9.急転直下 ー傀儡の巣窟からー

 静まり返った、憲兵局の一室。

 

 書類から目を離し、アインは時計を見た。

 時刻は、午後八時を回っている。


 意識を移すと、集中力が切れてしまった。

 書類を放り、アインはまぶたを押さえる。

 こめかみと目の奥が、鼓動に合わせて痛んだ。

 

 簒奪さんだつの事実は、その日のうちに、国中を駆け巡った。

 すぐさま、外遊に出ていた首相が帰国し、閣僚と議員たちが議事堂に集結。


 しかし、すべてが手遅れだった。

 すでに、ビエールの師団が入り込んでいたのだ。

 武力行使をちらつかせ、行政・立法・司法を黙らせた。


 憲兵局にも、多くの兵が送り込まれた。

 アインは警護官の任を解かれ、警護課も解体された。

 皮肉にも、ビエール傘下の憲兵として、デモ鎮圧に駆り出されている。


 あれから、一週間。

 抑圧されてはいるが、国内は落ち着いている。

 しかし、連行される兄妹の背中が、アインの脳裏から離れない。

  

 今日は寝ようと、書類を片付け始めた。

 その時だった。


 扉を叩く音に、アインは動きを止めた。

 こんな時間に誰だろうと、首をかしげる。


「入っていい?」

 扉越しに聞こえたのは、気の抜けた声。

 アインの返事を待たず、扉が開く。


 カーキ色の詰襟に、身を包んだ男が入室した。

 その姿から、ビエール兵だと確信できる。

 赤みがかった茶髪に、大きな目が印象的だ。


「アイン・フェヒターさんだよな? 迎えに来たんだけど」


「誰だ」

 長身が迫り、アインは身構える。


「質問はあとにしてくれ。時間、ないから。最近は泊まりがけらしいな。荷物、あるなら持って来て。外で待ってるから」


「ちょっとーー」


「急いでね」

 言葉とは裏腹に、動作や口調は緩慢だ。

 質問を一切受け付けず、男は廊下へ出た。


「……何なんだ?」

 我に返ったアインは、独りごちた。


 だが、ここで考えあぐねていても仕方ない。

 男の指示通りに、仮眠室からトランクを持ち出す。


 簒奪後、夜間に呼び出されることが増えた。

 いちいち出勤するのも面倒なので、現在は仮眠室で寝起きしている。

 アインが家に帰るのは、洗濯やゴミ出しといった、家事を済ませる時だけだ。


 最後に、机の引き出しを開けた。

 手に取ったのは、憲兵バッジ。

 すべてを奪われたアインが、まだ持っている矜持きょうじの証。


「俺はビエール兵として、あんたを家まで送る。俺の言っている意味、わかる?」

 壁に持たれていた男が、声を潜めた。


 瞠目したアインは、無言で頷く。

 疑問を浮かべるも、口には出さなかった。


「行こう」と、男が歩き出す。

 廊下に、二人分の足音が反響した。


 アインはふと、緊張していると自覚した。

 鼓動が早くなり、手のひらが汗ばんでいる。

 無機質な廊下を歩いていると、気が遠くなるような錯覚に陥る。


 だが、足を止めてはいけない。

 この男について行けば道が開くと、第六感が訴えている。


 廊下を早足で抜け、エントランスへ出た。

 車寄せには、軍用車が停まっている。


 助手席のアインは、サイドミラーに映る憲兵局を見た。

 治安維持の砦は陥落し、今は傀儡かいらいがうごめく巣窟でしかない。

 ここから抜け出すことを、渇望していた。

 

 しかし。

 いざ現実に直面すると、歓喜よりも不安が、心を支配している。


「そんな顔するな。『家に帰る』だけだろ?」

 ハンドルを握る男が、声を上げた。


 視線の先には、検問があった。

 アインの顔を見るなり、兵士は胡乱うろんな目つきになった。


 男はサイドブレーキを上げ、流暢なザミルザーニ語を発する。

 通行許可証と、身分証を提示した。


 何度か頷くと、兵士はバリケードを開けた。

 すぐに、車が動き出す。


 角を曲がり、検問の灯りが見えなくなった。

 アインは大きなため息と共に、ヘッドレスに頭を預ける。


「ドキドキしたか? もしかして、派手な脱出劇でも期待した?」

 茶化すように、男が笑う。


「どういうつもりだ? 君は何者だ!?」

 呼吸を整え、アインは語気を強めた。


 つい十五分前まで、憲兵局にいた。

 兄妹の身を案じ、己の非力さを呪っていた。

 当然、事情が飲み込めていない。


「落ち着けって。質問に答えるから。な?」


「……名前は?」

 渋々、アインは正面を向いた。


「アウル。ラストネームはない」


 夜目が効かない鳥とは違い、夜行性の猛禽類。

 本名とは思えないが、アインは詮索を止めた。


「あんたは、アイン・フェヒター。フェヒター家って、大金持ちなんだろ?」


「家も財産も接収された。今はただの、没落貴族さ」

 自嘲気味に、アインは笑う。


「君が私に接触した理由は、何となくわかる。……君は何者だ?」


 核心に触れる言葉に、アウルの整えられた眉が動く。


「傭兵」


「……ん?」


「だから、傭兵だって」


 傭兵とは、自国の軍に属さない兵士。

 現在は『民間軍事会社』の名で、活動している。


「……だとすると、雇い主がいるはずだ」

 顎に手を当て、アインは鋭い目つきになった。


「鋭いね。俺の独断だとか、思わないの?」


「こんな国難に、個人が動くわけがないだろう。それとも、君は傭兵じゃなく、慈善活動家か?」


「あんた、冗談とか言うんだ?」

 皮肉に反し、アウルは大ウケしたらしい。

 ハンドルを叩き、爆笑していた。


 茶色の目が、フクロウの如く見開かれる。


「依頼者は、レーヴェ・ネイガウスって女の子。あんた、よく知ってるだろ?」

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