第5-1話 君も怒りに打ち震えているだろうか

「義兄さん! 俺の車に早く乗って──うわっ!」

 凸守でこもりが運転席に乗り込もうとドアを開けた瞬間、後ろから猛然とやって来た栗花落つゆりに「どけっ!」と体当たりをされたのだった。

 強引に押し除けられてしまった凸守でこもりは、危うく転んでしまうのをすんでのところで堪える。

「な、何するんですか⁉︎」

 ボンネットにしがみつきながら驚いて見ている。

「うるさい! 嫌なら置いてくぞ!」

 さっさと運転席に乗り込んだ栗花落つゆりは、すでにシートベルトを締め、座席の位置を調節しているところだった。

 こうなってしまってはもう抵抗するのは時間の無駄だ。仕方がなく凸守でこもりは車を回り込んで助手席に乗る。

「シートベルト!」

「は?」

「は? じゃないだろ! お前、車に乗ったことないのか!」

「ですが、今は緊急を要するので──」

 どうやら義兄は引き下がるつもりがないらしいと悟った凸守でこもりは諦めてベルトを装着するのだった。

 小鳥はといえば、すでに後部座席に陣取り、2人のやり取りを焦ったそうに見ている。


 どっちが運転するかでモメるなんて、子供じゃないんだから……。


 まるでそう言いたげな顔だ。

 栗花落つゆり凸守でこもりからふんだくったキーを差し込むと、スタートさせる。が、「キュルルル」とセルが回るだけで、なかなかエンジンがかからない。

「クソッタレ!」

 苛立ったように何度もハンドルを叩く。

「なんだってこの私が、こんなみすぼらしい車に乗らなきゃならないんだ!」

 栗花落つゆりが探偵事務所にやって来るために乗ってきた車は、ここから少し歩いたところにある有料の駐車場に停められているのだった。

 本来ならそちらの方へ行って自分の車を取ってきたいところなのだろうが、いかんせん今は緊急を要する。

 そのため不本意ながら路上駐車していた凸守でこもり所有の年代物──といえば聞こえはいいが、実際には手入れもほとんどしていない単なるオンボロ車を使うことになったというわけだ。

 四苦八苦しながらもようやくエンジンをかけることに成功すると、アクセルを踏み込む。

「義兄さん、この辺りのことならやはり俺の方が土地勘があります」

 そう言いながら凸守でこもりは後ろを振り返る。

 まだ「鈴木」たちが追って来瑠璃子気配は感じない。

 探偵事務所からは煙が上がり、盛大に炎が立ち上っている。遠ざかる車の中にもその煙が漂って来るほどだ。

 誰かが通報したらしく、どこからかサイレンが鳴っているのだった。

(俺たち以外に入居者がいなくて良かった……)

 ほぼ廃墟と化していたビルだった上に、近隣にも人が生活しているような建物がないのは不幸中の幸いだと言えるだろう。

 凸守でこもりは運転席の方へと向き直る。

「俺の隠れ家がありますから、そこへ──グッ!」

 脇腹にパンチを入れられたのだった。

 腰を折ってうずくまる。体当たりされただけでなく殴られてしまうとは、凸守でこもりにとって散々の日だ。

 栗花落つゆりは素早くルームミラー、サイドミラーを確認した後、助手席をチラリと見やった。

「お前はとっくに免許取消しだ」

「え?」

「そんな間抜けに運転なんかさせられるわけがないだろ!」

「俺は、め、免取り……ですか……。そんなはずはないんですが……」

「知らないとは言わせないぞ」

 眼鏡を押し上げると、前方に注意しつつ、横目で凸守でこもりをにらみつける。

「駐禁の札を勝手に外したらしいな。しかも1度や2度じゃないんだろ? それだけじゃなくてにもみ消すよう脅迫したんだってな!

 これだけでも重罪なのに、貴様は飲酒運転もしてるそうだな」

「誰がそんなことを……」

「ケツから聞いた。

 そんな馬鹿に運転させられるか! 

 署についたらそのまま留置場に放り込んでやる! 裁判なんて時間の無駄だから、1番待遇が悪い刑務所に送り込んでやる! 覚悟しておけ!」

「す、すません……」

 すると後ろの席から「さ、最低……」とつぶやく声。

 振り返ると小鳥がまるで汚らわしいモノを見るような視線を向けていたのだった。

「トツさんって、実は悪い探偵だったんですね。初めから知ってたら、仕事辞めて助手なんてなるんじゃなかった」

 小鳥の表情を見ていると、あながち冗談で言ってるわけではないように見える。

(まいったな……)

 凸守でこもりはこめかみを人差し指でかきながら、大男に思いを馳せるのだった。

(ケツの奴……全部義兄さんにチクリやがって……覚えとけよ!)

「それからな!」

 |栗花落の怒りはまだ収まっていないらしい。むしろ声にはさらなる怒気が含まれているような気がする。

「お前の隠れ家とやらは、とっくにアイツらにバレてるんじゃないのか!」

「あっ⁉︎」

 小鳥の婚約者である「佐藤」と、一時的に避難した際、スマートフォンが投げ込まれたのだった。

 まんまと「佐藤」のサブ属性に「GPS」を仕込まれてしまい、それに気がつかずに隠れ家に行ってしまったのだ。

 そのためあえなく「高橋」に居場所を知られてしまったというわけだ。

 一度でもバレてしまえば、それはもはや「隠れ家」としての機能は果たせない。

「お前って奴は、どこまでも馬鹿なんだ! 呆れてモノも言えない!

 曲がりなりにも探偵のクセに、他者に居場所を知られるなんて、恥だと思え!」

「面目ない……」

 今度は「フフフ」という笑い声が聞こえた。

「トツさんとお義兄さんって、実は仲がいいんですね」

 栗花落つゆりはチラリとルームミラーで小鳥を見ると、ため息をついて頭を振った。

「コイツは我が栗花落つゆり家の汚点だ。一時でも親族になったことを、猛烈に後悔しているところだよ」

 凸守でこもりはただ苦笑するしかなかった。


 しばらく走った後、信号が赤に変わったところで栗花落つゆりはスマートフォンを車にセットする。

 こんな時でもきちんと交通ルールを守ることに、凸守でこもりは心の中で(さすが正義の人)だとつぶやくのだった。

『もしもし?』

 呼び出し音が1回鳴っただけで、相手はすぐに応答した。おそらく普段から肌身離さずスマートフォンを持っているのだろう。

 ただ、すこぶる不機嫌そうな声だった。

『勘弁してくださいよ、ツユさん!』

 相手は法華津ほけつのようだ。

 電話の向こうから、子供たちの泣き声や奇声が聞こえる。

 栗花落つゆりはやや声を大きくする。古い車なので静粛性に問題ありなのと、法華津ほけつ側がかなりだったからだ。

「非番のところ悪いな」

『ほんとですよ! せっかく久しぶりに家族サービスしようと思ってホットケーキ焼いてんのに──つうか、ツユさんもウチに来ます?」

「残念だがそんなヒマはないんだ。大至急、警視庁に集合してくれ」

 声のトーンで察したのだろう。

『何かあったんですか?』

「詳しいことは署で話す。それから他の非番の連中にも連絡してくれるか」

『わかりました』

 電話を切る瞬間、『どうしたの? 何かあったの? アナタが行かなきゃダメなの?』と、矢継ぎ早に質問する女性の声が聞こえた。

 おそらく奥さんなのだろう。

『ごめん。行かなきゃだ』

 法華津ほけつの寂しげで、それでいて申し訳なさそうな声が切なく響いていた。


          *

 凸守でこもりたちが警視庁の駐車場に着くと、時を同じくしてファミリーカーがタイヤを鳴らしながら入って来たところだった。

「ツユさん!」

 車から降りると法華津ほけつは背広の上着を羽織りながら走って来る。

 ワイシャツの裾が半分、ズボンから飛び出ている。それだけ大急ぎで用意をしてやって来た証拠なのだろう。

「あれ?」

 大男は凸守でこもりたちを見て、太くて立派な眉を持ち上げた。

「なんでトツさんと小鳥ちゃんも一緒なんです」

「トツの探偵事務所が襲撃された」

「しゅ、襲撃⁉︎」

「ああ。例の『八咫烏ヤタガラスとか言うグループの一味だ。確か『鈴木』とか言ってたな」

「ということは、『高橋』の仲間ってことですよね」

「『鈴木』は『高橋』と一緒にされるのは心外って感じだったがな。

 とにかく詳しい話は、中で全員の前でする」

「義兄さん、待ってもらえますか」

 全員が凸守でこもりを見る。

「どうした、トツ」

「おかしいと思いませんか」

 凸守でこもりは険しい表情を浮かべたまま、辺りを見回すのだった。

「これはちょっと不自然なくらいに、静かすぎる気がするんですが」

 そう言えば──と栗花落つゆり法華津ほけつもまた駐車場を見渡す。

 2人の表情は一気に厳しいものへと変わるのだった。


 もう嫌な予感しかしない。


「小鳥。俺から離れるなよ」

「は、はい……」

 栗花落つゆりを先頭にして、凸守でこもり、小鳥、法華津ほけつの順に一列になると、慎重な足取りで警視庁の建物に近付いていく。

 振り返った栗花落つゆりは小さくうなずいた。


 ここから入るぞ、ということなのだろう。


 裏手にある関係者専用の出入り口だ。栗花落つゆりはスーツの内ポケットから取り出したカードをスキャナーに通す。

 ガラス戸の扉はほとんど音を立てることもなくスムーズに開いた。

 その途端、思わず顔をしかめざるを得ないような不快な焦げた臭いがした。

 明らかに人肉が焼けた臭いだ。

 それが瞬時に理解できたのは理由は、探偵事務所で栗花落つゆりが焼かれた際に凸守でこもりたちは嗅いでいたからだ。

 建物の中に足を踏み入れた凸守でこもりたちは、目を見開き、下顎を震わせた。同時に膝が震える。


 凄惨──


 この言葉は、きっと凸守でこもりたちが今目にしている光景を表現するために作られたのだろう。

 あちこちに血が飛び散り、そこここに制服、私服入り乱れた警察官たちが倒れているのだ。

 そのほとんどの者は頭部がなかった。

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