7.在りし日

 大晦日の夜は、雪だった。

 街路樹と歩道を純白に染め、街灯の光を反射する。


 見慣れた街も夜になると、雰囲気が様変わりする。

 そんなことを考えつつ、シュッツェは通り過ぎる景色を見た。


 落葉したトチノキが並ぶ国道を、車は走る。

 曲がりくねった道を登りきると、ハイリクローネア城が姿を現した。

 ライトアップされた城が、闇に浮かんでいる。


 門前で一時停車すると、守衛が迎えた。

 詰所で新年を迎える彼が、気の毒だ。


「久しぶりだな」

 助手席のアインが、城を見上げた。


 白い城壁と赤い屋根に、小さな側防塔そくぼうとう

 中世の姿を色濃く残した姿は、こぢんまりとした外観だ。


 車寄せに停車し、運転手がドアを開けた。


 手袋をはめていても、指先は冷え切っている。

 両手を擦り合わせ、シュッツェは寒さに唸った。


「お帰りなさい!」

 嬉々とした声が、暖かいエントランスホールに響いた。


 笑顔のレーヴェが、階段を駆け下りた。

 一つ結びのダークブロンドが、馬の尻尾のように揺れる。


「兄さま、遅いよ」

 腰に手を当て、レーヴェは口を尖らせた。


 約一年ぶりに会った妹は、横幅が伸びている。

 言えばあとが面倒だと、シュッツェは黙っておいた。


「列車が遅れたんだよ」


「冷たい! 兄さまのバカ!」

 冷えた手を頬に当てられ、レーヴェはむくれる。

 勢いよく、兄の背中を叩いた。


 階段を上がった先に、父が立っていた。

 何かを言いたそうな表情だったが、シュッツェは無視した。


「目くらい、合わせたらどうなんだ?」

 自室の前に来たところで、アインが声を上げた。


「俺の勝手だろ」

 首を振り、シュッツェは扉を開けた。

 コートとマフラーを椅子に放り、ベッドに倒れ込む。


「夏休みは帰って来ない。手紙の返事もない。父上は大層、心配していた」

 続く小言に、眠りかけていたシュッツェは目を開けた。


「それに、あの嘘は何だ? 最終便を選んだのは、お前だろう。そもそも、こんな雪の日に、夜道を運転する人の身にもなってみろ」


「わかってる。……その、ごめん」

 悪態をつくも、シュッツェは起き上がった。

 横になったまま説教を聞くのは、流石に失礼だと思ったらしい。


 誰よりも怖かった母が亡くなり、説教役はアインが引き継いだ。

 シュッツェを警護する傍ら、諌め諭す守役でもあった。

 

「私も言えた口ではないが、この状況は良くない。父上は、お前を本当に心配してーー」


 その時。

 会話に割って入ったのは、扉を叩く音。


「……私だ。入ってもいいかな」

 低く、落ち着いた声。

 父の声に、シュッツェは口の端を結んだ。


「シュッツェ」と、アインがたしなめる。

 返事がないため、代わりに扉を開けた。


「君も、そこに居てくれないか」

 父は、退室するアインを引き止めた。

 息子と二人きりになるのが、よほど気まずいらしい。


「お帰り。元気そうだな」

 椅子に座ると、父は両手を擦り合わせる。

 その目は、うつむいたままの息子の顔を覗き込んでいた。


「何の用?」

 シュッツェは、頑なに顔を上げない。


 本当は、家に帰りたくなかったのだ。

 何かと格付けする教師も、マウントを取り合う同級生も上級生もいない。

 静まり返った寮で新年を迎えられたら、どんなによかっただろう。

 その望みは、乗り込んできたアインによって砕かれた。


「話がしたかっただけだ。家族でゆっくりできるのも、今夜くらいだ。明日から私は公務。お前は、明々後日しあさってに帰るだろう? だからーー」


「話がしたい? じゃあ、あんな所に入れなければ良かっただろ」

 暖炉の薪が弾けたと同時に、シュッツェは声を上げた。


「俺はクローネの学校に、進学したいって言ったじゃないか。あんなつまらない場所に行きたくなかった。遠ざけたのはーー」


「いい加減にしろ」と、父が遮った。

 打って変わった厳しい口調に、シュッツェは口をつぐむ。


「そのことは、何度も話したはずだ。お前は、自分の立場を理解していない。あの学校は、国を背負う者にとって必要な知識を学べる。だからこそーー」


「もう、うんざりなんだよ!!」

 威圧感のある声が、シュッツェから上がる。

 沸いては押さえつけていた怒りが、頂点に達したのだ。


「なんで縛り付けるんだ! 公世子らしく振る舞え! 公世子としての品格を大事にしろ! 公世子として責任を持って行動しろ! どいつもこいつも、同じようなことばかり言いやがる!」

 唾を撒き散らすことも構わず、怒鳴った。

 扉の前のアインが、うなだれる。


「あんたに、人生を捻じ曲げられた!」


 アインの制止を聞かず、シュッツェは自室を飛び出した。

 乱暴に扉を閉め、拒絶の意思を露わにした。


 側防塔まで走り、一人で泣いた。

 人生を悲観したことよりも、呵責の念からだった。

 父も、自分と同じ道を辿った。

 そんな父を悪党だと決めつけ、素直になれない己が、ひどく腹立たしかったのだ。


 その日の豪勢な夕食のメニューも、味さえも覚えていない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る