シュッツェの戦い②

 カーテンを閉め直し、シュッツェは行動に移った。


 扉の隙間にタオルを差し込み、室外に漏れる光を遮る。

 ランタンには上着を掛け、光源を抑えた。


 シーツや毛布を裁断しては、鎖状に編む。

 置いていく服も使うことになった。

 しかし、持ってきたはずの青いシャツがない。

 探すのも面倒だと、違う服を裂いた。


 日付が変わり、ロープが完成。

 休むことなく、暖炉へ隠れる練習を始めた。


 まずダンパーを開き、煙棚けむりたなに手をかける。

 次に腕力で上体を浮かし、体を捻る。

 最後に立ち上がり、ダンパーを閉める。

 無駄のない動作を身につけるため、何度も試した。


 時間の経過とともに、緊張が緩む。

 眠気を覚えたシュッツェは、ベッドに横になった。


 厚手のモッズコートでも、毛布の暖かさには及ばない。

 寒さで意識が戻り、慌てて飛び起きる。

 寝過ごしていないかと肝を冷やすが、二時間しか経っていない。


 だが、すっかり目が覚めてしまった。

 シュッツェは、必要最低限の荷造りを始めた。

 持って行くのは数枚の着替えと日記、家族写真のみ。

 上着はかさばるため、無造作に椅子に掛けておく。


 ランタンを消し、タオルを片付けた。いつの間にか、空が白んでいる。


 手製のロープは十数メートルほど。

 一気に垂れ下がるよう、重石代わりに本を結びつける。

 ベッドの脚にきつく結び、緩みがないかを確認。


 全ての作業が、終わった頃。

 時計の針は午前七時を指していた。

 普段と変わらない体を装い、カーテンを開ける。


 時間が迫っていることを再認識すると、息苦しい感覚がシュッツェを襲う。

 靴紐をしっかり結び、ロープを握りしめた。


 着地点は見えない。

 底の見えない水中だとしても、道がなければ飛び込むしかない。

 そのまま沈むか、誰かが引き上げてくれるのか──。


 わずかに開けた窓から、車のエンジン音。

 シュッツェは、手放しかけていた意識を取り戻す。


 時計の針が、午前八時を指した。


 そこからは、機械のように動いた。

 監視が車に気を取られた隙に、窓からロープを投げ落とす。

 結び目が解けていないことを確認し、暖炉へ。

 冴えた頭とは違い、心臓は痛いほど脈を打った。


 五分も経たない内に、城内が騒がしくなる。

 兵士たちの喚声が、足音とともに近づく。

 

 扉が勢いよく開き、大勢の兵士がなだれ込む。

 飛び交うスラングに、浴室の扉やクローゼットを開ける音。


──早く、早く過ぎ去ってくれ。

 神に祈ったのか、兵士たちに願ったのか。シュッツェはただ耐えた。


 耳鳴りとともに、全身から血の気が引いた頃。

 兵士たちが部屋を飛び出していく。しかし、室内にはまだ残りがいる。


 炉床ろしょうを踏む靴音に、シュッツェは息を止めた。

 さらに、外からダンパーを叩かれる。危うく、声を出しそうになった。


「そこにいるんだろ? 出てきてくれる?」

 それは、理解できなかったザミルザーニ語ではない。


──協力者の迎えだ。

 察したシュッツェは、煙棚に尻をつく。

 炉床に足がつくと同時に、へたり込んだ。


「大丈夫か?」と、手が差し出された。

 黒髪に青い目の男だ。ビン底眼鏡で見えにくいが、まつ毛が白い。


「シュッツェ君だよね?」


 男の問いに、シュッツェは無言で頷く。極度の緊張で、声が出せないのだ。


「ジャガー。早く準備して」

 不意に聞こえた声に、シュッツェは肩を震わせる。

 扉の前には、外の様子をうかがう男──ウルフがいた。


「混乱しているだろうけど、今は逃げることに集中して」

 ジャガーは、麻袋に手を突っ込む。取り出しのはビエール兵の軍服。


「重ね着でいい。靴はこれに変えて」

 さらにブーツを押し付ける。


 言われるがままに、シュッツェは詰襟つめえりを着た。

 一回り大きくなったように見える。


「最後にこれ」と、バラクラバが差し出された。


「ちゃんと洗濯してあるから」

 緊迫した状況にもかかわらず、ジャガーは微笑んだ。


「俺は二階に行く。先に下りて」

 変装を見届け、ウルフは部屋を出て行った。


「そういえば、ザミルザーニ語は話せないよな?」

 シュッツェの荷物を、麻袋に詰め込みつつ、ジャガーは問う。 


「はい」

 ようやく、シュッツェから掠れた声が上がる。


「じゃあ、何も話すなよ。俺が対応するから」

 癖のある黒髪をかき上げ、ジャガーは軍帽を被り直した。


 城内は静寂に包まれている。

 捜し尽くしたらしく、各部屋の全ての扉が開かれたままだ。

 

 レーヴェの部屋がある二階へ下りた時。

『マクシム』と、ウルフが呼び止めた。


 シュッツェを尻目に、二人は言葉を交わす。

 短い会話のあと、ウルフは部屋へと戻った。


 エントランスホールの扉は開けっぱなしだ。

 吹き込むのは、湿気が混じった雨上がりの風。


「ほら、乗って」と、ジャガーは車を指差す。 


──まさか、車で逃げるのか。

 あまりにも大胆すぎる行動に、シュッツェは眩暈めまいを覚えた。


 ゆるゆると車が動き出す。

 ジャガーは、門前の兵士に声をかけた。指を回す仕草を見せ、アクセルを踏む。

 

 徐行運転の車が、石橋を渡り切った。

 シュッツェの目にエーヴィヒカイト城が映る。

 逃亡の実感が湧いていないのか、ぼんやりとした目つきだ。

 

 ようやく、雨が止んだ。

 雲の切れ間から、光の筋が降り注いでいた。

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