なんて日だ!

 「あー、くたびれた……」


 髪を無造作にまとめて、背中にはでっかいドラム型リュック。体操着のジャージに身を包んでふらふら下校するさまは、ハードな練習を終えた運動部員みたいだ。

 あたしコミュ障だから、人と話せば話すだけ精神的疲労がたまるんだよ……。


 それはそうと、校門前で双子と別れてから思ったんだけど!泰原先輩、パーティーのコンセプトが変わったこと、蜂谷さんたちに伝えちゃうんじゃない⁉

 そうなったらぜったい「どういうこと?」って詰められるっ。

 蜂谷さんの中では、プロム風に飾り付けられたゴージャスな会場で、先輩に花束を渡すことが確定事項なんだから。


 そのとき背中から、ピロ、ピロンと連続で音が鳴った。リュックを前に回してスマホを取り出すと、ラインにメッセージが二件。


『コンセプト変更の件ですが、泰原先輩に口外しないよう申し伝えてあります。』

『もえか先輩が般若の形相で、虚空を見つめていらっしゃったときにです。』


「妖怪は、テレパシーも使えるらしい……」


 っていうかあたし、そんなにおっかない顔しちゃってた?うわー、恥ずかしいぃぃ。

 THANK YOU!という文字のとなりでヘドバンするベーシストのスタンプをトーク画面に連投しながらしばらく歩くと、家に帰り着いた。


 母さんの父さんであるじいちゃんが、副業で大家さんをやってる五階建て……じゃなくて、地上三階・地下二階建てアパート。


 六畳1Kクローゼットあり、バス・トイレ別というまずまずな条件にもかかわらず家賃が破格なのは、ある理由のせいなんだけど。


 外階段に足をかけたところで、ふたたびラインに通知が来た。


「うわ。りょうくんからだ」


 確認すると予想通り、フキダシの中にジュースやお酒の絵文字が並んでいた。

 これは「地下一階、ドリンクカウンターまでお越しください」という意味。

 うーん。できれば遠慮しときたいけども。

 緊張に次ぐ緊張のせいでカラカラになったのどが、うるおいを欲している……。


 カンカンカンと階段を駆け上がり、二〇一号室の鍵を開ける。ここがあたしと亜蘭ちゃんが暮らし、たまにじいちゃん、ごくたまーに父さんが帰ってくる部屋だ。

 リュックを置いて体操着の上着を脱ぎ捨て、インナーとして着てたTシャツ姿で外に戻った。


 一階部分に店を構えるお弁当屋さんのわきに、地下へと続く階段がある。急な段差を降りきった先は、まさに別世界。

 白と黒のチェスボード模様の床。真っ赤な壁はいろんなバンドのステッカーやポスターが余すところなく貼られ、バンドマンや客による落書きが書き散らかされ、めちゃくちゃなありさまだ。


 そう。ここはライブハウス『ブラックスミス』。元バンドマンのじいちゃんが四十年くらい前にオープンさせた、老舗の箱だ。


「涼くん、ただいま〜」


 声をかけると、お客さんに飲み物を提供するドリンクカウンター内にいるお兄さんと目が……うん、合わない。今日も顔の半分が、安定かつ鉄壁の前髪で隠れている。

 礼門れもん涼くんは、専門学校に通う十九歳。ブラックスミスでバイトしながら、ライブやコンサートで活躍する照明スタッフを目指して勉強中なんだ。


「おかえり。じゃーんけーん」


 うわっ、ノータイムで来た!


「「ぽん!」」


 お互いに高く掲げた右手。涼くんはチョキを出している。で、あたしは……パー。


「ざ、残念だったね~涼くん!これは紙じゃなくて、金属の薄板だよ?金切りばさみじゃないと切断できないから、あたしの勝ちでは⁉︎」

「じゃあこれ。そのナントカばさみ」


 口元をわずかににんまりさせ、チョキチョキと指を動かす涼くん。


「……言うんじゃなかった……」


 自らのバカさ加減をなげくひまもなく、あたしは涼くんに、


「負けた人は。亜蘭あらんさんへの差し入れ係」


 と押し付けられたクリアボトルを持って、スタッフオンリーの扉を開けた。

 右手奥にある階段を上ると、ライブフロアを見下ろす2階席に出られる。

 おそるおそる足を踏み入れると……。


 ブラックスミス専属PA(音響さん)・冴木さえき亜蘭ちゃんが、つまみがずらりと並んだミキサーの前に立っていた。ステージでパフォーマンス中のバンドに対して、天上に住む女神(?)と見まごうような笑顔を向けている。


 金色のミディアムショートヘアで、猫みたいに顔が小さくて体つきも華奢な亜蘭ちゃんは、とても三十歳男性には見えない。


「ずっとあこがれてたブラックスミスで、おまえらといっしょに盛り上がれたことに感謝してる。今日がオレらの命日でもかまわねえっ!」


 マイクを握り込んだボーカルさんが、感極まったようすでフロアにMCを響かす。


「あーら。なら、そうしてやるわよ……」


 亜蘭ちゃんの口から、地獄を統べる魔王みたいな低音ボイスが吐き出された。笑顔とのギャップがこわい。


「彼女とケンカして当日リハに遅刻なんて、いい度胸してんじゃないの……!」


 ひぇ〜、まずいことやっちゃったね!

 はたして公演終了後、メンバーのうち何人が、生きて地上に帰れるんだろう……。

 彼らがたどる運命を想像し、オーブンで熱されたプラ板みたいに縮み上がるあたし。はずみで、ボトルに入ったオレンジ色のドリンクが水音を立てた。亜蘭ちゃんがこちらを振り向く。さすがPA、聴力がはんぱない!


「あらもえか。おかえり〜」


 つかつか近づいてきたと思いきや、手からボトルをひったくられた。


「……ハンディドライヤーどこやった」

「たたた、ただいま。ええーと……。ちょっと絵の具を乾かそうと思って、学校に」

「バカッ。ふだんふつうに使ってるもんまで工作の道具にすんなっつったでしょ。ぎゃあっ、ズボンに真っ赤な手形が!もえか、アンタいったい、学校で何してきてんの⁉」

「え?うわー、手汗ふいたときだ!」


 蜂谷さんたちが去ったあとつい気が抜けて、手が汚れてることを失念したらしい。

 ほどなくして、激しいナンバー……というより、少しリズム感が優れた作業員さんたちによる建設工事の音みたいな演奏が始まった。連動して、亜蘭ちゃんの怒りも増幅!


「まったくアンタはーっ!」

「ぎゃーっ、ごめんなさーい!」


 とほは。陰キャ中学生だってのに、わんぱく小学生みたいな怒られ方された。


 亜蘭ちゃんは、家にも職場にも居着かない自由人であるじいちゃんに代わり、ブラックスミスのオーナー代理、あたしの保護者代理として日夜がんばってる。昔は二〇二号室のお隣さんだったけど、ある日を境に二〇一号室でいっしょに暮らすようになったんだ。二〇二号室では現在、涼くんが生活中。


 涼くんのところに逃げ帰ると、プラカップに入ったドリンクをくれたので、落書きにまみれた壁に寄りかかって味わう。


「くぅー、モクテル、最高!」


 オレンジジュースとジンジャーエールの配分が絶妙ですな。この楽しみがあるから、恐怖の差し入れジャンケンにもつい乗っちゃうんだよね。

 アパートに戻りがけ、外にあるウェルカムボードをぱたんと折りたたんで回収。

 イーゼル型のボードには、その日に開催されるライブタイトルや出演するバンド、開演時刻や料金などが書いてある。あたしが毎日書き換えて、登校する前に立てておくんだ。


 一階のお弁当屋さん『美日庵』の自動ドアが開くなり、小さな影が猛烈な勢いで飛びついてきた。細い両腕に、ぎゅうううっとパワフルに腰を締め上げられる。


「しどもえー!おつー!」


 Tシャツにすりつけられる顔は、ほっぺがもちもちの桃色で、まつげがくるんと長い。茶色っぽい髪を細かく編み込み、頭の両サイドでハムスターの耳みたいなシニヨンを作っている。


「ぐああ。……ほ、帆南ほなみちゃん、腰骨が粉砕しちゃうよ」


 五歳の四音しおん帆南ちゃんは、お母さんとふたりで二〇三号室に住んでるんだ。


「ふんさいってー?」

「立ってベース弾けなくなるほど、ひっでぇケガすんだって」


 お母さんのアカネさんに教えられ、やば!とパワーをゆるめる帆南ちゃん。


「おつ、しどもえ。シャケ弁半額だよん」


 黒い蝶みたいなまつげと、気合いを入れてカールさせたライトブラウンの髪。生涯ギャル!って感じのキラキラ美人だけど、アカネさんはとても気さくで話しやすいんだ。


「アカネさん、お疲れ様ですっ。帆南ちゃんはこれからドラムレッスン?」

「うん!しどもえも、ベースのれんしゅうサボんなよ。じゃねー!」


 帆南ちゃんは、ショッピングセンターに入ってる楽器屋さんでドラムを習っている。小学生になったら、ガールズバンドを結成したいんだって。現在メンバー募集中で、あたしをベーシストとして引き入れるつもりみたいだけど、もちろん遠慮します。


 ちょっとした気分転換にエレキベースを弾くだけのあたしと、『キッズ☆ドラムスクール』開講して以来の天才少女と注目されてるらしい帆南ちゃんとじゃ、実力差がありすぎだ。あと年齢と、見た目の差も。


 それにバンドだって、あたしの苦手なチームプレイでしょ。

 下手な演奏とダサい容姿で足ひっぱって、帆南ちゃんを落胆させるに決まってる。

 とにかくあたしは、みんなで協力して何かを成し遂げることにまったく向いてないんですっ。

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