非情

 隠れ家は、駅から十分ほどの距離。

 ごく普通のアパートの一室だが、IMO所有の物件だ。


「掃除、大変だったでしょ」

 荷物を運び入れ、ジャガーは部屋を見回した。


「思い出すだけで、鼻水が出る」と、ジェネロはしかめっ面だ。


「ここで、何人が寝起きするんだ?」

 

「ジェネロと公女はホテル。ウルフはいないから……。今のところ四人?」

 指を折り、ジャガーは首をかしげる。


「うへぇ」

 舌を出し、アウルは不満そうだ。


 その後、シュッツェは診察を受けた。

 体調に問題はなかったが、かなりの疲労が溜まっていたらしい。

 しばらくして、座ったまま眠ってしまった。


「ほっとしたんだろうね。面会まで時間はあるし、少し寝かせよう」

 ジェネロは微笑ほほえみ、毛布を広げた。


「アイン。伝えておきたいことがある。……公女の件だ」

 それは、ジャガーの言葉から始まった。


 公女は行方不明だということ。

 別の隊員が潜入を続け、捜索していること。

 IMOとは別に、影で動く人物──『X』がいるということ。


 全てを知ったアインは、やりきれないという風だ。

 さらに、シュッツェの知らない事実を告げられる。


「城で騒ぎが起きた頃。なぜか、城外でシュッツェが目撃された」


「そんな……」

 意味を悟った瞬間、アインは目を伏せた。


「そう、公女だ。彼女が消えた今、それしか考えられない」

 ジャガーは淡々と続ける。 


「どうやって、城外へ出たかはわからない。確実にわかるのは、背後に『X』がいる」


「つまり。公女の行方は『X』が知っているんだね」

 唸りつつ、ジェネロは顎に手を当てる。


「あぁ。ウルフが帰ってくれば、何かわかるはずだ」

 頷くと、ジャガーはアインを見た。


「もちろん、シュッツェにも話す。その時に、あんたが支えになってほしい」


「……そうだな」と、アインはハッとした顔だ。


「腹、減ったろ。なんか買ってくる」

 しんみりとした空気に、居心地が悪くなったのか、アウルは外出した。


 しばらくして──。

 帰宅した手には、セルキオ名物のハッシュドポテト。

 香ばしい匂いで、シュッツェは目を覚まし、半日ぶりに食事をとった。



 アール・ヌーボーと呼ばれる、新しい建築様式。

 それを採用した外務省支部の前に、シュッツェ一行はいた。


 アウトロー気味のアウルは、堅苦しい場所が嫌いだ。

 代わりに、ジェネロが同行した。


「どうぞお入りください」

 十三時ちょうどに、クレモンが支部から顔を出す。

 

 昼時のためか、あるいは人払いをしているのか、職員の数は少ない。

 三階へ上がり、一行は応接室へ入った。


「ご無事でよかった」とサミュエルは、安堵あんどの笑顔だ。


「大使殿、お久しぶりです。この度は、本当にありがとうございます」

 心からの感謝とともに、シュッツェは握手を求めた。


「それは、ジョセフにも言ってやってくれ。私ばかり持ち上げられては、彼が拗ねてしまう」

 茶化すように言うと、サミュエルは振り返る。


 恰幅かっぷくの良い男が、苦笑いを浮かべた。

 セルキオ外務大臣の、ジョセフ・マルタンだ。

 屋外スポーツをしているのか、肩幅が広く日焼けしている。


「まさか、こんなことになるとは……」

 人差し指と中指で眼鏡を押し上げ、ジョセフは言う。


「すでに同盟国を始め、各国は抗議の声を上げている。今後、ビエールには経済制裁が行われるだろう」


「あの……」

 励ましのつもりだろうが、シュッツェの顔は暗い。


「セルキオ軍による、支援はないのでしょうか?」

 勇敢にも、核心へ切り込んだ。


 クローネがセルキオと交わした、安全保障条約。今こそ義務を果たす時。

 動かない同盟国に、苛立ちを覚えていた。


「結論から言おう」

 ソファに座り、ジョセフは両手を組んだ。


「今回の件に関して、セルキオ軍は動かせない。ビエールと衝突すれば、クローネは戦場になる。それに──」


 もういい。わかった。

 耳を塞ぎたくなる衝動が、シュッツェを襲う。


「セルキオは、ビエールの影響を受けていない」

 残酷な言葉だ。つまり、巻き込まれるのが嫌なのだ。


「我々だけで、国を動かしているわけではない。すまないね」

 情けをかけるように、サミュエルは呟いた。


「そうですか……」

 シュッツェは、充血した目を押さえた。

 投げやりな言葉とともに、肩が落ちる。


簒奪さんだつのあと、僕は生きることを諦めていました。ですがセルキオやIMOの力を借りて、僕はまだ生きています」

 しばらく経って、抑揚よくようのない声が上がった。


「それだけで充分です」

 ありがとうございます。そう言って、頭を下げた。


 罵られると思っていたのだろう。それだけに、大臣と大使は戸惑った。


「……我々は、心よりあなた方を歓迎します」

 ジョセフは立ち上がり、手を差し出した。

 公世子こうせいしの器の大きさに、感動を覚えたのだ。


 面会後。迎えの秘書官とともに、ジョセフは退室した。

 

「君は、一人じゃない」

 激励の言葉を残し、サミュエルも去った。


「帰ろう」と、ジャガーが呟く。

 シュッツェは、疲れ切った顔で頷いた。

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