6.嵐の最中

「は?」

 静寂を破ったのは、シュッツェだった。


 上がったのは、ひどく間抜けな声。

 紅茶を飲む手を止め、リーベンスは苦笑した。


ーーこの人、叔父だよな?

 幼稚な質問を、シュッツェは自身へ投げた。


「……なんで、そんなことを?」

 理解が追いつかないと、額に手を当てる。


「叔父さま、悪い冗談ですね」

 抑揚のない声で、レーヴェが言う。

 表情は硬く、愕然とした様子だ。


「冗談じゃないさ。君は、大公になることが重荷だったんだろう? ちょうど良いじゃないか。こんな美味しい話、二度とないよ」

 身振り手振りを交え、リーベンスは饒舌だ。


「それに、一生遊んで暮らせる金が手に入る。本当にグローセベーアには感謝しなきゃね」

 やっと死んでくれた。と笑う顔は、兄妹の知る叔父ではない。


「それが、あんたの本性か。小汚いことするなよ」

 懐に拳銃があれば、この場でリーベンスの頭をぶち抜いていただろう。

 シュッツェは、死刑制度を廃止した、亡き祖父を恨んだ。


「決定権は、次期大公の俺にある。お前には即刻、クローネから出て行ってもらう」


「今まで君たちに構ってやった叔父に対して、随分と酷い物言いじゃないか」

 次期大公の怒りは、鼻で笑われた。


「そもそも、取引はすでに終わっているんだ。君たちに権利はない」

 中指で眼鏡を押し上げ、リーベンスは「お入りください」と声を上げた。


 ノックもなく、すぐに扉が開く。

 突然の来客に、警護官たちが兄妹の前に飛び出した。


 乱入者は、五人。

 武装した男たちと、アタッシュケースを持った男が一人。

 その中心に、守られるように立つ男。

 一切の感情がない顔に、シュッツェは見覚えがあった。


「この方はビエール共和国宰相、ヴィリーキィ・シーリウス殿だ」

 リーベンスは、自慢げに言った。


 瞠目した警護官たちは、ショルダーホルスターの拳銃から手を離す。


 ビエール共和国とは、クローネ公国の北に位置する国だ。

 クローネによる、永世中立国への移行宣言を承認し、数十年も和平を保ってきた。


 しかし。

 現在、行われていることは、不可侵条約の一方的な破棄。


「……この売国奴」

 レーヴェが、可憐な容姿にはそぐわない言葉を発した。

 円卓を叩きつけ、勢いよく立ち上がる。


「やめろ!」と、シュッツェが怒鳴る。


「混乱に乗じて、よくも汚いことを!」

 制止を無視し、レーヴェはリーベンスに詰め寄った。

 小銃を持った男たちが立ち塞がるが、一歩も退かない。


「レーヴェ、やめろ」

 シュッツェは、レーヴェの肩を掴んだ。


 リーベンスに手を出せば、報復を受けるのは必至。

 それどころか、クローネは焦土と化すだろう。


「宰相」

 緊迫した雰囲気の中、声を上げたのはアインだ。


「この件は、なかったことにはできませんか。このような形でクローネに干渉したとなれば、各国が黙っていないでしょう」


 撃たれやしないかと、シュッツェは固唾かたずを飲んだ。

 

 眼鏡の男が、ヴィリーキィに耳打ちを始めた。

 どうやら、通訳らしい。


「雪と不毛の大地からなる我が国は、資源と自然が潤沢な地を求めています」

 ヴィリーキィの言葉ど同時に、通訳が口を開いた。


「よって、この件は願ってもいないお話です。クローネ公国を併合することは、宗主国であるザミルザーニ帝国も了承済みです。このようにーー」

 続けて、一枚の紙を取り出した。


「契約書には、皇帝陛下の証明もあります」

 

 ザミルザーニ帝国とは、大陸北部に位置する大国。

 『北壁』とも称され、大陸最大の軍事力を誇る。


「永世中立国もとい『非武装中立国』という立場が、あなたがたの敗因でしょう」

 さらなる追い打ちに、シュッツェは殴られたような衝撃を受けた。


 非武装中立国。

 軍隊を持たず、各国の理解の上で成り立つ国家形態。

 先代が、多くの反対を押し切ってまで進めた、平和の形。

 いとも容易く破られた挙句、踏みにじられた。


「『この家に生まれたせいで、人生を捻じ曲げられた』。君はそんな理由で、父上と喧嘩したそうじゃないか」

 軽やかな足取りで、リーベンスは前へ踏み出す。


「よかったじゃないか。晴れて君も、ただの平民だ」


 リーベンスを睨み上げ、シュッツェは拳を固めた。

 だが、振り上げることはできない。

 理性を保つため、震えるほど握りしめた。


「でも、簡単には平民になれない。しばらくは、大人しくしていてくれ」

 眼鏡を押し上げ、リーベンスは笑みを浮かべた。


「今日から、私がクローネの王だ」

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