3 モノクロな視界(1)




 安全運転とはいえ、多少は揺れるもの。

 人力車の車輪が小石か何かに乗り上げたのか、車体がわずかに持ちあがる。トレーンの座席に座っているのとはまた別の、特有のリズムを伴って、"姫"と"黒衣"を乗せた人力車は平原を駆けていた。


 舗装はされていないが、雑草や砂利などが除かれた、人や馬の蹄、車輪によって踏みならされた獣道。はるか遠くには、頂上が窺えないほど巨大な"世界樹"の威容が見える。


 景色は緩やかに、しかし確実に後ろへと過ぎ去っていく。トレーンと違うのはその速度、そして頬に吹きつける風と頭上から差す陽光の温かさ。より現実感を感じられる自然の体験がそこにある。


 "姫"は抱えていたリュックから画板と画用紙を取り出すと、"黒衣"の膝の上に座ったまま、これから向かう先の風景を鉛筆でスケッチしていた。


 それは"姫"の趣味であり、職務の一環である。


 旅先の光景を絵に残し、記録する。……現在は"黒衣"が『写真機』を持っているため半ば形骸化した作業で必須ではないが、"姫"は趣味のようにそれを続けているのだ。


 しかし――


 人力車の座上で、しかも移動中とはいえ――


「……変な絵っすね」


「…………」


「あいたっ!」


 鼻っ柱に後頭部を喰らった。


 しかし実際のところ、"姫"の描く風景画はとても奇妙なのである。


 まるで目に見える外見など不要な装飾とばかりに、"そのもの"の骨格、最低限の輪郭だけを線と図形で表現している。風になびく草木はただの斜線に、空を流れる雲は適当な形の図形に。

 基本的に着色されることはなく、それゆえモノクロで奇怪な抽象画が完成する。


 ――これが"姫"の目に見える光景なのか?


 おそらく、そうなのだろう。


 彼女の瞳には、この……一面に広がる緑と、頭上の青、自然の原色に彩られた、ありふれた日々の光景が――シンプルで、モノクロで、単調で、味気ない、そんな風に映っているのだろう。


 だから、この世界を捉える別の"視点"が必要なのだ。


「また、避難民っすかねえ?」


 遠く前方、馬車や人力車の隊列がある。先刻、トレーンの車窓から見えたのとはまた別の集団だろうが、こうした光景が日常になっているのは深刻な問題だろう。


「こんなご時世で、お祭りなんて出来るんすかねえ」


「いや、お客さん」


 と、車夫が台座を振り返らないまま、


「たぶんあれはそのお祭りに向かう"商隊"だ。半年に一回くらいのペースでこのあたりに来るんだ」


「へえ……ちなみに、おやっさんはその"お祭り"については知ってるんすか?」


「まあね。毎年この時期に開かれるんだが、今年は十二年に一回ある特別な催しがあるそうだ」


「ほう……」


 相槌を打ちながら、"黒衣"は眼前にある"姫"の後頭部に目を向ける。「十二年に一度」、それが今回その"お祭り"を視察する理由だろう。


「…………」


「あの、"姫"?」


 視線のせいか、それとも頭のすぐ近くで"黒衣"がお喋りしていたせいか、"姫"がむずがゆそうに身をゆする。そうされると上に座られた"黒衣"も反応してしまう訳で、自然鼻息が荒くなる。すると呼気にあおられた顔面を覆う黒布が揺れ動き、また"姫"が身をよじるという悪循環スパイラル


 そんな負の連鎖を断ち切ったのは、前方――


「うわあああああああああ!」


「に、逃げろ……!」


「仕方ないッ、荷物は置いていけ!」


「でも……! 馬が……!」


「"でも"も"だって"もない! "あれ"は人しか襲わない! いったん退いて、積み荷はあとで取りに戻ればいい!」


 商隊の先頭から上がる、悲鳴と怒号。これには車夫も人力車を止めた。


「野盗か? それとも……"あれ"が?」


「"あれ"って、もしかして"あれ"っすか?」


 言いながら、"黒衣"は両手を"姫"の脇の下に差し入れた。ビクッと硬直する"姫"をそのまま軽く持ち上げ横に移動させつつ、入れ替わりに自分は座席から腰を上げた。そして足元に置いていたリュックを拾って肩にかけ、中から"武器"を取り出した。


 5~60cmほどの金属の棒に、握るための短い棒が垂直につけられている、打突兼防具としての機能を持つ近接専用の武具――いわゆる『トンファー』である。

 しかしその拳側の先端部分には鋭利な刃物が備わっており、手首を固定するためのベルト、別の位置に"握り"のための短い棒がもう一つついている。トンファーは基本的に二対で一つだが、"黒衣"のそれは左腕用だ。


 名を、『式兵装・射型いがた(左腕用)』――"対・機形キケイ用装備"の一つである。


「おやっさん、すぐ片付けてくるんで、しばしお待ちをっす」


「は? いや、あんた、"あれ"が何なのか知ってて言ってんのか!?」


「ちょっと料金お安くしてくれると助かるっすねー」


「はあ? ああもう……! 分かったよ!」


 "黒衣"はリュックに手を突っ込むと、『写真機』の入ったケースを引っ張り出し、それを"姫"に預けた。


「じゃあ"姫"、ちょっと潰してきますわ」


 返事は期待していなかったが、


「……あなた、初めてじゃないの?」


「んー……まあ、なんとかなるんじゃないすか?」


 "握り"の具合を確かめてから、"黒衣"は――跳んだ。


 ぎし、と人力車の台座が軋みをあげる。次の瞬間には"黒衣"の姿ははるか先、商隊の最後尾に。


「久々の運動っす……!」


 呼吸は最小、パフォーマンスは最大限。あっという間もなく、逃げ惑う人々と入れ違いに商隊の先頭に辿り着く。


 そこにいたのは、巨大化した節足動物のような外観をした、金属でつくられた異形の存在。左右で六脚の足はクモのようでもあり、甲殻類のような甲羅を持ち、そして身体の両側面に槍のような形状の金属錐を備えている。


 その生態はきわめて不可思議。岩石生物、あるいは金属生命体と呼ばれ、地中から現れ地上の生物を襲う様子が確認されているが、決して捕食するでも必要以上に危害を加えるでもない、"生きもの"なのかさえ疑わしい謎の存在だ。


 あるものはそれを"鋼鉄の悪魔"と呼び、またあるものは"機械蟲きかいちゅう"と呼称する。"黒衣"らはそれを『機形』と定義した。


 前時代の遺構からは、それが都市を攻める軍隊のように描かれたものが見つかっており、今の時代よりはるか以前から存在することが確認されているものの、こうして現れ人々を襲うようになったのはここ数年のことだ。


 なんにしろ、今は道行きを阻む障害害虫である。


(数は――)


 "黒衣"の目視できる範囲で、三体。地面がめくれあがっているから、やはり定説通り地下から現れたのだろう。出てきた穴からさらに増える可能性もあるが、穴は部分的に塞がっている。今は地上に出ているものに注意すべきだ。

 内の二体は"黒衣"らの乗ってきた人力車の車体くらいのサイズ、もう一帯は馬車の荷台ほどの大きさ。高さは成人男性よりも低いか同じくらいだが、横幅がある。

 そして何より目を引くのが、その躯体の両脇に"腕"のように備わった"槍"状の触覚。あれで他者を攻撃するのだ。こちらから仕掛けなければ必要以上の危害は加えてこないが、やる時は容赦なく相手を串刺しにするという。


(デカいのを叩けば、"子機"は退散するはず……、)


 機械害虫に駆け寄りながら、"黒衣"は右手を背のリュックに回し、手のひら大のサイズの"かんしゃく玉"を取り出した。激しい衝撃を加えれば爆発し、煙が広がり爆音が響く。爆発物としての効果は薄いが、


(熱と、音……!)


 向かって右手側の"子機"に投げつけると、かんしゃく玉が爆発した。鼓膜に響く爆音と、個人の視界を奪うくらいにはちょうど良い煙の量。『機形』は生物ではないため、この程度でダメージを負うこともなければ怯むこともないが、


「……!」


 左手側の"子機"、そして中央の"親機"が音のする方にかたむいた。生物・非生物問わず、音と熱源に反応するのがヤツらの習性仕様


 "黒衣"はそのあいだに"親機"に飛び乗り、その表面に『兵装』の刃部分を突き、


「刺さらないっすねー!」


 "黒衣"は『兵装』のもう一つの"握りトリガー"を右手で掴み、後ろにスライドする。内部には強力なバネと火薬が仕込まれており、左手側の"握り"にあるスイッチを押すと、


 ガゴン! ――と、一撃。衝撃とその反動が、左前腕を突き抜ける。


 トンファー部分から射出されたスパイクが、金属害虫の鋼鉄の表皮を突き破った。


 ……が。


 "親機"は止まらず、その触覚の先端が"黒衣"に向けられる。


「浅い!? それとも撃ちどころ……!?」


 "黒衣"は慌てて右手の"握り"を後ろに引き戻そうとするが、打ち込まれたスパイクはすぐには抜けない。横合いから突き出された"槍"を伏せて避け、諦めて右の"握り"にあるスイッチを押してスパイクを切り離す。

 金属の外殻を蹴って飛びのき、もう一方から突き出された"槍"を回避した。


「死ぬかと思ったっす! ていうか"教本"通りならこれでイケたはず……! "式"持ってくれば良かった!」


 叫びながらも、右手はリュックに伸ばし、スパイク芯を『兵装』に装弾する。


 音と煙がブラフと気付いたか、二体の"子機"の意識が"黒衣"に向く。


 ――万事休す、といった時だった。


 ザザ、と。


「!?」


 "黒衣"の耳元で、雑音。


『……。私の指示通りに。まずは右から』


 ――"姫"の声だ。


 直後、"黒衣"の視界が暗転した。



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