まさかのOK

 完全下校時刻になり、北校舎を出た。


 四階建ての北校舎は、旧技術室以外に美術室や家庭科室が共存する、いわゆる特別教室棟。重ねたパンケーキみたいな円柱状をしている、ちょっとめずらしい建物だ。

 だから教室も長方形じゃなくて、切り分けたバームクーヘンみたいな形なんだ。


 最上階はワンフロアまるごと視聴覚室で、室内は完全に円形だから、パーティーホールっぽくはあるけど。


 本校舎の廊下を歩き、生徒玄関前にある手洗い場で、つめの間に入り込んだ絵の具を洗い落とす。バシャバシャ水音を立てつつ、リンとリクに問いかける。


「ねえ、ほんとにあれがプロムってパーティーなの⁉︎学校行事の域を超えてるよ!」


 さっきインスタグラムで見た、学校の体育館でプロムを楽しむ海外の高校生たちの写真や動画が、頭の中でノンストップ上映中。


 なんかどの学校も、飾り付けがありえないくらいゴージャスだったんですけど!


 色とりどりのバルーンを、体育館が浮き上がりそうなほどたくさん使って。天井から布飾りが吊り下がっていたり、メタリックなウォールパネルがギラギラと輝きを放っていたり。参加者はみんな、きれいなドレスやタキシード姿だった。


「いちおうフォーマルなダンスパーティーですから、正装をしていらっしゃるんです」

「学校によっては、高級ホテルが会場というところもあります」


 だめだ。次元が違いすぎる。ああもう、蜂谷さんお金持ちなんだし、勝手に高級ホテルでも豪華客船でも借り切って盛大にやればいいじゃんか~。


「バルーンアーチを作るだけで、部費がほとんどふっ飛ぶかもね」


 そう言うと、双子が同時に声を上げた。


「「部費の使用は最小限にしてください」」


 まるで、獲物を取られまいとするケルベロスだ。頭がひとつ足りないけど。


「ええ~、ムリだよそんなの!」

「でしたら、お断りしましょう」

「あるいは、輪つなぎとペーパーフラワーなどでがまんするよう説得するかです」


 もっとムリっ。蜂谷さんグループの機嫌を損ねることはすなわち、クラス内での人権を放棄するってことなんだから!


 マジでノーフューチャーだ……。


「ううぅ。とりあえず双子、どっちでもいいからハンカチ貸して」

「「泣いてもどうにもなりませんよ」」

「手をふくの!」


 そのとき。幽霊みたいに突き出したあたしの腕に、やわらかい橋がかけられた。ファンシーなポメラニアンの絵柄が入った、水色のロングタオル。


「僕のでよかったら、使って」


 おだやかな声に、あわてて横を見る。


 その瞬間、国宝級に整った顔面が、まともに視界に飛び込んできた!すっきりとした目鼻立ちに、一見して信頼できる人だとわかるような知的な笑みを浮かべている。清潔感あふれるサラサラの黒髪、にきびひとつないきれいな肌。


 誰だこのイケメンは⁉と驚くべきところだけど、あたしはすでに彼を知ってる。


 というか竹光中の生徒でありながら、その名を知らないなんてありえない。

 勉強もスポーツも完璧で、誰に対しても優しくて。まさに『竹光中の王子様』。


「うわああ、泰原先輩っ!」


 緊張のあまり、思わずタオルを握りしめてしまった。ぎゃっ、あろうことか王子様の持ち物に、水道水とも手汗ともつかない液体をしみこませるなんて。

 世が世なら、監獄送りだ。


「すみません、ちゃんと浄化して返しますので、その、ありがとうございました」 

「浄化って……。志戸さん、浮田くんから聞いたけど。うちの部内のことに、イベント部を巻き込んじゃってごめんね。負担になるなら、僕から断っておくよ?」


 一瞬考えて、なんのことか理解した。


「ええっと、パーティーの話ですか?」

「うん。イベント部が飾り付けを担当してくれるんだよね」


 申し訳なさそうな表情をする泰原先輩。


「副部長が中心になって企画してくれたみたいだけど、ホテルや客船を手配するなんて言うから、あわてて止めたんだ」


 おいおい、ほんとに提案してたんかい!

 てかさっきリンが、プロムはいちおうフォーマルなパーティーだって言ったよね?

 蜂谷さん、泰原先輩の意見を完全無視してるんだけど。ずっこけそうになったとき、急にふたつの影がすべり込んできた。


「初めまして、泰原先輩。わたくし、一年B組の九部リンと申します」

「同じく一年C組、弟の九部リクと申します」


 なんだ急に……って、あんたたちまさか、ほんとにパーティーの飾り付けを断ろうとしてるんじゃないよね⁉︎

 蜂谷さんたちの命令にそむいたばかりか、裏で泰原先輩と通じてたなんてバレたら、じょうだん抜きで命がなくなるっ。


 妖怪めいたヤツらにも、「元気で礼儀正しいね」と神対応してくれる先輩。そろってうやうやしく礼をして、リンとリクが順番に口を開く。


「ESS部の副部長さんから、イギリスに転校されるとうかがっております」

「でしたら、パーティーのコンセプトは『ゴーストハウス』などいかがでしょう?」


 何が「でしたら」なんだっ。自分たちの趣味に寄せようとするんじゃなーい!

 すると先輩は、予想外に目を輝かせた。


「……それ、いいと思う。イギリスの人たちにとって、幽霊はとても身近で親しみのある存在だから」


 な、なんとも耳を疑う情報だ。幽霊なんて地球上どこでも、気持ち悪い虫とヘンタイを抑えて、視界に入ってくんなランキング一位に輝いているんだとばかり……。


「僕が転校する学校に通ってる友達が、現地の友達にむりやり幽霊ツアーにひっぱっていかれたらしくて。最初は嫌でたまらなかったけど、参加してみたらこわさよりワクワクする気持ちが勝って、とても面白かったって」

「「ロンドンのゴーストバスツアーですね!」」


 ロンドンだって……。泰原先輩、ほんとに遠くへ行っちゃうんだな。別にファンとかじゃないあたしが悲しむのは、なんかちがう気がするけど。


 常に大勢に囲まれている人気者にもかかわらず、三週間ほど前にちょっとだけしか関わらなかったようなヤツの名前だって、先輩はちゃんと覚えてくれていて。


『志戸さんがすてきなものを作ってくれたおかげで、とても楽しいイベントになったよ』


 新入生歓迎会の撤収作業中にかけてくれたささいな言葉が、すごくうれしかった。

 だからあたしも先輩に、何かお礼がしたい。そんな思いが脳裏をかすめ、摩擦で火がついた。


「志戸さん?」

「……あっはい!すみません!」


 我に返ると、泰原先輩が双子と話し終え、こちらに視線を向けていた。


「パーティーのこと、本当にありがとう。三人とも気をつけて帰ってね」


 さわやかなほほえみを残して、先輩は去っていった。リンとリクが、万事解決とばかりに両手を打ち鳴らす。


「というわけで。パーティーの主役である泰原先輩の意向をくみ、コンセプトは『ゴーストハウス』に決定しました。部室にいるガイコツさんに白いシーツをかぶせて、幽霊のオブジェに」

「ステージは演劇部に暗幕を借りて、ゴシックな雰囲気に仕立てましょう」


 あ、なるほど。ただ趣味に走ったんじゃなくて、確実に用意できるもので飾り付けを間に合わせられるよう機転を効かせたわけね。

 わーい、かわいくて有能な後輩たち、ありがとう……なんて言うわけあるかーい!


「アホかー!そんな墓場テイストな会場にしたら、蜂谷さんに首はねられるよ!」


 ……それはともかく。断ることもできる流れに乗らないでくれたのは、あたしの立場を慮ってのことだ。こいつら、生意気でうるさくて不気味だけど、ちゃんと優しさも持ち合わせていたんだね!


「泰原ユウキ氏。彼は将来、何らかの分野で大成する人物ですね」

「社交性が高く、国内外に人脈あり。つながりを持っておいて損はありません」


 まったくこの妖怪どもときたら……。

 ふたたびずっこけそうになったところを持ち直し、あたしは腕をまくる気持ちで、


「こうなったら、やるしかないよっ。コンセプトに沿いつつ、楽しい雰囲気を演出するためのアイディアを考えよう!」

「「……」」


 聞こえないふりで、わざとらしくシンメトリーにそっぽを向く双子。まさか、さっきあたしが「アホかー!」とか言ったせいですねちゃった?ああもう、不純すぎる動機とはいえ、やる気を出したところだったのに。


 妖怪どもの怒りを手っ取り早く鎮める手段は、これしかない。


「はぁ……。なお一年生は並行して、映画の企画を考えること」


 サッとこちらに向き直る双子。


「「今の発言、録音いたしました!」」


 だからタブレットを好き勝手に使うなっ。


 自分で掘った穴に転落して、土をかぶせられてる気分だ。まあ、実際に撮影するとは言ってないから。企画でもなんでも、勝手に立ててなよ。

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