第6-1話 君を忘れるなんて……

 これまでの美兎の口調には、どこか嘲笑が混ざっていたり、それでいて呆れていたりするような──衝撃的な内容には似つかわしくないどことなく「軽さ」を感じる部分が多々あるように思えた。

 ところがここにきて急に彼女の口ぶりが重々しいものへと変わるのだった。

 そのことでこの話の本筋は、実はここからだったのだろうとということを、凸守でこもりたちは思い知るのだった。

 現に美兎が語った後半の物語、凸守でこもり栗花落つゆりの義兄弟の関係に決定的な溝を植え付けかかねないものだった。


          *

 順調たと思われていた『別天津神ことあまつかみ計画』だったが、発足されてから20年ほどが経過したある日、この計画の根幹を揺るが大事件が起きた。


別天津神ことあまつかみ計画』の研究所から脱走者が出たんだ。

 しかも脱走した者は、数人の子供たちを連れて逃げ出したんだ。

 

 その子は当時、13歳の少女だった。


 だが、研究員たちは全員、不審に思った。

 施設で生まれた子供たちは、定期的に闇属性のスキルで頭の中をリセットされていた。

 いわば体は大きくなっても、脳は生まれたの赤ん坊と同じだ。

 勝手に動き回ることはすれど、自分の意思で施設を出たばかりでなく、数人の子供を連れて行くなどといった思考ができるはずがないからだ。

 もちろん問題の少女もまた、他の子供たちと同様、ベッドに寝かされてオムツを履き、食事は点滴で行われていた。

 ただし、活発に動き回る子供たちに比べてかなり大人しい子だったため、拘束具も実に簡単なものだったそうだ。

 記録によると、右手にだけ拘束具が付けられていただけなので、幼稚園児でもその気になれば簡単に外すことができたらしい。


 ともかく、なぜその少女は闇属性で頭の中をリセットされたにも関わらず、自由に動けたのか?


 これにはずいぶん頭を悩まされたらしい。


 何せ、脱走するに至るまでの彼女の行動などは、ほとんどわかっていないからだ。正確に言えば、記録する必要はなかった。

 他の子供たちと同じで、ほとんどベッドで過ごし、夜中をしてお漏らしをしていただけなんだからな。

 そのため、これはあくまでも推察するしかないのだがだが──


 もしかするとその少女が持っていた『神威カムイ属性』のスキルは、人間の動きはもちろんのこと、他人のスキルの効果に至るまで、あらゆるものを『止める』ことができる能力、ではないだろうかということだ。


 つまり彼女は毎回頭をリセットされる際、スキルを発動させ、闇属性のスキルで記憶が消えていくのを『止めて』いたのではないだろか。


 なぜそのような結論に至ったのかというと、少女が施設を出る際に、唯一の目撃者がいるんだ。

 その人物は警備を担当していて、少女が脱走する時に呼び止めたそうだ。

 すると少女は。次の瞬間、体が動かなくなったそうだ。

 このことから少女のスキルは、あらゆるものを「止める」ことができると推察できるわけだ。

 そう考えると、他の子供に比べて彼女だけが知能が発達していて、脱走を企てられた理由にも説明がつくというものだ。


 ただ、施設の職員たちからすれば、まさかそんなスキルが生まれていたなんて思いもしなかっただろうし、脱走されるなんて考えもしなかったはずだ。だから警備も手薄だったんだ。

 考えてみれば、当たり前のことだ。

 赤ん坊を逃さないために、わざわざ見上げるほどの高い壁や、あるいは有刺鉄線などが必要だと、一体考えるだろうか。

 せいぜい柵があれば十分だろう、と誰しもが思っていたんだ。

 そんなわけで13歳の少女は、糞尿を運ぶための桶の中に子供たちを入れられるだけ入れ、それを台車に乗せた。

 そして警備が1番手薄になる交代時間を狙い、施設を飛び出した。少女の思惑通り、警備の人間1人に目撃されただけで、まんまと逃げ仰ることができたというわけだ。


          *

「ずいぶんと雄弁だな」

 美兎が話し合えると、栗花落つゆりは吐き捨てるように言った。

 眼鏡を外すと、スーツの内ポケットから出したハンカチでレンズを拭う。

「ベラベラと得意げに話してるようだがな、博士、アンタも『別天津神ことあまつかみ計画』を実行した職員の1人なんだろ?」

 レンズを拭き終え眼鏡をかけると、射抜くような視線を向けた。刑事からそんな目を向けられたら、普通な震え上がってしまうところだろう。まして相手はまだ20代の後半くらいの若い女性だ。

 ところが美兎には怯む様子はまるでない。

「そうだ。だったらどうだと言うんだ。わたしは自分の知ってることを話しただけだ」

「当事者のアンタが、他人事のように話すのが気に入らないって言ってるんだ。

 例え政府からの要請だったとは言え、鬼畜なのはアンタも同じだろ」

「ツユ、待て!」

 いちじくが割って入る。

小比類巻こひるいまき博士は実験に直接関わっていないんだ。この人は開発部で、武器や道具の発案や製造が主なんだ」

 美兎は「フッ」と短く笑った。

「そんなことを言われたとしても、身内の人間からすれば、わたしも政府の連中も目クソ鼻クソだろうな」

 振り返りもせず続けるのだった。

「血のつながりはないとは言え、突然身内の──しかもこんな荒唐無稽な昔話をされたんじゃ、わたしにだってお前が面白くないと感じるのは理解できないわけじゃない。

 それでもわたしが話しているのは紛れもない事実だ。お前が気にいる気に入らないといった次元のレベルの話じゃないんだ」

 栗花落つゆりの表情が今まで1番険しくなるのだった。

「待て。さっきからアンタは何を言ってるんだ? 私の身内とは一体どういう意味なんだ」

「なんだ、知らないのか?」

 美兎の視線が一瞬だけ凸守でこもりの方へと向けられた。


「脱走した13歳の少女というのは、お前の妹だ」


 それはつまり、のちに凸守でこもりの妻となる女性のことを指しているのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る