パンクスピリット

 兵働さんは五歳の頃、公園で遊んでいるときに、ふざけておもちゃの銃を撃たれたことがある。過呼吸の原因は、そのトラウマが呼び起こされたからだろう。

 兵働さんの両親が、じいちゃんにそう話したらしい。


 面談中、あたしは空き教室で待機させられていた。すると美ヶ丘先生が、村井さんと寺野くんをともなってやってきて、


「あいにくキミと違って、ぼくはビジーでね⭐︎演劇部の二人に牢屋番を代わってもらうから、おとなしくしてるんだよ⭐︎」


 と、さっさと引き上げて行った。さすが、生徒間のトラブルには我関せずを貫いてるだけある。先生が去ったあと、寺野くんが、きのうの晩に目撃したという光景について話してくれた。


『塾に行く途中、兵働ちゃんがクラスの女子数人とスーパーマーケットから出てくるところを見てさ。ホイップクリームのスプレーを持って、『マジでやるから!』とか『明日、ホームルーム前に決行!エリナにも伝えてあるし!』とか言ってて。なんか妖孼ようげつくさくね?と思ったんよね』


 ……妖孼とは、わざわいが起きる兆候って意味みたい。

 他に何か言っていたか問うと、寺野くんは首を横に振った。

 


 ……やっぱり他にいる!部室をめちゃくちゃに荒らした犯人が。


「ご注文。おうかがいします」


 ハッと気がつくと、ブラックスミスのドリンクスタッフである涼くんの顔……正確に言えば長い前髪と鼻と口が間近にあった。い、いつもので。と答えると、涼くんは去って行った。


 どれだけひび割れようが補修する気がないことが一目瞭然な、ボロボロの黒い革張りのソファ。向かって右から、茉里栖さん・あたし・宇石くんの順番で座らされている。


「キッズども!ここがどこだか言ってみろ」

「ライブハウスの事務所だと聞きましたが」


 宇石くんが律儀に答える。


「そうだ。分かってるなら、いつまでも縮こまってんじゃねえ。ウチはモッシュでもダイブでも勝手にしやがれという方針だからな。潰されて病院送りになっても知らんぞ」

「……それはライブ鑑賞時の注意かと」


 なぜわたくしは、ヴィル様にお会いする予定だったライブハウスのオーナー様に、ツッコミを入れているのでしょう?

 と、茉里栖さんの顔に書いてある。


 ……そう。これがブラックスミスのオーナー兼アパートの大家さんであり、ついでにあたしのじいちゃんである倉間蓮一郎くらまれんいちろう。かつて『ジャバウォック』というロックバンドを、人気絶頂のさなかとつぜん脱退した過去を持つ元ギタリストだ。


 志戸は父さんの姓で、じいちゃんは母さんの父さん。母さんはあたしが小学生になる前にアパートを出てっちゃった。父さんと結婚してあたしを産んだけど、本当は女性が恋愛対象だったらしい。あたしの親権は父さんにあるけど、住んでるのは母さんの実家。側から見れば、かなりフクザツな家庭環境だと思う。


「もえか。まったくおまえというヤツは。中学最初の親呼び出しをくらうまでに一年以上もかかるとは、トロいにも程がある!」


 両サイドからズササッと音がした。

 見ると、宇石くんと茉里栖さんがソファから滑り落ちていた。


「じいちゃんといっしょにしないでよっ。さっきからバカなことばっか言って、二人とも困ってるから!」

「はん。ケンカで銃をちらつかせるヤツが、えらそうに抜かしやがる」


 ぐわっはっはと笑うじいちゃんは、海外の大御所ロックスターみたいな風貌だ。細長い手足に、頭頂から毛先にかけて大波小波を描くロングヘア。洗濯に失敗したとしか思えないヘンテコな丈のスーツも、じいちゃんが着れば謎にカッコよく見える。


「ですから、志戸は手を出していないと!」

「銃ではなく、グルーガンです……!」


 二人とも立ち上がって、あたしをかばってくれる。こんな事態になるなら、体育の後に起きた兵働さんとのトラブルについて、ちゃんと話しておくべきだった。


「……宇石くん、ごめん。かわいい飾りを作ってくれたのに、ぜんぶ水の泡だ。……あたし、調子に乗ってた。宇石くんがいてくれるからだいじょうぶって気を大きくして。何も知らない人たちが宇石くんを怖がって変なウワサを立てるの、嫌だったのに。けっきょくあたしは、利用してたんだ」


 これじゃあ、蜂谷さんの威を借りて好き放題している取り巻きたちと大差ない。


「茉里栖さんも、ごめんね。あたしが後先考えなかったせいで、これからもっと嫌な思いをしちゃうかもしれない……」


 百万回謝っても足りないよ。


「おれについて、どういうウワサが流れているのか教えてくれ」

「えっ⁉︎」

「いいんだ。おおかた予想はつく」

「……小学校時代、教室で暴力沙汰を起こして、被害者が転校したとか。高校生のヤンキーにからまれて、返り討ちにしたとか」


 印象だけで捏造された、くだらないもの。

「ホントなんだろ」

「じいちゃんは黙っててっ」

「はい。事実です」


 ……今、なんて言ったの?


 信じていたものが覆されたような発言に、あたしも茉里栖さんも反応できず固まる。じいちゃんだけが「やっぱりな」なんてゲラゲラ笑っている。


 宇石くんは深く息をつくと、覚悟を決めたような顔で、じいちゃんを見すえた。


「転校との因果関係はありませんが、クラスメイトを殴ってケガをさせました。小五のときです」


 話によると、宇石くんが五年生のとき、クラスがすごく荒れていた。リーダー格の男子が特にひどくて、先生も手をつけられないほどの問題児だった。海外にルーツを持つ子が英語の授業で答えを間違えると、『ガイジンのくせに、分かんねーのかよ!』とはやし立てる。給食の時間に、わざと食欲が減退するような下品なことを叫びまくる。


 身体の大きい宇石くんが怒鳴ると一時的におとなしくなるけど、こりずにまた騒ぎ出す。そしてある日、宇石くんはとうとうキレてしまった。


「そうじをしないことを注意した先生のおなかに、ヒザ蹴りを入れるマネをしたんです。妊娠中の先生に向かって『まとめて死ね』と吐き捨てながら」

「……っ!」


 一気に頭に血が昇ったような感覚に襲われ、脈拍が荒くなった。ひどいなんてものじゃない……!


「おう。それで?」

「怒りを通り越して、気持ち悪いと思いました。そいつ本人はもちろん、煽って笑ってるヤツらも、『もう。そんなこと言わないよ!』だとか、ぬるい注意しかできない先生も……。ぜんぶ壊してしまいたい、という衝動にかられて、気づいたときには」


 リーダー格の男子を床に引き倒して、何発もこぶしを打ち込んでいた。


「クソみたいな光景が、日常として受け流される。そんな空気をぶっ壊そうとしたわけか。高校生を相手にしたってのは?」

「……六年の頃。道を歩いていたら、おれがランドセルに付けていた子ども向け番組のキャラクターのマスコットをバカにしてきたんです。『おれが好きで付けているものを、おまえにどうこう言われる筋合いはない!』と反論したらつめよってきたので、持っていた傘で、思いきりすねをぶちました」

「わはは。たいしたパンクスピリットだ」


 き、聞き捨てならない発言を!


「宇石くんは、パンクスとは真逆の人だよ⁉二度だけ暴力を振るってしまったからって、ライブフロアで流血するほど大ゲンカしたり、ステージ上で全裸になったりするような人たちと同類にするのは違うでしょ!」


 今言ったできごとは、まだマシなほうだ。ネットで検索すれば、もっと頭がくらくらするような行為がなされたという証言が山ほど引っかかってくる。


「パンクスピリット。階級だとか差別だとか、人に序列をつけて踏みにじってくる大きなものに反逆する。そして、ひとりひとりの個性を大切にする。そういう精神を、パンクスピリットってんだ」


 宇石くんは、じいちゃんに感じ入ったような目を向け続けている。

 そのとき、事務所の固定電話が鳴った。

 じいちゃんがおっくうそうに立ち上がり、受話器を取る。


「どうも、ブラック……おう、いかにもオレ様は、ブラックスミスのオーナーさんよ。もえかの後輩?ちょっと待っとけ」


 ぐるぐるしたコードが直線になるまで伸ばし、じいちゃんが受話器を押し付けてきた。


「もしもし……?」

「もえか先輩。おじい様にスマホを没収されたのですか?」

「グループラインに重要な動画を送りましたが、先輩方の既読がつきませんので、こちらに連絡いたしました」


 リンだかリクだか聞き分けられないけど、双子の声が耳に飛び込んできた。


「至急、確認してください」

「部室を荒らした犯人が、特定できました」


 ええ〜っ!というあたしたちの叫び声はドリンクカウンターまで響き、驚いた涼くんが手をすべらせ、グラス一個が犠牲となった。

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