5.嵐の前の静けさ

 葬儀から十日。

 季節は晩夏から、秋へ。


 シュッツェは額縁に収められた、家族写真を見た。

 

 憲兵学校への入校日に、父と妹と撮った。

 たった、半年前のこと。


 もう、学校へ戻ることはないだろう。

 公世子こうせいしは、いずれ大公になる宿命。

 この時のために、地獄の日々を過ごしたのだ。


 シュッツェは十二歳で、異国の名門寄宿学校に入学した。

 一般常識に帝王学にマナーはもちろん、音楽にスポーツ。

 否応なく、あらゆる知識を叩き込まれた。


 当然、公世子として生まれたことを恨んだ。

 しかし、抗うことは決して許されない。


 もちろん、胸中は重圧に押し潰されそうだ。

 摂政を立てた方がいいのではと、内心では考えていた。


 ネクタイを締め、シャツの襟を正す。

 スーツジャケットに袖を通し、髪を整えた。

 姿見に顔を寄せると、目の下にはクマが広がっている。


 女みたいに、化粧でもしようか。

 そんなことを考えつつ、シュッツェは自室を出た。


「おはよう」と、アインが微笑んだ。


 動くたびに、プラチナブロンドが煌めく。

 アクアオーラのような水色の目が、優しげに細められた。


 アイン・フェヒターは、クローネ公国の国家憲兵。

 正式な肩書きは『公族警護課・公世子付き警護官』。

 言うまでもなく、他の憲兵の憧れだ。 


「ちゃんと眠れているかい? ひどいクマだ」

 自身の目元を指差し、アインは顔を曇らせる。


「大丈夫、そのうち治るさ」


「いいや、簡単には治らないよ」と、アインが即答した。


「逃げられない宿命に、苦悩しているんだろう?」

 

「……全部、お見通しか」

 その言葉に、シュッツェは足を止めた。


「……なぁ、アイン」

 作り笑いが消えた口元が、ためらいがちに開かれる。


「俺は、大公に相応しいのかな」

 何度も、喉元まで迫り上がってきては、言えなかった言葉。


 アインの目が、見開かれた。

 まさに寝耳に水。という表情だ。

 しかし、否定の言葉は返ってこなかった。


「いつ言い出すかと待っていたが、随分と遅かったな」


「え?」


「私もそうだったから。お前の気持ち、痛いほどわかるよ」

 でも。とアインは呟く。


「『宿命』は存在する。お前の宿命は、大公になること。私は、励ますことしかできない」


「……だよな。俺がアインだったら、そう答えるよ」

 シュッツェは、降参のため息を吐いた。


 宿命だから。

 そうやって、割り切るしかないのだろう。


「だが、一人で抱え込むなよ。愚痴でも悩みでも何でも聞こう。お前が大公になっても、それは変わらない」


「ありがとな」

 目を閉じ、シュッツェは柔らかく微笑んだ。


「行こう。叔父上が待っている」

 腕時計の文字盤を叩き、アインは歩き出す。


 現在、兄妹の叔父が訪問している。

 父の訃報を知らせた時、叔父は一番に駆けつけ、声を震わせて泣いた。

 仮に摂政を任命するなら、彼に託そう。とシュッツェは考えていた。


 二人は居住階を下り、来客用の離れへ向かう。

 談話室の前まで来ると、レーヴェの笑い声が聞こえた。


 きっかけは、母の死だ。

 激務の父は子を励ますことも、傍にいることもできない。

 そんな兄妹に手を差し伸べたのは、母の弟ーー叔父だった。

 以来、菓子と笑い話を持ってくるのだ。


 会話が途切れた隙を見計らい、アインが扉を叩く。


「はい」

 公女付き警護官の、シュテル・バッハが顔を出した。

 アインと双璧を成す、気の強い女憲兵だ。


「やぁ。どうしても話したいことがあってね。押しかけてすまない」

 リーベンス・ヴェルテュヒ・シックザールが声を上げた。

 眼鏡の奥の目は、優しげに細められている。


「いえ。叔父さんは、いつでも大歓迎ですよ」

 妹の隣に座り、シュッツェは首を振った。


「それで、話って?」

 メイドが去ったあと、質問を口にした。


 ここまでは、普段と変わらないやり取り。


「クローネの全領土を、ビエール共和国に譲渡したんだ」

 リーベンスは笑みを浮かべたまま、穏やかな口調で答えた。

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