第2話
その次の日から、雪奈と衣川さんは放課後教室に残って、二人だけの時間を過ごした。
一緒に過ごすと約束をしたわけではない。
教室にいれば、衣川さんと一緒にいることができる。そう思っただけだ。
衣川さんはいつも本を読んでいる。
時折、考え事をしているのだろうか、窓の外に顔を向け、難しい表情を浮かべる。
少しすると、また視線を本に戻す。
その繰り返しだ。
雪奈はそんな衣川さん様子を、斜め後ろから眺めていた。
衣川さんが外を見ると、雪奈も外を見る。
衣川さんが本に視線を戻すと、雪奈も手元の問題集に視線を戻す。
その隙に、ちらと衣川さんの横顔を盗み見る。
見惚れてしまうほど、透き通った横顔だ。
衣川さんは一体いつも何を考えているのだろうか。
「勉強は順調?」
突然、衣川さんが振り返って声をかけてきた。
雪奈は驚いて、心臓が飛び跳ねるのを感じた。
見ていたのがバレたのだろうか。
「全然」
雪奈はとっさに答えた後で、ぶっきらぼうに言ってしまったと気づいた。
「そういう日もあるよね。何をやってるの」
衣川さんは、立ち上がると雪奈の横の席に腰をかけた。
「英語。だけど全然わからなくて」
得意科目は一つもないが、中でも英語は特に苦手だ。
「どれがわからないの」
「全部かな。今やってたのはこの問題だけど」
「どれどれ」
衣川さんは問題を一目見ると、「これはね」と説明を始める。
授業よりもわかりやすい解説に雪奈は関心をした。
「すごい。なんでわかるの」
「授業で似たような問題やったから」
「そうだっけ、全然覚えてない」
雪奈は自嘲気味に笑う。
「そういえば、衣川さんって大学受験はしないの?」
「そのつもりかな」
「なんで、勉強できるのにもったいない」
「決まったレールに乗りたくないからかな」
数秒の間があり、衣川さんはゆっくり答える。
語尾に疑問符をつけたように言う衣川さんは、雪奈を見ると悪戯っぽく微笑んだ。
雪奈の心が揺り動かされる。
衣川さんも私と同じなんだ。
真面目で非の打ち所がない衣川さんでも、決められた道を進むことに違和感があるのだ。
麻衣は仲間を得たという安心感を覚えた。
しかしそれと同時に、勉強ができるなら大学に行くのが普通だと当たり前のように考えていたことに気づき、吐き気を感じた。
嫌悪すべき社会通念と同じことを考えてしまっているではないか。
結局、こうして無意識のうちにも社会という波に飲み込まれてしまう運命なのだろうか。
「なんか、わかる。私もみんなと同じ道に進みたくない。社会が求めるような、良い大学に行って、良い会社に入ってみたいなのについていけなくて。でも、じゃあどうするかって言うと、結局大学に行く以外にどうしたらいいかわからない。専門学校行くとか、就職するとか、そういう道もあるとは思うよ。でも結局は、働かなくちゃいけないし。そう考えたら、とりあえず4年間大学行っておけば、その分は猶予ができるし、それが無難なのかなって」
雪奈は頭の中で考えていたことを、ゆっくり形にするように言葉として表出していった。
「でも、それだと結局決められたレールを走ってるだけだから、それは嫌だなって、最初のところに戻ってきちゃうんだよね」
ここまで言うと急に恥ずかしさが込み上げてきた。
言わなくて良いことまで言ってしまった気がして、衣川さんに変な人だと思われているんじゃないかと心配になる。
「わかるよ。私も同じだもの」
衣川さんは小さくつぶやく。
「衣川さんもどうしたいか悩んでるの?」
「まぁね。なんだかんだ言って、働くことになっちゃうのかな」
悲しそうに言うと、衣川さんは荷物をまとめて立ち上がった。
「帰ろうか。なんだか歩きたい気分」
「うん」
雪奈は慌てて荷物をまとめる。
日が傾き、校舎に差し込む赤い光が幻想的に煌めく。
二人は学校を後にすると、駅へ向けてゆっくりと歩き始めた。
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