わたくしは影
スケッチブックを枕にして寝てしまい、起きたら七時五十分。ぎええ、遅刻だ!
鈍足ダッシュで登校すると、昇降口に茉里栖さんがいた。上履きを手にしたまま、下駄箱の前から動こうとしない。……こわいんだ。教室に行けば、蜂谷さんたちの嫌がらせが待ち受けているから。
助ける勇気なんてないけど、無視するなんてもっと無理。
「ま、茉里栖さんっ。おはよう」
「……ごきげんよう……」
やっぱり、弱々しいけどよく通るきれいな声。
勇気を出して、会話を続けてみる。
「あの、四時間目、体育だね。またボール変なとこに飛ばしちゃうかもしれないから、先に謝っておこうかな。ごめんね」
「……かまいませんわ。あんなバスケットボールがどこへ行こうが、わたくしの知ったことではありませんから……」
待って、今の言い方ちょっと面白かった!
緊張が少し解けたように感じたとき、
「あれでしょ。『元子役で、映画に出演した』とかウソついてた女って」
「そうそう、『顔だけ白野ミア』ちゃん」
名前も知らない人たちが、横目でこちらをじろじろ見ながら横を通過していった。
茉里栖さんが黙り込んでしまう前に、あたしはあわてて口を開く。
「あのさ。休み時間とかホームルームが始まる前とか、もしひとりでいるのが辛かったら、あたしたちの部室に来ない?」
「……弱者を迎え入れたら、お友達の威厳が落ちますわよ」
お友達って……。あ、宇石くんか!
「それなら、ぜんぜんだいじょうぶ!だってほら、あたしなんかと仲良くしてくれてる時点で、ナメられ上等!ってスタンスなんだと思うし」
茉里栖さん、あたしの立場を考えてくれたんだ。
「……っ、お話を遮ってごめんなさい。てんとう虫が、あなたのブレザーの上を歩いていますわ。ああ、胸ポケットの中に……」
「え、ほんと?逃がしてあげなきゃ」
ブレザーを脱いでバサバサ振ると、小さなナナホシテントウが飛び立っていった。
茉里栖さんのおかげで、真っ暗な場所で短い一生を終えずに済んだね。
代わりにお礼を言ってあげるため、茉里栖さんを振り返ると。ん?なぜか、こちらを指差した状態で固まってる……。
「……ブラックスミスの、スタッフTシャツ?なぜあなたが、そんなものをお召しになっているんですのぉぉ!」
いきなりものすごい剣幕で迫ってこられ、ぎええ!と叫び声を上げるあたし。つかみかかられる直前で、怨霊も飛び去るような恐ろしい表情が急に消えたかと思うと、細い身体がふらりと前方に傾いた。
「ま、茉里栖さん⁉︎しっかりしてー!」
四時間目になっても、茉里栖さんが保健室から帰ってくることはなかった。下駄箱を確認しに行くと、ちゃんとクツがある。まだ寝てるのかな……?
心配が残るけど、パーティーの件だ。
昼休みの部室で、あたしは宇石くんに、きのう徹夜で考えてきたアイディアを話した。
「視聴覚室に、ライブハウスを再現する?」
「そう。ゴーストライブハウス!」
蜂谷さんからのオーダーをまとめると、
◯ステージ(二人同時に登壇可能)
◯フードやドリンクを置く場所
◯フォトスポット
以上が必須条件であるようだ。
「入り口付近に、ドリンク&フードカウンターを設置。こんなふうに目と口を描いたシーツを骨格標本くんにかぶせて、お化けのドリンクスタッフとして立ってもらったら、フォトスポットにもなるでしょ」
「これと写真を……撮るのか……?」
「それから段ボールで、ライブに来たお客さんをイメージしたかわいいお化けのスタンドパネルを作って、あちこちに置くの」
「かわい……い……?」
スケッチブックをめくる手と連動するように、宇石くんがどんどん青ざめていく。あ、うん。かわいくないよね。ホラーゲームに登場する敵キャラにしか見えないよね……。
「……ごめん。お化けたちのデザインとスタンドパネル制作は宇石くんに一任するよ。あたしが描くと、もれなくこうなるから……」
「わ、わかった。おれにやらせてくれ」
宇石くんが力強くうなずいたとき、出入り口の引き戸を叩く音がした。コン、コンと間隔をあけたひかえめなノック。誰だろう?
近づいて、戸を横にすべらせると。青白い陶器みたいな顔と、内巻きツインテールが目に飛び込んできた。
「茉里栖さん!」
「……玄関で気を失ってしまったわたくしを、志戸さんが保健室まで運んでくださったと聞きましたわ。ご迷惑をおかけして申し訳ございません」
「ぜ、ぜんっぜん気にしないで!あたしも朝、寝不足からの猛ダッシュでふらふらだったから、共倒れにならなくてよかったよ」
「……そうですか」
「あの……もしかして、茉里栖さんも眠れなかったとか?蜂谷さんたちにひどいことを言われたり、されたりするのがこわくて……わ、ちょ、茉里栖さん⁉︎」
青白い頬を、つうっと涙が伝った。そのまま両手で顔を覆ってうずくまってしまった彼女に肩を貸して、部室にまねき入れる。
「……日曜に、ツアーライブが待っているから。ヴィル様にお会いできるから。わたくしどんなに辛くても、がんばって学校に行けていましたのにっ。どうして、どうして……」
積み上がっていた物たちをどかした工作台に突っ伏して、しゃくりあげる茉里栖さん。
「そっか。楽しみにしていたライブが中止になっちゃったんだ。アイドル?」
「バンドですわ。『ビビッドヴァンプ』といって、ヴィル様はベーシストですのよ」
……ちょっとタイム。確認させてほしい。
「え、えっと、それってビジュアル系バンドだったりする?」
顔を上げて、うなずく茉里栖さん。
やっぱり。日曜日に、ブラックスミスでツアーライブをする予定だったバンドだ……。きのうの朝、亜蘭ちゃんのスマホに電話をかけてきてた人が、その『ビビッドヴァンプ』のメンバーさんなんだよ!
悲惨な事故が起きた原因は、ガソリンスタンドの店員さんの給油ミス。給油口にガソリンと間違えて、軽油を注いでしまったんだそう。
故意じゃないから、誰も悪くない。事情を知ってるだけに、胸が痛いよ。
「そのライブが、心の支えだったんだな」
宇石くんが、園児さんと接するときみたいな優しい声であいづちを打つ。
あたしが茉里栖さんに、ずっと伝えたかったこと。
ここなら落ち着いて話せる。
「あのさ……。あたしと、たぶん宇石くんもだと思うけど。白野ミアさんってYouTuberのこと、ぜんぜん詳しくないんだ」
いちおう目くばせすると「おれは、顔もわからない」と宇石くん。
「だから、映画に出てたのが白野ミアさんだろうが、茉里栖さんだろうが、どっちでもよくて。だからウソだったところで、まったくノーダメージで」
「わたくし、ウソなんてついておりませんわっ!」
校舎の窓ガラスが全損しそうな剣幕で、茉里栖さんは叫んだ。あたし含め、部室にあるもの全部が一瞬、びょんっと飛び上がったんじゃないかと思った。
「「上映中は、お静かに」」
タブレットでホラー映画を観ていた双子が振り向いた。すると目をぱちぱちまたたかせると、トレースしたみたいな顔を見合わせた。同じタイミングで立ち上がり、ゆっくりとこっちに近づいてくる。なんかこわっ!
「初めまして。わたくし、一年B組の九部リンと申します」
「同じくC組、九部リクと申します」
なんだかんだ礼儀はなってるんだよな、こいつら。双子は、茉里栖さんに話しかける。
「映画『
「『モニカズ・ブラッディー・ギグ』の主演女優にも負けない怪演でしたよ。お会いできてうれしく存じます」
茉里栖さんは、涙でぐしゃぐしゃの顔をぽかんとさせると、
「……なぜ、わたくしが『カゲコ』であるとわかったのですか?」
「「骨格を見れば、わかります」」
どういうこと?まったく話についていけないんだけど!
「『鑑識課霊障係』は、警視庁鑑識課において、いわくつきの物件にのみ派遣される特殊な班に配属された主人公・『
「幼少期の『神奈子』を苦しめた悪霊が『カゲコ』。その正体は、『神奈子』が抱えている『不安』が実体化し、人の形をとった存在なのです」
リクが持つタブレットには、どことなく茉里栖さんと似た雰囲気の小さい女の子が映っている。そして彼女の首に手を回す、髪の長さも背格好もまったく同じ女の子。
唯一違う点は、ブラックスミスのアルバイトの涼くんみたいに、目が前髪で隠れているところ。
「この、後ろにいる子が茉里栖さんで、悪霊の『カゲコ』」
「……手前にいるほうが、現在は中学生YouTuberとして活動している白野ミア。俳優の
茉里栖さんいわく、そもそものきっかけは、去年の保護者懇談会だそう。
彼女のお母さんが、クラスメイトのお母さんに何気なく『娘が低学年の頃、内輪ナツエ主演の映画で脇役をやったことがある』と話したらしい。それがクラスメイト自身の耳に入り、伝言ゲーム式に話が広がった。
作品名を特定しようとする人が現れ、動画サイトで検索すると、さっきリンが見せてきた画像の場面を切り抜いた動画が出てきた。
で、いつの間にか茉里栖さんが『神奈子』の幼少期を演じたことになっていたらしい。
「どんどん話が大きくなって、訂正できなくなったわけか」
「実はお化け役でした~、なんて打ち明けたら、あの人たちすごいバカにしてきそうだしね……」
特に否定も肯定もしないでいたら、YouTuberの白野ミアさんが『実は、内輪ナツエさんの幼少期を演じてました!』という内容の動画をアップした。ちやほやされる日々から一転、ウソつきの烙印を押されて今に至る。
そんな経緯だった。
「作品自体はあまり評価されておりませんが。『カゲコ』が浄化される場面は、トラウマ級の恐ろしさだと有名です」
「あの叫びは、どんなに演技がうまい子役でも、なかなか出せないでしょう」
双子がほめると、茉里栖さんの目に光が灯ったように見えた。
「……母の勧めで、児童劇団に入っていて。小学生時代の『神奈子』のクラスメイト役で出演する予定でした。当初は『カゲコ』も白野ミアが演じるはずでしたが、何度リテイクを繰り返しても監督のイメージに沿う演技ができなかったようで。そこで監督が、『あの子に一度やらせてみたい』と、劇団の事務所に連絡をくださったのですわ」
怪異に巻き込まれ殺されるときの叫びを評価していただいたようで、と茉里栖さん。
話しぶりから、『カゲコ』を演じたことに対する誇らしさが伝わってくる。それを理解しない人たちに、大切な思い出を踏みにじられたくない。そんな気持ちから、あえて打ち明けなかったのかも。
茉里栖さんを見すえる双子。おとといあたしに向けたのと同じ目をしている。
「先輩。あなたは、お化け役として唯一無二の才能をお持ちです」
「われわれが製作するホラー映画に、出演していただけませんか?」
茉里栖さんの涙が、止まった。
居住まいを正して、ゆっくりと頭を垂れる。
「……喜んで」
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