2.獣たち

 『死』が、そこまで迫っている。

 痛みを感じるほど、男の心臓は暴れていた。

 

 小銃を構えた手が、細かく震える。

 足を踏み出せば、ぴちゃ。と水飛沫の音。

 半長靴はんちょうか越しに伝わるのは、ぬるりとした感触。

 その正体は、足元を見ずともわかる。


 目の前には、動かない仲間。

 シャツは襟首から胴まで、血で染まっていた。


 テーブルに視線を移せば、もう一人の仲間。

 背中には、深く刺さった短剣。

 指先からは一定の間隔で、血が滴り落ちていた。


 妙な音で、目が覚めた。

 寝床から這い出て、隣室へ。

 その瞬間、眠気と血の気が引いた。

 酔い潰れていたはずの、仲間たちが死んでいた。


 外に出ようとするも、男はためらった。

 扉の前に、三つの死体が転がったからだ。


 頭を撃たれ、一人は即死。

 残りの二人は急所を撃たれ、倒れ込んだ。

 間髪入れず、現れた襲撃者によって、首を裂かれ絶命した。


 シュマグで覆われた顔から覗く、青い目。

 その目と合った瞬間ーー。


 絶叫と共に、男は小銃を乱射した。

 しかし、壁に弾痕を残しただけだった。


 襲撃者が消えてすぐ、外から怒号と発砲音が上がる。

 すぐに悲鳴や呻き声に変わり、数分後には沈黙した。

 つい先ほどまで、野営は笑い声で溢れていた。


 次はどこを爆破しようか。

 どの異端者を殺してやろうか。

 神を冒涜する連中に、制裁を与えてやろう。と声高々に笑っていた。


 男は目を閉じ、神に助けを乞う。

 ネックレスを握りしめ、何度も何度も、崇める言葉を呟く。


「お祈りは終わったか」

 こもった声が、男を現実へ引き戻す。

 うなじに当てられたのは、短剣の切先。


「……お願いだ。殺さないでくれ」

 小銃を落とし、男は掠れた声を上げた。


 はっ。と襲撃者が笑う。


「その言葉、お前らは無視しただろう」


 男の脳裏に、忘れていた記憶が蘇る。


 手を上げ、胸から血を噴く男。

 壁際で子供をかばい、涙を流す女。

 血痕を残し、這いつくばる老人。


「自分で招いた結果だ」

 襲撃者は、短剣を薙いだ。


 男は膝から崩れ落ち、うつ伏せに倒れた。

 噴き出した鮮血が、タイルの溝を流れる。


 火が消えるように、生気がなくなっていく。

 もう動かない男を一瞥し、襲撃者はきびすを返した。



『ジャガー、状況は?』

 襲撃者ーージャガーのインカムから、男の声が上がった。


「終わった。ウルフに、合流するよう伝えてくれ」


『りょーかい』

 あくびをしたのか、通信相手は緊張感のない声だ。


「お疲れさま」

 薄闇から、ウルフが姿を現す。

 シュマグから覗く黄色い目が、足元の死体へ向けられた。


「すごいね、アウル。まだ暗いのに、頭を撃ち抜くなんて」


『マズルフラッシュで、頭の位置が大体わかる。それで、奴らがどう出るかだな』

 アウルと呼ばれた男は、再度あくびをした。


「あとは、連中同士で殺し合えばいいさ」

 革手袋をはめ、ジャガーは血溜まりに指を突っ込む。

 無数の弾痕が走る壁に、血文字を書いた。


ーーサルバトルは我々のみを愛する。お前たちに祝福はない。

 それは目にしただけで、一部の人間が怒り狂う、魔法の言葉。


「サルバトル《救世主》か。人間はどうして、あんなものを奪い合うの?」

 血文字を見上げ、ウルフは首をかしげた。


「さぁねぇ。俺にもわからない」

 ジャガーは革手袋を外し、焚き火に放り込んだ。

 火の粉と共に、灰が煌めく。


「帰ろう。汗と砂埃でベトベトだ」


 この地域特有の乾燥した赤土は、歩くたびに舞い上がる。

 さらに、日出前にもかかわらず、温度と湿度が非常に高い。


『しっかし、どいつもこいつも「神の名の下に」なんて叫んでたぜ? 大勢の人間を殺すことが、神とやらが望んでいると思っているのかねぇ?』


「その手の議論は、帰ってからにしよう」

 アウルが潜む、丘の廃屋を見上げ、ウルフは首を振った。


「ごもっとも」と、ジャガーは天を仰いだ。


 風に巻き上げられた赤土が、薄明の空に吸い込まれる。  

 ウルフの呼ぶ声に、ジャガーは歩き出した。


 始まりの朝が、そこまで来ていた。

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