第1-4話 君はきっと呆れているのだろう

 水産工場では、ほとんど手がかりと言えそうな情報は得られなかった。

 話を聞いた限りでは、「佐藤」はあえて周りの者とは距離を置こうとしているのか、必要以上に関わりを持たないようにしているような印象を受けた。

(果たして本当に、周りの人間たちを遠ざけていたのだろうか……)

 凸守でこもりは頭をもたげる。

 いくぶん頭痛が治ってきたため、思考を深いところまで沈めることができるようになってきたのだった。

(最初に行った鐵工所の社員たちは、「佐藤」が昔のことを話したがらないのは、コミュ障や後ろ暗い過去があるからではなく、どちらかといえば、『覚えていない』ようだった、と言っていたはずだ)

 ハンドルを握りながら、1つの可能性に思い当たるのだった。

(ひょっとして記憶喪失?)

 自分の手を見る。まだかすかに震えはあるが、気にならない程度にまでなってきている。

(まさか……何者かに記憶を奪われたのか⁉︎ だとしたらその目的はなんだ。「佐藤」の記憶に何かあるのか)

 そこまで考えて頭を振った。

(イカンイカン。思い巡らせ過ぎて、話をあらぬ方向へ持って行ってしまうのは俺の悪い癖だ)

 よく妻に怒られたものだ。


 トツさんって、心配しなくていいことまで心配するよね、と。


 いずれにしても「佐藤」を見つけないことには始まらないのだが、残念ながらその行方を探そうにも、現状では完全に手詰まりになってしまっているのだ。

(あまり気は進まないんだがな)

 仕方がないので、街外れにある「Z地区」に行くことにした。

 正直言って、ここでダメならもうお手上げだ。

「Z地区」を一言で表すのなら、「掃き溜め」ということになるのだろう。

 街中で出た産業廃棄物などを運び込むところで、いつもすえた臭いが漂っている。

 加えて親がいない子供や、カタギでない者などが集まり、いつもたむろしているのだ。勝手に建てたプレハブなどが整然と立ち並んでいる様は、異様というしかない。

 かつては繁華街だったらしいが、今ではあちこちに廃墟のビルがあり、路地裏にはやせ細って目が虚になった男が地べたに座っている。どこから見ても、違法な薬物を使っているのは一目瞭然だ。

 皮肉なことにここに来ると、凸守でこもりは、「まだ自分はまともな方だ」と自尊心を取り戻すことできる気がした。

(確か、この辺りにいるはずなんだが──)

 薄暗い建物の間を注意深く探していると、目当ての小男がいた。

「テメェ、売り上げチョロまかすとは、いい度胸してるじゃねぇか!」

 そう言って女を蹴り飛ばした。

 蹴られた女は鼻血を出してゴミ溜めの中に転がるのだった。


 小男はいわゆる「情報屋」だ。


 Z地区のことはもちろん、街中でのことにも精通している。そのため困ったことがあると、小男を利用しているのだった。

 ただ、向こうは凸守でこもりのことは覚えてないはずなのだが──

 背後から近づいて肩を叩こうとしたら、小男は不意に振り返る。

「やあ、旦那。アッシに何か用ですかい?」

 歯並びの悪い黄色く汚れた歯をニッと見せる。相変わらず虚ろな目は、不気味そのものだ。

 凸守でこもりは怪訝な表情を浮かべる。

「なぜ俺が近づいているのがわかった? 何より俺のことを覚えてるはずが──」

 小男はボロボロのシャツをめくって腹を見せた。

 ここ何ヶ月、いやおそらく何年も風呂に入っていない肋が浮き出た体からは、耐えがたい悪臭が放たれる。

「前に旦那が来た時、ここにメモしておいたんでさあ」

 垢にまみれた腹には『闇属性の探偵 タダでネタを持って行く』とマジックで書かれているのだ。

「なるほど」

 その時のことを思い返してみる。確か不意に失ってしまった「サブ属性」の行方を探しに来たはずだ。

「そういえば、急にションベンに行くと言っていったんいなくなったな」

「何度も無料で情報取られちゃ、こっちは商売あがったりでね」

 気がつくと、周りには鉄パイプを持った男たちに囲まれていた。それを見た女は慌てて逃げて行く。

 小男は「ヒヒヒッ」と、甲高い声で笑った。

「旦那。『まず闇属性』のスキルを使って人の記憶消すのが得意技なんだろ? だけどそう何度もうまく行くとは思いなさんな」

「で、コイツらを使って何をしようというんだ?」

「決まってるだろうよ!」

 小男は後退りしていくと、入れ替わるように後ろにいた屈強な男たちが前に出て来るのだった。全員が何かしらの武器を携え、反対の手には電流を流す者、火を放っている者など、誰もが今にも襲いかかってきそうだったのだ。

「旦那。今までアッシから盗んだ情報料をこの場で耳を揃えて払うなら、とりあえず手足を折るだけで勘弁しましょう」

「悪いな。もうオケラだ」

 凸守でこもりは小男の脇腹を指差す。

 そこには『絶対に殺す!』とマジックて書かれているのだ。

「もしかして、それを実行するつもりか?」

「まさか! 旦那の方から『殺してください』って懇願するまで、痛めつけてやりますよ」

「そうか。だが、お前は勘違いしてるようだな」

「はあ?」

「『闇属性』ってのはな、人の記憶を消すだけじゃないんだ」

 凸守でこもりはそこまで言うとヨレヨレの上着の内ポケットから、ウイスキーが入ったスキットルを出した。

「いつも無料じゃ悪いから、今回は土産を持って来てやったのに、いらないようだな」

 瓶の蓋を開けると、そのまま飲み干すのだった。

 小男の顔が怒りに歪む。

「そんなシケたモンで足りるかよ! テメェら、やっちまえ!」


          *

「残念だが、素人は何人集めても素人なんだよ」

 辺りには男たちがうずくまり、「ううっ……」と、うめき声を上げているのだった。

 手近にあった石の上に腰掛けた凸守でこもりの前には、例の小男が正座している。

「ヒヒッ、人が悪いなぁ、旦那は……ちょ、ちょっとした余興じゃねぇですか……それなのに本気を出すなんて……」

 へつらった笑みを上かべた小男の歪んだ鼻からは、タラリと血が垂れる。

「そうか。ならその余興とやらをもっとやるか? こっちは構わないぞ」

 拳を振り上げると、小男は「ヒィ!」と腕で頭を覆い悲鳴を上げる。

「どうかご勘弁を! 知ってることはなんでも話しやすんで!」

「最初からそう言えよ。こっちはもう歳なんだから」

「すいやせんさん……で、今日は何を調べてるんで?」

「この辺りでメイン属性を外せる医者を探してる男はいなかったか」

「メイン属性を外せる医者? いわゆる『闇医者』とかそんな類で──グフッ!」

 凸守でこもりは小男のみぞおちに蹴りを入れる。咳き込みながら床にのたうち回るのだった。

「俺が欲しいのは、その医者を探してる男の方だ」

 いつまでも苦しんでいるので、もう一度蹴りをいれる。小男は吐瀉物を撒き散らすと、ヨロヨロと体を起こすのだった。

 呼吸するたびに喉の奥から「ヒューヒュー」と甲高い音が鳴っている。

 もしかしたらどこかが折れたのかもしれない。

 ただ、先ほど女を蹴り飛ばしている姿を見ているだけに、同情する気も、ましてや謝罪する気もさらさらなかった。

「ずっとうずくまってるなら、2度と立ち上がれないようにしてやってもいいんだぞ」

「待ってください!」

 慌てて頭を上げると、口からヨダレがダラリと垂れる。

「や、闇医者はどこにいるって、聞いて回ってる男がいるって話は聞きやした!」

「それはいつのことだ」

「き、昨日……一昨日か……い、いや、昨日でさあ……! 昨日に間違いありやせん!」

「で、その男はどこに行ったのか知ってるか」

「さ、さあ……。ですが……」

 小男は口を拭う。

「噂じゃ……『砂漠』の奴らと一悶着あったとか──もしかしたら今ごろ、ゴミ溜めに埋められてるんじゃねえですかね……ヒヒッ」

 凸守でこもりは立ち上がる。無意識に舌打ちをしてしまった。

(よりによって、厄介な奴らとモメやがって……)

 小男が言った『砂漠』とは、このZ地区を仕切ってる、いわゆる「ならず者グループ」の中の1つだ。

 面倒なことに、もっとも凶暴な連中の集まりとして有名なのだ。

 凸守でこもりは小男の頭に触れる。

「闇属性、『闇の霧』スキル発動!」

 右手に黒い靄が現れる。

凸守龍太郎でこもりりゅうたろうとの関わりはすべて霧の中に消える」

 その後、倒れている男から服をはぎ取る。そして小男の体にある文字を消して行くのだった。

(何が嬉しくてこんな奴の裸体を見なきゃならないんだ)

 体に書かれている『メモ』を布でこするが、油性マジックらしく簡単には消えなかった。

(もったいないが、仕方ない……)

 スキットルの中にわずかに残った酒を小男の体にかけ、力一杯こすり落とした。

 すべてを消し終えた時には全身汗だくになっていたのだった。

(余計なことをさせやがって!)

 作業している間、ずっと呆然としていた小男だったが、やがてハッと意識を取り戻す。

「あれ? 兄さん見ない顔だね。いい女がいるんだけど、遊んでくかい? 安くしときますぜ」

 下衆い笑みを貼り付けた小男には目もくれず、凸守でこもりはさっさとその場を立ち去るのだった。

 だがその時、凸守でこもりは気がつかなかった。

 情報屋の小男に蹴り飛ばされていた女に、一部始終を見られていたことを。


 もしもここに君がいたのなら、間抜けな俺にきっと呆れていたことだろう。

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