獣たち

 『死』が迫っている。

 痛みを感じるほど、男の心臓は暴れていた。

 

 小銃を構えた手が、細かく震える。

 足を踏み出せば、ぴちゃ。と水飛沫みずしぶきの音。

 半長靴はんちょうか越しに伝わるのは、ぬるりとした感触。

 その正体は、足元を見ずともわかる。


 目の前には、死んだ仲間。シャツは襟首から胴まで、血で染まっていた。


 テーブルに視線を移せば、もう一人の仲間。

 背には深く刺さった短剣。指先からは一定の間隔で、血が滴り落ちていた。


 妙な音で目が覚めた。寝床から這い出て、隣室へ。

 瞬間、眠気と血の気が引いた。

 酔い潰れていたはずの、仲間たちが死んでいた。


 外に出ようとするも、男はためらった。

 扉の前に、三つの死体が転がったからだ。


 頭を撃たれ、一人は即死。残りの二人は、急所を撃たれ倒れ込んだ。

 間髪入れず現れた襲撃者によって、首を裂かれ絶命した。


 シュマグで覆われた顔から覗く、青い目。

 その目と合った瞬間──。


 絶叫とともに、男は小銃を乱射した。しかし、壁に弾痕を残しただけ。


 襲撃者が消えてすぐ、外から怒号と発砲音。

 すぐに悲鳴や呻き声に変わり、数分後には沈黙した。

 つい先程まで、野営は笑い声であふれていた。


 次はどこを爆破しようか。

 どの異端者を殺してやろうか。

 神を冒涜ぼうとくする連中に、制裁を与えてやろう。と声高々に笑っていた。


 男は目を閉じ、神に助けを乞う。

 ネックレスを握りしめ、何度も何度も、崇める言葉を呟く。


「お祈りは終わったか?」

 こもった声が、男を現実へ引き戻す。

 うなじに当てられたのは、短剣の切先。


「……お願いだ。殺さないでくれ」

 小銃を落とし、男は掠れた声を上げた。


 はっ。と襲撃者が笑う。


「その言葉、お前らは無視しただろう」


「待て、待ってくれッ……!」

 男の脳裏に、忘れていた記憶が蘇る。


 手を上げ、胸から血を噴く男。

 壁際で子供をかばい、涙を流す女。

 血痕を残し、這いつくばる老人。


「自分で招いた結果だ」

 襲撃者は、短剣を薙いだ。


 男は膝から崩れ落ち、うつ伏せに倒れた。

 噴き出した鮮血が、タイルの溝を流れる。


 火が消えるように、生気がなくなっていく。

 もう動かない男を一瞥いちべつし、襲撃者はきびすを返した。



『ジャガー、状況は?』

 襲撃者──ジャガーのインカムから、男の声が上がった。


「終わった。ウルフに、合流するよう伝えてくれ」


『りょーかい』

 あくびをしたのか、通信相手は緊張感のない声だ。


「お疲れさま」と薄闇から、ウルフが姿を現す。

 シュマグから覗く黄色い目が、足元の死体へ向けられた。


「すごいねアウル。まだ暗いのに、頭を撃ち抜くなんて」


『マズルフラッシュで、頭の位置が大体わかる。それで、奴らはどう出るかね?』

 アウルと呼ばれた男は、再度あくびをした。


「あとは、連中同士で殺し合えばいいさ」

 革手袋をはめ、ジャガーは血溜まりに指を突っ込む。

 無数の弾痕が走る壁に、血文字を書いた。


──サルバトルは我々のみを愛する。お前たちに祝福はない。

 それは目にしただけで、一部の人間が怒り狂う、魔法の言葉。


救世主サルバトルか。人間はどうして、あんなものを奪い合うの?」

 血文字を見上げ、ウルフは首をかしげた。


「さぁねぇ。俺にもわからない」

 ジャガーは革手袋を外し、焚き火に放り込んだ。

 火の粉とともに、灰が煌めく。


「帰ろう。汗と砂埃でベトベトだ」


 この地域特有の乾燥した赤土は、歩くたびに舞い上がる。

 さらに日出前にっしゅつまえにもかかわらず、温度と湿度が非常に高い。


『しっかし、どいつもこいつも「神の名の下に」なんて叫んでたぜ? 大勢の人間を殺すことが、神とやらが望んでいると思っているのかねぇ?』


「その手の議論は、帰ってからにしよう」

 アウルが潜む、丘の廃屋を見上げ、ウルフは首を振った。


「ごもっとも」と、ジャガーは天を仰いだ。


 風に巻き上げられた赤土が、薄明の空に吸い込まれる。  

 ウルフの呼ぶ声に、ジャガーは歩き出した。


 始まりの朝が、そこまで来ていた。

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