正体見たり

 土曜日。

 アニメを観ながら昼ごはんをすませ、そろそろやんなきゃと思ってたエレキベースのお手入れと弦交換に取りかかって終わらせたら、もう夕方。

 ほんと休日って、猛スピードで時間が過ぎるね。さて、気分転換はここまでにして、とっととパーティーの飾り付けを考えないと!放り出してあったスケッチブックを引き寄せて中身を開くと、きのう徹夜で思索した痕跡がたくさん残っていた。


「うう、こんなんじゃダメだ~!」


 あおむけにたおれたとき、あたしが使ってる二段ベッドの上段から、ブーンブーンとスマホの振動音が聞こえた。


「亜蘭ちゃんだな。はいはい、炊飯器はちゃんとセットしたし、カーペットのコロコロがけはあとでやろうと思って……あれっ」


 起き上がってはしごを登り、スマホをつかんでライン通話の着信画面を見たら。

 そこには、意外な名前が表示されていた。


「もしもし、アカネさんっ」

『しーどーもーえー。いきなりごめんだけどさー、ちょっと頼まれてくんね?』


 うわわ、なんか電話の向こう側がザワザワうるさいよ。外にいるのかな。

 アカネさんは、深夜まで営業してるヘアサロンで働く美容師さん。今日もお仕事だから、帆南ちゃんは土曜日だけど保育園に行っている。


「あっはい。どんなことですか?」

『まじ神。あーっとね、職場がちょいピンチなんだわ』


 ものすごくかったるそうに、事の顛末を話し出すアカネさん。


 ……同じテナントの一階に入ってるカフェがボヤを起こし、上昇した煙がヘアサロン全体に充満、店内大パニック。それを『ちょいピンチ』と言ってのけるとは。

 さすがアカネさん、人体模型レベルに肝がすわってらっしゃる。


 土曜保育は四時半までだけど、いろんな対応に追われてとても仕事を抜けられそうにないから、帆南ちゃんのお迎えに行ってほしいとのこと。


 急いで着替えて、アパートを出ると。ブラックスミスの前に、ゴシックロリータなど、黒を基調とした個性的なファッションに身を包んだ人たちがいた。


 今日は、ビジュアル系バンドのライブがあるんだ。


 あんなヴァンパイアみたいなメイクをしたバンドマンたちがいきなり地上に緊急避難なんてしたら、自衛隊が出動するような大騒ぎになりかねないね。

 地獄絵図を想像しながら歩道を進むあたしの目に、まるで天国みたいな光景が映った。格子状のフェンスに、色鮮やかな花を植えた鉢がいくつもかかってる。


「ペットボトルの鉢だ。園児さんたちが作ったのかな」


 ここが帆南ちゃんが通う『キャラウェイこども園』だよ。門を通ると、玄関にエプロンを着けた背の高い女の人が立っていて、優しい笑顔を向けてくれた。


「こんにちは。連絡はいただいてますが、念のためお名前を確認させてもらいます」

「は、はい、志戸もえかです!アカネさ……帆南ちゃんのお母さんの代わりに、お迎えにきました」


 さしがねにも負けないくらい、直角におじぎをするあたし。誘拐犯だと疑われて引き渡しを断られたら大変なので、無礼のないようにしなければ!


「はい、ありがとうございます。もえかさん初めまして、私は園長の……」

「すみません、遅くなってしまいまして!あの、タクミは」


 背後から聞こえた声に振り向くと、ビジネススーツを着崩した男の人が肩で息をしていた。まんまるなお顔をした男の子が「パパー」とぽてぽて走って現れ、スーツの足にしがみつく。お名前を聞き取ることができなかったけど、園長先生は、


「どうぞ入って。帆南ちゃん、みんと組さんのお部屋にいるから」


 早口にあたしをうながすと、深刻な顔になって、タクミくんパパと話し始めた。

 クツを脱いでいる最中、タクミくんパパが「申し訳ございませんでした」「やはり慰謝料を」としきりに謝罪する声が飛んできた。あちゃー、タクミくん、お友達にケガさせちゃったのか。おとなしそうなのに。


 気を取り直して、みんと組さんのお部屋にレッツゴー!帆南ちゃんはれもん組さんだけど、土曜は登園してる子が少ないから合同保育になるみたい。

 廊下の最奥に『みんと』って書いてあるプレートが見えるから、あそこだね。

 めったに来られない場所だし、歩きながらあちこち観察してみよっと。


「わああー、かわいい!」


 パステルカラーの壁にも窓ガラスにも、画用紙を切り貼りして作った装飾がいっぱい。それがもう、すっごく凝ってるんだ!電車ごっこで遊ぶネコさんやウサギさん、ダンスをするお野菜たち。園児じゃなくても、見ていて楽しくなっちゃうや。


「でも、作るの大変だったろうなあ」


 ひとりで黙々と作業できるあたしと違って、たくさんいる子どもたちの面倒を見ながら仕上げなきゃいけないんだもん。


「たっくん、バッグを忘れてるぞ。……っと、すみません」

「あ、ごめんなさい!」


 きょろきょろしていたせいで、男の先生とぶつかりそうになった。反射的にさしがねのモノマネみたいなおじぎをして、上体を起こすと。

 見覚えある切れ長の目が、これまた記憶に新しい、アーモンドみたいな形に見開かれていた。シュッと細い眉を、向かって右片方だけつり上げている彼はっ。


「う、宇石くん!」

「志戸。どうしてここに」

「恭哉にいー。たっくんバッグないー」


 ぽてぽて走ってきたタクミくんは、宇石くんが取り落としそうになった通園バッグをナイスキャッチ。さよーならー、と玄関めがけてUターンする。ぬくもりを感じる板張りの廊下に、カチコチに固まったあたしたちが残された。


 カツコツ、カツコツ、カカカカカカッ!


「……手に持ってるのは割り箸で、たたいてるのはねんどマットなのに」

「……プロドラマーの風格だな」


 みんと組さんのお部屋で、ドラムの自己練習に没頭する帆南ちゃん。いったんゾーンに入ると一曲やりきるまでは大怪獣がやってきても無反応だから、あたしと宇石くんはそばで見守りながら会話する。


「園長先生、宇石くんのお母さんだったんだね。いつもお手伝いしてるの?」


 園長先生のお名前は、宇石ひめか先生とのこと。


「毎週じゃないが、土曜保育と平日の延長保育の時間に。将来、子どもに関わる仕事をしたいから、勉強させてもらうつもりで」


 ええっ、えらすぎる!なんだか、カーペットのコロコロがけすらサボろうとしてた自分が恥ずかしい(白状します)。

 帆南ちゃんがいるテーブルには、カラフルな画用紙やのり、はさみが置いてある。子どもがあつかうには向かない、柄が長くて大きなはさみ。


「この画用紙って。もしかして、壁とか窓ガラスに貼ってある、かわいい飾りの材料?」


 問いかけると、宇石くんは一呼吸置いたあと「ああ」とうなずき、


「園内の壁面装飾はぜんぶ、おれが製作してる。保育士の仕事は、想像以上に多い。おれが引き受けることで、先生たちの負担を少しだけでも減らせないかと思ってな」


 堂々と、衝撃的な発言をした。強い動揺に口がきけず、わなわなふるえるあたし。


「……どうして黙る。言いたいことがあるなら、はっきり」

「お願いします。あたしに、イベント部に、力を貸してくださいぃぃぃ!」


 奇跡だ。まさかこんな場所で、飾り付けのプロフェッショナルに出会えるなんて。苦手なチーム作業になっちゃうけど、宇石くんとならできる気がする。だからこの通り!


「なっ⁉こ、こら、床に頭をすりつけるんじゃない」


 大騒ぎのさなかにあっても、帆南ちゃんは依然として、ドラムスティックという名の割り箸をふるいつづけていた。


「しどもえ、かえるぞ!恭哉にい、さよーならっ」


 ようやく脳内ライブをやめ、お帰りの準備をすませた帆南ちゃんが、ステッカーだらけの通園バッグを肩にかけてきちんとおじぎをする。なんと貴重な光景!


「さようなら。ちゃんとあいさつできるようになったな。さすが、れもん組さんだ」


 ……宇石くんが笑ってるとこ、初めて見た。園長先生にそっくりな、優しい表情。

 ん?ちょっとタイム。あたしは、きのうの技術の授業が終わったあとに宇石くんが放った、『~組傘下よりなっとらん』というセリフを思い返す。

 そして、とんでもない聞き間違いをしていたことに気づいた。『〜組傘下』じゃない。『れもん組さん』だ!


「はぁぁ。ほんとバカだ、あたし」

「もう気にするな。だが今後一切、子どもがいる場所で土下座はよせ」

「え!あ、うん。(そのことについても)反省してます……」


 帆南ちゃんと手をつないで門を出るとき、真っ黒なワンピースを着た若い女の人とすれちがった。あれ、まだ帆南ちゃん以外にも園児さんが残ってたんだ?



 その夜。二〇一号室では、超絶激務をこなした大人二人が、遅い夕食をとりながらおしゃべりを弾ませていた。


「向こうは元妻だから、たっくんパパが休日出勤多いことも把握してるっしょ。そんで人目が少ない土曜をねらって、たまに襲来してたんだよ。タクミは私の子でもあるんだから!連れて帰って何が悪いの?っつって」

「ざけんじゃないわっ!そんな女、母親じゃなくて誘拐犯よっ」


 ドン、とにぶい音がする。亜蘭ちゃんがミニテーブルにこぶしを落としたらしい。

「外見は清楚系てか、静かそうな感じだったけどさ。毎度、葬式帰りみたいなまっくろけのワンピ着てんだよ」


 プシュ。こっちはたぶん、アカネさんが缶チューハイを開けた音。


「……最近めっきり見ねーなと思ってたら、まさか亡くなられてたなんてさ。たっくんの安全が守られたのはいいけど、なんか後味わりーわ」


 ぎえええええ!こっわああああ!


 二段ベッドの上段。お泊まりがうれしくてはしゃぎ疲れ、すやすや眠る帆南ちゃんを抱きしめながら、あたしは白目をむいた。

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