第2-4話 君には何が見えているんだ

 凸守でこもりが最初に抱いた感想は、

(質素なところだな)

 と、いうものだった。

 ここは「佐藤」と小鳥が同棲しているアパートの前だ。

 下の階に3部屋、上にも3部屋だけという小ぢんまりとした建物で、今の時代にこんな寂れたアパートがあるのかと驚いた。

 が、同時に若くて朴訥ぼくとつとした若いカップルの人生のスタートには、これくらいの住処でちょうどいいのかもしれないな、と妙に納得もしていたのだった。

「佐藤」たちの部屋は、2階の1番奥の部屋なので、赤錆びた外階段を登らなければならなかった。

 手すりに触れると少し手が赤くなるほどに朽ちていて、本当に登って大丈夫なのか不安になるほどだ。

「ここです」

 木製のドアの前に立った「佐藤」は凸守でこもりを見た。

「汚いところですが、中に入ってお茶でも飲んで行ってください」

「せっかくだが、君にスキルのコントロールのコツを伝えて、依頼料をもらったらさっさと退散することにするよ」

 若い夫婦の家に上がり込むほど野暮ではない──というのが表向きの言い訳で、内心ではやはり、妻の言葉が頭から離れなかったのだ。


神威カムイ属性』を持つ人に出会ったら、必ず


 鍵を探している「佐藤」に視線を向けてみる。

 子供のころの記憶がない、という点についてだが、率直に言えば怪しい。というより、そんなことがあるものなのだろうか。

 街をうろついていたら、「クロさん」という路上生活者に拾われた──なんとも嘘くさい。

 もしかしたら演技をしている可能性はゼロでないのだ。

 ただ、そうなると「佐藤」はなぜそんな嘘をいわなければならないのかが不明だ。

 何より「砂漠」に囲まれた時の様子を見る限りでは、「神威カムイ属性」を使いこなせていないのは疑いようもなかった。

(まさかそれも演技だというのなら話は別だが……)

 とはいっても、凸守でこもりは人を見る目には多少なりとも自信を持っている。探偵なんて職業をしていれば、依頼人はもちろん、調査などでさまざまな人間と出会う。それこそ腹に一物を抱えた者から、隙あれば出し抜いてやろうと目論んでいるような一筋縄ではいかないような輩たちだ。

 そんな環境で培った目を頼りにするのなら、「佐藤」は決して悪い人間ではないと告げているのだった。

(「佐藤」は一言で表現するならお人好し、といったところか。

 婚約者の名前を言っただけで、こうもあっさりと俺のことを信用して、自宅にまで連れて来てしまうんだからな)

 それだけに、妻の言葉が余計に引っかかるのだった。


神威カムイ属性』を持つ人に出会ったら、必ず


 なぜ、と聞いても妻は答えなかった。

『約束してほしいの』

 それだけ言うと、悲しい目をしていたのだった。

(君には一体、この若者の先に何が見えているというんだ。そもそもこの『神威カムイ属性』とは一体──)

「あれ?」

 ドアの前で「佐藤」が何やら手間取っている。古いアパートだ。鍵がうまく鍵穴に入らないのだろう──そう思っていたのだが、どうやら違ったらしい。

 それどころか、事態はもっと深刻だった。

「開いてる……」

 ドアノブに手をかけて引くと、ギィーというきしみ音を出して開いた。

 ここに来る前に、小鳥に連絡をしてみた。

「佐藤」のスマートフォンの電源が切れていたため、凸守でこもりのものでかけてみたが、繋がらなかったのだ。

「小鳥が帰ってるのかな。でもこの時間はいつも仕事のはずだから──」

 凸守でこもりは「佐藤」の肩に手をかけた。

「下がれ」

「え?」

「君は車で待ってろ」

「でも……」

「いいから車に戻れ!」

 凸守でこもりの様子から、不穏な空気を感じ取ったのだろう。「佐藤」の顔から血の気が引いていく。

「わ、わかりました……」と、来た道を引き返して行くのだった。

 それを見届けた凸守でこもりはゆっくりとドアを開け、隙間から中を覗く。

 手狭な玄関を上がると6畳の一部屋にキッチンといった、外観で抱いた感想通りの実に質素な作りの部屋だった。

 そのため、一目でとわかった。

 何者かに部屋の中が荒らされているのだ。

「探偵さん!」

 外から叫び声。

 慌てて部屋から出て通路に行く。

 階下では「佐藤」が黒スーツに身を包んだ賊たちに、今まさに連れ去られようとしているのだった。

 必死に抵抗しているが、賊は3人。しかも離れた場所から見ている凸守でこもりにも、賊たちはみなスーツがはち切れんばかりの屈強な体躯であるのが見て取れた。

(なんなんだ、コイツらは!)

 凸守でこもりは転落防止のための赤錆た鉄格子を乗り越え飛び降りる。

 華麗に着地したかったが、中年のしかも普段から不摂生をしている体にはキツイ。

 両足に電流のような痛みが走るのだった。

「闇属性 闇消あんしょうスキル発動!」

 自分の足に触れると、一瞬にして痛みが消える。

(よし!)

 凸守でこもりは陸上のクラウチングスタイルになると、足を踏み出す。が、その必要がないとすぐに悟る。

 てっきり追いかけっこになるものだと覚悟していたが、3人の賊は意外にも足を止めると、道路の真ん中で仁王立ちしていたのだった。

 どうやら凸守でこもりがやって来るのを待ってくれていたようだ。

(なるほど。最初から逃げる気なんてなかったってわけか)

 追われたくないなら「佐藤」の肩を防ぐなり、気絶でもさせて連れ去ればいいのだ。

 賊は凸守でこもりを迎え撃つつもりらしい。

 1人は「佐藤」を肩に抱え、その場にとどまり、残りの2人は首や手首を回しながらゆっくりと向かって来るのだった。

 それを見て、凸守でこもりは頬を持ち上げ、肩を揺する。

「ずいぶんと自信があるんだな。それとも単に、俺がくたびれたオヤジだと見くびられてるだけか」

 3人はまったく表情を変えない。

 感情を押し殺してるというより、どちらかと言えば表情に表すための感情そのものがないといった印象だ。

 まるで能面を貼り付けたように、顔の筋肉に動きが見られないのだ。

 1人の賊が右手の拳を口に当てる。

 この格好に見覚えがあった。

「砂漠」たちと対峙した時にも同じように、吹き矢の筒に見立てた拳の隙間から、「フッ!!」と息を吐き出されたのだ。

 すると鋭角に尖った空気の針が飛んで来る。

(それは経験済みだよ!)

 凸守でこもりは闇属性を発動させた右手でそれに触れる。

 一瞬にして消し去ることができたものの、手のひらがヒリヒリとする。

「砂漠」のそれとはスピードも威力も桁違いだ。

(なに⁉︎)

 もう1人の賊の姿が見えない。

 気配を感じ、そちらを見る。

 いつの間にか、すぐ隣に移動しているのだった。

(こっちは雷属性か!)

 賊の右手がバチチチッと電流を帯びている。

「ぐっ!」

 凸守でこもりの脇腹に賊の拳がめり込む。その瞬間、スタンガンを浴びた時と同じような衝撃が全身に走る。

 その場にゆっくりと倒れる──

 が、凸守でこもりはすぐに体勢を立て直す。

 賊の表情は相変わらず無表情のままだったが、凸守でこもりの動きは想定外だったに違いない。

 一瞬だけ、動きが止まった。

「悪いな。闇属性は体の痛みを消せるんだよ」

 賊の膝に蹴りを入れる。

 手応えありだ。

 折ってやった。

 これで動けまい。

 にも関わらず、尻餅をついた賊は凸守でこもりの足にしがみついて来るのだった。

「闇属性 闇の霧スキル発動! 記憶はすべて闇の霧の中に消える!」

 賊はただ茫然とその場に立ち尽くす。目は虚で宙を彷徨うのだった。そして凸守でこもりはもう一度、同じ賊の頭に触れる。

「闇の霧は!」

 凸守でこもりは向かって来るもう1人の賊に、動きを封じた賊をぶつける。これで2人の動きを停止させることができた。

(残りはアイツか)

 この状態はさすがにマズイと感じたのか、「佐藤」を抱えた賊は凸守でこもりがいる方向とは逆に向かって走り出したのだった。

「なんだ、今度は逃げるのかよ……」

 自然とため息が出た。

(オッサンを走らせないでくれよな。それにこっちはアルコール漬けだってのに……)

 とはいえ、成人男性を抱えている相手に、走り負けるわけにはいかない。

 すぐに追いつくと、襟首をつかんで引き倒す。仰向けに倒れた賊はそのまま蹴りを繰り出してくるものの、凸守でこもりはあっさりとそれをわかし、頭に触れるのだった。

 凸守でこもりは天を仰ぐ。

 さすがに疲れた。息が上がり、胸を突き破って心臓が飛び出して来そうだ。その場に膝をつく。

「大丈夫か?」

「は、はい……なんとか……」

「佐藤」が無事なのを確認すると、すっかり動かなくなってしまった賊の横に行く。

「中年男を走らせやがって……それにしてもコイツらは一体何者なんだ」

 ステータスオープニン、と唱えるが、まったく反応がない。

「こ、こんなことってあるんですか」

「佐藤」が目を見開いている。戸惑うのも無理はない。

 普通に生きている限り、ステータスを見せないようにしている人物に会うことなんてまず有り得ない。あるとしたら、かなりヤバい状況にいると考えていただろう。

「ステータスが見られないなら、手荒なことをしなくちゃいけなくなるな」

 倒れている賊の胸ぐらを掴む。体を引き起こすし、頭に触れる。

「闇属性 闇の霧スキル解除!」

 これで記憶は復元されるはずだ。

 後は拷問でもなんでやって、なぜ「佐藤」を狙うのか、そしてこれは誰の命令なのかを吐かせるだけだ。


 パチンッ!


 かすかに何かが爆ぜるような音が鳴った。何が起こったのかと考える間もなく、賊の体から力が抜けていくのがわかった。

「コイツ……」

 口からダラリと赤いものが流れ落ちる。絶命したのは明らかだった。

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