれなんだけど――……まあ、にーちゃんのお陰で助かった。じゃあ!」
言うだけ言って、少年は馬車の方に走り去っていった。
「…………」
"黒衣"は受け取った"ふわふわもちもちするやつ"をしばし眺めてから、ふと我に返り、思いのほか近くまで来ていた人力車の、"姫"のもとへと駆け戻った。
「――"姫"! "ふわふわもちもちするやつ"もらったっすよ!」
「……"わたあめ"っていうのよ、それ」
その後、人力車は商隊と並走して進み、"黒衣"のお腹とリュックは商人たちからの"お礼"でいっぱいになった。
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