公女の行方②

 日が昇った空に響く、熊よけの鈴の音。重なるのは、兵士たちの足音。


 農作業小屋の窓から、ウルフが滑り出た。

 捜索隊の足音に合わせ、三角飛びで壁を越える。

 隊列が途切れたのを確認し、最後尾に続いた。


「昨日さ、応援の奴に聞いたんだけど。リーベンスに怒られたってさ」

 前を歩く兵士が、思い出したように言う。


「『謝るだけなら猿でもできる』って言われたってよ」


「あの男、宰相には下手に出るくせに、俺たちには横柄な態度だぜ」


「あんな奴、宰相ならすぐに始末しそうだけどな」


「私語は慎め」

 上官に叱られ、兵士たちは気まずそうにうつむく。


 捜索はどことなく、やる気が感じられない。

 何かしらの報告のため、捜さざるを得ないのだろう。


 今日はいくつかの班に分かれ、捜索範囲を広げるらしい。

 睡眠不足のウルフは、あくびを噛み殺した。


「おい! 大変だ!」と、怒号が響く。

 中弛なかだるみが広がっていた兵士たちは、飛び上がった。


「……死体が見つかった」

 怒号を上げた伝令兵は、息も絶え絶えだ。


 瞬時に緊張が走る。次々と、兵士たちは斜面を下りた。

 下った先には、林道があった。すでに、数台の車が停まっている。


 数を増やした兵士たちは、さらに斜面を下る。しかし、ことごとく立ち尽くした。


 横たわっていたのは、青いシャツを着た死体。

 雑草が混じった土が、体全体にかかっている。


 死体は、頭のほとんどがなかった。うつ伏せだが、不自然に体が浮いている。

 胸部や腹部も、抉り取られているのだろう。


 鉄の臭いが鼻を掠め、ウルフの頬が痙攣けいれんした。


「熊だ」という呟きが、口々に上がる。


 人間への食害を初めて見たらしい。数人の兵士が、口元を押さえ駆けて行った。


 男物の服を着ているが、臀部でんぶで女だと判別できる。

 何より、ダークブロンドの毛髪が残っていた。


「体中に擦過傷さっかしょうがあります。斜面を転がり落ち、身動きができない時に。……捕食されたのでしょう」

 検分役の兵士は、死体の腕を指さした。


 斜面を転がり落ちると、本当に命にかかわる。

 そのまま絶命できたら、どんなによかっただろう。


 仮に意識があったとして。視界に映る、鼻息を発し、迫りくる熊──。

 ウルフは、先を考えるのを止めた。


「彼女の部屋から、ナイフと切り落とした髪が見つかっています。やはり、城外で目撃されたのは、公女だったようです」


「こんな目に遭ってまで、兄を逃がそうとするとは。……可哀想に」

 捜索隊の隊長である、大柄な兵士が目を伏せた。


 北国から来た兵士たちは、熊の恐ろしさを知っている。

 だからこそ、追うべき対象であろうと。

 その断末魔を考えると、同情せずにいられないのだ。


「熊は執念深いです。追ってきますよ」


 熊が獲物に土をかけるのは、自分の食糧だと主張している証。

 いずれまた、死肉を食らうために戻ってくるだろう。


 何より。人間の味を覚えた、熊が生まれた。

 捜索隊は、すぐに撤収する必要があった。


野晒のざらしにはできん。回収し埋葬しよう」

 隊長は、担架を持ってくるよう指示した。


「熊がいるかもしれん。警戒を怠るな」


「……こちら捜索隊。公女らしき死体を見つけました。……熊に襲われたようです。……はい、撤退します」

 無線機を担ぐ兵士が、ぼそぼそと話す。


「歩兵は速やかに城に戻れ!」


 見えない恐怖にせき立てられるように、兵士たちは斜面を登る。


 ある程度の距離ができたところで、ウルフは静かに離れた。

 川沿いに下れば、アストラ王国に出る。

 そこから迂回し、セルキオ連邦へ入国する予定を立てた。


 シュッツェがどんな反応を示すか、容易に想像できる。

 ウルフは、珍しく同情を覚えた。



「報告は以上だよ」

 ウルフは、湯気が消えた紅茶を飲んだ。


 誰も声を発することができず、静寂に包まれている。


 シュッツェは、音のない世界に迷い込んでいた。

 以前にも経験した感覚。父の死の瞬間と同じものだ。


「これが、公女の部屋にあった」

 ウルフは、テーブルに一冊の本を置いた。


 すぐさま、シュッツェは手を伸ばす。

 擦り切れた本を持つと、中心のページが自然と開く。そこには一枚のメモ用紙。


「……ごめんなさい」

 乱れた筆跡を、シュッツェは読み上げた。

 

 くしゃり。とメモ用紙を握り潰す。固めた拳を、テーブルに叩きつけた。

 衝撃で紅茶がこぼれ、茶色い水溜まりを作る。


「なんでお前が──」

 死ななきゃいけないんだ。

 次から次へと襲いかかる理不尽に、シュッツェは声を震わせた。


 兄と妹だ。性別どころか、価値観も趣味も違う。小さい頃は喧嘩ばかり。


 だが、イタズラも一緒にやった。もちろん並んで怒られた。

 同じくらい生きて年寄りになって、どちらかが先に死ぬ。そう思っていた。


 シュッツェは、無意識に歩き出す。

 葬列のような、覇気も生気もない足取りで。


 寝室に入ったと同時に、床にへたり込んだ。

 冷たい床に額をつけると、自然と息が震える。

 震えは全身に広がり、固めた拳から力が抜けた。


 静かな慟哭どうこくが、こだまするだけだった。

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