10.無茶な依頼

 『IMOシャムロック大陸方面・エスペランサ支部』。

 エスペランサ共和国に駐在する、ベイツリー海軍基地の内部にある。


 つい三年前まで、エスペランサは無法地帯だった。

 カルテルが政府と癒着し、麻薬や人身売買が横行していた。


 強盗は日常茶飯事。

 路地へ入れば、娼婦が誘惑する。

 粗末な小屋が並ぶ、スラム街。

 生ゴミに汚水、生き物の死臭。

 住人たちには普通の光景で、当たり前のにおいだった。


 腐敗した政府を倒すため、軍が立ち上がった。

 後ろ盾にと、ベイツリー共和国のIMOへ、支援を求めた。


 クーデターは成功し、新政府が樹立。

 ベイツリーの目論見通り、駐在軍が配備された。


 IMOは他国へ拠点を作る際の、地固めのような存在。

 正規軍ではない傭兵を使い、損害を最小限に抑えている。

 

 IMO隊員が『捨て駒』と、呼ばれる所以ゆえんだ。


 アウルは、検問で入港許可証と身分証を提示した。

 ゲートを抜け、軍港の隅へ車を走らせる。

 二階建てのレンガ倉庫が。事務所兼宿舎だ。


 日没後の黒い海から、さざなみの音が聞こえる。

 外灯の周りを、羽虫が忙しく飛び回っていた。

 ノブを捻ると、錆びた音が耳障りな音を立てる。


「ただいま」

 帰宅を告げる声は、一体感がない。


「遅いぞ」

 革張りの椅子に座る、大柄な男が声を上げた。


「素直に『お帰り』って、言えよ」

 毒づくと、ジャガーはソファに座る。


 男の名は、フレイム・ストレングス。

 一部の隊員には『オヤジ』と、呼ばれている。


 赤毛をオールバックに固め、割れた顎と黄色い目は、ライオンを思わせる。

 その上、二メートルはある巨体で凄まれれば、誰もが泣き叫ぶだろう。


「総司令、こちらが今回の報酬です。大統領からの親書も預かっています。ちなみに、勝手に読まれました」

 ディアは、ちらりとジャガーを見た。


「お前、死にたいのか?」

 ストレングスは、ギロリとジャガーを睨みつける。


「覚えがないねぇ」

 ジャガーは素知らぬ顔で、ソファに深く沈んだ。


「で。わざわざ、ここまで来た理由は?」


「昨日、こんな手紙が届いた」

 ストレングスは一枚の封筒を、顔の高さに掲げる。


「差出人はレーヴェ・ネイガウス。……まさか、クローネの公女か?」

 はっと、ジャガーは顔を上げた。


「クローネって、一週間前に……」

 ディアは棚から、新聞を取り出す。


『ビエール共和国、クローネ公国に事実上の侵略』

 大きな見出しで、一面を飾っている。

 海を渡ったエスペランサにさえ、そのニュースは轟いていた。


「とにかく、読むぞ」

 

『私はクローネ公国公女、レーヴェ・ネイガウスと申します。

 ご存知かと思いますが、我が国はビエール共和国の侵略を受けました。

 現在、私は兄とエーヴィヒカイト城に軟禁されています。

 監視下に置かれ、自力での脱出と亡命が不可能です。

 もし、真実と受け取っていただけるのであれば、この手紙をベイツリー共和国の「国際傭兵組織」という機関へ、転送をお願いします』


 声を上げる者は、一人もいない。

 シーリングファンの回転音が、やけに大きく聞こえる。


「……この手紙。文面から察するに、IMO宛じゃないな」

 沈黙を破ったのは、ジャガーだった。


「『国際傭兵組織という機関』。確かに、知っていたら、そんな書き方しないわね」

 納得したように、ディアも頷く。


「手紙を受け取ったのは、クローネに住む竜人パライ人だ。その後、俺に転送されてきたってわけだ。何でも、手紙が入った便が川岸に流れ着いていたらしい」

 ストレングスの言葉に、ジャガーは苦笑した。 


「軟禁されているのに、メッセージボトルを流せるのか? それも、幸運にもパライ人の手元に届くなんて、ありえないね。都合が良すぎ」

 これでもかと、否定の言葉を並べる。


「あぁ、胡散臭い話だ。だが、全否定もできん。順を追って説明する」

 机に浅く座り、ストレングスは親指を立てた。


「まず、エーヴィヒカイト城はパライ人自治区の上流にある。次に、軟禁であれば、敷地内を歩き回れる可能性がある。そしてあの城は、庭に川が流れている。最後に、クローネは四日前から大雨が降っている」

 小指以外を立て、さらに言葉を続けた。


「雨で増水し、急流になった川なら、瓶ぐらい流せると思うが?」


「まぁ、なくはないな」

 完全に納得したわけではなさそうだが、ジャガーは頷いた。


「言っておくけど。この依頼、完遂できる保証はないよ? 規模がデカすぎる。いくらIMOでも、ビエールに喧嘩は売れない。下手すれば、ザミルザーニが動くことになる」


「そんなこと、俺にもわかる。ならどうやって、公女に断りの連絡を入れる? いいか、これは人道的支援だ」


「『人道的支援』なんて言葉、知っていたのか」

 面と向かって言えないらしく、ジャガーは顔を背けた。


「じゃあ、兄妹を保護したあとはどうする? 受け入れてくれる国があるのか?」


「セルキオが承諾した」


 隊員たちは、メルカトル図法の地図を見た。

 セルキオ連邦は、クローネ公国の西に位置する。

 クローネが国難に見舞われた際、軍を派遣する盟約を交わしている。


 ちなみに、セルキオも永世中立国。

 クローネと違うのは、軍を保有している点。

 つまり『武装中立国』という、変わった国家形態だ。


「それと、こいつを持っていけ」

 ストレングスは、懐からもう一枚の封筒を取り出す。


「……計画書?」

 珍しく、ジャガーは狼狽した。


「そうだ。監視の服装に巡回時間、行動パターン。物資搬入日と時間。それを踏まえた上で、作戦実行時の兄妹の動きも記してある」


 小さな字が、紙一面を覆い尽くしていた。

 脱出への相当な執念が、文字から伝わる。


「どうやら俺たちは、二日後にはエーヴィヒカイト城にいないといけないみたいだな。つまりーー」

 薄笑いを浮かべ、ジャガーはソファーに倒れ込んだ。


「船は用意した。根回しは俺がしておいたから、さっさと行ってこい」

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