11.不可侵の地

 車のエンジン音よりも、耳鳴りが大きい。

 意識が、波のように打ち上げられては、引いていく。


「聞いてる?」

 アウルの言葉で、アインは意識を戻した。


「レーヴェが、そんなことを……」


「俺だって、信じられなかったよ。話を詰め込まれて、船に乗せられたんだぜ? いつものことだけど」

 アウルは、しかめっ面で首を振る。


「ちょっと待ってくれ」

 冷静になったアインは、片手を上げた。


「どうして、君は私のもとへ来た? 兄妹が救出対象だろう?」


「ま、話すと長くなるけど」と、アウルは視線を上にずらす。


「公女からの手紙を、IMOに転送したパライ人に頼まれたんだ。『兄妹付きの警護官も、力になるから助けてやってほしい』ってな」


「パライ人が!?」

 声を張り上げ、アインは刮目した。


「そんなに、意外だったか?」


「すまない。……まさか、中立性を重んじる彼らが、仲介に出てくるとは思っていなかった」

 アインは、無意識に唇をなぞる。


「まぁ、そうだよな。話が変わるんだけど、公女付き警護官のシュテル・バッハってひとも救出対象なんだけど。どこにいる?」


「シュテルは自宅にいる。……だが、彼女は巻き込めない」


「なんで?」

 口を「で」の形に保ち、アウルは首をかしげた。


「婚約者がいるんだ。それに両親は健在で、きょうだいもいる。彼女だけを連れ出せば、家族に危険が及ぶだろう」


「なるほどね。じゃあ、プラン変更だな」

 頷いたアウルは、ハンドルを回す。


「あんたは? 調べは済んでるけど、本当に家族はいないのか? 流石に、親族ぐらいはいるだろ?」


「すでに父は死んだ。私が子供の頃に、母は家を出て行った。母の親族は知らない。父の親族は……。絶縁状態だから、心配はいらない」


「なに、仲が悪いの?」


「実を言うと、彼らはリーベンスに恭順する道を選んだ。金と保身のために、フェヒター家を売ったんだ。……フェヒター家は、公族警護の筆頭だというのに」 

 アインは、わずかに苛立ちを見せる。

 卑しい親族など、没落すればいいと思っていた。


「おぼっちゃんの割に、ハードな人生歩いてるんだな。同情するよ」

 アウルの口調は、いくらか角が丸くなっている。


「それより。君とは別に、兄妹を連れ出してくれる人がいるのか?」


「もちろん。あんたは、ある場所で待機してもらう。あいつらは、そうだな──」

 不敵に笑い、アウルは腕時計を見た。

 時計の針は、午後八時半を指している。


「夜明けと共に、行動開始だ」



『あんたは、ある場所で待機してもらう』

 アウルの言葉通り、首都中心部のある場所に、車が停まった。


 高い柵に囲われた、レンガ作りの建物。

 フラッグポールには、天秤を持つ、女神が描かれた旗。


 アインは絶句した。

 まさか『在クローネ・セルキオ大使館』前に降ろされるなど、微塵も思っていなかったのだ。


「車を置いてくる」と言い残し、アウルは去った。


 すぐに大使館の扉が開き、一人の男が、辺りを警戒しつつ出てきた。

 中へ入るように促され、アインは内部へと足を踏み入れた。

 そこはもう、セルキオの領土。

 ビエール兵でも、踏み荒らすことはできない。


「参事官のクレモン・ロベールと申します」

 ブランド物のスーツに身を包んだ、小太りの男だ。


「アイン・フェヒターと申します。……その、非常に混乱しています」

 言いにくそうに、アインは呟いた。


「無理もありません。この騒動は、私共も遺憾に思っております。特に、警護官であった、フェヒターさんのお心を察すると、なんとも……」

 クレモンは、やりきれないといった表情だ。


「こんばんは」

 聞き覚えのある声に、アインは振り返る。

 守衛と共に、アウルが大使館へ入ってきた。


「ロベール殿。彼は、大使館とどのような関係ですか?」

 アウルを一瞥し、アインは首をかしげる。


「とりあえず、中へお入りください。経緯をご説明します」

 話をはぐらかし、クレモンは客間へ続く扉を開けた。

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